第24話『DATE~朴念仁 遊園地にて、斯く交際せり~』
結果的にいうと、服装に悩む必要はなかったのだ。
これは吸血人の貴族と雑食人の平民が対等に友人として付き合っているというプロモーションであって、衣装もナローラさん達が全てお膳立てしてくれた。
「何から何までありがとうございます」
待ち合わせ場所まで車で送ってくれたナローラさんに頭を下げる。
「かまいませんよ。むしろ【坊ちゃま / お嬢様】に御自身のファッションセンスやデートプランのアヴァンギャルドぶりを御自覚いただく方こそ骨が折れました」
「……本当にありがとうございました!」
最敬礼する。
「では、こう申し上げるのが適切かは判じかねますが、御武運を」
ナローラさんは微笑むと、路上駐車車両の影に隠れていたモミジとワカバを捕まえて帰っていった。
待ち合わせ時間の深夜1時を20分ほど過ぎたころ、ティアンジュさんがやってきた。彼女はいつものツインテールではなく、ゆるくウエーブのかかった髪をまっすぐ下ろしていた。
それだけでいつもの彼女とはがらりと印象が変わって見える。目の前まで来て話しかけてくるまで、本当に本人か迷ってしまった。
「待った、カリヴァ?」
「ええ、半時間弱ほど」
「そういう時は『今来たところ』と言いなさいよ」
「それ、何十年前のセンスですか」
「わたくしにとってはつい昨日の流行です。それにしても、なかなかいいセンスをしていますわね」
服装のことを言われているらしい。
「あなたにそんなセンスがあるとは思えないから、――ずばり、【お義兄様 / お義姉様】の見立てでしょう?」
「……どうですかね」
ティアンジュさんはくるりとターンした。機嫌がいいらしいな、と思ったのだが、振り返ったその顔は不機嫌さをたたえていた。
「あなたね、女の子が服装を褒めたのだから、わたくしの格好にも一言あってしかるべきではなくて?」
……めんどくせー。
同じ女の子でも伊久那はこういうことを言わなかったのに、と思う。もっとも、彼女が着飾るなんて懇親会の時くらいしかなかったが。
「今、誰か他の女のことを考えなかった?」
「あなたも妖声憑きですか」
「それくらいわかります。あなたには殿方としての基礎教育が足りないようですわね」
「それはそれは至らなくて申し訳ありません」
「心がこもって――」
「可愛いですよ」
「は――はあ!?」
ティアンジュさんは真っ赤になって硬直する。
「いや、だから、服装です。【僕 / 私】は服装のことってよくわからないけど、可愛いとは思います」
「あ、あなたよくもそういうことを真顔で……」
「そりゃ、別に冗談で言ってるわけではないので」
ティアンジュさんは背中を向けてしまった。やはり、皮肉とでも受け取って怒ってしまったのだろうか。
「……どの辺が?」
「はい?」
「どの辺りに可愛さを感じたか言ってごらんなさい。言えないでしょうけど。口先だけの褒め言葉など嬉しくもなんともありませんわ。不誠実です」
「えっと――ああ、そのニーソックス、ハイカラですね」
「……語彙力……。いやもう、それでいいですわ」
その時点で【僕 / 私】は気づいていなかったが、少し離れたところから【僕 / 私】達を見守る2つの影があった。
1つは、ラマイカ・ヴァンデリョス。
「ティアの奴、なんだあのチョロさは。まあ仕方ない、あいつは周囲から褒められずに大きくなったふしがあるからな」
「そんなことはない」
ラマイカさんの隣に立つもう1つの影が言った。帽子にサングラス、マスクを着用し、襟丈の長いコート――夏場だというのに――で長身をすっぽりと覆っている。声は男のものだ。
「――ティアンジュには毎日この私が素晴らしい、美しいと褒め称えている!」
「それ、完全にウザがられて無視されているぞ、タラプール男爵」
重装備の男の正体はタラプール男爵だった。
「――というか、その格好で私の側に立たないでもらいたいな」
「妹が頭のおかしい雑食人と2人でいるのだ。心配しない兄がいようか」
「心配するのを責めているのではないよ。私と行動を共にするのをやめてほしいと言っている。離れたところで独自にやっていただきたいものだ」
「しかし、マスコミの姿が見えないな」
ラマイカさんの気を逸らすためにタラプールは話題を変えた。
「あの三流ゴシップ記事がインチキだと知らしめるために、信頼の置けるマスコミに正しい経緯と仲のいいところを見せつける――そういう話だったはずでしたな。だが記者が見当たらない」
「その話か」ラマイカさんは呆れたように言った。「『まともなマスコミ』が貴族の決闘ごっこなどまともに取り合うはずがないだろう」
「は? では、あの2人はなんのために?」
「ティアの性格を考えてみればわかるでしょう。『やっぱり無理でした』なんてあいつが言えるわけがない」
「……ごもっとも」
「まあ、若造どもが仲良くなるきっかけにはちょうどいいというものです」
そういうラマイカさんの横顔は、少しもよくなさそうに見えるのだった。
「……私とのデートもまだなのに……」
【彼 / 彼女】の呟きは、幸いにもタラプールには聞かれずにすんだ。
【僕 / 私】はティアンジュさんに導かれるまま、3歩ほど後ろを歩いていた。本当に、これでは主人と従者だ。
「何をしているのカリヴァ」
ティアンジュさんが不機嫌な顔を向ける。
「そんなんじゃ、仲良くなったと思わせられないじゃない!」
「あの」【僕 / 私】は言った。「マスコミの人は?」
「あ……も、もちろん来ております。今も何処かでわたくし達を見ておりますわ」
「え、もう始まってたんですか? 挨拶もなしに盗撮だなんて。まともなマスコミじゃなかったんですか」
「あなたが緊張してわざとらしい画にならないように、わたくしがそう依頼したのです!」
「そうなんですか」
「そうなのです。さあ、あそこに入りますわよ」
ティアンジュさんが指し示したのは、遊園地だった。
「…………」
「……嫌なのですか?」
不満が顔に出ていたらしい。
正直、遊園地は嫌いだ。だがここで彼女のデートプランを白紙にすれば、逆にこっちが代案を出さなくてはならなくなる。面倒くさい。
「いえ、いきますよ。……記者さん達が入ってくるのを待たなくていいんですか?」
「……大丈夫です。ちゃんと園内でスタンバっておりますもの」
「準備のいいことで。一面記事かな」
平日だというのにそこそこ人が多いと思ったが、よく考えればもう夏休みのシーズンだ。むしろ少ないというべきだった。それにかき入れ時にもかかわらずアトラクションの幾つかは封印されている。寂れているとさえいっていいのではないだろうか。
「儲かってないみたいですね」
「最近、電気代がまた値上がりしたでしょう」
「そうなんですか」
「あなた、ニュース観ませんの?」
ティアンジュさんは侮蔑の表情を浮かべた。甘んじて馬鹿にされる他ない。宿舎にいた頃は家計はシスターに全て任せていたし、ヴァンデリョス家に厄介になってからは言わずもがなだ。
「雑食人は光熱費が半分以上税金でまかなわれるから実感はないのでしょうけど、中流以下の吸血人家庭では馬鹿にならなくなっているという話ですわ。それでもVKは夜間使用量が少ないから、まだマシな方です。わたくしが出張したベルギーなど、夜9時以降は原則消灯で大変でした」
「そうなんですか?」
「あちこちの油田や鉱山が枯渇しかかっているという話です」
それはロルフから聞いたことがある。VKがエネルギー開発省を新たに設立したのは世界的な電力不足が背景にあったからだ。
ヴルフォード――『陽光の誉れ』や『蒼穹の頂』――に搭載されたREDジェネレーターもそのために開発されたものだろう。どうしてそんなものをWGに載せているのかはわからないが。
「そりゃ、戦争に備えてのことでしょう」
【僕 / 私】の疑問に、ティアンジュさんはこともなげに答えた。
「戦争……?」
「さっきの電力の話。もし石油や石炭が足りなくなったらどうします? 座して死を待ちますの? ありえませんわ。持ってるところから奪うに決まってますでしょう?」
「殺し合いをしてまで……」
「そうするだけの価値はあります。人間、便利なものを知ったらもう不便には戻れませんわ」
「…………」
「はいはい」
ティアンジュさんは手を鳴らす。
「辛気くさい話は終わり。せっかく来たのですから、今日は楽しみますわよ!」
「でも、記者さんは?」
「……もちろん、取材をした上で楽しむのです!」
だが世界的な電力不足が深刻化しているという話を聞いた後では、忍び寄る破滅の予兆はひどく目についた。メリーゴーランドは目立たないように照明の数が減らされているのがわかったし、お化け屋敷は暗いだけだった。ジェットコースターの幾つかはあれこれ理由をつけて運行を休止している。
だが遊園地には【僕 / 私】にとってそれ以上に気が滅入るものがあった。
すぐ側を、親子連れが通り過ぎていく。
無邪気にはしゃぐ男の子。それを微笑ましそうに見守る父親と母親。まるでファミリードラマのワンシーンのようで、胸をかきむしりたくなる衝動に襲われた。
ああ、これだから嫌なのだ。
何故自分の家族はああではなかったのだろう。あの子供と【僕 / 私】にどんな違いがあるのか。あの子は遊園地に連れて行ってくれるような親の元に生まれるのにどんな代償を払ったのだろうどういう努力をしたら優しい両親の元に生まれて来られたのだろうあの子はそういう方法を誰に教わったのだろうどうして【僕 / 私】にはそれがわからなかったのだろうどうしてどうしてどうしてどうして。
「……どうかしましたの?」
ティアンジュさんが眉をひそめる。
「なんだか、泣きそうな顔をしていますわ」
「……気にしないでください。あなたはラマイカさんのことだけ気にしてればいいでしょう。【僕 / 私】のことなんか放っておけばいい」
「そういうわけにはいきませんわ!」
思いの外、強い言葉が返ってきた。
【僕 / 私】は驚いて、彼女の目を見る。
「【お義兄様 / お義姉様】のことは、今は関係ありません。今わたくしはあなたとデートしているのです。相手を放ったらかしにするなんてルール違反ですわ」
「…………」
「悩みがあるなら、わたくしが力になります。何ができるかはわからないけれど」
「ついこないだ殺し合ったばかりの間なのに?」
「それはついこないだ終わったでしょう。今はお友達ですわ。ああ、【お義兄様 / お義姉様】を巡るライバルでもあるのでしたっけ」
苦笑するしかない。彼女はもう【僕 / 私】に対してわだかまりがないらしい。そんなことを本気で言えるのが、真の貴族精神という奴なのかもしれない。
「それより、さっきから【僕 / 私】達を見てる人がいるんですけど」
「ええ、気づいていましてよ。――出てきたらどうです?」
【僕 / 私】達は振り返る。この時のために、さっきから人気のない場所へ移動していたのだ。
姉の警戒心に満ちた声からして、記者などではないことはわかっていた。ティアンジュさんも殺気を肌で感じていたのだろう、四肢に力を入れ、臨戦態勢を取っていた。
ガサリ、と茂みを鳴らし1人の男が出てくる。
夏場だというのに襟丈の長いコートを羽織り、帽子をすっぽりと被っていた。おまけにサングラスとマスクまでつけているという念のいりようだ。
――下がって、すーちゃん。
姉が警告した。同時に男は懐から何かを抜く。月光を反射するそれは、ナイフだった。
男が【僕 / 私】達に向かって突進する。
「下がっていなさい、カリヴァ!」
ティアンジュさんが前に出る。かまわず、男はナイフを突き出した。
「ハッ!」
次の瞬間、男はティアンジュさんに投げ飛ばされていた。
一瞬の出来事。何がどうなって攻守逆転したのかわからない、鮮やかな手並みだった。だが男もただ投げ飛ばされてはいなかった。空中で体勢を変え、ふわりと着地する。
その拍子に男の頭部から帽子がすっぽ抜け、サングラスが転がり落ちる。
「あなたは……!?」
ティアンジュさんが息を呑む。
髭を生やした中年雑食人男性の顔がそこにあった。
「あなた……スモレンスクなの?」
ティアンジュ・パクシュの元付き人は、闇夜に目を赤く光らせた。