第6話『ムラサキ・サザーランド』~後篇~
「助けてくださってありがとうございます」
振り返ると、少女が深々と頭を下げていた。
少し紫がかった黒髪は腰辺りで切り揃えられ、日差しを受けて輝いている。
「私はこの村の住人で、ムラサキ・サザーランドと言います。あなたはこの村の人ではありませんよね? 何故この村に来たのですか?」
「ボクはピルグリム・クレイグ。ちょっとした用事で、隣のディナンス村から来てるんだ。ムラサキって不思議な名前だけど、何か由来でもあるのかい?」
「……故郷の言葉です」
ムラサキが自分の胸に手を当てて、柔らかい微笑を浮かべる。
「私の髪のような色を指す言葉で、気高さの象徴なのだそうです。信じて頂けないかもしれませんが、実在する言葉なんですよ? 私の家には証拠となる本もあって、私の家系では代々その本の記述から名前を――」
「信じるよ」
不安げなムラサキの言葉を途中で制止させた。
「ジパングの話ならボクも信じる。いや、信じたいんだ。悪魔に支配された大地の果てに、誰も知らない国が広がっているなんて夢がある話だからね」
ボクしか知りえないことなのが残念だが、ムラサキ自身が日本実在の何よりの証拠なのだ。
あまり重要とは言えない情報だけど、嬉しく思う。
同郷の身としては、彼女の夢をぜひとも後押ししてあげたい。
「無関係な人たちの言葉なんて、気にしちゃいけないよ。いつかきっと、悪魔を倒して故郷に帰ることができるさ。ボクが保証する」
「ありがとう、ございます……」
ムラサキがブリオーの袖で涙を拭き、物憂げに空を見上げた。
ボクも転生したての頃は元の世界を懐かしむことが度々あったので、帰ることのできない故郷を想う彼女の心境はよくわかる。
「ムラサキはジパングについて、どんな話を聞いてるの?」
「えっと、例えば格闘術についてですね、オンミョドーという武術があったらしくて……」
それからしばらくの間、ムラサキと二人並んで物置に背中を預け、お互いのことを話し合った。
ボクは自分が無属性であること、そのせいで晶壁や強化しか習得できなかったこと、アシュリンという幼馴染がいることを教え、ムラサキは行商人の末裔であること、一族がこの村に根付いてまだ間もないこと、それが理由で同い年の子たちからイジメられていることを教えてくれた。
基本的に人との会話が得意でないボクが、初対面からこれほど饒舌になれた相手は初めてだ。相手が日系人だからというのもあるが、きっと人としての相性が良いのだろう。もしかすると、パラレルワールドにおける血縁者なのかもしれない。
「グリムくんのおかげで希望が湧いてきました、ありがとうございます。何だかあなたとは……何でも話し合える気がするのです」
「ああ、ボクもさ。何となく君とは、長い付き合いになる気がするよ」
「それでは私たちの間で、隠しごとはなしにしましょう」
少女がクスッと笑い、漆黒の杖を取り出した。
そしてボクの隙を突くように、「水の理――開放」と詠唱。
杖の先からしずくが溢れ、ボクの頬を濡らした。
「えっ? ど、どうして突然魔術を?」
「頬のやけどを治しました。これが私の専門とする、後援魔術です」
頬に触れてみてぎょっとした。やけど痕のざらざらする感触がない。
数日前に負ったやけどが、痕も残さず治癒されている。
「私の専門は教えましたよ、今度はグリムくんが教える番です」
「えっ……さ、さっき無属性だと言っただろ? 専門なんてないよ」
「私は専門分野の関係で、魔術の解析が得意なんです。先ほどの槍は、魔術によって創り出したものでしょう? どれだけ本物そっくりに創っても、マナの気配は消せません。見る人が見ればすぐにわかります」
……盲点だった。
アシュリン以外の人の前で使用したことはほとんどないので、そんな点から気付かれるなんて思いもしなかった。これからはもっと注意しなければならない。むしろ、初めて指摘されたのがムラサキだったことに感謝すべきだろう。
「秘密にすると約束してくれる?」
「もちろんです、決して誰にも言いませんよ」
――特別扱いの怖さを知っているこの子になら、話しても良いだろう。
ムラサキのことを信頼し、ボクは創造魔術について打ち明けた。
更に少々ぼかしながら、自分が転生した存在であることも説明する。
「……信じがたい話ですね。あなたが別の世界の人間で、しかも一度死んでから甦っているだなんて」
「まぁ信じられなくて当然だよ、変な話をしてごめんね」
「す、すみません、勘違いしないでください。あなたを疑っているわけではないのです、むしろ納得しています。異世界から転生して、万物を創造する力が備わる……まるで、異世界の技術をこちらに持ち込めと言わんばかりの境遇ですね……」
ぶつぶつと何かをつぶやきながら考え込むムラサキ。
十二歳とは思えないほど理解が早く、詳しい説明をせずとも簡単に察してくれる。
やはり、初めて打ち明ける相手が彼女で正解だった。
「一度私に、そのジュウキというものを見せて頂けますか?」
ボクはパパッと、自動小銃『M1カービン』を創造してみせた。
ムラサキが興味深げにボクの手のカービンを観察し、撫でるように触りまくり、感触を確かめながら、うん、うんと何度もうなずく。
「これに似たものを見たことがあると言ったら、グリムくんは驚きますか?」
「え?」
思わず硬直する。
「今、何て?」
「実はこの村の近くに、ジュウキと似たものが落ちているんです。もし時間があるのでしたら私が場所まで案内しますけど、どうしますか?」
「もちろん付いていくよ!」
断る理由などなかった。
この世界に銃器が存在するなんて、とても信じられない。
自分の目で見て、真偽を確かめなくては。
「じゃあ早速出発しましょう。今から行けば、夕暮れ前には帰ってこられるはずです」
「それなら好都合だ」
と言って立ち上がろうとした時、ボクはふと気付く。
自分が今、とても重大な用事を忘れていたことに――。
「やっと見つけた……よくも私を置いていったわね、ピッグ!」
視線を上げると、物置の屋根から見下ろすアシュリンと目が合った。
ブリオーから薄手の下着がもろに見えたけれど体温は急低下。
血液の温度が一気に氷点下まで達する。
アシュリンは屋根から華麗に着地し、真っ赤なツインテールをかき上げ、フンと鼻息を一つ漏らした。
その身には首飾りやら布袋やら、的当て屋で獲得したであろう景品を多数身につけている。あと頭の上に青いフクロウが乗っている。本当に全部景品を獲ってきたんだ。その技術もさることながら、何より執念が恐ろしい。
「ア、ア、アシュリン、ごご、ごめんよ、ちょっとこの子と仲良くなって、つ、つい話し込んじゃって、それで」
「へえ。ご主人様が誇りのために戦っている間、アンタは下心丸出しで女の子を口説いていたってわけ? 再教育が必要なようね、このエロ豚」
「ちょ、ちょっと待ってよ。ほら、ミルク! 君の好きなミルクを取りに行ってたんだ、的当ては喉が渇くと思って! ほら、ね?」
肩を怒らせて迫りくるアシュリンに、ミルクの瓶を差し出した。
しかしアシュリンはふくれっ面をやめない。
「ミルク取りに行って何で女の子と仲良くなるのよ……あんなに頑張ったのに、見ててくれないなんて……絶対ゆるさないんだから!」
「ご、誤解です!」
杖を構えたアシュリンの前にムラサキが飛び出した。
「グリムくんは乱暴されていた私を助けてくれたのです、きっとあなたにミルクを持ち帰る途中だったのだと思います!」
「そ、そうなの? それじゃあ、ちょっと、怒れないけど……」
アシュリンが申し訳なさそうに、ムラサキを見つめる。
流石のアシュリンも、か弱い女の子には強く迫れないらしい。
助かった。何とか命拾いできた。
「それじゃあ、どこかに行こうとしてたのは? さっき少し聞こえたんだけど」
「え? いや、それは……」
ムラサキがもじもじとボクの顔色を窺う。
転生のことを話していないアシュリンに、どう説明したら良いものか。
テンパったムラサキは目を逸らしながら告げる。
「な、内緒の理由で……誰も訪れない森の中へ、二人で」
アシュリンの顔がボッと茹でダコみたいに赤くなった。
あっ、ダメだこれ、完全に逆効果だ。
「バ、バカグリムーーーーーーッ!」
「誤解だぁーーー!」
ボクが火弾を四発喰らったところで、何とかムラサキが事情を説明し終え、アシュリンの機嫌は直った。ボクは死んだ。
◆
ムラサキに案内されるまま、『巨人族の庭』の奥へ奥へと歩いていく。
一本の一本の木が太く、木の生える間隔も大きなこの森を進んでいると、巨人の世界に迷い込んでしまったような気持ちになっていく。ディナンス村近くの森とは全く異質だ。ボクの隣ではアシュリンが、珍しく不安げな表情を浮かべている。
「ね、ねえ、ムラサキ……本当にこの森、入って大丈夫なの?」
「安心してください、アシュリンさん」
ボクらの先を行くムラサキは、杖を構えたまま微笑む。
「実は何カ所の木に私は自分のマナをマーキングしてあるんです。それをたどっていけば決して迷うことはありませんし、この辺りでは悪魔と遭遇したなんて話も聞きませんから」
「マ、マナのことには私も気付いてたけど……」
アシュリンは言いよどんだ。
盗賊のことを口にしようとして、やめたのだろう。
いくら友人が相手でも、村人たちに秘密のことを漏らすわけにはいかない。
「見えてきましたよ、グリムくん」
ムラサキに言われて前方を見やり、ボクは思わず息を飲んだ。
こんな光景、生前も転生後も、今まで見たことがない。
「凄い……」
事情を知らないはずのアシュリンも、そう一言を漏らした。
それも当然だろう。
魔術の存在するこの世界の住人でさえ、その光景は神秘的だと思わざるを得ない。
「これがグリムくんに見せたかったもの、木と混ざり合ったジュウキです」
巨木の幹から鋼鉄が顔を出している。
錆びだらけのキャタピラ、深緑の苔が茂った砲身、穴の空いた装甲が幹から飛び出していて、まるで母胎から外の世界へ出ようとして、途中で力尽きたかのようだ。内部を貫いたわけでも、表面が覆われた訳でもなく、その鋼鉄は明らかに、樹木と融合していた。どれだけ観察しても、全く原理が理解できない。
しかし、確信を持って言えることが一つだけある。
木と融合したその鋼鉄の正体は――九七式中戦車チハ。
第二次世界大戦の際、日本軍の主力として活躍した実在の戦車に間違いなかった。
⇒第7話『覚悟』




