第3話『魔学(まがく)』
薄暗い森の中で深呼吸をする。
日の出前の冷たい空気を肺へ取り込むと、眠気の抜けきっていなかった頭が冴え渡り、全身の神経が研ぎ澄まされた。
そして陽の呼吸。
アーティスさんに習ってから五年間、意識的に毎日続けてきたおかげでスムーズに実践できるようになった呼吸法により、ボクは体内の魔力を高めていく。
「長剣――創造」
右手を前に突き出し、頭の中のイメージをしっかり固め、一気に創造した。
右手が閃光に包まれ、手のうちに現れたのはイメージ通りの剣。
剣は思い切り振っても、木に叩きつけても、決して壊れない。
創造は大成功だ。
「単純な鉄の創造はもう完璧だね」
そう言って、剣から手を離した。
ボクの手から離れるとすぐに、剣は光の粒子となって、跡形もなく消えた。
創造に成功しても、魔力の供給を絶てば簡単に壊れてしまう。
これまでの修行で気付いた、重要な特徴の一つだ。
次にイメージするのは銃弾。
祖父に触らせてもらったことがあるので、構造は十分に把握している。
代表的な銃弾は大まかに言えば、弾頭、火薬、薬莢、そして雷管から構成されている。
厄介なのは雷管だ。
雷管には非常に微量の起爆薬を収めなければならず、注意深く創造せざるをえない。
ボクは呼吸を止め、力強く詠唱した。
「弾薬――創造!」
右手から光がほとばしる。
手の中に、徐々に小さな、光輝く何かが形成されていく。
成功を確信し、ボクは咄嗟に左手でガッツポーズをした。
「成功し――――ぎゃあああっ!?」
右手の中の物が炎上してボクはずっこけた。
慌てて右手を地面にこすりつけて火を消すと、そこに銃弾の姿はなく、焼け残った真っ黒な火薬が散らばっているだけだった。
確認するまでもない。
創造は失敗だ。
「いちちっ……やっぱり、まだ一種類ずつしか創造できないのか……」
五才の頃から特訓を続けて早五年。
毎朝、村の皆が目を覚ます前に森へ入り、こうして秘密の訓練を続けてきたが、未だに銃器の創造は成功していなかった。
正確に言えば、銃弾の創造に苦戦している。
剣のように、柄さえ省けば鉄だけで構成されているモノの創造は安定してきた一方で、複数の物質が組み合わさったモノの創造は全然上手くいかない。
たとえ銃器が手元にあったとしても、銃弾がなければモデルガンと同じだ。
モチベーションを保つために、銃器の前に銃弾の創造を成功させようと、ボクは心に固く決めていた。
「まだまだ先は長そうだな……」
一つ嘆息して空を見上げた。
既に、ほんの少し朝日が滲んできている。
あと三十分もしたら、日の出となるだろう。
「まぁ何にせよ、ようやく十才になったんだ。これからは堂々と魔術が習える」
今まで大人の見よう見まねで特訓を続けてきたが、遂に今日から、十才となった子どもたちに向けて魔術の講義が始まる。魔術を習えば、ボクの力だってもっとコントロールが効くようになるかもしれない。想像しただけでわくわくしてしまう。
――ゴォーン、ゴォーン。
その時、村の方から鐘の音が聞こえてきた。
「ヤバい、ぼーっとし過ぎた!」
立ち上がって服の泥を落とし、慌てて走り出す。
今鳴っているのは、一日の始まりを告げる鐘の音。
村人たちが起床して仕事を始める合図だった。
◆
ボクの暮らしているディナンス村には一際目立つ建物があった。
それは領主が住むための屋敷、マナーハウス。
基本的に村人の住まいは、塗り壁で作られた質素な家がほとんどだけれど、マナーハウスは頑丈な石造りの建物となっている。その上、宴を行うためのホールが用意されているなど、広さも他とはけた違いだ。領主が村に訪れるのは非常に稀なので、平常時には、マナーハウスを公共の空間として利用することが認められていた。
そんなマナーハウスのホールに、今日はたくさんの子どもたちが集まっている。
三つの長机に、礼儀正しく着席するボクと同い年の子どもたち。
狭い村なので、ボクを含めて十人、全員顔馴染みだ。
全員きちんと横一列に整列し、これから行われる講義を待ち焦がれていた。
「ねえ、グリム。アンタ、今日の朝どこ行ってたのよ」
隣の席の少女にしゃべりかけられた。
少女は夕焼けのように美しい真紅の髪をツインテールにまとめ、ワンピース状の真っ白なチュニック(ブリオーというらしい)、漆黒のマントを身に着けており、釣り上がった両目でボクを睨みつけている。
ボクが仕えているマクラッケン家の長女、アシュリンだ。
「ちょっと早く目が覚めたから、散歩に出掛けていただけだよ。気にしないでくれ」
「怪しい……その目、ウソついてるでしょ?」
アシュリンは不服そうに眉を吊り上げた。
「ピッグのくせにご主人様にウソつくなんて良い度胸ね。私には全部お見通しなんだから」
「う、ウソじゃないって。というかその呼び名はやめてくれよ、恥ずかしい」
「召使いのアンタなんて豚で十分よ、フン」
――Pilgrimでピッグって……最悪すぎる略称だろ。
そっぽを向いたアシュリンを見つめ、ボクはため息をついた。
昔はボクにべったりだったのに、最近やけに冷たく当たってくる。思春期――いや反抗期って奴なのかもしれない。生まれた時からアシュリンの世話をしていた手前、何だか妹に嫌われてしまったような気分だ。
小さい頃のアシュリン、世話がかかったけど可愛かったなぁ……。
「みんな集まったようだね」
マントを着た赤い短髪の男性がホールへ入ってきた。
ボクの雇用主にして村一番の魔術師、アーティスさんはボクら子どもを一瞥すると、にっこり微笑んで語り出した。
「君たちに集まってもらったのは他でもない。魔学の基礎を学んでもらうためだ。これから一年間かけて、君たちには基本的な魔術を扱えるようになってもらう」
アーティスさんが指で宙をなぞると、まるで暗闇でサイリウムを振ったように、赤い軌跡が残っていく。
その軌跡をチョークのように使いながら、講義が始まった。
「そもそも、魔学の『魔』とは何を意味するのか教えよう。
これは世界に満ちる生命エネルギー、マナのことだ。魔力とも呼ばれるこのエネルギーは動植物を始め、水や炎、大気、大地に至るまで、この世の万物に宿っている。
そして現在私がマナで文字を描いているように、マナは訓練により自在に操作可能となる。
そのマナの扱い方を探求していく奥深き学問こそ、これから君たちの学ぶ『魔学』なんだ」
アーティスさんは自分が言ったことを書き残しつつ、マントから一本の杖を取り出した。
その杖はラモーナさんの物と異なり、子どもの身の丈ほどの大きさがあった。
「魔学が生まれたのは今から二五〇〇年ほど前と言われている。そしてその歴史は、悪魔の出没と時期を同じくしているそうだ。さて、魔学の誕生と悪魔の出現、この二つの時期が近いことから、どんなことが考察できるかな? 手をあげて君たちの意見を聞かせて欲しい」
――なるほど、やはりそういうことか。
ずっと抱えてきた一つの疑念が確信に変わり、ボクは挙手をしようと構えた。
「むっ……」
隣のアシュリンがボクより素早く手を挙げる。
更に、アーティスさんを睨んで、自分を当てるよう無言の圧力をかけた。
アーティスさんはやれやれと言った顔でアシュリンを指名した。
村一番の魔術師も、実の娘には頭が上がらない。
「悪魔に対抗するために生み出された手段こそ、魔術だということですか?」
「その通り、半分正解だ」
「えっ、半分?」
アシュリンが驚いたように目を丸くする。
「さてピルグリムくん、残り半分、君は何だと思う?」
アーティスさんはボクを杖で指し、ウインクをした。
流石はアーティスさん。ボクの考えもすっかりお見通しのようだ。
「悪魔とはその名の通り、マナの扱いに長けた有害生物のことです。悪魔の出現と魔術の誕生が時期を同じくしているということは、人間は悪魔の技術を参考にして、魔学を構築させていったのではないでしょうか」
元の世界とこの世界との関係性を考察する上で、ボクは悪魔の存在が重要だと思っている。
要はパラレルワールドだ。
つまり、元の世界との根本的な違いは悪魔が出現したか否かという点であり、その他の違いは後から付随したものなのではないか――ということである。
「あるいは、その時期にマナが世界に大量発生したのかもしれませんね。マナが増えたことがきっかけで、悪魔と魔術、その両方が同時に誕生した。そして同じ力を持つ者同士、領土争いが始まった。こういう筋書きも考えられるかと」
「見事だ、グリムくん。まず魔術が悪魔に対抗するために作られたこと、これは間違いない。どういう経緯でその技術が構築されていったかは不明だが、プロセスが悪魔のそれに近いことから、悪魔を参考にしたという説が最有力とされている」
「そもそもさぁ、悪魔って一体何なんだ?」
ボクの座る机の一番端の男の子が、訝しげな顔で尋ねた。
「普通の動物と何が違うんだよ。山でゴブリンを見かけたことあるけど、あんなの旅芸人の連れてる猿と変わらないじゃん。わざわざ魔術なんて覚えなくても、斧で倒せるんじゃない?」
「確かにゴブリンのような下級の悪魔は、普通の動物との違いがわかりにくいね……悪魔についてはまた今度教えるつもりだったが、一番重要なポイントだけ教えておこう」
アーティスさんは指でぐるりと円を一つ描いた。
「この円が我々の住む世界だと思ってくれ。今のままでは中身が空っぽで、すぐに崩壊してしまう。この世界の裏側に存在し、マナを供給することで支えているのが――世界樹ユグドラシル。膨大なマナの塊で、この世の森羅万象を司る伝説の大樹だ」
円の内側に、アーティスさんの指が一本の大樹を描きあげた。
更に、その大樹から無数の根っこが伸びて、円の内部を満たしていく。
「このように世界樹は、世界のあらゆる場所へ根付き、マナを放出している。我々が生きていられるのも、新たな生命が誕生するのも、全ては世界樹のおかげなんだ。しかし時に世界樹は、その膨大なマナによって邪悪な存在も生み出してしまう」
内部から喰い破るように、根っこの一部が円の外側へ突き出した。
「世界樹のマナが凝固して、自我を宿し、こちらの世界へ溢れ出した存在こそ悪魔の正体なんだ。『姿形をもつ自然現象』、『生きた魔術』と言っても良い。奴らは自分に内包している魔術ならば、術式など組まずに使用できる」
そう言うと、アーティスさんはチュニックを脱ぎ、自らの上半身を晒した。
「ひっ……」
ホールの空気が一気に凍りつく。
アーティスさんの上半身には、目を覆いたくなるほど酷いやけどの痕が残されていたのだ。
「……許さない」
ボクの隣で、アシュリンが拳を固く握りしめていた。
「これは昔、上級の悪魔と戦った時につけられた傷だ。あまりの強さに、近づくことすらかなわなかった。もっと真剣に魔術を学んでおけばよかった……と後悔したよ」
アーティスさんが自分の傷に触れ、微苦笑する。
普段のように穏やかでありながら、どこか悲哀を感じさせる笑みだった。
「悪魔の戦闘力は並みの動物の比ではない。そして何故か、人間に強烈な敵意を抱いている。この村だって今は平和に暮らせているが、いつ何時、悪魔に侵攻されるかわからないんだ。だからいざという時のため、君たちにも悪魔に対抗できる手段を覚えておいてもらいたいんだよ……わかってくれるね?」
「は、はい……」
アーティスさんに質問した生徒は、すっかり意気消沈していた。
悪魔の恐ろしさを、目に見える形で示されたのだから当然だろう。
「――よし、それじゃあ退屈な話はお終いにしよう」
パン、パンと、アーティスさんが力強く手を打った。
水を打ったようにホールが静まり返り、子どもたちは呆然とする。
「今から君たちに、実際に魔術を使ってみてもらおうと思う。準備は良いかな?」
「は、はい……」
咄嗟に子どもたちは力ない返事を返した。
「声が小さいぞ? 返事は大きく、短く、ハッキリとだ。はい、もう一回」
「――はい!」
今度はみんな元気よく返事をした。
そんなボクたちを見つめ、アーティスさんは満足げに微笑んでいる。
今までの話は全て、魔術を真剣に学んでもらうためのものだったんだろう。
流石は村の実質的な長だと、ボクは心の中で一人感心していた。
そして講義が再開する。
「それでは魔術の使用法を説明しよう。魔術の一番基礎的な使用法には、魔道具というものを利用する。私が手にしているこの杖も、魔道具の一つだ」
手に持った長い杖を見せながら、アーティスさんは続けた。
「世界樹はその膨大なマナによって、森羅万象を司ると先ほど説明したね。世界樹と繋がることができれば火、水、風、土といった自然の力を発現し、自在に操ることができる。しかし世界樹と繋がるには、マナの通り道を創らなければならない」
そう言ってアーティスさんは、指の軌跡で複雑な紋様を描きだした。
一分ほどで幾何学的な紋様が見事に完成。
と思うのも束の間、その紋様が真っ赤に輝き始め――
「火の理――開放――爆発を以て我が力と為す」
次の瞬間、勢い良く爆発した。
突然のことにボクたちは呆気にとられ、口が開きっぱなしとなる。
「ははっ、驚かせちゃったかな? 今のは魔法陣と呪文による術式の作成だ。こうした作業を『詠唱』と言って、詠唱によって世界樹と繋がり、様々な自然の力を現実に引き出す技術を『魔術』と呼ぶんだよ。マナさえ扱えれば、マナで魔法陣を創ることは誰にでもできる。しかし、実戦で複雑な魔法陣なんて描いている暇はない。そこで、あらかじめ術式を刻み込んだ道具『魔道具』が必要になるんだ」
アーティスさんが杖を構えて一言詠唱した。
「――開放」
杖の先が激しく燃え上がり、ホールの温度を跳ね上げた。
先ほどの爆発より弱々しい炎だが、その使用速度は比べ物にならない。
森へ出向く際に杖を常備する必要性がよくわかった。
「魔道具に複雑な術式を刻み込むほど詠唱の際の負担は軽くなるが、その一方で使用に不便な大きさとなる。今回私が用意した杖は、携帯用でなく訓練用の物だ。この杖は実戦には向かないが、使用者の素養に応じた魔術を発現してくれる。試しに、そうだな……アシュリン、お前がやってみてくれ」
「はい、お父様」
アシュリンが立ち上がり、アーティスさんの元へ向かった。
杖を受け取ると、真っ赤なツインテールをかき上げ、真剣な面持ちで詠唱する。
「――開放」
父親と同様、杖から炎が噴き出した。
流石にアーティスさんには及ばないものの、炎の勢いはかなり強い。
初挑戦にしては上出来だろう。
「見事だ、アシュリン。初めてにしては素晴らしいぞ」
「当然よ。私はお父様の娘なんだから」
得意げに笑い、アシュリンは上機嫌で自分の席に戻っていった。
「今のを見ていたかな? これは単に魔術を試すことだけが目的じゃない。アシュリンが私と同じ火の魔術を発現させたように、人にはそれぞれ得意な魔術の属性がある。この杖はその系統に従って魔術を発現させるんだ。属性は基本的に火、水、風、地の四つ……自分がどの系統に属するか、しっかり確認してくれ」
自分の同い年の少女が成功したのを見て、他の子どもたちも一斉にやる気を出し、「次はオレ」「次は私」と大騒ぎとなる。
子どもたちが次々と魔術に挑戦していき、ある者は火を噴き出し、ある者は風を起こし、ある者は水をこぼし、ある者は土を生み出した。どの子もアシュリンには及ばないものの、四系統いずれかの魔術をしっかり発現させていった。
そうしてとうとう、ボクの番が回ってきた。
「グリム、アンタの番よ。私には及ばないでしょうけど、まぁ頑張りなさいね」
「ありがとう、アシュリン」
アーティスさんの元へ向かい、大きな杖を受ける。
一つ深呼吸をして、真っ直ぐに杖を構えた。
――ボクはどの属性なんだろう。
アシュリンみたいに親から属性を受け継ぐとしたら、風になるのかな?
「――開放」
大きな期待を胸に詠唱した。
杖からは火も、水も、風も、土も出ず、ホールに静寂を生み出すばかりだった。




