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第09話『救出』


 話を聞き終わった頃には、カメラ越しに見える外の景色は真っ暗になっていた。


 宿舎の皆が【僕 / 私】の巻き添えで殺されたという事実はあまりにも重すぎた。

 良い奴等だったのに。悪いところだってあったけど、殺されなくちゃならないほどの悪では決してなかったはずだ。それが【僕 / 私】のせいで――。


 やはり思い込みなどではなく現実に、【僕 / 私】は周囲を犠牲にして生き残る特別な素養というか性質をもって生まれてきたのではないだろうか? そんな有害な魂、いっそこの際死んでしまうべきなのではないだろうか?


 すっかり押し黙った【僕 / 私】を放置して、吸血人達は他愛もないお喋りに興じている。これから人1人の命を奪うとは思えない陽気さだ。


「ん」


 眼鏡男が後部カメラの映像に視線を向けた。ヒュウ、と口笛を鳴らす。


「見ろよこれ、すげえぞ」

「なにがだ、回せよ」


 3人目の無個性な男に向けて眼鏡男が映像をフリックすると、サイドモニターにそれが拡大されて表示された。


 それは、後方からバイクで接近してくる女の姿だった。女はヘルメットをつけておらず、長い髪を風にたなびかせている。向いていない格好でまたがった所為なのか、女のスカートは脚の付け根に近い部分まで裂けてしまっていて、白い太腿がチラチラと見えた。眼鏡男が喜色満面になったのはそのためだった。


「おい、スピード合わせろよ」


 眼鏡と無個性は顔をだらしなく緩ませた。初老男はやれやれといった表情で眉をしかめたが、それでもしっかり薄目で見ている。

 その眼が、驚いたようにかっと開かれた。あの女は、と呻く。


「どーしました、旦那?」

「ガードレールに寄せろ」

「なんでです?」


 初老男の声に含まれた緊張感も、今の眼鏡には伝わらなかった。


「エロガキめ、いいから早くしねえか!」

「へいへ――いッ!?」


 遅かった。既に車とガードレールの間にバイク女が入り込んでいた。ドアノブがつかまれる音がして、次の瞬間にはドアが丸ごともぎ取られる。


「大丈夫ですか、スヴァル?」


 月光を背に微笑むその女が誰かなんて、【僕 / 私】はカメラの映像を見た時点でわかっていた。


「――シスター・ラティーナ!?」


 シスターは左手で【僕 / 私】の襟首をつかみ、座席から引きずり出した。そのまま持ち上げる。【僕 / 私】は大昔の蕎麦屋に出前される蕎麦のような状態になった。吸血人らしい怪力さと器用さだ。

 それと同時にシスターは急ブレーキをかける。車とバイクの距離があっという間に開く。スピードが完全に死ぬ前に、シスターはバイクをターンさせた。そのまま来た道を全力で戻り始める。


「よいしょっと」


 【僕 / 私】はシスターの後ろではなく、太腿の間にすとんと落とされた。そのまま腿で固定される。


「――何もされませんでしたか、スヴァル?」

「シスター、どうして……?」

「おや、そんなおかしなことをしましたか?」


 サイドミラーにあの白い車が映った。


「飛ばしますよ、スヴァル」


 法定速度を鼻で笑いつつ、バイクと車がカーチェイスを開始する。


「シスター、あの……」

「大丈夫ですスヴァル。昼型生活になってから全く乗ってませんでしたが、整備は定期的にしてますから」

「バイクの心配じゃなくて!」

「目の前にスマホ、あるでしょう。かけてもらえますか」


 ハンドルの間にあるホルダーからスマホを取り出す。いつでも通話が始められる状態で待機してあった。


『シスター、上手くいったのか?』


 通話開始と同時にがなり立てたのはガリリアーノ刑事だった。


「刑事さん?」

『ああガキか? 上手くいったみたいだな』

「まだ追われてます」とシスター。「国道13号線をロンドン方面に進行中です。以上」

『そのまま進んでくれ。幸運を祈る。オーバー』

「あ――ま、待って!」

『ああん?』

「もういいです、シスターも、刑事さんも! あいつらは【僕 / 私】を殺したいんだ、【僕 / 私】が死ねば丸く収まる……」

『なに言ってんだ、おまえは?』

「……スヴァル?」


 あの男達が言ったことを、【僕 / 私】は話した。


「……【僕 / 私】のせいでみんな死んだ! 宿舎がやられたのも、刑事さんの恋人が死にそうになったのも、元凶は【僕 / 私】だ! 2人が【僕 / 私】を助ける義理、ないんですよ!」

『でも、おまえが戦ってくれたから、俺のハニーは助かったんだ』

「え……」

『今はこれだけしか言えねえ。もう切るぞ』


 スマホの画面が回線の遮断を伝えてきた。

 どうしよう。

 車はなおも追跡をやめない。それどころかだんだん車間距離が狭まっている。やっぱり整備不良でしたかね、とシスターが呟く。

 駄目だ。これでまた【僕 / 私】のせいでシスターや刑事さんが犠牲になるなんて絶対に止めなくては。


「もういいですシスター、【僕 / 私】を置いて逃げてください!」

「――『丸く収める』って、そんなに大事ですか?」

「え?」

楽しそうな(元気がない)ところ申し訳ないですが、話は後で。これから本気を出すので、舌を噛みますよ」


 黙れというようにシスターは身体全体で【僕 / 私】を押さえつけ、スロットルを噴かす。バイクの速度が上昇し、後方の車影が小さくなっていく。


 その時、後方で何かが弾けたような音がした。背中に衝撃。シスターがぐふ、と呻いて背を反らせる。撃たれた、と理解したときに2度目の衝撃がきた。バイクがバランスを崩す。直線道路を斜めに横切り、道路脇にある森が視界いっぱいに広がった。




 月明かりだけで踏破するには、その森はあまりにも深かった。

 どこをどう歩いたか――歩いているのかまるでわからない。奥へ一方向に進んでいるはずだが、もしかしたらUターンしているかもしれない。同じ所をグルグル回っているような気もする。


 スマホがバイクと一緒に大破したのは痛かった。現在地点を調べるどころか、刑事さんと連絡を取ることもできない。

 傷ついたシスターに肩を貸しながら、【僕 / 私】は途方に暮れる。


 姉の声は聞こえていた。だがその示す方向はコロコロと変わる。姉も迷っている。――いや、違う。【僕 / 私】の歩みが遅いせいで追手と出会わずに進めるルートが変動するからだ。


 シスターを置いていけ、と姉が何度も囁く。だが何度言われたって、【僕 / 私】にその選択はない。


「大丈夫ですか、シスター?」


 【僕 / 私】は荒い息をつくシスターに声をかけた。


「……はい。足も動くようになってきました」


 バイクから投げ出された時にはありえない角度に曲がっていた右足は、もうほとんどまっすぐになっている。それでもまだ1人で歩くのは無理そうだ。


「やっぱり、おぶりますよ」

「いえ……肩を貸してくれるだけで充分です。すみませんスヴァル、助けに来たのに」

「…………」


 【僕 / 私】がさっさと死んでいれば、と思わずにはいられない。だが忌々しいことに【僕 / 私】自身は多少傷や打撲があるだけでほとんど無傷だ。シスターがクッションになってくれたおかげだ。


「お、おかしいですね……撃たれたところ、出血が止まらない……」


 シスターの背中には2発分の銃創ができている。映画やドラマじゃ何発撃たれても都合よく当たらないものなのに、現実は非情にも全弾命中だった。


 ぐほ、とシスターが何かを吐いた。鉄錆くさい臭いが漂う。


「シスター!?」

「……問題ないです、おかまいなく」


 問題ないはずがなかった。【僕 / 私】を受け止めたときに内臓の1つ2つ潰れていてもおかしくない。


「そうだ、【僕 / 私】の血を飲みますか?」

「雑食人から直接血を吸うのは犯罪ですよ」

「非常時は別なんでしょう。それにあれだけスピード違反しておいて今更何を」


 そうでしたね、免停になったらどうしましょう、とシスターは力ない笑みを浮かべた。


「でも、気持ちはありがたいのですが、そもそも血を飲んだからってすぐに傷が治ったりしませんよ。吸血人にとって雑食人の血はあくまで栄養補給飲料であって、薬や魔法の水じゃないんですから」

「…………」


 【僕 / 私】は迷惑をかけるばかりで何の役にも立たないのか。


――すーちゃん。


 どんなに拒否しても姉はあきらめない。シスターを捨てて逃げる、それ以外の方策を提示してくれない。


 『おまえ』は誰なんだ。いや、何なんだ? 【僕 / 私】は心の中で声に問いかける。姉がそんなことを言うはずがない。そんなことを言う奴が、【僕 / 私】の姉さんであるはずがない。


「……やっぱり、ちょっとだけいただきましょうか」

「え?」


 シスターは【僕 / 私】の頬で乾きかけた血を舐め取った。


「はい、おかげで、元気になりま、した」


 【僕 / 私】の頬は赤くなっていただろう。こんな時でも【僕 / 私】は自分のことしか考えていない、そのみっともなさに気づいたからだ。そんな【僕 / 私】をシスターは、傷だらけの身にもかかわらず気づかってくれたのだった。


「……それは……よかったです」


 だから【僕 / 私】は、精一杯の笑顔を作って返した。シスターも微笑む。けれど、すぐに真面目な顔になって、こう言った。


「スヴァル、わたしを置いて逃げなさい。あなた1人ならまだ身軽でしょう」


 姉の声に喜色が混じったような気がした。ほら本人もこう言ってることだし――とでも言いたげだ。黙れ。【僕 / 私】は生まれて初めて姉に殺意を抱いた。


「【僕 / 私】1人で逃げたとして、シスターはどうするんですか」

「……隠れます」


 嘘だ。長い付き合いだからわかる。その嘘にだけは付き合ってあげられない。


「シスターが逃げて、【僕 / 私】があいつらの前に出て行けばいい。あいつらの狙いは【僕 / 私】なんだ」

「まあ、どうしてそんなことを言うんですか、スヴァル?」

「シスターこそ、どうして【僕 / 私】なんかのためにそこまでするの? それもカーミーラ様の教えだからですか?」


 【僕 / 私】は吸血人じゃない。生まれついてのVK人でもない。カマイラ教の信徒でもない。


「野暮なことを言わないの」


 シスターは空いた手で【僕 / 私】の頬を撫でた。


「それは、あなたがわたしを気づかうのと同じ理由ですよ。でも、それでもあなたは行くべきです。わたしを置いて」

「…………ッ」

「優しい子。でも優しさの使い方が間違っている。彼等の暴虐に屈することは、あなたの自己犠牲で救われるよりも、巡り巡ってもっと多くの人を不幸にします。――よく言うでしょう、『悪人を許すのは善人を害するに等しい』と。だからあなたは、ここで死んではいけないのです」


 その時、がさがさと草むらを乱暴にかきわける音がした。こっちに近づいてくる。【僕 / 私】達2人は思わず息を止めた。頼むから野生動物――それも小さいもの――であってくれと願う。


 祈りは虚しく、【僕 / 私】達の前に現れたのは、あの3人組だった。


「もう暴れる余裕はなさそうですね」


 初老男がシスターを見て満足げな笑みを浮かべる。


「……あなた達、わたしに何をしたんですか」

「怪我が治らないのが不思議ですか? 銀が吸血人の回復を阻害するのは御存知でしょう。あなたに撃ち込んだのは銀の弾丸、それも特殊なものです」

「特殊……?」

「先の大戦で開発されたものでね。吸血人の回復を阻害するだけでなく、毒を付与し傷口を壊死させてしまうんですよ」


 君たち雑食人が発明したものだよああ恐ろしい、と初老は【僕 / 私】に顔を向けて言った。そして再びシスターに視線を戻す。健康な雑食人より手負いの吸血人の方が危険だからだ。


「私も前線でくらったことがありますから、痛みはお察しします。適切な処置をしないと死にますよ。早く病院に行ったらいかがですかな。もちろんそのお子さんは置いておいて」

「ガァァァァァァ!!」


 シスターが咆哮した。吸血人は威嚇の際、人相が人間のそれから肉食獣じみたものになる。今がそうだった。犬歯が伸び、口が大きく開かれる。喉から絞り出される声は完全にライオンのそれだ。【僕 / 私】の位置からは見えないが、瞳孔は縦筋1本になっているだろう。初めて見た時は心臓が止まるかと思ったものだ。


 けれど初老の男は眉1つ動かさなかった。


「美人が台無しですよ」


 そういって、無造作に引き金を引く。シスターが後ろに吹き飛んだ。【僕 / 私】もそれに引きずられて倒れる。


「シス……」


 雲が流れ、月明かりが【僕 / 私】達のいる場所を照らす。シスターの頭は半分なかった。


 もったいねえ、と眼鏡が呻く。


「……なんで」


 【僕 / 私】の声は滑稽なほど震えている。


「なんで【僕 / 私】を撃たなかった! あんたらが殺したいのは【僕 / 私】で、この人じゃないだろう!」

「あの様子じゃ、どうせ君を撃った後に撃つことになっただろうからね。可愛い子供の死を見ずに済ませてあげたのだから、むしろ慈悲深いと思ってもらいたいな」

「よく……よくぬけぬけと……!」

「心配しなくても、ちゃんと君も殺してあげるから」


 初老が銃口を向ける姿が滲んで見えた。ぐにゃりと歪んだ視界の中で、何かが激しく揺れ動く。


「ぐあっ!?」

「…………?」


 涙を拭う。クリアになった視界に初老の男はいなかった。周囲を見回すと、はるか左手に木に背を預けてぐったりとへたり込んだ初老の男らしき人影があった。


「誰だ!」無個性な男が叫ぶ。


 【僕 / 私】から見て右手、すらりとした影がそこにあった。影は名乗った。高らかに。


「我が名はラマイカ・ヴァンデリョス。ヴァンデリョス伯爵家の者だ」


 男達は黙った。

 ラマイカさんの背後の茂みががさごそと揺れ、ガリリアーノ刑事が顔を出す。


「そこまでだ! 動くなよ、主人の力を自分のものと勘違いした犬ども! 随分好き勝手やってくれたが、伯爵家に喧嘩を売っても、おまえらの主人がおまえらを守ってくれるとは思わないこったな!」


 刑事さんは凄んだが、身体のあちこちに葉っぱや枝が引っかかっていて、あまり決まっているとは言えなかった。


 男達は両手を挙げた。ここでラマイカさんに勝ったとしても、今度は自分達が伯爵家に狙われることを理解したのだ。彼等の手に、ラマイカさんが吸血人用の手錠をはめていく。


「すみませんね【若旦那 / お嬢様】、警察の仕事をやらせちまって」

「市民の義務です、おかまいなく。その代わり」


 へい、と刑事さんは【僕 / 私】に近寄ってきた。


「おいガキ、だいじょう――」


 ぶ、と刑事さんは足を止めた。く、と喉を鳴らす。ひざまずいて祈りを捧げるように指を組み、そして【僕 / 私】の頭に手を乗せ、震える声で言った。


「……ごめんな」


 【僕 / 私】は泣いた。



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