チェルシー・スコットの逆襲
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その日、クラーラの店に嵐がやって来た。
「クラーラ!聞いてよ!!」
ちりちりちりりん!盛大なベルの音と共に飛び込んできたのは、クラーラの店常連のチェルシー・スコットだった。
「おはようチェルシーちゃん。何かあったの?」
「大アリよ!!」
憤懣やるかたない、といった形相のチェルシーは、ぐっと拳を握りしめた。
「あいつ!二股かけてやがった!!」
衝撃的な言葉に店内にいた少女たちがいっせいに振り返った。
チェルシー・スコットはこの店の常連だ。とはいえ貴族の令嬢ではない。彼女は生まれも育ちもれっきとした庶民。王都でも下町といわれる場所で育った生粋の下町っ子だ。
クラーラ自身は気取るつもりなどないが、王都でも高級店街と呼ばれる装飾品街に店を構えているのでクラーラの店は高級店の扱いだ。しかし、クラーラ本人は、実は下町に住んでいる。
理由は簡単。貴族たちが住む場所に居を構えてしまえば、うるさくおしかけられるからだ。
幸いなことに下町ではクラーラ、つまりマクラウド・アストライア・クラストロの名前はともかく顔はあまり知られていない。おまけに下町ならではの人の良さか、チェルシーをはじめとする人々は余計な詮索をせず、あたたかく迎え入れてくれた。実際クラーラを見たら詮索するより先に察しがつく。見るからに人品卑しからずという風貌に女装とオネエ言葉だ、訳ありだと一発でわかるだろう。
チェルシーは当初、クラーラを遠巻きにしていた。単純に訳あり金持ちとは縁がないだろうという判断だったのだが、クラーラが店を構えると事情が変わってきた。
チェルシーの親は王都で青果店を営んでいる。いわゆる八百屋だ。とはいえ下町のこと、そうそうお高い野菜など仕入れず、毎日の生活に必要なものだけを扱っている。当然売り上げもそこそこ。兄弟姉妹の多いチェルシーが手伝いに入るのも日常だった。
家の手伝いで得られる小遣いなどたかが知れている。食い扶持の多いスコット家では売れ残り野菜のスープが定番料理だった。肉など滅多に食べられない。おしゃれなどできる余裕は当然ながらどこにもない。
そんな時、クラーラの開店である。チェルシーは金の匂いを鋭く嗅ぎ分けた。
さすがに服を一着買えるだけの小遣いは持っていない。しかし仕立て屋だ、ドレスを作れば余り布が出る。チェルシーはその端切れに目を付けた。
クラーラ自身も端切れを使ってパッチワークでもしようと考えていた。そこにチェルシーが内職はないかと持ちかけた。兄弟たちの服を繕ったり、せめてものおしゃれで刺繍をしていたこともあり、腕には自信がある。
最初はクラーラもチェルシーの腕を見て、見込みはあるが売るには弱いと断った。素人の上出来と売り物の出来ではレベルが違うのだ。やりたいのなら本気で来いとチェルシーを煽り、まんまと燃え上がったチェルシーは家にあったとても着られない服を片っ端から断裁して改造した。その度にクラーラが駄目出しをして、チェルシーが悔しさをバネにして腕を磨いていく。ちなみに着られなくなった服でも掃除には使えるので大切にとってあった。生活の知恵である。
そんな日々を繰り返し、一年ほどした頃、クラーラはドレスの端切れをチェルシーに見せた。
「チェルシーちゃん。あなたのその根性は目を見張るものがあるわ。ここまで良く頑張ったわね」
偉いわぁ。今まで駄目出しばかりだったクラーラからの素直な褒め言葉にチェルシーが感激に潤む。
クラーラは端切れの束を取り出すと、糸と共にチェルシーに渡した。
「最終試験よ。三日後までにこの布地でコースターを仕上げてきて。合格ならば、店に置きましょう」
「ホント!?」
「ええ。デザインと配色はまかせるわ。クラーラの店にふさわしいものに仕上げてちょうだい」
はじめてよそから『仕事』を任されたチェルシーは張り切った。野菜を扱う泥だらけの手で端切れとはいえドレスの生地と綺麗な糸を汚すわけにはいかないと、たわしでしっかりと手を洗い、緊張に震える手で針を持った。たわしで手を洗ったことがクラーラにばれて「女の子の手が!!」と叫ばれるのは完全な余談である。庶民に石鹸などという贅沢品はない。
三日後、チェルシーは見事に出来上がったコースターをクラーラの店に持ち込んだ。そこには品定めのために集められた、貴族の令嬢たちが待ち構えていた。
「あら、可愛い」
クラーラの一声がそれだった。まさに世界が違う令嬢たちを前に緊張で恐縮していたチェルシーはその言葉に顔をあげられなかった。
場違いにもほどがある。腕前こそ上がったが、ここが下町の雑貨店などではなく、貴族様御用達であることを失念していた。あんなきらびやかなお嬢様たちが、こんなみすぼらしい下町娘の作ったものに金を払うわけがない。チェルシーは泣くのを堪えようと唇を噛みしめた。
「ねえ、チェルシーさん。これは何ですの?」
出来の悪さを嗤われる、と思ったチェルシーは震え声で答えた。貴族様の問いかけに無視などできるはずもない。ちらりと顔をあげれば、本当に不思議そうなお嬢様がコースターを手に返事を待っていた。
「そ、それは、かぼちゃのコースターです、で、ごぜえます」
滅多に使わない、一生使うことなどない敬語も間違えてしまう。馬鹿にされる、とぎゅっと目をつぶったチェルシーに、歓声があがった。
「かぼちゃ!かぼちゃってこういうものなのですか!」
「えー!知りませんでしたわ!じゃあこれは?」
「チェルシーさんこっちは何ですの?」
チェルシーが作ったコースターは、見慣れた野菜の模様だった。できるだけ丁寧に、精巧に見たままを再現してある。
「え、と…。そっちがとうもろこしで、そっちはズッキーニです……」
またきゃあと歓声があがる。一歩置いたところで見守っていたクラーラがうなずいていた。ぽかんと口を開けてお嬢様たちを見ているチェルシーに気づき、そっと近づく。
「よくできてるわ、本当よ。おまけにコンプリート心をくすぐるように作ってくるなんて、やるじゃなぁい」
ぱちん、とウインクをされてチェルシーは顔を赤らめた。認められたのか、とクラーラとお嬢様たちを交互に見比べる。
「…ああいう貴族ってのはね、食事の支度を自分でしないのよ。料理人に作ってもらうわけ」
「それくらいは知ってるわよ」
「そうね。だからね、お野菜を見たこともない、知らないお嬢様がほとんどなのよ」
「え…えぇ~?」
「たぶん、普段食べてるお肉やお魚も、ああいうふうにできてるもんだと思ってるわ」
「そんなまさか」
見ればお嬢様たちの間では誰がどれを買うかで争奪戦がはじまっていた。チェルシーはどうやら合格したことを知るとホッとして、それから別の意味でも脱力した。お嬢様たちとは世界が違うのはわかっていたが、そういった意味でもまさしく生きる世界が違う生き物だ。
パンパン、と手を叩いたクラーラが争奪戦を終わらせた。
「ほらほら、喧嘩しないの。いっとくけどそれは売り物じゃないわよ」
「えっ」
「ええっ、違うんですか?」
「わたくし、こちらのかぼちゃさんが欲しいです」
「わたくしはトマトが欲しいのですが」
だーめ、と言ってクラーラがお嬢様たちからコースターを取り上げた。売り物ではないと言われ立ち竦むチェルシーを振り返る。
「言ったでしょ、店に置くって。お茶の時に使うコースターが欲しかったのよ。売り物用の布はさすがにタダってわけにはいかないわねぇ」
「クラーラ…あんた、けっこうちゃっかりしてんのね……」
そういうことか、とチェルシーは肩を落とす。ころころと笑うクラーラはしてやったりとでも言いたげだ。舞い上がって落ち込んで、また浮上する。それでもクラーラの店で使われたとなれば、噂を聞きつけた雑貨屋が販売を引き受けてくれるかもしれない。悪い話ではなかった。
「もちろん、お代は支払うわ。これでまた端切れを買って、店に来てね。売り物にできると判断すれば、委託ということで販売するわ」
以来、チェルシーはクラーラの店の常連になった。時に客、時に流行のサーチも兼ねてお嬢様たちとお茶をする。はっきりいってタダ飲みタダ食いでおやつをねだりに来るようなものだが、クラーラも邪険にはしなかった。貴族は端切れなど買わない。チェルシーが購入してなにかしら作ってくれるなら、クラーラも手間が省けるのだ。
そんな常連にして気さくな友人が男に二股かけられたという。クラーラはもとよりお嬢様たちも黙っていられなかった。
「チェルシーちゃんの彼って、たしか本屋のアンドリューだったわよね?真面目そうな人なのに、どうしてわかったの?」
「間違えられたの!『パーカーズ』のチョコ美味しかったね、だって!アタシとそんなとこ、行ったことないのに!」
「あらら~それはなんともまぬけな話ねぇ」
「『パーカーズ』だよ『パーカーズ』!アタシ、チョコレートなんか食べたことないのに!ずるい!」
「チェルシーちゃん、あなた二股に怒ってるの?『パーカーズ』に怒ってるの?」
「両方!!」
どちらにしろアンドリューに怒っていることには変わりない。なにせ『パーカーズ』のチョコレートだ。
『パーカーズ』は王都でも有名なチョコレート専門店だ。元々飲み物であったチョコレートを固形にする方法は各国の菓子職人が試行錯誤していたが、最初に成功したのは帝国である。帝国の宮廷で饗されるのみであった固形チョコレートの技術をこの国に持って来たのが『パーカーズ』の菓子職人パーカーだった。いくら帝国でも職人同士の繋がりまでは止められず、本来なら門外不出になるはずだったチョコレート固形技術はあっという間に広がっていった。同じことを考えるものはいくらでもいる、といういい例だ。
いくら王都に店があっても、チェルシーのような庶民の口に入る菓子ではない。たった一粒でチェルシー一家の一日分の食費に相当する値段なのだ。いくらアンドリューとはいえ相当な無理をしただろう。そしてその無理をする相手は、チェルシーではなかった。考えなくてもわかる浮気バレである。
「なんて酷い男でしょう」
「酷いですわ。『パーカーズ』でしたらわたくしだって悔しいわ」
「そうよね悔しいわ」
お嬢様方もチェルシーの憤慨を理解した。食べ物の恨みは深いというが、浮気の恨みも深いのだ。
「二股、ねぇ…。もしかしたら二股じゃあないかもしれないわ」
「じゃあ何!?アタシに買ってくれたんならどうして食べさせてくれなかったの!?」
『パーカーズ』に目の色を変えたチェルシーに、アンドリューは慌てて母への贈り物だと言い訳したのだ。そんなの言い訳にもなっていない。
クラーラはそういう意味ではないと首を振った。
「二股だったら誰と食べたのか覚えているものじゃない?こんな言い方をしてごめんなさい――チェルシーちゃんが浮気相手で、本命と差をつけているのなら尚更よ。チェルシーちゃんだって彼と食べたものは覚えているでしょう?」
ごめんなさいと言いつつ浮気相手と断定されたチェルシーは傷ついた。しかしクラーラの言葉に唖然とする。
「じゃあ何…?あいつ、アタシと本命以外にも彼女がいるってこと……?」
思い当るふしがあったのか、チェルシーは考え込んだ。
そういえば、アンドリューは本屋の息子のくせに妙に羽振りがいい。本は当然ながら文字の読めるものにしか必要のないもので、しかし文字の読める庶民は図書館か貸本屋に行く。チェルシーの偏見ではわざわざ本を購入するのは棚に本を並べて自慢したい金持ちか、本当に必要としている学者のどちらかだ。
チェルシーがクラーラの店に出入りしていることを知っていたアンドリューは、お嬢様たちの好みを教えてくれと頼んできた。思えばそれがきっかけで、アンドリューとのつきあいがはじまったのだ。チェルシーはアンドリューに聞かれるまま、貴族令嬢の間で流行っている恋愛小説を教えてきた。お嬢様の間では家族に隠れてこっそり恋愛小説を読み、お茶会などで語り合うのがひとつの友情の証となっている。いうなれば萌えの共感であり、発掘だ。
「彼女というより遊び相手ね。本を売るのが目的か、貢がせるのが目的かは知らないけど。デート商法ってやつかしら。最低ね」
クラーラはひどく気分を害したのか、珍しく嫌悪を隠そうともせずに吐き捨てた。
チェルシー・スコットは13歳。18歳のアンドリュー・ローシングとは5歳も離れている。チェルシーにとっては充分大人だ。その大人の男が、親の手伝いをして小遣いを稼いでいる少女を弄んだ。
貴族はともかく庶民は完全に恋愛結婚が主流だ。親の紹介や雇い主からの勧めもあるが、気が合わなければ断るし、自分で見つけたいというのならば否定もされない。貞節さえ守ればつきあうも別れるも自由だ。
だが、チェルシーは完全に恋人としてアンドリューとつきあってきた。泥まみれだった八百屋の娘がクラーラという人物と出会い、本屋の息子と結ばれる。ちょっとしたサクセスストーリーを夢見ていた。初恋の相手と結ばれるのは少女なら誰でも憧れるものだ。浮かれていたチェルシーを責めることなど誰にもできない。
「そう…屋台の飯なら奢れても、『パーカーズ』のチョコはアタシにはふさわしくないってことね…。ふふふ」
言葉では笑っているが顔は笑っていない。13歳であろうと女だ。その程度の価値しかないと思われていたことにチェルシーの腹は決まった。そしてどこまでもチョコの恨みは深かった。
「それで、どうするの?チェルシーちゃん」
「決まってるわ。あいつをぎゃふんと言わせてやるのよ!」
「よく言ったわ、その意気よ!」
チェルシーの決意にクラーラは頼もしく励ましたが、お嬢様たちは「ぎゃふん」に反応した。
「ぎゃふん?」
「ぎゃふんて何ですの?」
「わかりませんわ。でもきっとぎゃふんですわ」
「ああもう、ぎゃふんってのはアレよ!…吠え面かかせてやるってことよ!」
チェルシーもさすがにこの見るからにきらびやかなお嬢様たちに下町言葉が通じるとは思っていなかった。なんとか彼女たちも知るだろう言葉に変換する。しかし残念ながら吠え面もお嬢様の辞書には載っていなかった。
「逆襲して泣かせてやるってことよ」
このままでは「ぎゃふん」の解説で日が暮れる。クラーラが軌道修正した。
「そうよ!目に物見せてくれるわ!」
「まあ!頼もしいですわチェルシーさん」
「わたくしたちも協力いたしますわ」
「そうですわ。遊び人など女の敵。わたくしたちでやっつけてさしあげましょう」
頼りになるのかならないのか、お嬢様たちの励ましには力が抜ける。とはいえ貴族のお嬢さまにこんなことを手伝わせるわけにはいかないだろう。断ろうとしたチェルシーを、クラーラがやさしくなだめた。
「チェルシーちゃん。好意はありがたく受け取りなさいな。お友達でしょ?」
「そうですわチェルシーさん」
「そうですわ。わたくしたちはお友達ですわ」
「お友達ですものね」
友達。にこにこと笑うお嬢様たちには、庶民の娘に対する蔑視も偏見もなかった。あるのはクラーラの店でのみ会える『特別』な相手への友情だ。
チェルシーはぐっと喉をつまらせ、怒りで耐えていた涙をはじめて零した。
クラーラとお嬢様たちの力を借りた、アンドリュー「ぎゃふん」作戦の概要はこうだ。
・チェルシーがアンドリューと実家の本屋について探る。
・クラーラとお嬢様たちがアンドリュー被害者を探る。
・見つけ出した被害者とチェルシーで直接アンドリューに突撃する。
チェルシーが被害者を探らないのは、アンドリューに不審がられないようにするためだ。いくら実家の手伝いをしているとはいえ、客を相手に商売しているアンドリューの口八丁手八丁には勝てないだろう。それなら『パーカーズ』のチョコを目当てに男の懐具合を探る、嫉妬深く食い意地の張った少女になりきったほうがましだ。あながち演技でもない。
あてになりそうにないと思っていたお嬢様情報網も侮れなかった。メイドに聞いただけというそれはチェルシーが想像していたよりも正確だった。下町のおばちゃんたちの井戸端会議がいつの間にか周知の事実になるように、メイド同士の噂も瞬く間に駆け抜けるものなのだ。
そしてクラーラはというと、アンドリューの思惑を読み取っていた。
「どうやら本命はこの女性ね。ルルド・ソレイル、16歳。髪は金髪で瞳は青。父親は騎士で母は元メイド。19になる兄と15の弟有り。この父親っていうのが雇われ騎士だけど相当腕が良いらしくて、貴族の私設騎士団の団長を務めてるわ」
「そこまでわかっちゃうお嬢様情報網が怖いんだけど」
「気にしない気にしない。他に遊びと思われる女の子が現在で3人。過去には6人いるわ。ルルドって子とつきあいつつ、上手いこと遊んでるみたいね」
「…そんだけ相手いるくせに、なんでアタシにまで声かけてきたんだよ!八百屋の娘なんて価値ないじゃん!?」
チェルシーが渾身の叫びをあげた。純情をもてあそばれたのだ、叫びたくなるのも無理はない。
「そこじゃないのよねぇ。チェルシーちゃん、わかってないようだから言うけど、あなた可愛いのよ」
クラーラが苦笑しながら言った。言われたチェルシーはぽかんとする。
「…はぁ?」
「ちょーっと蓮っ葉でおきゃんだけどね、顔立ちもお肌も綺麗」
「ちょ、褒めてんだか貶してんだかわかんないんですけど?」
家の手伝いもするし端切れを使った内職も真面目にこなすが、結局は自分のためだ。悪い子じゃないとは親も兄弟たちも言ってくれるが、それはつまり特別褒めるところがない、ともいえる。混乱するチェルシーにクラーラは真面目に言い聞かせた。
「いいこと?チェルシーちゃん。自分が目をつけた女が他の男に取られるのは男なら癪に触るのよ。本命がいようとそれとこれとは別。とりあえず、自分のものにしておければいいの」
「なにそれ!アタシは物じゃない!」
「そうよぉ。チェルシーちゃんは物じゃないわ。だからこそ、浮気がバレてお仕置きされるんじゃない。思い知らせてやりましょ!」
本命に向ける愛と、遊び相手とのお楽しみは別物だ。アンドリューにとって、チェルシーは気楽な遊び相手であり、お嬢様の志向を探る情報源に過ぎなかったのだろう。八百屋の娘など遊ばれて捨てられても仕方がない、むしろ自分が相手をしてやったのだから感謝しろくらいは考えていそうだ。『パーカーズ』のチョコレートがそれを証明している。
ローシング書店についての内情もわかった。チェルシーがさりげなく聞き込みをしたところ、アンドリューの遊び癖のせいで、店の経営にまで影響しているらしい。売り上げ自体は伸びているのに、浪費がそれに追いつかないせいだ。アンドリューの父も頭を抱えているという。
「女の子にずいぶん注ぎ込んでるみたい。これでルルドって子と結婚できなければ破産しちゃうんじゃないかな」
おそらく目当ては持参金だ。貴族の私設騎士団とはいえ団長の娘ならさぞかし見栄を張ってくれるだろう。
「ルルドさんもお可哀想ですわね」
「そうですわね。苦労するのが目に見えていますわ」
「遊びで浮気するような方と結婚なんてできませんわ」
もしもルルドがアンドリューの本性を知っていて、それでも結婚したいというのなら放っておいてもいいだろう。だが何も知らず、詐欺のような手口で結婚してしまい苦労するのなら、同じ被害者同士なんとかしてやりたい。
「クラーラどうしよう。『パーカーズ』のチョコ食べたやつも巻き込んで赤っ恥かかせてやろうと思ってたけど、それじゃああんまりだよね」
「チェルシーちゃんは良い子ねぇ」
男は浮気した女を憎むが、女は浮気相手の女を憎むものだ。チェルシーもアンドリューに選ばれた彼女を怨んではいたのだろうが、アンドリューのあまりの酷さにそうはいっていられなくなった。
「そうね。ああいう男には、ちょっと痛い目にあってもらいましょうか」
クラーラがにやりと笑った。
そしてある晴れた吉日に決行日はやってきた。
アンドリュー・ローシングは浮かれていた。恋人のルルド・ソレイルに、家族でピクニックに行こうと誘われたのだ。家族を紹介されるということは、婚約も近いだろう。
アンドリューは女好きの遊び人だが、節度は守っているつもりだった。素人娘に手を出したことはないし、結婚を夢見させるような言葉は言っていない。勘違いされることもあるが、確約は一度もしなかった。チェルシーをはじめとする少女たちに恋と社会を教えてやるのは、男の楽しみだとすら思っていた。デートに行き、ふさわしい物を買ってやり、彼女たちを輝かせる。それは、アンドリューのような男の特権だ。
だがそれも結婚するまでだ。ルルドの父は騎士であり、たいそう厳格な人物と聞く。慎重に遊んできたが、結婚前の遊びならむしろ許してくれるだろう。しかし結婚すればそうはいかない。ため息をつきたくなるような倦怠感と、胸が膨らむような期待が同時に込み上げた。
「アンドリューさん、こちらですわ」
場所は王都デートコース定番の植物園。季節の庭園にルルドたちがすでに待っていた。
日傘を手にアンドリューに微笑むルルドは金髪が陽光にきらめき、まぶしいほど綺麗だ。
「やあ、ルルド。今日もとても綺麗だね」
「あら、お父様の前でお世辞?お上手だこと」
父親たちは握手を交わし、気難し気な顔で何事か話をしている。それに気づかないアンドリューはルルドを散歩に誘った。
「今日は私がお弁当を作って来たのよ。ぜひ召し上がってね」
「それは楽しみだ」
季節の庭園は薔薇が見ごろだった。そっと頬を寄せて香りを嗅ぐルルドにアンドリューは満足気にほくそ笑む。
ルルド・ソレイルはアンドリューにとって上出来の花だった。彼女と結婚すれば、ローシング書店の顧客はさらに拡大し、貴族にも手が届くかもしれない。そうなれば暇を持て余した貴族夫人にちょっとした火遊びを持ちかけることもできよう。不倫をするつもりはないが、甘い言葉のひとつも囁いて店を盛り立てるくらいはいいだろう。上手くいけば貢がせることもできるかもしれない。いやそうなるべきだ。その足場としてルルドはちょうどいい。
「アンドリューさん、今日はお友達も紹介しようと思ってお呼びしていますのよ。ほら、あちらに」
ルルドが笑って手を振る先には幾人かの少女の群れが手を振り返していた。アンドリューも手を振る。
ゆっくりと近づいてきたルルドの友人に、笑っていたアンドリューの顔がこわばった。
「ルルドさん、待った?」
「いいえ。時間どおりですわ」
「良かった。ねえアタシお弁当作って来たんだ!」
「アタシも!」
「アタシもよ。ルルドさんのお弁当と食べ比べしましょ!」
八百屋の娘、商家勤めの娘、警官の娘。どれも見たことのある――アンドリューの遊び相手だった。
「そちらがルルドさんの恋人?はじめまして」
チェルシーがにっこり笑ってしらを切った。アンドリューもぎこちなく挨拶を交わす。初対面を装ってくれるのなら、それに乗ってなんとか凌ぐしかない。
「はじめまして」
「はじめまして」
二人の少女もチェルシーに倣った。ぎぎ、と凍り付いた首をなんとか動かしてルルドを見れば、彼女もやはり笑っている。
「さあ、アンドリューさん。お父様が待っていますわ」
棒のように自立運動を頑なに拒否する足を引き摺って戻ると、無表情のルルドの父と、苦渋を飲み込んだような顔のアンドリューの父が待っていた。
「お腹がおすきでしょう?はい、アンドリューさん」
敷物に座り、ルルドが可愛らしくアンドリューに給仕する。アンドリューは笑顔のままこちらを見る少女たちをちらちら気にしながら口を開けた。
「ルルドさんてば大胆ね。アタシのサンドイッチもどうぞ」
「これ好きだって言ってたよね」
「アンドリューのために作ったんだよ」
チェルシーを筆頭に次々とサンドイッチが差し出される。アンドリューが好きだと言った、キュウリのサンドイッチだ。実のところキュウリよりもハムやカツをはさんである方が好みなのだが、キュウリのほうが女の子に受けが良い。アンドリューが格好を付けただけだ。
「いっぱいあるから遠慮しないでね」
「アタシのサンドイッチが一番美味しいでしょ?」
「あら、アタシのよね。いくらでも食べられるって言ってたもん」
「ほらアンドリューさん、あーんしてくださいな」
目の前で修羅場を繰り広げられるより、にこにこしながらそ知らぬふりで迫られる方が恐ろしい。アンドリューは震えながら口を開けるしかなかった。ルルドを見れば彼女も笑っていて、しかし作り笑いがわかる笑みだった。
ばれた。
ごまかせると思っていた。上手くいくと思っていた。女なら女に目が行く、取り合いになるのは自分だと思っていた。
だが違った。女だからこそ共通の敵が現れれば一致団結する。アンドリューは、捨てられるのだ。
「ねえアンドリュー、結局誰と『パーカーズ』に行ったの?」
「私ではありませんわ。ねえ?アンドリューさん、詳しくお聞きしたいですわ」
「あ、いや、それは……」
「アタシでもないよ」
「ホントにママと行ったの?」
にこにこにこにこ。
「…逃げんじゃねえぞ、おんどりゃあ」
笑いながら、少女たちがアンドリューを取り囲んだ。薔薇の咲き誇る庭園に、鬼がいた。
「かんぱーい!」
チェルシーが音頭を取ると、と少女たちがカップを持ち上げた。入っているのは紅茶である。
「っかー!この一杯のために生きてるぅ!」
「チェルシーちゃん、そのセリフはまだ早いわよ」
熱いはずの紅茶を喉を鳴らして飲み、息を吐く少女の豪快さに、クラーラも引き気味だ。
「いいじゃない!あー楽しかった。あのおんどりゃーが無様に悲鳴上げて土下座かますの見られたんだもの」
「チェルシーさん、それでオンドリーさんは「ぎゃふん」と言いまして?」
「そうですわ。「ぎゃふん」こそ目的ではありませんか」
「大切な「ぎゃふん」をお忘れになってはいけませんわ」
「いや「ぎゃふん」ってのはね、そうじゃなくて…」
お嬢様たちのきらきらした目にチェルシーが言葉をつまらせる。ぎゃふんが貴族令嬢の間で流行ったらどうしよう。
「言わせたでしょう。チェルシーちゃんの痛快劇はおばさまから聞いたわよぉ?」
うふふ、と笑うクラーラは実に楽しそうだ。
あれからアンドリューはこともあろうに両家の父に救いを求めた。父親たちはとっくに今回の件について根回しが済んでおり、どちらも救いの手を伸ばさなかった。アンドリューの父は家業を食いつぶす息子への憤りで、ルルドの父は娘が遊ばれた怒りで、それぞれ絶縁を申し付けたのだ。
もちろんチェルシーたちも、口々にアンドリューに別れを叩きつけた。せめてもの情けにサンドイッチだけは全部食べさせてやった。あれだけ腹が膨れていれば、2、3日食べなくてもどうにかなるだろう。嫌がらせ兼思いやりだ。
アンドリューは本当に家に入れてもらえず、別れた少女たちの家を周って復縁を願っては断られている。チェルシーのところにも来たが、家族総出で門前払いした。家業を誇りに思っている父は八百屋の娘と馬鹿にしやがってと怒り心頭で、かぼちゃを投げる勢いだった。かぼちゃの代わりに、チェルシーがビンタしてやったのだ。
「あーあ。なんで浮気なんかするんだろ。本命一本に絞ればいいのに」
チェルシーが呟いた。やりきった痛快さも、終わってしまえば消沈する。そこにいたのは失恋の痛みに泣く13歳の少女だった。テーブルに突っ伏したチェルシーはひと言。
「好きだったのにな」
そう呟いた。お嬢様たちがオロオロと顔を見合わせ、チェルシーを慰めている。クラーラが苦く笑った。
「…男なんて馬鹿なものよ。だから女は賢くなくちゃいけないのよ」
「そうですわ、女は賢くなければ」
「強さも必要ですわ」
「あらそれでは男の方は必要ありませんわね」
「必要ありませんわ」
「どうしましょう」
「良いのではありません?わたくしたち、ずっとお友達でいましょう」
「それですわ」
「名案ですわね」
「ああもう!もうちょっとくらい浸らせてよ!」
耐え切れずにチェルシーが顔を上げ、叫んだ。
「次は絶対いい男捕まえてやる!!」
チェルシーは書き始めた時デイジーという名前でした。が、頭文字をCにしたくなり変更。お遊びです。
アンドリューも書き始めた時リゲルという名前でしたが、おんどりゃーが使いたくて変更。お遊びです。