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第25話『人狼の襲撃』


 スモレンスクという男について【僕 / 私】が知っていることは少ない。

 会ったのも1度だけ。ティアンジュさんと初めて会ったときに、彼女にこき使われていた使用人だか従業員だか、という認識で直接言葉を交わしたことさえない。

 見た目も印象に残りにくい、冴えない中年男だ。


 だがこの男こそがガリリアーノを裏で操っていた、一連の事件の真犯人だった。

 タラプールの名を騙り3人の男に【僕 / 私】を殺させようとしたのも、ティアンジュさんに撃退されたWGのパイロットを【僕 / 私】達には死んだと言いつつこっそり逃がしたのも、ガリリアーノに自爆装置付きのWGを融通したのも、この男の仕業なのだ。


 その男が、目の前に立っている。

 しかも尋常な様子ではない。


「おかしいわ、こんなの」


 ティアンジュさんが呟く。


「スモレンスクは雑食人よ? なのにわたくしに投げられて、のびるどころか――」


 さっきの光景を思い出す。彼は空中でその身を反転させ、見事に着地してみせたのだった。

 雑食人にできる芸当ではない。

 それに、彼の赤く光る目はいったい何なのだろう。


「ティアンジュさん、気をつけて」


 【僕 / 私】はそんな月並みなことしか言えない。そもそもどう気をつけろというのだ。


「――どうなさいました、お嬢様?」


 スモレンスクはにたりと笑った。そして、かかってこいと言うようにクイクイと指を曲げる。

 ティアンジュさんのこめかみに青筋が浮かんだ。


「すこしお仕置きが必要のようですわね!」


 ティアンジュさんが地を蹴った。銃弾のような速度でスモレンスクの目前に迫り、腕が分裂して見えるほどの速度でラッシュを叩き込む。だが、スモレンスクはその全てを弾き、いなし、受け止めた。それどころか、逆にティアンジュさんの鳩尾に正拳突きを叩き込んだ。


 滑るように後方へ押しやられたティアンジュさんは、だが立っていられず大地に這った。激しく咳き込む。その口から血が滴った。


「悔しいでしょうなぁ、お嬢様? ですがね、その悔しさはずっとあっしが抱え込んできたもんなんでさぁ!」

「悔しかった……? あなたが?」

「あっしは12の頃からパクシュ家に仕えてきやした。小さい頃はお嬢様に懸想したこともありましたが、この身が老いて醜くなるにつれて、変わらずお美しく更に強くなっていくお嬢様への愛は憎しみへと変わっていったのです」


 スモレンスクは妬んでいたのだ。ティアンジュさんを、そして吸血人という存在を。


「だけどあんたは、あっしを吸血人に変えてくださいませんでした!」

「当たり前でしょう、法で禁じられているのを知らないの?」

「貴族であるお嬢様には、いくらでもやりようはあったはずだ!」


 その言葉を聞いて、ティアンジュさんはやれやれと肩をすくめて、言った。


「貴族を崇める連中って、貴族の力を過大評価しすぎだわ。勝手に人を独裁者扱いして、ゴマをすれば自分もそのおこぼれにあずかれると思ってる。パクシュ家なんて今はもう小金持ちの1家族に過ぎないのに、法を無視したり、殺し屋を雇って人を殺してみせたりなんて、できるわけないでしょう!?」


 ティアンジュさんの言葉は半分【僕 / 私】に向けられていた。

 貴族が強権を振るっているという世界観はガリリアーノから聞かされたものだ。ラマイカさんの父親がそれを否定しなかったあたりまったく無根拠なものではないのだろうが、貴族の横暴と思っていたことが全て謎の組織の手引きだったとわかった今、それをどこまで信じていいものだろうか。


 民主主義が広まった今もなお、大衆は貴族を、特権を振りかざして社会を動かす存在として畏れ敬う。ままならない生活における理不尽が彼等の所為だと思い、憎むと同時に憧れる。自分もそのおこぼれに預かりたいと願う。

 下級貴族もまた、上級貴族に対して同じ思いを持っている。自分達は慎ましく暮らしているのにそんなイメージが広まっているのは上級貴族達がそうしているからだと考える。

 だが上級貴族もまた下級貴族に対し同じ感情を抱いている。自分達は慎ましく暮らしているのにそんなイメージが広まっているのは下級貴族達がそうしているからだと考える。


 『身勝手で横暴な貴族』という、ありもしない存在がVKの人々を互いに疑わせ、憎しみ合わせている――そんな世界観が【僕 / 私】の脳内に去来した。


 まるで魔物だ。この世の理不尽を目に見える何者かの所為にしたがる心根と、権力への無邪気な憧憬によって作られた『キゾク』という物の怪。

 寒々しさに【僕 / 私】は思わず身体を震わせた。


「だいたい、あなたを吸血人にしたくとも、そもそもが無理な注文ですわ。血を吸った相手を吸血人にできるのは、吸血鬼だけです。わたくし達吸血人にそんな感染力はないのです」

「あっしは、貴族なら知っているはずだと思っていたんですがね」

「買いかぶりですわ」

「そのようですね。あっしのこれまでの忠誠は結局無駄でした」

「無駄……?」


 ティアンジュさんは、顔を曇らせた。


「あなたがパクシュ家に仕えてからの31年は、あなたにとって何も得るものがなかった……?」

「そうだと言わざるを得ませんねぇ」


 髭を撫でながらスモレンスクはニヤリと笑った。


「しかし、あっしを拾う神はいたんですよ。彼等のおかげで、あっしはついに! ついになったんですよぉ! 雑食人を超え、吸血人をも超える存在に!」

「だから礼儀もへったくれもなく前の主人を裏切り、USWとやらに尻尾を振っているということね」

「……その名前、どこで知りました? ガリリアーノの奴が喋ったんですかね。ああお嬢様、その名前を知られたからには遺憾ですが悲しいことに残念ながら、死んでいただくほかなくなりました!」

「やれるものならやってごらんなさいッ!」

「ではお言葉に甘えて!」


 今度はスモレンスクがティアンジュさんに飛びかかる番だった。もはや残像すら目に止まらない猛攻が彼女を襲う。ティアンジュさんは翻弄される一方だ。


「そらよッ!」


 スモレンスクの回し蹴りがティアンジュさんの顎をとらえた。血を噴きながら、ティアンジュさんが駒のように宙を舞う。そのまま10メートル近く地を転がって止まった。


「ティアンジュさん!」


 【僕 / 私】は駆け寄り、彼女を抱え起こした。

 彼女は無惨な有様だった。鼻が潰れ、顎はグシャグシャで血と泡を吹いていた。完全に白目を剥いている。時折身体がぴくぴくと痙攣した。


「お嬢様に勝った……ッ!」


 スモレンスクは夜空に向かって歓喜の声をあげる。その声は、途中から狼の遠吠えに似た響きへと変化していた。


「ハハハ! トロい! 弱い! 醜い! 無様ですなァァァ、お嬢様ァ!」

「――おまえほどじゃないさ」


 聞き慣れた声がした。振り返ると、ラマイカさんともう1人、コート姿の男が走ってくるところだった。


「ヴァンデリョス家の【王子様 / 姫様】か」


 スモレンスクは嘲笑うように鼻を鳴らす。

 ティアンジュ、とコート姿の男が悲鳴をあげる。ラマイカさんはスモレンスクに拳銃を向けた。


「おまえ、『人狼』だな?」

「おや、御存知で?」

「現物を見るのは初めてだがな」

「その拳銃、銀の匂いがしますね。ちょっと分が悪いようだ」


 スモレンスクの姿が消えた。と思いきや、奴はいつの間にか【僕 / 私】の背後に立っていた。


「どけ!」


 ティアンジュさんと引き剥がされ、放り投げられる。ラマイカさんがキャッチしてくれなければ、【僕 / 私】はブロック塀に頭を叩きつけられていただろう。

 だがその間に、スモレンスクはティアンジュさんを抱いて天高く跳躍していた。閉鎖されたジェットコースターのレール上に着地して【僕 / 私】らを見下ろす。


「お嬢様を返して欲しかったら、午前10時、メッドウェイ川沿いのコンテナ港までヴルフォード2機を持ってきてもらいましょうか。まあ拒否したとしても頂きにあがりますが、もちろんその場合お嬢様の無事は保証致しません」

「ティアンジュ!」


 ラマイカさんと一緒に来たコートの男が悲痛な叫びを上げる。それを背にしてスモレンスクはレールの向こうに消えた。


「ら、ラマイカ様! 妹が!」


 コートの男は半狂乱で、それで【僕 / 私】は彼がタラプールだと気づいた。


「落ち着いてください、行きますとも。カリヴァ君、君に協力を頼みたい」

「【僕 / 私】がですか……?」

「『蒼穹の頂』を動かす手が必要だからな。君はあの機体に慣れているし、実戦経験もある」

「わかりました。行きます」


 ラマイカさんはちょっと驚いたようだった。


「どうしたんです?」

「いやすまない、即諾してくれるとは思っていなかったからな」

「ティアンジュさんに言わせれば、【僕 / 私】と彼女とはもうお友達――らしいですから」

「そうか」


 ラマイカさんは寂しそうな目をした。


「私が窮地に陥ったときも、そう言ってくれると嬉しいよ」


 遊園地を出て、駐車場に停めてあったラマイカさんの車に乗り込む。

 運転するのはタラプールだ。妹の危機で頭がいっぱいなのだろう、歩行者がいなければ赤信号であろうとお構いなしにアクセル全開で駆け抜ける。事故るのが先か捕まるのが先か、生きた心地がしない。


 ラマイカさんはその間、助手席で誰かと通話していた。事件の報告から始まって、スモレンスクとの交渉に応じるか否かで激しく口論している。だがそれも都市部を抜ける頃には終わった。一息ついたラマイカさんに、【僕 / 私】は疑問をぶつけた。


「そういえば、人狼ってなんですか?」


 伝承の中に出てくる狼男なら知っている。満月の晩に狼に変化する男のことだ。凶暴で素早く、銀の弾丸以外では死なない――だがラマイカさんが言っていたのはそれではないだろう。


「VKの軍隊にとって最大の弱点はなんだと思う?」

「日光――昼間の稼働率が大幅に低下することです」

「然り。それを克服するために、WGが造られた。だが他にも幾つかプランが立てられていてな。もっと根本的に、生物的に吸血人を強化することで日光を克服しようというものがその中にあった」

「それが『人狼』ですか」

「私が聞いた話では、成功率は2割に届くか届かないかで、失敗すれば知性を失い、体組織が壊死を始め、動けなくなるまでひたすら血を求めるだけの生物になるらしい」

「まるでゾンビだ」

「だから計画は中止されたが、誰かが引き継いでいたのだろう。どうやら吸血人を強化するだけでなく雑食人をも強化できるらしい」


 車はエネルギー開発省のラボに入った。


 建物の中でロルフが待っていた。左右の手に色違いのシュラウドスーツを掲げている。【僕 / 私】とラマイカさんは自分の機体色が入ったスーツを受け取って更衣室に入る。


 着替えて出てきた【僕 / 私】達を待っていたのは、ドーンレイ・ヴァンデリョス伯爵だった。


「出撃は許可する」眉間に苦渋という皺を集めて伯爵は言った。「だが、最優先事項はヴルフォード2機の……いや、REDジェネレーターを可能な限り無傷で持ち帰ることだ。それが不可能なら自爆させること。ティアンジュ・パクシュの件はその条件を満たした上でのことだ」

「約束はできかねます」


 ラマイカさんは言った。


「では、出撃は許可できない。私の権限で君の搭乗資格を剥奪、身柄を拘束する」


 それは困る、とタラプールは伯爵にしがみついた。伯爵はその手を軽々と引き剥がし、仕方のないことなのです、と目を閉じた。


「……わかりました。REDジェネレーターには傷1つつけず、ティアンジュを奪還し、敵を撃滅すればよいのでしょう?」


 無表情のまま、ラマイカさんが言う。

 伯爵はやれやれと言わんばかりに鼻を鳴らした。


「――カリヴァ君、君はこいつのわがままに付き合う必要はないよ」

「いやその……、前から訊こうと思ってたんですが、むしろ【僕 / 私】がこんな大層な機体に乗ってていいんですか?」

「全ての責はラマイカが負うことで話がついている。そして、現状『蒼穹の頂』に最も慣れているのが君だ」


 困ったことにな、と伯爵は付け加えた。


「【僕 / 私】はいきます」


 妹を助けてくれるのか、とタラプール男爵がすがるような眼差しでこちらを見上げる。その目は涙で光っていた。


「……【僕 / 私】はあなたのこと、好きじゃありませんけど」


 この前置きは要らなかったと発言した後で気づいたが、もう遅い。まあいいか。


「ティアンジュさんは友達ですから、助けますよ」


 頼んだ、とタラプールは蚊の泣くような声で言った。



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