第13話『宣戦布告』
元々吸血人としても血の気の薄い男爵の顔は、屈辱のためか真っ赤になっていた。
「み、み――見ましたかラマイカ様! 雑食人が貴族の猿真似とは! わかったでしょう、こいつらの身の程のわきまえなさが! 下賤な雑食人を手元に置いておけば、こうして恥をかくことになります!」
「それがあんたの本音か。【僕 / 私】達のこと、そんな風に思ってるんだな」
そんな風に見下していたなら、殺すよう指示してもさぞかし良心が痛まなかったことだろう。
「…………」
男爵がまくし立てるのには取り合わず、ラマイカさんは真意を測るように【僕 / 私】を見つめた。【彼 / 彼女】の沈黙を同意と受け取った男爵が強気に笑う。
「だいたい、何を賭けるというのだ、君? 仮に私が君の命を狙った犯人だったとしてだ、負けた途端にペラペラと自白し始めると思うかね? 安い推理小説じゃあるまいし。法的根拠にもならないだろう」
確かに、決闘で罪が着せられるなら弱い相手に挑み続けるだけで完全犯罪が成立してしまう。今のところ、この決闘は【僕 / 私】が男爵をブン殴りたいという欲求を満たすものでしかない。
「――ラマイカさんを賭けましょう」
「はあ?」
「いま、なんと?」
男爵と、男爵の執事が驚きの声をあげる。ラマイカさんは声こそあげなかったのもの、含んでいた紅茶を噴いてしまっていた。
「正確に言えば、ラマイカさんの隣にいる権利を、です。ラマイカさんとの結婚をあきらめ、そうだ、男爵の地位もいただきましょうか。あんたは『ただの』吸血人になるんだ」
赤から青へ、また赤へ――。男爵の顔色がめまぐるしく変化する。
タラプール・パクシュ男爵がただのタラプール・パクシュになっても、実際困ることはほとんどないだろう。爵位と社長の椅子は別の話だからだ。しかし本人にとっては大問題に違いない。タラプールにとって貴族であるということはアイデンティティの大部分を構成しているのだから。
「――は――ははは、面白い余興だったよスヴァル・カリヴァ君」
平静を取り繕い、男爵は軽く拍手してみせた。
「だが君は知らないだろうがね、平民には貴族に決闘が挑む資格などないのだよ。残念だったね」
本来、決闘とは同じ階級の者同士で行われるもの――言われなくとも知っている。だからこそラマイカさんの前で切り出したのだ。
「ラマイカさん」【僕 / 私】は言った。「決闘の立会人になっていただけませんか」
男爵が貴族の身分を利用し好き勝手をするなら、ラマイカさんにだってそれは可能である。【彼 / 彼女】が立会人としてこの決闘を認めてくれれば、平民と貴族の決闘を成立させることだってできるはずだ。
「ラマイカ様、こんな奴の痴れ言など取り合ってはなりません! むしろ私に此奴を手打ちにする許可をいただきたい! このような暴挙を許しては、偉大なる大英吸血帝国の秩序に関わります!」
ラマイカさんは静かに紅茶のカップを置く。そして片手を挙げた。
「私ラマイカ・ヴァンデリョスは、この決闘の申し込みを正当なものとして認め、立会人に立候補する」
「は……? 正気ですか、ラマイカ様!?」
男爵は信じられないと言わんばかりに脱力した。
「どうしますか、男爵。断ってもかまいませんが、戦いから逃げる男を私は決して伴侶とは認めないでしょう」
男爵が【僕 / 私】との決闘を断ったとして、それは貴族としてもVK紳士としても何の瑕疵になるものではない。むしろ受諾を強要するラマイカさんの方こそ横暴だ。
だが拒否すれば、男爵は自動的に婚約者リストから脱落する。伯爵家の、正しくはラマイカさんの機嫌を損なわないためには、タラプール・パクシュはこの決闘を受けざるをえない。
しぶしぶといった様子で、タラプール男爵は落ちた手袋に手を伸ばし――そこで動きを止めた。
「――ところで、私が決闘に勝利した暁にはカリヴァ君は何を支払ってくれるのですかな? 見たところ、支払える財産も領地も持ち合わせていないようだが」
「あんたの望み通り、ラマイカさんとの血婚は破棄する」
「それだけでは駄目だ。釣り合わない。最低でもVKからは出ていってもらおう」
【僕 / 私】のような後ろ盾のない子供が、VK以外で――文化的に――生きていられるだろうか? 答えはノーである。少なくとも、経済的に逼迫した生活を余儀なくされるだろう。
だが、ここで臆してはもう負けたようなものだ。【僕 / 私】は平然として了承する。
「いいでしょう」
「わかりました。私タラプール・パクシュは名誉をかけてスヴァル・カリヴァの挑戦を受けよう」
顔を上げたとき、男爵はもはや動揺も狼狽もしていなかった。どんな勝負であれ雑食人が吸血人に勝てるはずがない。たとえそれがWG戦であっても。
むしろ殺したい相手が自分から首を差し出してくれて好都合――とでも考えているのだろう。
「決闘の子細は後で通達します。葬儀が控えているのでこれにて失礼。行くぞ、カリヴァ君」
見送りは結構、とラマイカさんは執事を制した。ドアを開け、男爵を振り返って言う。
「ちなみに言っておくと、カリヴァ君が狙われた際、身代わりとなって亡くなられたシスターの葬儀です。もしカリヴァ君を狙う犯人が懲りずに毒牙を伸ばし、死者を冒涜するような真似をしたなら、私はそいつを決して許さないでしょう。――おっと、犯人ではないと言っているあなたに宣言しても詮無きことでしたな」
最後に当初の目的を達成して、【僕 / 私】達は男爵邸を出た。
駐車場に着き、周囲に人もいなければ男爵邸からも見えないことを確認し――ラマイカさんは、叩きつけるようにして【僕 / 私】を車体に押しつけた。
「さっきは何の真似だ、カリヴァ君!」
ラマイカさんが怒るのは当然だ。権威を利用しての横暴など、潔癖な【彼 / 彼女】にとって許しがたいことである。
「……すみませんでした」
「ついていくと言ってきかなかったのは、最初からこうするつもりだったのか」
「彼が罪を認めて警察に出頭するならしませんでした」
怒りを抑えるためにラマイカさんは大きく息をついた。
「彼が犯人ではなかったらどうする、全くの無意味じゃないか。『疑わしきは罰せず』という言葉は君の国にはないのか? 彼が真犯人だという、確たる証拠は? 教えてくれよ、小さな名探偵?」
「…………」
死んだ姉の声が教えてくれた、といえば流石に殴られるだろうか。
なんなのだろう、窮地に陥るたびに聞こえてくる――【僕 / 私】以外には聞こえない――あの姉の声は。チャシュマとの演武が最初だと思っていたが、よくよく思い返してみれば父を殺しかけたときも聞こえた気がする。
声自体は短いものだが、その中には複雑な情報が圧縮されていて、脳に届いた時点で解凍されて完全に言わんとすることを察することができる。たとえば道行く他人に「アレはあるか」といきなり訊かれても何のことだかわからないが、あの声ならば聞いた瞬間に「アレとは何で、どんな状態のものが幾つ、いつまでにどこの誰にどういう理由で必要なのか」が理解できる、といったように。
しかも危険の予知とその回避策を教えてくれるだけではない。さっきのように過去の情報を引っ張ってくることさえできるらしい。
人間業ではない。だからあれはきっと姉ではないだろう。頭ではわかっている。でも心のどこかでは姉であって欲しいと願っている。幽霊ならば常識を超えたこともできて当然ではないかと。
8年前に姉を亡くし、今度はシスター・ラティーナを喪った。このうえまた姉をあきらめるなんて耐えられない。姉の声をしているのだ、愚かにも姉だと思い込んで、誰に迷惑がある?
そして姉の言葉と信じたなら、それがどんな非常識な言葉でも【僕 / 私】にとっては真実だ。男爵の言い分など考慮に値しない。しかし世間一般の人間にとっては逆だろう。
気がつくと、無意識に髪飾りを撫でていた。手を下ろし、言う。
「――そんなことより、『陽光の誉れ』を貸して欲しいのですが」
「…………!」
ラマイカさんの顔が怒りでどす黒く染まる。ぎぃっ、と【彼 / 彼女】が指をかけていた車の窓枠が歪んだ。
元々険しい【彼 / 彼女】の目つきは、怒りでまさに凶眼と呼ぶに相応しいものになっていた。それでも【僕 / 私】はそれを正面から受け止める。できるだけ冷ややかに。
先に目を逸らしたのはラマイカさんの方だった。
【彼 / 彼女】は【僕 / 私】に負い目がある。【彼 / 彼女】が【僕 / 私】に血婚を申し込んだことが、【僕 / 私】が命を狙われるようになったそもそもの原因だからだ。
だから病院襲撃の際、因果関係にいち早く気づいた【彼 / 彼女】は自ら責任を取るべく持てる最大戦力を送り込んだ。別に『テロリスト』がWGを持ってきたからWGで迎え撃ったのではなく、相手の装備が銃器あるいは棍棒だったとしても最初からWGで撃退するつもりだったのだ。
しかし実際に戦ったのは【僕 / 私】自身で、しかも今度はシスターの命さえ失われた。負い目は増えていく一方で、父親に鞭打たれたからといって消えるものではない。だから【僕 / 私】の頼みを無下に断ることは、【彼 / 彼女】にはできない。
「……君は何がしたいんだ」
消え入りそうな声で【彼 / 彼女】は言った。
「本当にタラプールは一連の事件の首魁なのか? 君の推測は正しいのか? 根拠は? もし奴と決闘し、勝つことができたなら、それで君は満足なのか?」
【僕 / 私】は聞こえないふりをした。ラマイカさんは大きなため息をつく。
「……あと、手袋は顔にぶつけるもんじゃない。足元に叩きつけるんだよ」