第08話『陰謀の牙』
「元気にしていましたか、スヴァル?」
拘置所の面会室、穴の空いた透明なガラスの向こうに、シスター・ラティーナが座っている。彼女が微笑んで手を振ってくれた瞬間、恥ずかしい話だけど、【僕 / 私】は泣き出してしまっていた。
現在、【僕 / 私】は警察によって拘留されている。兵器の無断使用というのが表向きの理由だ。
それでも成し遂げたことは英雄的行為といっていいし、【僕 / 私】は模範的な囚人としても振舞った。待遇に不満を並べることもなければ取り調べにも協力的で、嘘偽りなく予断も推測もない事実のみを答えた。もちろん、姉の声に関しては黙秘したが。
だからそう長くないうちに釈放される――上手くいけば表彰ものだ、なんて気楽に考えていた。
しかしそうはならなかった。
あの事件には不審な点が多いらしい。だがテロリスト達は全員重傷で会話もままならない。そこで、【僕 / 私】は数少ない重要参考人の1人として留めおかれた。
最初こそ「マスコミに囲まれるよりは塀に囲まれた方がマシだ」だなんてうそぶく余裕もあったけど、毎日毎日同じことを訊かれ同じことを答え続ける日々に、【僕 / 私】は早々に音を上げてしまった。
「大丈夫ですよスヴァル、警察も軍隊も別にあなたが憎くてそうしているわけじゃないでしょうから」
「だといいんですけどね……」
口喧嘩した勢いで戦うことになりました、と言った時の彼等の顔を思い出す。憎まれてはいなくともバカにはされているだろう。
一週間ぶりに見るシスターは、もうすっかり包帯も取れて元気そうだった。右腕はまだギプスをしていたが、もうほとんど治っていて、明日病院に行って取ってもらう予定だと彼女は言った。吸血人の回復力は凄まじい。
「皆はどうしてますか?」
「あなたのおかげで、皆そこそこ悪くない状態です。ただ、今まで通りとは行かなくなりましたが」
「……ですよね」
「子供達は各地の施設に引き取られることになりました。流石に皆同じ所というわけにもいかず、離れ離れになってしまいますが、事件を早く忘れるためにはむしろその方がいいのかもしれません」
シスターは目を伏せた。
「伊久那は? 目を覚ましましたか?」
「ええ、伊久那さんもあれからすぐに目を覚ましましたよ。彼女も転院することになりました」
「転院……? わざわざ? 早くありませんか、あんな重傷だったのに?」
「今回のことで、他の入院患者さん達から……その……」
【僕 / 私】はそれ以上訊かないことにした。内容次第では【僕 / 私】自身がテロリストになってしまうかもしれない。
「皆の行き先はメモしてあります。スヴァルもいつか会いに行くといいでしょう。きっと彼等も嫌ではないでしょうから」
「シスターは?」
「わたしは教会本部に戻ります。あなたがここを出てからの受け入れ先を手配することが、この街で私がする最後の仕事になるでしょう」
陰鬱な空気が場を支配した。皆を助けるために戦ったつもりだった。なのに結果はこれか。今までの暮らしはもう帰ってこない。もちろん何もしなければ命さえ奪われていたのだから、それに比べればマシだ。それはわかっている。でもあれだけ危険な目に遭って、死ななかっただけの勝利なんて虚しすぎる。
結局、テロリストが最初の引き金を引いた時点で【僕 / 私】は負けていたのだ。
「スヴァル……」
シスターは悲しそうな目をした。【僕 / 私】は急いで話題を変える。
「と――ところで、【僕 / 私】のことは世間じゃどう報道されてます? やっぱりヒーロー扱いですかね? 出所してから自伝なんか書いたら売れるかな! テレビや動画サイトで引っ張りだこになって――」
「何も」
【僕 / 私】の気遣いを察してか、シスターはニッコリと微笑んでくれた。それはいい。ただ台詞の内容はいただけない。
「何もって――」
「あなたのことは、全く、何ひとつ、これっぽっちも、報道されていません」
「はあ!?」
本当に、死ななかっただけの勝利だった。
【僕 / 私】の決死の戦いは、【僕 / 私】を英雄にすらしてくれなかったのだ。
「入るぜ」
背後のドアが開いた。顔を出したのは、もはやすっかり顔なじみになった、柄の悪い中年刑事だった。
「なんですか刑事さん、面会の邪魔しないで下さいよ。取り調べにはちゃんと応じてるでしょう」
「そうじゃねえよ。おっ、別嬪さんだな」
「シスター・ラティーナと申します。スヴァル・カリヴァの保護者をやっております」
「移民保護局の方ですね。いやあ、俺も何年か前にイタリアから来たんですが、あんたみたいな美人に世話してもらいたかったですよ。あ、俺はガリリアーノ・クルスコです。由緒正しいマフィアの倅でしたが、ヘマして郷里を追い出され、何故かお国の犬になってるドジな野郎でさァ」
「……それで何の用なんですか」
刑事の奴はそのままシスターを口説きはじめそうな勢いだ。【僕 / 私】はその前に割って入る。それでも続けるようならここを出た後クレームを入れてやる。
「あー、なんだ、おまえ、釈放だ」
「は?」
「そういうわけだから、さっさと荷物受け取って出ていけ。あ、シスターはゆっくりしていただいてかまいませんよ。なんでしたら夕食一緒にいかがですか。あ、シスターには朝食かな?」
「……ちょっと」
どういうことですか、と詰め寄った【僕 / 私】をガリリアーノ刑事はぐいと引き寄せた。シスターに聞こえないように囁く。
「同じ移民として忠告しといてやるが、おまえ、ここを出たらできるだけ遠くで暮らせ」
「えっ?」
「ヤバい連中に目をつけられちまってるぜ、おまえ」
「じゃあ保護してくださいよ。警察でしょう?」
刑事さんは悲しげに首を横に振った。
「昨日、どうしてもおまえを引き取りたいという奴等が押しかけてきてな。断ったら、自分達は貴族の使いだ、刃向かうとロクな目に遭わねえぞってな感じで脅しをかけてきやがった。ウチのアホ署長、奴等の名刺見ただけで全面降伏しやがったよ」
「そんな……」
「俺にできたのは、頼むから明日まで待ってくれって頭を下げることくらいだったぜ」
そう言って刑事さんは忌々しそうに煙草を吹かした。どうでもいいがここは禁煙である。
「この国はまだ封建的階級制度がのさばってる。雑食人でも歳を取るほど融通利かなくなるもんだ。100年200年と生きてる連中が、昨日まで奴隷や家畜みたいに扱ってた相手と今日から対等に生きていきましょうって言われて対応できると思うか?」
「…………」
「今の社会を支えてるのはそんな連中だ。警察も軍隊も貴族様には逆らえないんだよ」
「いやその、テロリストに復讐されるならまだしも、なんで貴族が……?」
「さあな、こっちが聞きてえよ」
「そもそも貴族ってどこの誰です?」
「名刺を見たのは署長だけでな。どこかは教えてくれなかった。睨まれたくなかったら余計なことは知るなってよ」
「…………」
「あとおまえの住んでたところを襲ったテロリストな、それまで活動記録が全くないんだよ」
「えっ……? どういうことですか?」
刑事さんはちょっと考えて、「いや、さっきのは忘れてくれ」と言った。
出所手続きは実にスムーズに、というかいい加減に行われた。これが他人事であれば怠慢ぶりを非難したくなっただろうが、自分の身に危険が迫っていると聞けば話は別だ。むしろおざなりでも書類手続きをせねばならないお役所仕事こそ糾弾したい気持ちだった。
全ての手続きが終わった頃、外はオレンジ色に染まっていた。
「間に合ったかな。この時間帯ならまだ吸血野郎どもは動きやしないだろう」
【僕 / 私】の側で【僕 / 私】以上に苛々していたガリリアーノ刑事がホッとしたように言った。ただし、表情は渋い。遮光ローブ、あるいはWG――吸血人だって太陽の下を歩く手段がないわけではないのだ。
「いいか。この危機を乗り越えられたらこれを忘れるな。『貴族に逆らうな、貴族に関わるな、貴族に目をつけられるな』だ。わかったな?」
「…………」
「おい、どうした、ガキ?」
気がつくと【僕 / 私】の足は止まっていた。数歩先の位置で刑事さんが苛立った声をあげる。
「刑事さん、思ったんですけど、【僕 / 私】を逃がしたら刑事さん達がやばいんじゃ――」
「うるせえよ。ガキが余計な気を回すな」
「でも」
このまま逃げていいのだろうか。もちろん、自分の身の安全は大事だ。だけど宿舎がテロに遭ったとき、【僕 / 私】は自分だけ無傷だったことに強い罪悪感をおぼえずにいられなかった。そんな【僕 / 私】が、ガリリアーノ刑事や、下手をすればここの人達全員を犠牲にして助かったとして、その先平気で生きていけるのか。
刑事さんはやれやれと肩をすくめた。
「……あの病院な、うちのハニーが入院してたんだよ」
「ハ……?」
そういうことだ、と刑事さんは乱暴に【僕 / 私】の腕をつかんでひきずるように歩き出した。
ロビーに到着。シスター・ラティーナが【僕 / 私】を見つけて駆け寄る。
だが。
遮光ローブ姿の吸血人が3人、強引に割り込んできた。3人とも平凡な顔つきだったが、突き飛ばしたシスターに一瞥もくれないのを見れば警戒すべき相手なのは一目瞭然だった。
「これは警部殿。この警察署は随分と仕事が早いようで素晴らしいですな」
中央にいる初老の男が言った。
「スヴァル・カリヴァ君だね。我々と来てもらおうか」
「あいにくとまだ用がある。渡せませんねぇ」
「おや、どう見ても用は済んだ風に見えますが?」
脇にいた眼鏡の男は問答などする必要もないとばかりに【僕 / 私】の腕を引っ張った。
その腕を刑事さんがつかむ。眼鏡の吸血人は不快そうに目を細めた。
「何をする?」
「そいつにはまだ用があるって言ってんだろ。邪魔すんならしょっ引く――」
刑事さんが悲鳴をあげた。眼鏡男が彼の腕を捻りあげたからだ。
「て、てめえ、公務執行妨害かよ……!」
「吠えるなよ木っ端警官。雑食人に何ができる。交通整理だけやってろ」
「てめえらこそ、飼い主に甘えて好き放題してると、そのうち愛想尽かされて保健所に送られるぜ」
「ご忠告痛み入るよ、お巡りさん」
「あなた達、その子に何を……!」
「シスターは来ないで!」
シスターが追いすがろうとするのを【僕 / 私】は制した。
「でもスヴァル……」
「あー、ちょっと用があるだけですから。シスターは先に帰っててください」
「物わかりの良い子で助かる」初老の吸血人が言った。
外は綺麗な夕焼けに染まっていた。
3人の吸血人に引っ張られて、【僕 / 私】は白い車に押し込められた。窓がなくボンネットに仰々しいカメラアイがどんと載った吸血人仕様の、どこにでもあるような平凡な車種だ。黒塗りの高級車とかじゃないんだな、と呑気な感想を抱く。
眼鏡男が運転席に乗り込みエンジンをスタートすれば、フロントモニターにカメラの映像が表示された。
車は走り出す。初老と、もう1人の無個性な男は暑苦しくてたまらないというように遮光ローブを脱いだ。
「さて」助手席から初老男が【僕 / 私】を振り返って言った。「どこか行きたい場所はあるかね」
「いえ、別に」
気の利いた返しをしたかったが、これといって思い浮かばなかったのが悔しい。
「……それって、好きなところで死なせてやるって意味ですか」
「本当に君は物わかりがいい。殺すのは残念だ」
「【僕 / 私】が殺される理由を訊いても?」
「聞いてどうする」眼鏡でも初老でもない、無個性な3人目の男が言った。「どうせ死ぬのに」
「……成仏できる」
【僕 / 私】のこの発言は初老の男にウケた。
「成仏か、ハハ! いいだろう、教えてあげようじゃないか。いいかい、この国で人は平等ではない。王族があり、貴族がいて、支配される平民が存在する」
「食われる家畜もな」眼鏡が口を挟む。
「君はある貴族を怒らせた。君に落ち度はないが、まあ強いて言えばそこに存在したこと自体が罪だった」
「そんな無茶苦茶な……! いったい、【僕 / 私】の何がその貴族を怒らせたっていうんです!?」
「――ラマイカ・ヴァンデリョス」
「は?」
「君が【彼 / 彼女】に見初められたからだよ」
ラマイカ・ヴァンデリョス。ドーンレイ・ヴァンデリョス伯爵の【長男 / 三女】である。数年前に婚約者を亡くして以来、【彼 / 彼女】は次の婚約を拒み続けていた。
父親の我慢も限界を迎えた時には既に遅し。伯爵家以上の地位をもつ【男性 / 女性】には既に誰かしら相手が決まっていて、元々ラマイカさんが「かわいくない」性格だったのもあって貰い手がつかなかったのだ。
【息子 / 末娘】の政略結婚に失敗したヴァンデリョス伯爵は自分よりも格下の貴族を結婚相手の範囲に含めるしかなかった。
そこで5人の男爵が名乗りを上げた。彼等にしてみれば玉の輿なのだから、それはもう熾烈な争奪戦が繰り広げられたという。既に5人のうち1人が原因不明の死を迎え、1人が自らリタイヤしている。
そんな中、ラマイカさんは【僕 / 私】に――刈羽昴に血婚を申し込んだ。
「……いや、待ってくださいよ。それがなんだっていうんです?」
血婚と結婚はしばしば混同されるし、血婚関係にある2人がそのまま結婚関係でもあるケースは少なくない。それでもやはり厳密には別制度だ。吸血人のカップルがそれぞれ別の雑食人と血婚契約を結んでも、とやかく言われる筋合いはないはずである。
「平民ならそれでいいのだろう。だが貴族様というのはその辺違った感覚を持っていらっしゃるのだよ」
「血を吸われるだけの相手でも、浮気相手とみなされるってわけですか」
「加えて、ちゃんとした血統を持つのならまだしも、どこの馬の骨とも知れぬ奴を血婚相手に選ぶのは体裁の悪いことだ。そんな配偶者をもった相手にとってもな」
「……だから、殺してしまえ、と?」
「そうだ。自分の所為で君が死んだとなれば、いい加減あの【きかん坊 / じゃじゃ馬姫】も御自身の立場というものを理解してくださるだろうさ」
その時、刑事さんの台詞を思い出した。
――おまえの住んでたところを襲ったテロリストな、それまで活動記録が全くないんだよ。
「まさか、テロリストはブラフで、宿舎が狙われたのも【僕 / 私】を……【僕 / 私】1人を殺すため……?」
「我々の飼い主じゃないが、その可能性は高いな」
「……じゃあ、病院が襲われたのだって……」
テロリストの攻撃対象になるとなれば、吸血人は血液目的以外で雑食人に近づかなくなるだろう。その中でも最初に狙われた【僕 / 私】達は雑食人からも忌み嫌われる存在になる。事実あの時病院のロビーではそれに近いことが言われていたじゃないか。
つまり、【僕 / 私】を追い詰めるために病院は襲われた。『テロリスト』がノロノロしていたのは、そもそもが脅しだったから――あるいは彼等も内心では彼等の主人の命令に従いたくなかったから?
【僕 / 私】は刑事さんに心の中で謝った。あの人は【僕 / 私】を恩人と思って我が身を省みず助けようとしてくれたけど、そもそも【僕 / 私】こそが彼の大切な人を危機に陥れた張本人だったのだ。
「どうかね、成仏できそうか?」
初老の男がにんまりと笑った。




