第14話『アイアンヨーヨーの女』
そんなわけで、帰りの車中の空気は非常に重いものとなった。
行きはまだマシだった。シスターが死んだばかりではしゃげる気分ではなかったけど、それなりに楽しく会話していたと思う。普段の生活とか、よく聴く音楽とか、他愛もないことばかりだったが。
だが今は――無言だ。車が動き出してから、お互い一言も喋っていない。
流石に申し訳なくなって、【僕 / 私】は姉の声のことくらいは正直に打ち明けようかと思った。でも結局はそうしなかった。だって死者の声が聞こえるなんて真実味のない話だ。余計怒らせかねない。
それに【彼 / 彼女】は吸血人で貴族――つまりはタラプールの方に近い存在だ。加えて【僕 / 私】の平穏を破壊したそもそもの元凶で、そういうわだかまりが、【彼 / 彼女】と必要以上に接することを【僕 / 私】に躊躇させていた。
【僕 / 私】は暗視ゴーグルをかけ、窓の外に目を向けた。工場地帯と市街地を隔てる雑木林が道路を挟み込んでいる。道路はほぼ一直線で、それが見渡す限り続いている。変化に乏しい光景だ。ゴーグルを外しているのとさして変わらない。
「……カリヴァ君! しっかりつかまれよ!」
「!?」
突然、ラマイカさんが大きくハンドルを切った。
どうしたのかと訊く必要はなかった。さっきまでいた車線で爆発が起きたからだ。
振り返る。パイルガンを手にした4機のWGが林の中から飛び出してくる姿が爆炎に照らされていた。病院で戦ったものとはまた異なるシルエット。
「また別の敵……?」
「そうとは限らん。外装を張り替えただけかもな。それにしても、車1台相手にこの仰々しさ!」
ラマイカさんは車をジグザグに走らせる。同時にスマホを【僕 / 私】に放って寄越した。
「警察ですね?」
「いや、警察じゃ被害が増えるだけだ!」
「じゃあ軍隊……って番号は?」
「とにかくエネルギー開発省――いや、ロルフトン・マドラスにかけてくれ! WGを輸送してもらうんだ!」
「それ、いつまでかかるんです? 来たところで乗り込む隙なんて……」
「何もしないよりはマシだ!」
オートで動いているのだろう、敵WGは上半身を微動だにせず、下半身だけ高速で動かして追いかけてくる。
「――伏せろ!」
すぐ手前に砲弾が着弾。避けることもできず車は爆発の中に突っ込んだ。炎が【僕 / 私】の背中を炙る。同時に尻の下で嫌な感触がした。右前輪のタイヤが弾けたのは次の瞬間だった。
「チッ!」
ラマイカさんは舌打ちしてハンドルを切る。車はスピンとコースアウトを免れたが、スピードが低下。
「逃げられない!」
更に、目の前に新たな機影が現れた。待ち伏せか、とラマイカさんが唸る。
――大丈夫よ、すーちゃん。
新しく現れたWGは大きく跳躍。【僕 / 私】達の頭上を通過して、4機のWGへ飛びかかった。
「なに?」
手前の1機が跳び蹴りを受けて仰向けに転倒。それを下敷きにしながら、新手のWGは両腕を振った。左右に装備された円形の盾が外れ、唸りをあげて敵へ飛ぶ。直撃を受けた両翼の2機は転倒、大破。
盾と腕はチェーンで繋がっていた。じゃらら、とチェーンが甲高い軋みをあげ、盾は持ち主の腕に巻き戻される。まるでヨーヨーだ。
最後の1機は負けを察して急制動、Uターンを行う。
「痴れ者がッ!」
瞬く間に3機を撃墜したパイロットの叫びが夜空を奮わせる。
ヨーヨーのように飛ぶ円形盾を持つWGの、足首側面にある丸いパーツもまた鋼鉄のヨーヨーだった。大きく蹴り上げられた足からヨーヨーが飛び、逃げる敵の背に吸い込まれるように沈む。
それで、立っているのはヨーヨー持ちのWGだけになった。ヨーヨーを巻き戻し、残心をとる。【僕 / 私】達に攻撃をかけてくる気配はなさそうだった。
「強い……」
【僕 / 私】は嘆息する。
「……私の方が強いよ」
張り合うようなことを言って、ラマイカさんは車を停めた。運転席から出てヨーヨー使いのWGを見上げる。まだ味方と決まったわけではないので逃げた方が利口だと思うのだが、【彼 / 彼女】の性格上、助けてもらった以上は礼を言わずに去れないということらしい。【僕 / 私】だけが車に残っているのも変な気がして、車外に出る。
「派手な車だと思ったら、やっぱりお姉様でした! 大丈夫ですか、お姉様?」
コクピットハッチが開き、パイロットが勢いよく飛び出す。ヘルメットを脱ぎ捨て、髪留めを外すと2つ結びにした長い銀髪が舞った。【僕 / 私】と同年代くらいの若い女の子だった――少なくとも外見は。
スモレンスク、と少女が叫ぶ。へい、と言って出てきたのは髭を生やした小太りの中年男だった。雑食人である。少女が倒したパイロットの救助を命じられ、中年男は嫌そうな顔をしながら駆けていった。
少女は【僕 / 私】達のいる方に歩いてくる。
「おまえだったのか、ティア。本島に帰っていたか」
ラマイカさんが表情を和らげる。
「ええ、つい昨日帰ってまいりました。【お義兄様 / お義姉様】もお元気そうでなによりですわ」
「好意は嬉しいが、まだそう呼ばれる義理はないよ」
「ところで」
にこやかな表情を一変させ、ティアと呼ばれた少女は眼光を険しくする。
「――風の噂に聞いたのですが、雑食人と血婚の契りを交わしたとか?」
体勢はそのまま、ラマイカさんが全身に緊張を走らせるのが後ろから見ている【僕 / 私】にもわかった。2人の間の空気が急速に熱を失っていく。
「ああ、そうだ」
「わたくし信じられませんわ。【お義兄様 / お義姉様】がそんな下品な振る舞いをなさるなんて」
貴族様方にとって、血婚とはどういうものなのだろう? 彼等がのさばっている社会で、よく制度として認められたものだと思う。
「紹介しよう、【彼 / 彼女】がその相手だ。名はスヴァル・カリヴァ」
「どうも」
「そしてこっちが――」
「ティアンジュ・パクシュですわ」
「パクシュ――って」
どう見ても仲良くなれる雰囲気ではなかったから、名前など聞いた端から忘れる気でいた。だがそのファミリーネームを聞いてしまっては嫌でも覚えざるを得ない。
「そうだカリヴァ君」ラマイカさんが言った。「彼女はタラプール男爵の妹だ」
だから【お義兄様 / お義姉様】と呼んでいたわけか。納得すると同時に、混乱する。
あの4機のWGを【僕 / 私】はタラプール男爵の刺客と思っていたのだ。【僕 / 私】が何か動かぬ証拠を握っていると思い込んで、決闘まで待たずさっさと殺す気になったのだろうと。
ラマイカさんも巻き込むことになるが、殺人を指示していたことが明るみに出れば伯爵どころか男爵の地位すら失われる。それにラマイカさんは吸血人だ。重傷を負うだけで生き延びる可能性もある。それをいち早く助ければアピールにもなる。
しかしそれを妨害したのはタラプール男爵の妹だ。ただの偶然か、それともこれさえも男爵の自作自演のうちなのか。
ティアンジュさんはラマイカさんの腕を引き寄せ、抱きしめる。【僕 / 私】に仲の良さを見せつけるように。いや実際、そのつもりなのだろうが。
「仲がおよろしいんですね」
【僕 / 私】は冷ややかにラマイカさんを見た。
「いや違うぞカリヴァ君」ティアンジュさんを引き剥がそうとしながらラマイカさんが言う。「彼女はただの教え子の1人だ」
ロルフから聞いたが、ラマイカさんは業界ではよく知られたWGのエースパイロットらしい。それ故に、あちこちからWG操縦の講師として招かれていた。ティアンジュさんもその生徒の1人というわけだった。
「そんなぁ、わたくしが1番出来のいい生徒だって言ってくれたじゃありませんか。それにもうすぐ義理とはいえ家族になるんですよ?」
「確かにおまえは嫌いじゃないが、タラプールを配偶者にするかどうかとは話が別だ」
「だったらいっそわたくしと結婚しましょうよ、【お義兄様 / お義姉様】ぁ」
「……それより、あの機体は?」
ラマイカさんは露骨に話題を変えた。
「ああ、御覧になって【お義兄様 / お義姉様】、あれが我が社の次期主力商品『へティーケリー』ですわ。わたくしがテストパイロットをしておりますの」
「……アイアンヨーヨーって、また人を選びそうな武器ですよね。売れるのかなぁ」
「なんですって?」
ついうっかり、口を挟んでしまった。ティアンジュさんの鋭い視線が【僕 / 私】を刺す。
「お嬢様、あいつらは駄目でした」
【僕 / 私】にとってはタイミングのいいところに、スモレンスクと呼ばれた中年男が汗を拭きながらこっちにやってきた。
もしやティアンジュさんは口封じのために彼等を殺した? 流石に手が込みすぎている気がするが、いや、格下の相手なら命を命とも思わないのが彼等貴族ではなかったか。
「全員死亡か。情報を聞き出したかったな」
ラマイカさんが渋い顔になるのを見て、ティアンジュさんは焦った様子を見せた。
「そんなはずはないでしょうスモレンスク。わたくしはちゃんと手加減しました」
「そう言われましても……」
「もういい、わたくし自ら検分します!」
「でもお嬢様」
のしのしと歩いて行くティアンジュさんの背に向かって、スモレンスクさんはハンカチを両手で揉みながら言った。
「……その、悪い夢を見られそうですよ?」
「…………」
ティアンジュさんの足が止まる。そのまま数秒後、彼女は回れ右して戻ってきた。
「スモレンスクが言うならそうなのでしょう」
「…………」
「お嬢様」とスモレンスクさん。「グズグズしてると、朝日が昇りますよ」
「そうですわね。お姉様の車はもう走れないでしょう、わたくしのWGキャリアで牽引します。今日は我が家にお泊まりになってくださいまし」
【僕 / 私】とラマイカさんは顔を見合わせる。決闘を申し込んできた後で厄介になるのは非常に気まずい。ラマイカさんが男爵邸に泊まるなら、【僕 / 私】はこのまま歩いて帰ろう。
「いや、すまないが明日は用事が立て込んでいてな。どうしても帰っておきたいのだ」
「そうですか」
「どうせ警察を呼ばねばならん。彼等に送ってもらうさ」
「あ、警察ならあっしが通報しておきました」とスモレンスクさん。
「あら、珍しく手際がいいわねスモレンスク。主人としても鼻が高いわ。では警察が来るまで、わたくしが【お義兄様 / お義姉様】を守ります」
ティアンジュさんは【僕 / 私】とラマイカさんの間に来るように位置を変え、さりげなく【僕 / 私】を肘で押しのける。やれやれ。彼女がラマイカさんと仲良くするのは勝手だが、【僕 / 私】を勝手に恋敵のように扱わないでもらいたいものだ。
そういうわけで、警察が来るまで【僕 / 私】は非常に気の重い時間を過ごす羽目になるのだった。
VK警察は人手が足りないらしい。【僕 / 私】達の元にやってきたのはまたもやガリリアーノ刑事だった。
またおまえか、と刑事さんはウンザリしたような顔をしたが、それはこっちの台詞である。
「雑食人なのに、夜間もおつとめされてるんですか?」
「撤収する頃には確実にお天道様がお出ましだからな」
吸血人にとって残業は命に関わる。遮光手段があるとはいえ、可能な限り殉職の危険を避けたいというのは仕方のないことだろう。
「おまえがいるってことは、あの【お坊ちゃま / お嬢様】もいらっしゃるんだろう?」
「ええ。WGキャリアの中にいます」
「【王子様 / お姫様】には後日お話を伺うとして今夜は早々にお帰りいただくが、おまえにはもうしばらく検分に付き合ってもらう。それでいいな?」
「その後で街まで送ってくださるんでしたら」
「わかったよ。おい、誰か――」
刑事さんは部下を呼び止めようとしたが、何故か誰もがそそくさと目を逸らして去っていった。
「随分好かれてますね」
「生粋のVK人みたいなこと言うんじゃねえよ。……前に、貴族に関わるなと言っただろう」
「関わるな逆らうな目をつけられるな、でしたっけ」
「だがおまえの一件で、俺はラマイカ・ヴァンデリョスと関わっちまった。つまりもう手遅れだし、貴族絡みの厄介事は全部俺に押しつけちまおうって腹なんだよ、あいつらは」
「……チームワークの取れた良い職場ですね」
「生粋のVK人みたいなこと言うんじゃねえよ」
そういうわけで、貴族2人との応対はガリリアーノ刑事が1人で担当した。
ティアンジュさんは使用人の運転するWGキャリアでパクシュ邸へ、ラマイカさんは警察のレッカー車で愛車と共に【彼 / 彼女】の屋敷に。そして【僕 / 私】は夜風に晒されながら苦虫を噛み潰したような顔の中年男と事情聴取だ。
タラプール男爵に決闘を申し込んだ経緯を話すと、刑事さんの眉間の皺は一層深くなった。【僕 / 私】のやったことは無謀だし、捜査妨害ですらある。しかし1度は貴族の権威に屈した手前、文句は言えまい。
「おまえは男爵が犯人だってすっかり信じ込んでるみたいだが、証拠でもつかんだのか? 現状はあの3人の自供でしかねえんだぞ」
「それは……」
いっそ姉の声について話してしまおうか。だけどラマイカさんを差し置いて刑事さんに話すのもラマイカさんに悪い気がする。
それに話したところで【僕 / 私】の正気が疑われるだけできっと何も変わらない。幽霊の証言を頭から信じてくれるほど、刑事さんは信心深くも迷信深くもないだろう。
「だったら刑事さんはどうやって真犯人を見つけるっていうんですか。せっかく黒幕候補が出てきたってのに、石橋を叩きもせずに眺めてるだけですか」
「なんで石の橋を叩かなくちゃならないんだ」
「しなくてもいい用心をする臆病者を揶揄して言う日本のことわざです」
「だったら俺も1つ教えてやろうか? 『出来の悪い仕事は結局やり直す羽目になる』ってな」
【僕 / 私】は頭を抱える。
「どうしてですか……? ラマイカさんもガリリアーノさんも、どうしてタラプールをかばおうとするんだ!? 犯人かもしれないんだからやっつければいい! 違ってるなら、今度はそいつを倒せばいいだけだ!」
「……おまえ、無茶苦茶言ってる自覚あるか?」
刑事さんは哀れむような目で【僕 / 私】を見た。
「命を狙われて、家も友達も母親代わりのシスターまでもなくしたんだからな。自棄になるのもわかるが、落ち着けよ。おまえはまだ全てを失くしたわけじゃない」
刑事さんは【僕 / 私】の頭に手を置いた。必要以上に子供扱いされているという気がして、それはひどく不快だ。
「まあ、あの【王子様 / 姫様】は仕方ねえよ。結局仲間の方が大切なのさ。同じ吸血人、しかも同じ貴族がそんなひどいことをするはずがねえって、信じたくねえのが本音なんだろう」
ああ、やはりそうなのか。わかってたよ。
「だけど俺は違うぜ。男爵をかばおうなんてちっとも思っちゃいない、ただ、今の頭に血の上ったおまえが見てられねえから止めてるんだ」
まあこんないかついオッサンと仲良くなっても鬱陶しいだけかもしれんがよ、と刑事さんは照れ隠しのようにバンバンと【僕 / 私】の肩を叩いた。不快な上に痛い。
【僕 / 私】が冷静さを欠いている?
一瞬考えて、それはない、と【僕 / 私】は判断する。多くのものを奪われ、ショックは受けただろうが、それでも【僕 / 私】は至って冷静だ。ただ肝心な部分を説明できないから、他人からは思い込みで突っ走っているように映るだけなんだ。
むしろ、【僕 / 私】が暴走しているはずという思い込みに囚われているのは彼等の方ではないのか。
【僕 / 私】の心配などしている暇があったら、あの3人や、今夜襲ってきたWGの残骸から確実な証拠を挙げてこい!
怒りにまかせて姉の声のことを口に出し、そのまま精神病院に連行されてしまわないよう、【僕 / 私】は深呼吸して平静を装った。だけどそんな【僕 / 私】の内面など、ベテランの刑事には筒抜けだっただろう。ガリリアーノ刑事は苦笑して肩をすくめた。
「仕方ねえな。ま、やるからには最後までやり通せ。自分を信じて、な」
言われなくともそのつもりだった。