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第17話『妖声』


 既に空は白み始めていた。

 ロルフもティアンジュさんも日の下を歩き回る用意はしてこなかったので、ヴァンデリョス邸に泊まることになった。


「さあ、話してもらおうか、カリヴァ君」


 燭台型の蛍光灯が唯一の光源となっている暗い部屋の中、ラマイカさんがクッションチェアに身を沈ませて言った。他の2人はソファの端と端にわかれて座っている。

 そして【僕 / 私】というと、裁判にかけられた被告のごとくラマイカ裁判長の前に直立させられていた。


「君は、おかしなことを言っていたな。『敵は未来予知ができる』とかなんとか」

「……言いましたっけ?」

「知らないのかな? あのWGは元々実験機でな。データ収集のため、稼働中に起こったことは全て記録するようになってるんだ。通話記録はもちろん、映像も」


 ラマイカさんはニッコリと笑った。何故だか背筋が凍る思いがした。


「黒いWGが尻の隠し腕を使ったのは、あの1回が初めてだったな。どうしてわかった?」


 彼女の顔から笑みが消える。


「君に申し訳ないことをしたのはわかっているが、なんでもかんでもスルーしてはやれない。話してもらうぞ」

「……わかりました」


 潮時だろう。下手な言い逃れはせず全部話すことにした。できれば強いられてではなく自分の意志で話したかったが後の祭りである。

 ただ、その中にティアンジュ・パクシュがいるのはどうなのだろう。【僕 / 私】の中で彼女は敵にカテゴライズされる人物なのだ。敵に手の内をさらしてよいものか。


 【僕 / 私】の視線に気づいて、ラマイカさんは言った。


「ティア、席を外してくれないか」

「嫌ですわ。わたくし別にお兄様のことはどうでもいいのですけど、決闘はフェアであるべきと思っておりますの。さっきも言いましたけれど、【お義兄様 / お義姉様】がカリヴァにWGを都合したり稽古をつけるなら、切り札の1枚くらい明かしてもらってもいいのではなくて?」


 ワインの入ったグラスを弄びながら、ティアンジュさんは断固としてここを離れない、という構えを見せた。ちなみに【僕 / 私】とロルフに用意されたのはオレンジジュースだ。


「仕方ないな。カリヴァ君、あきらめてくれ。だがティアだって大人だ、君の話すことが君のプライバシーに抵触するような内容であれば彼女は誰にも口外しない。それくらいの分別はある。そうだなティア」

「もちろんですわ」

「……わかりました。あの、座って話しても?」


 着席は許された。いい加減足の痛みが限界だったので助かる。ロルフには奥に詰めてもらって、【僕 / 私】は彼が座っていた位置に腰かけた。ティアンジュ・パクシュの隣には座りたくない。


 ジュースで喉を潤してから、【僕 / 私】は話し始めた。死んだ姉のこと、あのパーティ以来――父の件は流石に伏せた――窮地に陥るたびに姉の声が助けてくれること。宿舎にタンクローリーが突っ込んできたときも、病院がテロリストに襲われたときも、全てそのおかげで生き残れたこと。


 皆は神妙な顔で聞いていた。ロルフが時々相槌を打ってくれる以外は無言だ。呆れられているのかもしれなかった。もういい、頭がおかしくなったと思われるなら思われてしまえ。

 話し終えたとき、何故だがホッとするものを感じた。姉の声について、自分がずっと誰かに相談したがっていたことに、【僕 / 私】は今になって気づいた。


「――『妖声(ようせい)』だな」


 笑いもせず横槍も入れず黙って聞いていたラマイカさんがぽつりとそう言った。


「妖精……? フェアリィですか?」

「妖しい声と書いて妖声、あるいは単純にヴォイスという。さっきおまえが話したように、見知った誰かの声が危険から救ってくれる現象だ。またその声を聞くことができる者を『妖声憑き』という。かのジャンヌ・ダルクは神の声を聞いたというが、彼女もまた妖声憑きだったのではないかといわれている」

「ラマイカさんにもいる……あるんですか?」

「私にはないな。だが私のいた戦場でも君と同じことを言う奴はたまに見かけた」


 今更ながらラマイカさんの実年齢を思い出す。【僕 / 私】にとって歴史の教科書の記述でしかない世界大戦にも、【彼 / 彼女】は参加していたのだった。そう考えると、目の前の【彼 / 彼女】がひどく遠い存在に思える。


「ああ、わたくしのいた部隊にも1人いましたわ。戦争神経症患者か、思春期をこじらせた感じの奴だとばかり思ってましたけど」


 外見的には【僕 / 私】とそう年齢が変わらないティアンジュさんですら戦争経験者だった。


「ぼくは知らないなあ」ロルフが首をかしげる。「聞いたこともなかった」

「本人しか観測できないのでは幽霊と変わらないからな。オカルトの域を出ない。私も『そう言い張っていた奴がいた』くらいで、信じているかと問われればノーと答えざるを得ないな。真面目に研究している奴もいるようだが、信憑性はまあ、推して知るべしだ」


 幽霊なんかの研究でも最初から幽霊の存在ありきで語られててイマイチ信用できないんですよね、とロルフがオレンジジュースのおかわりを注ぎながら言った。


「でも、そんな奴がいるなら部隊のみんなは大助かりだったでしょうね」

「ところがそうでもない。妖声は取り憑いている相手の都合しか考えないらしいのだ」

「は……?」

「たとえば、そこに地雷が埋まっているとしよう」


 ラマイカさんは床の1点を指し示す。


「もしマドラス主任が地雷を踏めば、地雷は1つ消える。そうすればカリヴァ君はそれを踏まずに済むわけだから、妖声はマドラス主任が地雷を踏むようにカリヴァ君を誘導する」

「ひどいよスヴァル!」

「いや、たとえ話だから、これ!」

「あるいはカリヴァ君自身に地雷を踏ませるかもしれない。負傷して前線から退けばそれ以上戦わなくて済むからな」


 助けるならもっとストレートに都合のいい助け方をしてほしい、と【僕 / 私】はここにいるともいないともしれない姉に祈った。


「……あれ? でも、隠し腕の時はラマイカさんを助けたじゃないですか」

「そりゃ、あそこで私が斃れれば君が死ぬだけだからな」

「ああ、そうか」


「――それで、カリヴァに憑いた妖声の言葉を信じるなら、あの黒いWGのトゥームライダーも妖声憑きなのでしょう?」


 ティアンジュさんは嫌そうに言った。


「そんな相手とどうやって戦うっていうんですの?」


 さてな、とラマイカさんは目を閉じた。妖声憑きへの対処法をここで話すことは、【僕 / 私】への対策をタラプールに教えるのと同義だ。そこまでハンデを与える気はラマイカさんにはなかったらしい。


「マドラス主任、黒いWGについての君の見解を聞きたい」


 話はあの黒いWGに移った。だが結局は何もわからないということを再確認しただけに終わった。


 ふあ、とティアンジュさんが欠伸をする。ロルフもつられるように口に手を当てた。【僕 / 私】もまた、話の途中に何度か意識が飛びそうになっていた。足が棒になるまで走らされて、更に戦闘まで経験したのだから当然といえば当然だった。


 時計を見ればもうすぐ正午である。吸血人達にとってはそのまま深夜零時の感覚だ。もしラマイカさんと血婚したら、こういう昼夜逆転した時間感覚が当たり前になるんだよな、とふと思った。

 思って、何故か気恥ずかしくなった。

 なんで【僕 / 私】は血婚すること前提で将来を考えているんだ?


「もういい加減寝るべきだな。ナローラに寝室を用意するよう言ってある。案内させよう」

「わたくし、【お義兄様 / お義姉様】と一緒の部屋がいい!」


 ラマイカさんは無視してブザーを鳴らした。間もなく使用人がドアを叩く。


「客人達を部屋にお連れしてくれ」

「かしこまりました。こちらへどうぞ」

「…………」


 ティアンジュさんは名残惜しそうに出ていった。ロルフもその後に続こうと立ち上がる。


「――と、スヴァルはこれから学校?」

「だとしたら遅刻もいいところじゃないか。学校はしばらく休学することにしたよ」

「カリヴァ君、ちょっといいか?」

「おや、【王子様 / お姫様】がお呼びだぜ」


 2人は使用人に連れられて行ってしまった。【僕 / 私】はここに住んでいるので案内は要らない。


「――本当に、怪我はないのか?」


 不安に曇ったラマイカさんの目が【僕 / 私】を見ていた。


「大丈夫です。ラマイカさんのおかげです」

「そうか」


 ラマイカさんは手を少し持ち上げ――何もせずまた下ろした。


「君がタラプールを犯人と確信したのは、妖声のお告げがあったからだな?」

「はい」

「なるほど、得心がいったよ。だがさっきも言ったように、妖声は君にとって最良の結果を目指しているのであって、真実を保証するものではない」

「……なにが言いたいんですか」


 あくまでタラプールをかばうつもりなのか。ティアンジュ・パクシュの兄貴だからって。やっぱり同じ貴族、同じ吸血人だから?


「【僕 / 私】は、姉を信じるだけです」

「妖声は君の姉上の声をしているが、本当に姉かわかったものじゃないんだぞ」

「姉さんですよ!!」


 思わず、屋敷中に響き渡ってしまいそうな大声が出てしまった。ラマイカさんがたじろぐ。


「……姉さんです。姉さんでいいじゃありませんか。そう信じちゃいけませんか? 姉が死んでこの国に来て、やっと家族ができたと思ったら、それもなくなって……! このうえ姉さんの声まで捨てなきゃいけないんですか!?」

「……すまない」


 ラマイカさんが目を伏せる。【僕 / 私】は後悔した。

 【僕 / 私】としたことが取り乱して、癇癪を起こした子供のような真似をしてしまった。しかも【僕 / 私】の心は気まずさから、ラマイカさんに責任転嫁を始める始末だ。【僕 / 私】の10倍以上の時間を生きているのだから、それくらい考えて話せばいいのに。そんな顔ですぐ謝るなんて卑怯だ。こっちが悪者になったみたいじゃないか――といった具合に。


 【彼 / 彼女】が悪いことにして心の平安を得ようとする幼稚で独善的な自分と、それを冷静に観察し批評する面倒な自分を意識して、結局、【僕 / 私】は怒り続けることも謝ることもできずに、無言で部屋を退出することしかできなかった。その要領の悪さに、一層自分が嫌になる。


 落ち着け、昴――。姉の声が本当は姉ではない可能性なんて、ずっと前から考えてたことじゃないか。だとしても姉を信じると決めたはずだ。そうだ、決めたんだ。ラマイカさんにとやかく言われたくない。貴族で、両親や姉妹がいて、使用人までいて才能にも恵まれたあの人には、得体の知れない妖声にすがる【僕 / 私】の気持ちなどわかるまい。わからないならそっとして欲しい。


 【僕 / 私】の部屋は地上2階にある。ヴァンデリョス邸では数少ない窓のある部屋だ。雑食人は日光を浴びないと健康によくないからとラマイカさんが用意してくれたのだった。ラマイカさんが。


 普段着のままベッドに飛び込む。幸いなことに、疲労のおかげであれこれと思い悩むことなく眠りの国に旅立つことができた。



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