第4話『アシュリン・マクラッケン』後篇
悲鳴を聞いて全身の皮膚があわ立った。
すかさずアシュリンのそばへ寄り、短剣を構える。
周囲の木々に注意を払いつつ、思考をフル回転させ、何が起きたかを考えた。
――旅人がゴブリンに襲われたか?
いや、こんな時間の森をうろつくアホな旅人などいるわけがない。
それじゃあ村の方からの悲鳴か? いや、それこそ不自然だろう。
村の入り口にはきちんと警備が敷かれていて、抜け道を知るボクのような子ども以外、出入りできるわけがないんだ――。
「子ども……?」
ふと、昨日の講義後に男の子たちが話していたことを思い出した。
彼らはみんなで「魔術を覚えたから森に行き放題だな」と、得意げに話していた。
憧れの魔術を学んで昂ぶっていたことも想像にかたくない。
もし彼らが悪魔を侮り、子どもたちだけで森へ入ったとすれば――
「グリム、あっち! 火の魔術の気配がする!」
アシュリンがボクの手を引いて走り出す。
森の中に踏み入り、しばらく走り続けると、見えてきたのは案の定の光景。
男の子4人が2体のゴブリンに挟まれ、殺されかけている場面だった。
「な、何で魔術が効かないんだよぉ……」
男の子たちはみんな揃って、涙目で杖を構えている。
だが杖から放出する火も、水も、風も、土も、ゴブリンは意にも介さない。
猿のような甲高い笑い声をあげるばかりだった。
それも当然。悪魔は世界樹から溢れ出したマナそのものであり、魔術もまたマナが元となっている。同じエネルギーを媒体としているのだから、魔術で悪魔を傷つけるにはそれ相応の威力が必要なのだ。
ボクやアシュリンはアーティスさんの口から、その事実を何度も聞かされてきた。たとえ相手が下級の悪魔と言えど、何の工夫もなしに正面から戦いを挑むことはしない。
魔術への異常な耐性の高さこそ、悪魔の最も厄介な特徴の一つなのである。
「ゴブリンだって歴とした悪魔なのに……本当バカなんだから!」
ボクとアシュリンは走る速度を上げた。
――間に合え! 心の中で祈りながら、木々の間を走り抜ける。
その間にゴブリンの一体が、岩石の棍棒を高々と振り上げた――。
「鉄の盾――創造!」
寸前でボクが間に割って入り、盾で棍棒を受け流した。
あまりの衝撃で、盾は一瞬で消滅してしまう。
直撃してれば骨折は確実だった。
「爆発を以て――我が力と為す!」
そして隙だらけのゴブリンに、アシュリンが魔術を叩き込む。
ゴブリンは爆風に吹き飛ばされ、悲鳴をあげながら逃げていった。
「いってて……援護ありがとう、アシュリン」
シビれた腕をさすりつつ、ボクはアシュリンと並び立った。
アシュリンがツンとした顔でボクを睨みつける。
「その魔術、秘密にしときたいんじゃなかったの?」
「あはは……緊急事態だからね。誰かを守る時には迷わず戦うって、決めてるんだ」
そう言って右手を突き出し、脳裏に鋭い刃を思い浮かべた。
「長剣――創造」
ボクは創造した剣を、アシュリンは杖を構え、残りのゴブリンと対峙した。
仲間がやられたことで、ゴブリンは明らかに警戒を強めている。
先ほどのような闇雲の攻撃はきっと通用しない。
「グ、グリム……」
男の子たちが驚愕した様子でボクの背中を見つめていた。
何故ここにいるのか――何故助けてくれるのか――ボクの使う魔術は何なのか。
聞きたいことはたくさんあるだろう。
しかし今は、答える暇などない。
「ねえ、アシュリン。さっきの魔術、まだ使える?」
「悔しいけど、爆発はもう無理ね……さっき無駄撃ちするんじゃなかったわ」
ゴブリンは仲間をやられて怒り狂っている。
剣で斬られたくらいで、退散するとは思えない。
爆発のように、強力な炎を生み出せたら良いのだが……。
「……ねえアシュリン、単なる火の魔術なら使える?」
「フン、当然よ。アイツを焼き尽くすくらい目じゃないわ」
「それじゃあ、1、2の、3で奴に火をおみまいしてくれ。それできっと倒せる」
ボクは敢えてゴブリンの間合いに入るよう、前に踏み出した。
右手で剣を持ったまま、頭の中である物を思い浮かべ、左手で創造していく。
ありったけの魔力――その全てを込めて。
「……創造完了。さぁ来い化物、少し早めの朝食を喰らわせてやる!」
ボクが剣を構えて挑発すると、ゴブリンは突撃してきた。
「1!」
――まだだ、まだ早い。
ゴブリンが棍棒を振りかぶる。
「2の!」
――あと少し、もっと引きつけてから。
棍棒がボクに向かって、横薙ぎに振るわれる。
「3!」
――――今だ!
ボクは横跳びで棍棒を回避し、左手の中身をゴブリンへ投げつけた。
左手から放たれた黒い粉が、ゴブリンの全身に付着する。
そしてそこに、アシュリンの炎が放たれる。
「火の理――開放!」
その炎は人の頭くらいの大きさで、大して激しいものではなかった。
しかしゴブリンに触れた瞬間、瞬く間に燃え上がり、全身を包み込んだ。
ボクが創造したのは銃弾の火薬。
現在のボクは一種類ずつしか創造することができない。それは逆に言えば、銃弾そのものは創造できなくても、火薬だけなら問題なく創造できるということだ。
その特徴を活かして、ボクは弾薬の中身だけを創造し、火薬から魔力が抜ける前に着火させた。火薬の燃焼速度は、実に秒速200m以上。全身に浴びた状態で炎に触れれば、たとえそれがどんなに弱々しい火でも、火だるまになって当然だ。
咄嗟の思いつきで半ば賭けに近かったが、作戦は見事にハマった。
「グリム、今のうちに!」
「わかってるさ」
ボクは右手の長剣を振りかぶった。
ゴブリンは炎上したまま膝を突き、悲痛な叫び声をあげている。
だが、この程度の火ではトドメをさせない。
今のうちに、首を斬り落とさなければならない。
「……ごめんね」
ボクは覚悟を決めて剣を振り落とした。
ゴブリンは首を失うと、まるで水が蒸発していくみたいに、肉片一つ残さず消滅した。
◆
その後、他の子どもたちが全員怪我で動けないので、ボクとアシュリンで村に助けを呼びに行くことになった。
男の子たちは別れ際に、心から申し訳なさそうな顔でボクに謝罪して、二度とボクのことをバカにしないことと、ボクの魔術について秘密にすることを約束してくれた。
もちろんボクは笑顔で許した。
これがきっかけで彼らとの仲が深まったのなら、むしろ嬉しい。
争わず、競わず、仲良くできるのがボクにとっては一番だ。
「それで……何でボクはアシュリンを背負ってるわけ?」
ボクはアシュリンをおんぶして山道を下っていた。
アシュリンはボクの背中の上で、鼻歌交じりに語る。
「私は魔力切れで動けないの。アンタが運ばなくて、どうやって村に帰るのよ」
「じゃあ怪我したあの子たちと一緒に、残ってれば良かったんじゃない? もう悪魔も寄ってこないだろうしさ」
「そしたら私も森に行ってたことがバレちゃうでしょ? 悪いけど今回の件に、私は何も関わってませんからね。グリムがお父様に事情を説明してる間に、私はベッドで眠りにつかせてもらうわ。怒られるのは男たちだけ十分よ」
「女の子ってきったねえっ!」
ボクの素の絶叫が朝の山にこだまする。
村の方から、ほのかに朝日が差し込み始めていた。
「ねえ、グリム……聞いて欲しいことがあるの」
ボクの首にきゅっと手を回し、アシュリンがそっと囁く。
「私はね、お父様を傷つけた悪魔に勝てるくらい、強くなりたいの。でも田舎のこの村では、私やグリムほど真剣に魔術の勉強をする人なんて、ほとんどいないじゃない?」
「うん、そうだね」
「だ、だからね! 私にとって……アンタはそ、その……」
「その?」
アシュリンはボクの背中をぽこぽこ殴って怒り気味に言った。
「グリムは凄く支えになったって言ってんのよ! 察しなさいよバカ!」
「……そういうことだったのか」
何か大きな目標を抱く時、ライバルの存在が大きな支えになる。
しかしアシュリンのライバルになり得るのは、ボク以外いなかったのだ。
最近ボクに強く当たっていたのも、ボクを競争相手として意識していたから、なのかもしれない。
不器用なアシュリンらしいなと思い、ちょっと笑ってしまった。
「グリムという競争相手がいたからこそ、私は毎日の練習を頑張れた。これからもアンタとは、そういう関係でいたいの……だから、だから、あのね……」
アシュリンがもごもごと言いよどんだ。
言い出しにくいなら、続きは代わりに言ってあげよう。
「じゃあ、これからは一緒に練習して、お互いの魔術を高め合っていこうよ。競合するばかりが、ライバルじゃないよね。こういうライバル関係も、ありなんじゃない?」
「……ふぇ?」
あっ、固まっちゃったな。
不意を突かれると何も言い返せなくなるのは、彼女の昔からの癖だ。
アシュリンの表情を確認するために振り向こうとした。
しかしその瞬間、アシュリンに思い切り頭を叩かれて拒絶された。
隕石でも当たったように頭が痛む。
どんな腕力だよ……。
「ぴ、ピッグのくせに生意気なのよ! 何が一緒に練習しようよ、練習してくださいでしょ!? わ、私はアンタのご主人様なんだからね! えらいんだからね!」
「ああ、そうですね。わかりましたよ、ご主人様」
「ちょ、ちょっと、何笑ってるわけ? 何がおかしいのよ! 私はご主人様なのに……ちょっと! 笑うのやめなさいったら! こ、このアホブターーー!」
アシュリンの怒声が、まるで雄鶏の鳴き声のように、朝焼けの森へ響き渡った。
こうしてボクは、転生してから初めての……。
いや、生まれてから、祖父以外で初めての親友を得た。
そしてとてもとても久しぶりに、心の底から、大きな声で笑った。




