第6話『ムラサキ・サザーランド』~前篇~
リトリート村に到着すると、ボクとアシュリンはアーティスさんから夕暮れまで村を見学しておくよう指示された。
これからの予定について、村長同士で話し合うようだ。
「私たちは除者ってわけね」
「子どもが話し合いに参加してもややこしくなるだけさ、運が良かったと思ってのんびりしよう」
村の中央の広場に行くと、大勢の村人たちが集まり、みんなで楽しそうに歌ったり踊ったりしていた。
広場の一角には木製のテーブルに大きなミルク粥の鍋とガチョウの丸焼きが置かれ、村人たちが料理を立ち食いしながら雑談に興じている。また別の一角では、即席の屋台で魔術による的当てゲームが開かれていて、大変な賑わいを見せている。
「呆れた。村の一大事だというのに、収穫祭は開かれるのね」
アシュリンが楽しそうな村人たちを眺めて嘆息した。
「収穫祭は村人たちの活力さ。中止すれば誰も働かなくなって、それこそ村の存続が危ぶまれるよ」
日頃の疲れを癒すために、収穫作業後に行われるのが収穫祭だ。
この行事はリトリート村だけではなく、ボクらの住むディナンス村や他の村でも一様に設けられている。娯楽の少ないこの世界にとって、普段の仕事を忘れて楽しめる祭りは全土共通の息抜きなのだろう。村人たちの様子からして、一部の魔術師以外には馬車が行方不明になったこと自体、秘密にされていると見て間違いない。
「事件のことを知らないからなんでしょうけど、釈然としないわ。今まさしく命懸けの作戦が練られているというのに、あんなにバカ騒ぎしちゃって」
「夕方まで退屈しなくて済みそうだし、良いじゃないか。今日くらいは祭りを楽しもうよ。ほら、的当ての屋台があるよ、あんなのウチの村じゃ見られないよね」
アシュリンの機嫌をとろうと、的当ての屋台を指差した。
コンクリの塀を背に、藁で作られたカカシが横一列に植えられていて、10mほど離れた場所に設けられた簡素な横長の屋台から、何人かがカカシに向かって魔術を行使している。
練習用の杖で魔術を放ち、どれだけカカシを傷つけられるか競う遊びらしい。
大人子どもが入り混じり、屋台から身を乗り出して杖を構える様子は、元の世界の射的屋の光景にそっくりだ。
「ぷぷっ、粗末な遊び。何の抵抗もしないカカシと戦って何が面白いの? あんな遊びに熱くなるのはお子ちゃまだけね」
「いや、練習用の杖を使用してかつ魔法陣の形成は禁止だから、見た目よりずっと難しいと思うよ。正確に魔術を放てる腕前が必要だろうね」
「おーい、そこのお兄さんとお嬢ちゃん、的当てやっていかないか?」
近くで話していたら、屋台の店主に声をかけられた。
アシュリンが無視して、踵を返そうとする。
「もし的の頭だけを正確に破壊できたら、世にも珍しいしゃべるフクロウをあげちゃうよ? ほら、どうだいお兄さん。そちらのご機嫌ナナメな妹さんも大喜び間違いなしさ!」
「妹……?」
アシュリンが足を止めた。
ボクはこれまでの経験から事態を察し、アシュリンと店主、両方から距離をとる。
「今、私のこと、あのバカの妹だって……言った?」
「い、言ったけど? ま、間違ってたかい? お嬢ちゃん背が小さいから、てっきり兄妹かと思ったんだ、ごめんね」
「大、まち、がい」
アシュリンは氷の微笑を浮かべ、店主に詰め寄った。
口が三日月形につり上がっているのに、目は全く笑っていない。
怖すぎる。近寄りがたいというか、近寄りたくない。
「私の方があのバカ豚よりも三か月も早く生まれてるっつうのォーーーッ! マクラッケン家の誇りにかけて、この店の景品は全部丸ごと一切合切かっさらってあげるわ! 覚悟するのね!」
「そんなものに家の誇りをかけるなよ……」
アシュリンに聞こえないよう、少し離れた所でつぶやいた。
アシュリンは未だに身長が全然伸びないことを酷く気にしている。ボクの妹のようだとか小さくて可愛いだとか、身長について言及された日には、好物のミルクを口にしない限り機嫌は直らない。
的当て屋の店主には申し訳ないが、怒りの矛先がカカシへ向いている内に、どこかでミルクを分けてもらうとしよう。
粗末な遊びに熱くなるお子ちゃまに背を向けて、ボクは中央広場を後にした。
それからしばらくして、ミルク入りの瓶を片手に広場へ向かっている途中、村外れで嫌な光景を目にしてしまった。
「このウソ吹き野郎め、鬱陶しいんだよお前」
「おら、さっさと立てよ。オレたちが一から鍛え直してやるぜ」
畑へと続くあぜ道で、三人の男の子が何かを取り囲んでいる。
ボクは放っておけず、男の子たちの元へ歩み寄った。
よく見ると、地面にうずくまっているのは長い黒髪の少女。
髪はカラスの濡れ羽のような艶があり、肌が少し浅黒く、その顔立ちは何だか懐かしい気持ちを思い起こさせた。それも当然――少女の容貌は他の村人と異質で、明らかに日系の顔立ちをしているのだから。
「まさか、日本人なのか?」
バレないよう物置の陰に隠れ、更に注意深く観察してみた。
「私は……ウソなど吐いていません」
少女はふらつきながらも立ち上がった。
泥まみれの姿からも、容姿の麗しさは伝わってくる。身長がすらりと高く、ブリオーから覗く四肢は乱暴に触れれば壊れてしまいそうなほど華奢な一方、胸は非常に豊満だった。ただ、顔立ちにはまだ幼さが残っていて、ボクやアシュリンと同年代に思われる。
「私の故郷は本当に、東の果てにあるのです……今は悪魔のせいで旅することはかないませんが、いつか必ずこの目で確認してみせます。黄金の国、ジパングを」
「まだ言うのか、このウソ吐きムラサキ!」
男の子の一人が杖を手にし、少女へと向ける。
「そんなに信じて欲しいなら実力で論破してみろよ。お前にオレと魔術で戦う度胸があればの話だけどな」
「魔術をそんなことのために使わないでください」
少女は気丈な態度で、男の子の要求を一蹴する。
「言葉で私をなじる分には問題ありません。しかし、魔術は弱者が強者に立ち向かうために生み出されたものです。弱者を嬲るために使うなんて、間違っています」
自分の意志を示すがごとく、少女が両腕を広げ、目をつぶった。
外見とは裏腹に、性格はなかなか勇ましい。
「私は決して反撃しないので、気の済むまで攻撃してください」
「う、うるせえ! 気持ち悪いんだよ、お前!」
少女の思わぬ行動に焦ったのか、男の子の一人が勢いにまかせ、少女に火の魔術を放った。
放つと同時に「あっ」と声をあげ、自分の過ちを悟ったようだが、手遅れだ。
少女の胸元へ拳大の火が――。
「そこまでだ」
ボクは少女の前に飛び出し、右手を火にかざした。
その状態で手のひらに魔力を集中――表面に薄い魔力の膜を張るイメージで、小型の晶壁を形成する。
火は晶壁に触れると同時に、軌道が逸れて近くの泥へと突っ込んだ。
そしてじゅうっと激しい音をたて、呆気なく鎮火した。
「へ……? な、何だ今の……お前、今何やった? というかお前誰だよ!」
自分の魔術を片手で防がれ、男の子が怯えながらボクに問いかける。
どうやら晶壁を見るのは初めてらしい。
ボクはわざと不敵に微笑してみせ、手のひらを男の子に見せつけた。
「ただの旅芸人さ。得意な芸は、右手でどんな魔術をも無効化することだよ」
「晶壁……初めて、見ました」
背後で少女がぼそりとつぶやく。
男の子たちがボクの言葉に動揺する中、少女だけは事態を分析できているらしい。
もちろん、魔術を無効化する右手なんてウソっぱちだ。
「一人相手に魔術まで使って暴行するなんて、同じ男として見過ごせないな」
「う、うるさい! お前には関係ないだろ、あっち行ってろ!」
威嚇のつもりか、男の子が再び火の魔術を放った。
更には他の二人も一緒になって、ボクへの魔術攻撃を始めた。
だがどれも遅い。
ボクは悠々と右手を盾として、全ての魔術を無効化していく。
『性質の異なったマナ同士は反発し合う』――魔学の基礎知識の一つだ。
そんな特徴を利用したのが、この『晶壁』。悪魔に魔術が効かない原理を参考に生み出された防衛魔術で、マナを高めることで身体能力を向上させる『強化』同様、習得にはかなり精密なマナの制御が不可欠となる。
晶壁も強化も本来は魔導士向けの魔術なので、目の前の男の子たちが知らないのは無理もない。
一般的な魔術師にとっては、習得にかかる時間の割にメリットが少ないので、大抵は後回しとなるのだ。
子どもで使えるのは、無属性なせいで発展型の魔術から学び始めなければならなかったボクだけだろう。
実戦で使えるようになるまで二年もかかったが、そのおかげで魔力の制御はかなり上達した。
今のボクなら、術式も乗せていない素の魔術など、いくらでも弾き飛ばせる。
「まだやるかい?」
闇雲に魔術を使い続け、男の子たちは三人揃って地面に崩れ落ちた。
みんな呼吸が荒い。
その一方で、攻撃されていたボクの方は落ち着いている。
普段アシュリンの相手をしているボクにとって、この程度の魔術師はミルクの瓶をかばいながらでも楽勝だ。
「こ……こいつ……本当に何なんだ……」
「こんな奴も……こんな魔法も……見たことないぞ」
「だから、言っただろ?」
懐に手を入れ、小さく「長槍――創造」と詠唱した。
何もないはずのマントから極大の槍を取り出し、大袈裟に振り回す。
ついでに、男の子たちの前髪をほんの少しだけカットしてあげた。
「ただの旅芸人さ」
効果てきめん。
地面を転がるように、男の子たちは悲鳴をあげながら逃げていった。
少々やり過ぎた気もするが、これで彼らもきっとイジメをやめてくれるだろう。




