第4話『アシュリン・マクラッケン』前篇
魔術の講義を受けた次の日の早朝、ボクは普段通り森に訪れた。
暗がりの山道を歩き、冷たい空気を吸い込んでいく。
そしてぼんやりと、昨日のことを思い返す。
何度やっても魔術が発動しないので、結局ボクだけ無属性扱いとなった。
ホール内が騒然とする中、アーティスさんが酷く慌てていたのが印象深い。
「こんなのは初めてだ」
「ありえない」
「道具の故障だろう」
などと言ってボクに謝罪するアーティスさんに、ボクは自分のことを気にせず、講義を先に進めるよう促した。
その結果、周囲の子どもたちが系統別に講義を受けるのを、一人見学することになった。
少し寂しくもあったが、どこかで納得している自分もいた。
ボクはこれまで大人たちの魔術を観察し続けてきたので、今日習ったことも事前にある程度は理解していた。時にはこっそり杖を拝借して、実際に呪文を唱えてみたり、魔法陣を描こうとしたことだってある。だが成功したことは一度もない。
てっきり魔力の不足が原因かと思っていたが、昨日の一件でようやく納得した。
ボクには何故か、基本的な魔術の素養が一切備わっていないんだ。
ボクが使える魔術は『創造』のみなのである。
「そりゃそうだよな……農作業中も陽の呼吸を続けたり、毎日朝練したり、必死に練習してきたんだ。これで魔力が不足って、流石にあり得ないって」
アーティスさんによれば、むしろ魔力の量は同年代の数十倍だという。
四属性以外の魔術は問題なく学べるので、大して落ち込む必要もないらしい。
まぁ「創造に集中しろ」という天からのメッセージだとでも思って、気にしないでおこう。
「短剣――創造」
慣れた手つきで短剣を創造し、ボクはいつも通り素振りを始めた。
創造物の形を維持するには魔力を消費する。
素振りをしているだけでも、魔力のコントロールの特訓に繋がるのだ。
「1! 2! 3! 4!」
掛け声と共に剣を振る。振る。振る――。
「5! 6! 7! 8!」
「7、8、5、4」
「3! 2! 1! ……へ?」
掛け声に少女の声が混じっていることに気付き、ボクは周囲を見渡した。
見ると木の枝に、赤い髪の少女が座っている。
「ふーん、それがアンタの本当の力ってわけね。やっぱりウソ吐いてたんだ」
少女は枝から飛び降りて優雅に着地する。
真っ赤なツインテールとマントがふわりと浮き上がった。
少女の正体はボクの幼馴染――アシュリン・マクラッケンだった。
「ア、アシュリン……どうして、こんな所に」
「アンタが毎朝森に行ってることくらい前から気付いてたわよ、バカブタ。まぁ私以外にはバレてないみたいだけどね……ふふっ、どうしようかな」
ネコのような目を細め、アシュリンは口角をつり上げる。
その可愛らしい笑顔が、今のボクには悪鬼の面にしか見えなかった。
「た、頼むアシュリン、このことは秘密にしてくれ! 騙してたことは謝るから!」
ボクは深々と頭を下げた。
ずっと秘密にし続けて、ようやく創造が上手くいくようになったんだ。
ここで周囲にバレて、根掘り葉掘り質問攻めに遭うことは避けたい。
「……別にそれは良いわよ。グリフォンは爪を隠す、って言うしね」
アシュリンはハァと嘆息した。
「私が納得いかないのは昨日のことよ。どうしてアンタは昨日、他の奴らに笑われたのに黙ってたわけ? 今使ってる力を見せつけてやれば良かったじゃない」
「へ……? 昨日、笑われて……? ああ、――」
アシュリンに言われて初めて思い出した。
マナーホールから帰る時、他の子どもたちがボクを「無属性」と呼んで嘲笑していたのだ。
しかし彼らは十才の子ども。
同い年に一人だけ無属性がいれば、からかいたくなるのも仕方ないので、ボクは大人しく苦笑を返したのだった。
「別に、笑いたい人には笑わせておけばいいさ」
「な、何よ、それ……」
アシュリンが不服そうに顔をしかめる。
「アンタ自分の異常さに気付いてる? どんなに天才の魔術師だってその魔術は四系統を基本にしてる……創造の魔術なんて前代未聞よ」
「あっ、やっぱり珍しいのか、創造の魔術って」
異常なことには気付いていたけど、使用者が他にいないとは思わなかった。
よく考えたら魔道具もいらず、たった一言で発動できるし、本当に謎の多い力だ。
「それにお父様に聞いたけど……アンタの魔力量、大人と同じレベルなんだって?」
「まぁ、昔からこっそり特訓してきたからね」
「わ、私だって頑張ってたわよ! 私だって他の奴らより五倍はあるのに……その十倍って……ああっ、もうっ、ムカつくー!」
アシュリンが悔しそうに両手をバタバタさせて、ボクに向き直った。
「と、とにかく……悔しくないなわけ? アンタは他の奴らと比べ物にならないくらい強いじゃない。自分より格下の奴に笑われてるのに、どうしてアンタは黙りっぱなしなの?」
「だからって、自分が格上であることを示そうとしたら、やっていることは彼らと変わらないさ。自分が他の人たちより格上か格下かなんて、大した問題じゃない」
言いつつ、ボクは転生前の学校での生活を思い出した。
容姿やファッション、対話力、運動能力、学力……。
転生前の世界では、あらゆる面で他の生徒と競争せざるを得なかった。
格下と認定されると、イジメに遭ったり、冷たい視線を向けられたり、社会的弱者として扱われたり、総じて悲惨な結果となる。だから一層競争を強いられる。そうした暮らしに耐え切れず、ボクはリタイアしてしまった。
転生後の世界で、同じことを繰り返したくはない。
「ハァ……まったく。グリム、ちょっと見てなさい」
アシュリンがマントから杖を取り出し、昨日アーティスさんがしていたように、魔力で魔法陣を描いていく。その手つきは美しく、洗練されていて、気の遠くなるような鍛錬を積んでいることが窺えた。
「アシュリン、いつの間に魔術の練習を……」
「誰かさんと同じで特訓してたのよ。私の夢は誰よりも強い魔術師になること……アンタも相当高度な魔術を使うみたいだけど、負けるわけにはいかないわ」
魔法陣を描き終えると同時に、アシュリンは力強く詠唱する。
「火の理――開放! 爆発を以て我が力と為す!」
魔法陣が花火のように炸裂した。
静まりかえった早朝の森に、爆音がこだまする。
昨日アーティスさんが使ってみせたほど激しくはないが、その代わり、どこか美しさを感じさせる魔術だった。
「グリム、認めてあげるわ」
詠唱を終えたアシュリンは、ボクに杖を突きつけて言った。
「アンタは私の最大のライバルよ。アンタと私、どちらが真の一番なのか勝負しなさい。これは命令なんだからね。ご主人様に従いなさい、ピッグ」
さも当然のことのように語るアシュリン。
穏やかな朝に不釣り合いなほど好戦的な彼女の様子に、ボクは心底呆れた。
「お断りだよ、ご主人様」
「そうそう、それで良いのよ。ピッグは私の言うことに従っておけば良いんだか――ひぇっ!? わ、私に逆らうって言うの!? ピピ、ピッグのくせに!?」
アシュリンは心底びっくりしたのか、その場にずっこけた。
アシュリンへ手を差し出しながらボクは語る。
「アシュリン、ボクと競い合うなんて、バカな考えはやめてくれ」
「お、同い年に優秀な魔術師が二人いるのよ!? どっちが一番か白黒つけたくなるのは当然じゃない! どうして嫌がるのよ、理由を答えなさいよ!」
「この村が大好きだからだよ」
「い、意味わかんないわよ! このバカブタ! ブタ! 死んじゃえ!」
ボ拒絶されたのが余程ショックなのか、アシュリンは涙目だった。
甘えん坊で泣き虫なところは、昔から全然変わらない。
「この村では村人たち全員が協力して暮らしているよね。争ったり、競ったり、出し抜いたりしなくても、幸せに暮らしていける。この村の人たちは、周囲を蹴落として自分だけが幸せになろうだなんて、だれも思っていない」
「そ、そんなの当たり前じゃない。誰かが手を抜いたら村全体に迷惑がかかっちゃうもの。みんなで協力しなくちゃ生きてなんかいけないわ」
「うん、そうだね。でも世の中……そんなに上手くいってばかりじゃない」
転生前の学生時代を思い出しながら、諭すように語る。
「人より上位に行けば幸せになれるけど、順位が下がれば苦しくなるばかり……成功する人がいる一方で、脱落していく人も大勢いる。そういう国だって、世の中にはあるんじゃないかな」
その脱落者こそ、他でもないボクだ。
別に生前の世界を否定するわけじゃない。
自分が弱かっただけだと自覚もしている。
しかし――
「誰かと競合しなくても幸せに暮らせるなら、それが一番良い。平穏っていうのは、何にも代えがたい幸せなんだ。アシュリン、君はこの村で守られてきた平穏に、わざわざ土をつけるつもりなのか?」
「ち、ちがう! わ、私、は――」
アシュリンが大きく首を横に振り、赤いツインテールが揺れる。
「ボクより上へ立つことに、それほど意味があるのかい? そんなにも君は、ボクのことが気に入らな――」
「わからずやのバカグリム! ちがうって言ってるじゃない!」
思わぬアシュリンの怒声に遮られた。
その声から感じられたのは、普段の対抗心とはまた異なる、苛烈な怒気。
アシュリンは何故か、気恥ずかしそうに頬を上気させ、自分の杖を胸に抱いたまま、ボクを見つめ続ける。
「グリム、わ、私……本当はね……」
「うわああああァァァ!? だ、誰か助けてぇぇぇ!」
その時、すぐ近くから悲鳴が聞こえてきた。




