角ある種族と私の話
「週末小夜譚」第1作です。
彼女たちの領域を示すトーテムの脇を抜け五分ほど歩くと、聞き覚えのある声が茂みの中から私の耳に届いた。
――コルヌァブ。
私がまだ姿の見えない彼女の名を呼ぶと、コルヌァブは私の前に姿を現した。倒木の枝ひとつ踏み折らず足音も無く現れた彼女は、幾度も枝分けれした巨大な角を鬱陶しそうに揺らしながらこちらへ歩み寄った。昼なお暗い森の中、生白い肌に苔色の髪を伸ばし放題伸ばした彼女はほとんど幽鬼だ。天に向かって伸びた樹木の根のような角とあいまって、確かに森外の人間が畏れるだけの風体をしている。
私はいつものように自宅からくすねてきた糖菓子を彼女と分け合いながら、コルヌァブの一族――角ある人々――の暮らす森の奥へと向かった。
集落に着くと、大人たちが私とコルヌァブを取り囲んだ。初めに来たときなど、すわ異邦人狩りかと戦々恐々としたものだが、ただの挨拶だ。なんのことはない。客人は最上級の敬意を以てもてなされるべきというのが、この世間から隔絶した一族のしきたりなのだとか。
実際、私がコルヌァブのものになるまでは外の世界との行き来などほとんど無かったらしい彼らには、たまに現れる異邦人が余程珍しいようだ。森の外ではまずお目にかかれない神秘的で瞑想的な外見とは裏腹に、彼らの多くはかなりのお喋り好きだった。私もよく彼らに捕まって延々と都会の話をさせられるのだが、その間必然的にほったらかされるコルヌァブは、お気に入りのおもちゃを取り上げられた子供のようにぶすくれるのが常だった。
――こっち、ベィタ。
しかし今日は世間話に拘束される間にコルヌァブが手を引いて、私を人の輪から連れ出した。彼女は集落を離れ、再び森の中を進んでいく。
――どこへ行くの?
私が尋ねてみても、コルヌァブは楽しそうに微笑むばかりで何も答えてはくれない。仕方がないので為すがままに後をついていくと、突然視界がひらけ、川のほとりに出た。どこであれ常に分厚い樹木のカーテンに日差しを遮られているこの森にあって、この場ばかりは眩いほどに陽光が差している。真っ青な空が見えるのが、これほどまでに新鮮な眺めになるとは。
――頭を出して、ベィタ。
コルヌァブは川べりに跪き、手に水をすくって言った。水浴びをしようというなら、そう言えば良いものを。私は素直に頭を下げ、彼女の手元に髪をさらした。するとコルヌァブはたった一度、すくった水を私に注ぎ、手の平で私の耳の上あたりを揉んだきり、それ以上何もしなかった。これが角ある人々の入浴の作法なのだろうか。彼女も角を洗うと言うので、私はそれを手伝ってその日は帰路に着いた。
翌朝、私は早朝の清冽な空気の中で寝返りを打った拍子に目を覚ました。どろどろとしたまどろみの泥土に包まれたまま無意識に頭を掻くと、そこに角が先端を芽吹かせていた。
〈了〉
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