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第04話『転機』

 週に1度、【僕 / 私】達雑食人は採血センターへ出頭する。“血税”を支払うためだ。

 献上した血液は血液公社による殺菌・梱包を経て各地の吸血人に送られる。誰の血が誰のところにいってるかなんて、誰にもわからないし調べようがない。


 それに対して“血婚”とは血液取引の専属契約をさす。

 雑食人はパートナーとなる吸血人の生命維持に重い責任を負う代わりに“血税”を免除される。吸血人はパートナーの雑食人からいつでも好きなだけ――もちろん相手の健康を損なわない限りだが――血液が得られる代わりに、パートナー以外から血液を得る権利を失う、というものだ。もちろん緊急の場合はこの限りではない。


 誰だって、嫌な奴を食わせてやりたくないし、嫌な奴に食わせてもらいたくもない。多少不便になるとしても血婚関係を結ぶ雑食人と吸血人は多かった。【僕 / 私】の通う学園でも、血婚済みであることを示すリングをつけた雑食人を見かけることは珍しくない。

 しかし、自分がその列に加わる可能性など【僕 / 私】は想像もしていなかった。


「――私と、“血婚”していただきたい」


 吸血人の自然治癒力は雑食人、いや地球上のあらゆる生物を凌駕する。うっかり手首を炭化させてしまった吸血人の【男性 / 女性】は、今はもう何でもないという顔をして立ち上がっていた。


「“血婚”って――あの?」

「そうだ。私、ラマイカ・ヴァンデリョスはスヴァル・カリヴァに“血婚”を申し込む。返答は如何に?」


 誰かが口笛を吹く。

 そう、ここは朝の校門前。登校してくる生徒達でごった返している。こともあろうにそんな中で、ラマイカというこの吸血人は【僕 / 私】に“血婚”を申し込んできたのだ。


 “血婚”と結婚は別制度なのだがしばしば混同される。血婚関係にある2人がそのまま恋人関係でもあるケースは少なくない。そりゃ、何も知らない赤の他人や、嫌いな相手とわざわざ専属契約を結ぶ酔狂な奴などいるまい。


 つまり【彼 / 彼女】のやっていることは、校舎の屋上からとか、校内放送だとかで全校生徒の前で愛の告白をするのと大差ないくらい恥ずかしい蛮勇的行為なのである。

 そして最も恥ずかしい思いをしているのは、寝耳に水で付き合わされた【僕 / 私】だ。


 人混みの中で突然始まった告白劇。しかも吸血人と雑食人のカップル。更に大人と子供。加えて教師と生徒。注目を集めないわけがない。ほとんどの生徒が校門の前に留まって成り行きを見守っていた。鈍感な【僕 / 私】でも流石にこの人数に注目されれば視線が肌を刺す痛みを認識せずにはいられない。


 そして痛みが問うている。【彼 / 彼女】が、観客(ギャラリー)が、【僕 / 私】の返事を待っている。


 【僕 / 私】は唾を呑み込む。ラマイカさんは汗を垂らす。フードから覗く【彼 / 彼女】の顔はひどく辛そうだった。恥ずかしい告白劇のためではない。光ほどではないにせよ、太陽の熱もまた吸血人には毒だからだ。


「……あの、ミズ・ヴァンデリョス?」

「まだ付き合う前とはいえ他人行儀だな。ラマイカでいい」

「ではラマイカさん、……場所、変えません?」


 校門の前には太陽を遮るものがない。校舎の中か、せめて木陰に移動した方がいいだろう。

 だが【彼 / 彼女】はそれを固辞した。


「お気遣いは結構。私の身を案じてくれるなら、(はや)く返答を聞かせていただきたい」


 そうだそうだ、と野次が上がった。おまえらはさっさと校舎に入ってろ。


「なんで吸血人のあなたがこんな朝っぱらに……御用があるなら【僕 / 私】から伺いましたのに」


 ブーイングが起こる。いいからさっさと返事しろよノロマ、と誰かが囃し立てる。


「用があるのはこちらなのだ。であれば、私から出向くのが礼儀というもの」


 脂汗をたらしながら、【彼 / 彼女】は不敵に笑ってみせた。

 不覚にも、その笑顔に心が揺らいだ。いや正確には、笑顔とその心意気に打たれた。【彼 / 彼女】は多くの吸血人のように雑食人を一段低く見ていたりしない。パフォーマンスで死の危険を伴う陽光の下に出てきたりはすまい。誠実な人なのは間違いないだろう。


 だったら引き受けてもいいのかも、いやしかし――そう考え込んでいるうちに、【彼 / 彼女】はいつの間にか肉薄するほどの距離まで迫っていた。思わず後じさろうとして、【僕 / 私】は辛うじて踏み留まる。それではあまりにも格好が悪い。そもそも野次馬達が逃がしてくれないだろう。


「私の申し出を受けてくれるなら――」


 【彼 / 彼女】が【僕 / 私】の耳に唇を近づけて囁く。吐息が耳朶をくすぐり、汗と香水の混じった甘い香りが鼻孔に漂う。


「――我が名にかけて食堂(キャンティーン)のメニュー増加を約束しよう」

「…………!?」


 数秒の困惑を経て、やっと【僕 / 私】は目の前の【彼 / 彼女】がパーティーで出会った声の主であることに気付いた。【僕 / 私】の表情でそれを察した【彼 / 彼女】は、いたずらっ子のような笑みを浮かべた。


「それとも――お友達の飲酒の件を口外しない、と約束した方がいいかな?」

「…………!」


 誠実な人なんかじゃない。手段を選ばない、おっかない人だ。関わり合いになれば確実に【僕 / 私】の平穏はぶち壊される。そして安寧は2度と訪れないだろう――。そんな気がした。

 それでも、【僕 / 私】にイエスと言う以外の選択肢はなかった。



  ◆ ◆ ◆



「おめでとうございますスヴァル。里奈から聞きました。ラマイカ様と御血婚されたとか」


 宿舎の外では借りてきた猫のように大人しいから一言も言葉を挟まなかったが、あの場には伊久那もいたのだった。そして当然彼女から宿舎の面々、ひいてはシスター・ラティーナに今朝のイベントは細大漏らさず尾ひれ背びれをつけて伝えられた。


「今回のことは雑食人と吸血人の溝を埋める一助となるでしょう。わたしとしても嬉しい限りです。あなた達2人に神祖カーミーラ様の御加護がありますように」


 シスターといってもラティーナさんはキリスト教徒ではない。国民総吸血鬼化計画以降VKの国教に制定された、吸血人の祖にしてVKの女王カーミーラを生き神として仰ぐカマイラ教の信徒である。


 カーミーラは吸血人と雑食人の融和を説いている。シスター・ラティーナがこの仕事に就いたのは、彼女が熱心な信徒であり、教祖の教えを現実のものとするためだ。そんな彼女にとって血婚カップルの増加は望ましいことだった。


 そういうわけで、夕食は宴会となった。宿舎の住人は普段より豪華な内容のディナーに喝采をあげ、シスターも高級血液の小瓶をブランデーに垂らし「やはり高価な血は反凝固剤が入っていても風味が損なわれませんねぇ」と上機嫌だ。


 そんな中でただ1人、【僕 / 私】だけが葬式のような空気を背負っている。


「なんで不満そうなんだよ?」


 隣で世界中の鶏を絶滅させんとばかりにフライドチキンを貪っていたトリーリョが眉をしかめる。


「あの人美人じゃん。体つきもいいし。勝ち組だよ、おまえ。正直うらやましいよ」

「なんで美人でスタイルがいいって知ってんだよ」


 パーティで初めて会ったときは暗くて見えなかったし、告白の時は遮光ローブで判別できなかった。トリーリョだって【僕 / 私】と同じ雑食人なのだから、ラマイカ・ヴァンデリョスの普段の姿など見たことがないはずだ。


「そりゃ宿舎の仲間が告白されたとなれば相手が気になって調べもするさ。それでなくても話題騒然だしな」


 話題騒然、つまりはいい見世物。

 今日一日中そうしていたように、【僕 / 私】はただ頭を抱えることしかできない。

 トリーリョはメモ帳を取り出した。わざわざメモまで取ってきたらしい。新聞記事にでもするつもりなのか?


「ラマイカ・ヴァンデリョス。吸血人、125歳。エネルギー開発省勤務――」

「ちょっと待って。教師じゃなかったの?」

「特別講師なんだよ。軍用WG(アームドグレイヴ)の実技演習を担当してる。ヴァンデリョス家は軍の名門で、ラマイカさん本人もエースパイロットらしい」


 軍と聞いて、チャシュマがぴくりと反応するのが視界の端に映った。何か言いたげにこちらを見ているが、さっきから「伊久那とはどうなるんだよ!」としつこくジェスチャーで問いかけてくるフメリニツキーともども、放置しておいて問題ないだろう。


「それにヴァンデリョス家は伯爵家だぞ」

「なるほど、伯爵家くらい権力があれば食堂のメニュー増加くらい朝飯前か」

「食堂? メニュー? 何のことか知らんが、公務員で金持ちの【御曹司 / 御令嬢】ってことだ。しかもサンライト・ヘアー!」

「どうでもいいよそれは」


 サンライト・ヘアー。吸血人は基本的に銀髪だが、ごく稀に山吹色の髪を持つ者が生まれることがある。もはや彼等が2度と拝めない太陽の輝きに似たその髪を、吸血人達は幸運の象徴として持て囃す。しかし一部地域では逆に不吉とされており、つまりはただの迷信である。


「欠点があるとすれば吸血人としては行き遅れの域だってくらいだ」

「――いえ、それはどうでしょう?」


 皆の輪から一歩距離を置いたところにいたはずのシスター・ラティーナがぬっと顔を突き出す。


「寿命の長さが倍以上違う吸血人と雑食人の成長度合を単純換算するのは感心しませんね。吸血人の成長速度は幼児期までにおいては雑食人と変わりませんが青年期、早い者では少年期から老化そ――成長速度が緩やかになるんです。つまり人生において少年期から壮年期の占める割合が極端に大きいんですね。単純計算で雑食人の70代だとしても肉体的には実質30代です。ですから280歳までは充分婚期の範囲内ですし若者と呼ぶのが妥当なんですヤングでバリバリなんですわかりましたか?」


 にっこりと諭すように、しかしマシンガンのように早口でまくし立てると、シスターはすっと立ち上がって元いた場所に戻った。なんだったんだ?


「……ま、俺達には関係ないよな。どのみちこっちが先にシワシワになって死ぬんだし」


 気を取り直すようにトリーリョが言った。


「……それだけ魅力的な先生が売れ残りって、おかしくない?」


 そう口を挟んできたのは、向かいで黙々と食べていた伊久那だった。


「その長所を全て帳消しにするような問題を抱えてるってことじゃないの。しかも今まで昴と接点なかったんでしょ? 変だよ、どう考えたって。何か裏があるに決まってる」

「おっ、嫉妬か里奈ちゃん?」

「トリーリョは黙ってて」

「はい」


 おお怖、とトリーリョはフライドチキンの相手に戻った。今日の伊久那は何故か不機嫌だ。別段珍しいことではないが。


「……で、昴はどうしたいの? 付き合うの?」


 伊久那に言われるまでもなく、何か裏があるに違いないと【僕 / 私】も思っていた。ラマイカさんのハイスペックぶりを聞いた後なら尚更そう思う。

 相手が美人だからって、迷いなく罠に突っ込んでいくほど向こう見ずではない。


 実際あの時、別れ際に【彼 / 彼女】は言ったのだ、『この子でいいか』と。つまりは、雑食人であれば誰でもよかったのだ。


 罠でないとすれば何かの罰ゲームか、でなければ興味本位。恋愛をしてみたいがための恋愛、血婚のための血婚。吸血人向けの雑誌に載っているような「鼻の大きな男性の血はコクがあって美味」とか「今、13歳蟹座A型女子の血液が旬!」だとか、科学的根拠の疑わしい、いいかげんな情報に魅せられて声をかけてきたに違いあるまい。


 遊びに付き合っていられない。いや、もし万が一、【彼 / 彼女】が本気で【僕 / 私】を求めてきたのだとしても、それがなんだ? なんで【僕 / 私】がそれに付き合わなければならない?


 恋も愛も結局は無意味だ。死ねば全てが無駄になる。何かを残すには、人に与えられた時間は限りなく短い。


 だが、悲しいことに断るという選択肢はなかった。


「……付き合うよ」

「ふーん、あんなのが好みだったんだ。まあ、足元掬われないよう気をつけてね」

「…………!」


 おまえが酒なんか呑んだから断りたくても断れないんだよ、と言ってやりたかった。だが彼女は酔っ払っていた間のことはもちろん、酒を呑んだ事実さえも完全に忘却の彼方に追いやってしまっている。追求するだけ無駄だった。


 と――。


 ふと、半開きのままのドアが目に止まった。隙間風が入ってくるというのに、年少の誰かがトイレに行ったときに閉め忘れたのか。【僕 / 私】はさりげなく席を立って、ノブに手をかけた。


 その時だった。姉の声が聞こえたのは。


――すーちゃん。


 間違いない。部屋の外、廊下の奥から、懐かしい姉の声が【僕 / 私】を呼んでいる。


――こっちにいらっしゃい。


 恐怖は感じなかった。むしろ懐かしさと恋しさが胸を満たし、【僕 / 私】は迷いなく声のする方に駆けだしていた。


 だけど、姉に会うことはできなかった。


 食堂を出た直後、雷が直撃したかのような轟音と衝撃が背後で炸裂したのだ。

 無様に転倒し、何事かと振り返った【僕 / 私】が見たものは、宿舎の壁や住人達を押し潰して止まった、タンクローリーの鼻先だった。



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