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第03話『出会い』


 自分の演目が終わった後、【僕 / 私】は給仕を任された。カクテルグラスを配って周り、テーブル上に置き捨てられた空きグラスを回収する簡単な仕事である。

 グラスの中身は血ではない、酒だ。吸血人は血液以外にもだいたいの飲み物を飲むことができる。逆に食べ物の方はチーズなどの乳製品を除いてほとんど消化できない。

 現代において雑食人を新たに吸血人にするのは法によって禁じられているが、吸血人のバリエーションに乏しい食生活を見るに、正直なりたいとはあまり思えない。


 舞台上では年少組が童謡を披露している。オルガンが余韻を残しつつ演奏を終えると、会場は拍手に包まれた。【僕 / 私】も心の中で手を叩く。いい演目だ。野蛮なWG戦よりずっといい。

 誰だ、あんな危険な出し物を企画したのは?


 歌い終わった子供達が舞台を降り、スポンサー達に駆け寄っていく。彼等にとってスポンサー達は親、あるいは親しい親戚のようなものだ。そしてスポンサーにとってもその関係は同様である。


 本当にそうだろうか?


 彼等が【僕 / 私】達を見る視線が、時折ものすごく冷たいものに感じるときがある。同じ人間を見る目ではない、家畜を見る目――そう感じてしまうのは、【僕 / 私】の心がねじくれているからだろうか?


「やあスヴァル、さっきはすごかったよ」

「ああ、往来の物乞いがさまよいこんで嫌だなぁと思っていたら、ロルフだったんだ?」

「こりゃまた上品な嫌味だね。もうちょっとVK流を学んだほうがいい」


 ザ・上流階級といった格好のスポンサー達の中で、1人だけ満員電車でもみくちゃにされてきたような格好の男がいた。

 ロルフトン・マドラス。スポンサーの中でも一段と若い、冴えない長身の優男。あまり裕福そうには見えないし、実際、寄付額も桁3つほど低い。それくらいだから先述した成功者のオーラ的なものは微塵も感じられない。

 精神年齢が近い親しみやすさと、どうせ寄付額が少ないのでさして媚を売らずに済むという気安さから親しく付き合っている仲でもある。


「なんか今、ぼくに対して失礼なこと考えなかった、スヴァル?」

「どうやったらみんなそこまで他人の思考を読み取れるようになるのか、今度教えてよ」


 カクテルを勧めたが丁重に辞退された。相変わらず酒は飲めないらしい。


「最近、研究はどう? 新しい発電法は完成した?」

「……ああ、なかなかいい感じだよ」


 彼がこう言うということは、つまり全く上手くいってないということだ。


 ロルフの職業は研究員だ。エネルギー開発省に勤務し、枯渇の危ぶまれる石炭・石油を使用しない新しい発電方式の開発に尽力している。


 吸血人の脅威にさらされ続けたせいか、15世紀以降ヨーロッパにおける軍事技術の発展はめざましいものがあった。それはやがて民間にも転用され、今日の豊かな生活を築いている。しかしその反面、それを支える発電技術は進歩していない。


「ウランを利用した発電方法が考案されてはいるんだけど、とにかく扱いが難しくてさ。ロスアラモスの研究機関が事故を起こして、上も下も怖じ気づいて誰もやりたがらなくなっちゃった。かくいう僕もそうなんだけど。やっぱり、この前の大戦がもっと長く続いていればよかったんだ。そうなりゃ死体の数だけ研究データが蓄積されてた」

「不謹慎なこと言わないでよ」

「まあそうなんだけどね」とロルフは肩を落とす。「うん、そうだね。戦争が科学を発展させるのが真理としても、そう言えるのは当時を生きてないからこそなんだよな……」


「マドラス主任、君もいたのか?」


 振り返る。威厳を備えた肩幅の広い中年の紳士がこちらに歩み寄ってくるのが見えた。威厳がなくて縦にひょろ長いロルフとは対照的だ。


 やべ、面倒なのに見つかっちまったわ、とロルフが苦々しげに呟く。だが一瞬で営業スマイルを浮かべて紳士に向き直った。


「失礼、仕事疲れで目が霞んでおりまして、いらっしゃるのに気づきませんでした、マイ・ロード」

「勤勉な部下を持てて私は幸せ者だ。ちなみにさっきまで不幸のどん底だと思っていたんだがね」

「ああ紹介しますマイ・ロード、【彼 / 彼女】はここの孤児でスヴァル・カリヴァ。スヴァル、こちらはドーンレイ・ヴァンデリョス伯爵だ」

「はじめまして伯爵様」


 うむ、とドーンレイ伯爵は頷いた。よく見れば、演武の再開を指示した男だった。


「悪くない試合だった、カリヴァ君。覚えておくよ」

「チャシュマもいい腕なんですよ。勝てたのは運が良かっただけです」


 一応、先輩を売り込んでおく。それに実際、ただの幸運である。勝利の一撃も、そして【僕 / 私】がまだ生きていることも。


 あの時、あきらめるなという姉の声が聞こえた瞬間、身体が勝手に動いていたのだ。姉の短い言葉に詳細な指示が含まれていて、【僕 / 私】の身体が勝手にそれに従ったかのような感じだった。どんな力が働いたのかわからないが、少なくとも【僕 / 私】自身の実力ではないと思う。


 姉のことは伏せて伯爵にそう言ったのだが、「日本人が謙虚というのは本当だな」と苦笑された。まったく伝わらなかったようだ。


「それに勝敗よりもだ、あのテンションが途切れた時に気を持ち直したのは君の方が早かっただろう。あの立ち直りの早さは悪くない。ああいう胆力は、なくさない方がいい」

「ど、どうも」

「すまないカリヴァ君、マドラス君と弾む話があるだろうが、私にも彼と話したいことがあってね……」

「どうぞ、おかまいなく」


 こんなところでも仕事の話なんて素晴らしい熱意ですね、とロルフは露骨に嫌な顔をしたが、ドーンレイ伯爵はかまわずロルフを引きずっていった。


 さて仕事に戻るか――と周囲を見回すと、同じく給仕係に任命された伊久那の動きが怪しいのに気づいた。


 スポンサーが吸血人である以上、パーティーは真夜中に開催される。したがって昼間に学校があった【僕 / 私】達は徹夜だ。そして伊久那は徹夜が苦手である。


「伊久那、もう休んでなよ」

「へーきぃ……」


 伊久那はがくん、と首を傾けながら返事する。左手には盆が載ったままだ。グラスを落とさないかどうか、こっちは平気でいられない。


「昴はいいよねぇー、準備サボって寝てたんだからぁ……」

「仮眠くらい取ればよかったのに。……あんた、顔が赤いよ」


 熱でもあるんじゃないか、と彼女の額に手を乗せる。


「大丈夫、1杯だけだからぁ」

「酒飲んだのかよ!」


 だって美味しそうに見えるじゃーん、綺麗な色してるすぃー、とブツブツ言う伊久那を引っ張って壁際に移動。この国で未成年の飲酒は禁じられている。お堅い上流階級の前で醜態を晒したらシスター・ラティーナの管理責任問題だ。下手をすると出資が打ち切られかねない。


 チャシュマといい伊久那といい、なにかな、宿舎を潰したいのかな、君達は?


 フメリニツキーを――もう1人の給仕担当だ――探す。目配せをすると自然な素振りで近づいてきてくれた。いまだに英語も日本語も喋れない相手だが、長らく一緒に生活しているとアイコンタクトだけで意思疎通ができるのだなと感動する。


 【僕 / 私】は、自分、伊久那、そして出入口を指差して相手に盆を差し出す。『【僕 / 私】、この酔っ払い、連れ出す。グラス頼む』という意味である。

 フメリニツキーは含みありげに口の端を吊り上げ、ウインクとともに卑猥なジェスチャーをした。


――ハッスルしすぎんなよ?


 人と人が理解し合えるなんて嘘っぱちだと思った。




 都合のいいことに、最後の演目が開始されたところだった。出席者の目は舞台上に向けられ、こっそり退出する給仕2人には誰も注意を払わなかった。


 だが抜け出せたのはいいが、こういう時どうすればいいのだろう? 父もよく酔っ払って帰ってきたが、殴られないように逃げ隠れはしても介抱したことはなかった。とりあえず冷ませばいいのだったか?


 扇いでやるのは癪なので外に放置して後は夜風に任せよう、と思った。日本よりも平均気温の低いVKだが、夏に凍死するほどではないだろう。屋外に出るなら中庭からが早いのだが、スポンサー達に窓から発見されるおそれがある。電灯の消された廊下を通って裏庭に出た。


 外は闇によって黒一色に塗り潰されていた。


 吸血人は太陽光に弱いものの、他の光――月光や蛍光灯の光はその限りではない。だが光というだけで太陽を連想するのか、それとも世界的な電力不足の影響か外灯は少なく、それも吸血人が活動を始める頃には消えてしまう。パーティ会場は雑食人がいるから照明を点けているが、そうでなければ吸血人は室内灯も点けない。


 したがって窓から漏れる灯りなんてものもない。そもそも国民総吸血鬼化計画以後に建築された建物は雑食人向け物件を除けば窓自体がない。加えて霧の発生しやすい時期には月や星さえも姿を隠す。この街の夜は雑食人が出歩くようにはできていないのだ。


 それでも闇そのもので死なないだけ、吸血人にとっての昼よりはマシなのだろうが。


「まっくらだにぇー、にゃーんにも見えにぇー」

「見えたところで殺風景極まりないんだけどね」

「違いにぇー。にゃははははははー」


 昼間に来たこともあるから知っている。裏庭は背の低く細い木がフェンス沿いに数本生えているだけだ。中庭の華美なバラ園とは対照的で、世界の不公平さについて思いを馳せずにはいられない。


 それにしても伊久那は完全に呂律が回っていない。1杯だけ、と言っていたが、もしかして「沢山」という意味の「いっぱい」だったのだろうか。


 暗視ゴーグルか懐中電灯を取りに行くべきかと一瞬迷ったが、手間なのでやめた。【僕 / 私】は扉を開け、つまずかないよう、おそるおそる1歩踏み出す。


「そこ、気をつけろよ。足元に階段があるぞ」

「そっか、わかった」


 答えて、一瞬硬直する。


 先程の会話において「そっか、わかった」が【僕 / 私】のセリフである。では、警告してくれたのは誰か。断じて、今肩を貸している酔っ払いではない。

 【僕 / 私】は周囲を見回したけれど、人影どころか建物の輪郭すら定かではない闇の中では何も見えない。


 だが、いる。そしてこの闇の中でこちらの姿が見えているということは、相手は吸血人だ。若い【男性 / 女性】の声に聞こえたけれど確信はない。スポンサーの1人だろうか。となると、まずい。酔っ払いの姿を見られるわけにはいかない。


「失礼、お邪魔でしたでしょうか?」


 【僕 / 私】は平静を装いながら、できる限りそっと、伊久那の姿が声のした方からは見えないようにした。


「お連れさんは大丈夫かな? 随分顔が赤いようだが?」


 とっくにバレていた。


「……対人赤面症です、お気になさらず」

「そうかい。対人赤面症というのは初めて見るが、息がアルコール臭くなる症状まであるのだね」


 笑う気配。こっちは泣きたくなった。


「君、さっき演武をやってた子だよな。その服装は、クリストファー学園の制服か?」

「はい」

「学校生活はどうかな。問題は感じていないか?」

「そうですね……おおむね問題ありません。強いて言えば学食(キャンティーン)、味は悪くないんですけどもっとメニューが増えるといいな……ってところですかね」

「そういえば人間はいろんなものを食べたがるんだったか。生まれてこのかた基本的に血しか飲まないから、食べ飽きるという発想はなかった。言っておこう」


 声の主は学園の理事か何かだろうか?


「進路はどっちだ? 高等教育(シックスフォーム)か、職業教育か?」

「雑食人ですよ、【僕 / 私】は?」


 VKで雑食人が一定以上の階級にのし上がるのは極めて稀である。制度的に障害があるわけではないが、現実的に不可能に近い。要求される能力が高いからだ。資産家の元に生まれ、才能があり、学習する環境にも恵まれ、下から足を引っ張られたり上から抑えつけられたりせず――あるいはされても心折れず――に邁進していけるなら話は別だが。

 【僕 / 私】のような凡才はそこそこの学歴を得てさっさと肉体労働階級(ブルーカラー)に参列するのが妥当な生き方だ。


 WGの操縦免許を取ったのはそのためである。作業用WGの操作免許所持者はまだ少ない。数年後の就職活動に際して有利になると思ったのだ。けれど実際教習所に行ってみると、思った以上に人がいてガッカリした。【僕 / 私】が働き出す頃には免許を持っていない方が少数派になっているだろう。


「就職分野の希望は? 軍隊あたりか?」

「軍用WGに乗りたくて免許を取った奴は多いですけど、【僕 / 私】は倉庫整理とか、あんまり大きくない工事会社がいいです」

「『大きくない』?」

「大規模な工事って、それだけ危険が伴いますから」

「慎重派なんだな。そして堅実だ」

「臆病で志が低いんですよ」

「ふむ。ところで……不躾な質問になるが、隣の彼女は恋人かな?」

「ち――違います」


 いきなり話の中身ががらっと切り替わったのに【僕 / 私】は面食らう。決して、照れたり誤魔化したりしたわけではない。


「では、現在恋愛的な意味で交際している異性、あるいは同性は?」

「いません」


 ふむ、と声は考え込む気配をさせた。何の意図があってこんなことを訊くのだろう? 初対面の相手から訊かれるには距離が近すぎる質問だ。


「もう1つ訊いてもいいかな? ……吸血人は、嫌いか?」

「……好きか嫌いかなんて、付き合ってみなきゃわからないですよ」

「それが自分の血を吸う相手でも?」

「何かを食わずに生きてる生き物はいませんし、それに、払った分は返ってきてますから」


 暴力と引き替えに父から与えられた最低限の衣食住に比べれば、週に1度の“血税”と引き替えに快適で平穏な暮らしを提供してくれる吸血人は破格の取引相手といっていい。だから【僕 / 私】にとって吸血人は少々のやっかみこそあれ、憎んだり恐れたりする対象ではなかった。


 ホールが騒がしくなった。宴の終わり。声の主が立ち上がる気配がした。


「――そろそろ戻らないとSPがクビにされてしまう。君、3歩ほど右に御足労頼むよ」


 【僕 / 私】は声に従った。少し間を置いて、空気の流れで声の主が【僕 / 私】の横を通過して建物の中に入ったのがわかった。香水の香りが微かに漂う。心臓が震えた。


「……、……」

「えっ?」


 去り際、声がぽつりと呟いた、ような気がした。だが聞き返しても返事はなく、また声の主が新たに問いかけてくることもなかった。


 【僕 / 私】の耳には、こう言ったように聞こえた。


『この子で、いいか』


 ぶるり、と身体が震えた。夜風に当たりすぎたからではない。何かよからぬものに巻き込まれてしまった、そんな薄ら寒さを感じたからだ。


 その予感はある意味正しかった。

 パーティの記憶も薄れかけたこの2週間後、【僕 / 私】は【彼 / 彼女】から“血婚”を申し込まれることになる。


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