第5話『エレアノール・ド・フジュロル』前篇
その後ボクは、ずぶ濡れの服を着替えるために東塔へ戻った。
東塔は十階建て。
壁に沿って二重螺旋状に配備された階段を昇ると、ひとフロアごとに広い踊り場へたどり着く。
踊り場の壁には等間隔に、魔導士が寝泊まりする個室への扉が備えつけられ、踊り場から直接入室することができる。二階から五階までがB級魔導士、六階から十階までがボクらC級のフロアに指定されていて、中でも、ボクとジョニーが二人で使用している部屋は最上階だ。
自分の部屋までたどり着くのも楽ではない。
「あっ、グリム、おはよう!」
「おはよう、エドズ。朝食の前に寝ぐせを直した方がいいよ」
「グリムくん、おっはよーう!」
「おはよう、バブルス。またスカートを履き忘れてるよ、戻って戻って」
同期と挨拶を交わしながら最上階まで登り切った。
壁の扉の一つへと近づき、力いっぱいノックする。
どうせジョニーのことだから、まだ部屋から出てきていない。
鍵を開けるのも面倒なので中から当ててもらおう。
…………。
一向に反応はなかった。
「ジョニーの奴! また寝坊か!」
ドアノブにマナを流し込み、魔導ロックを解除して中へ。
案の定、ジョニーは二段ベッドの上段で眠りこけていた。
いつもなら起こしてやるところだが……
「朝食抜きの刑だ」
ムカついたので、無視してしまうことにした。
素早く部屋を着替えて部屋から飛び出し、階段の手すりに飛び乗る。
その手すりはマナの込められたレール――足裏にマナを帯びさせると反射作用によって摩擦力が低下し、まるでスノボーのごとく、高速で滑り降りることが可能だ。
  
魔導士用のマントをはためかせて一階まで滑っていくと、見えてきたのは白い髪の少女の姿。
手すりから跳び降りた風圧で、純白のロングヘアーが軽くなびいた。
「おはようございます、ピルグリムさん」
入り口では買い出しの相方であるエレアノールが、既に準備を終えて待ってくれていた。
「遅れてごめんよ、待たせちゃったかな?」
「ご安心ください、私も今来たところですよ」
エレアノールが微笑む。
――あれ……?
その笑顔にどこかデジャビュを感じた。
一体、何故、彼女が……。
「どうかされましたか?」
「や、ごめん。何でもない。それじゃ、パパッと買い出しを終わらせちゃおう」
「そうですね。それでは、参りましょうか」
そう言って、エレアノールはマントのフードを目深にかぶった。
二人で東塔を後にし、中庭を通り抜け、城壁の門から街へと繰り出した。
◆
  
城壁に沿って歩き、皇都名物の一つ『タワーブリッジ』を渡る。
城を模した装飾が特徴的なその橋からは、皇都内に流れる『ラタトスク川』や前述の時計塔、そしてその塔のそばに築き上げられた『ローレンディウム城』を眺めることができた。
皇都に数ある橋の中でもタワーブリッジは最も新しく、最も大きい。
エレアノールと二人並んで歩いても、道にはかなり余裕がある。
二台の馬車が並走することさえ可能だろう。
「いつ見ても、時計塔は綺麗ですね」
「うん。S級を目指す人たちにとって、あの塔は良い刺激になるだろうね」
ローレンディウム城は皇女ラタ・ユグドラシルの住居。
時計塔が城のそばにそびえているのは、万が一の際、最強の魔導士により皇女を保護するためだ。
S級になれば最高の待遇が用意されるだけではなく、『皇女の守護者』という名誉も与えられる。世界に未だ十二人しかいないS級への昇格は困難を極めるが、その分恩恵も大きく、大多数の魔導士が昇格しようと懸命に努力していた。
  
まぁ、世界巡りができるならB級でもA級でも構わないボクには、あまり関係のない話だけれど。
「ピルグリムさんはよく、自分が部外者であるかのような言い回しをしますね」
エレアノールの不意の言葉にどきりとする。
「え? え!? ど、どういうこと、かな?」
エレアノールは訝しむように目を細めた。
「先ほどの『S級を志す人たち』という発言、まるでS級への昇格に興味がないみたいですよ。もしかして貴方は、他の魔導士たちとは異なる思想を、隠しているのではありませんか?」
「は、ははは、気のせいだって。ボクだって出世欲はあるつもりんだけど、そんなに無欲に見えちゃうかな? 残念だなぁ」
「……そうですか。妙な質問をしてしまい、申し訳ありません」
会話が途切れた。
橋の下の大河の、穏やかな流れが耳に入ってくる。
気まずさから逃げ出すように、早歩きで橋を渡り切った。
どうにもエレアノールとの会話は苦手だ。
よく今のように、気まずい時間が流れてしまう。
ボクも根はコミュ障で、自分から話題を切り出すのは苦手なため、一度こんな状態に陥ってしまうと静寂を破るのに時間がかかった。
「あの方は何故パンを首から下げているのでしょう」
街に入って間もなく、静寂が破られた。
エレアノールの指差す先には、首からパンと札を下げた状態で縛られている中年の男性が一人。
  
街角で無様に座らされたその男は、道行く人々の嘲笑の的だった。
「アレは詐欺を働いたパン屋だよ。パンの重さを誤魔化して販売した罰を受けてるんだ」
「重さを……? その程度のことで、あのように辱められるのですか?」
「パンは生活に欠かせないものだからね。ちゃんとした罰則を設けないと、犯罪が横行してしまうんだよ」
ディナンス村でも、パンを作るための小麦の量は厳格に管理されていた。
多少非道な罰則を設けてでも、詐欺は防がなければならない。
晒し上げには罪人の信頼を失墜させるためだけではなく、住人たちにリスクの大きさを見せつけ、犯罪の発生を抑制する目的があるのだ。
「ボクら新人がこうして買い出しに来るのも、魔導士が定期的に姿を見せることで、犯罪者たちを牽制する目的があるのかもしれないな」
「世界で一番大きな都でも……犯罪は起きるのですね」
「街の規模が大きい分、住人の格差も大きくなるのは仕方ないさ」
ローレンディウムは三十三の区域に分かれており、住むことの可能な区域は地位によって細かく定められている。
中にはスラム街と呼ばれる区域も存在する。
住人全てを救済することは難しく、改善の見通しは立っていない。
「不憫に思うのはもっともだけど、一兵士に過ぎない今のボクらには、どうすることもできない。いくら悩んだって仕方ないよ」
「そう、ですね……」
エレアノールが俯く。
「救国の勇者になど、誰もなりえないのですから」
意味深なことをつぶやき、歩みを速めるエレアノール。
真意が気になったものの、その背中は、黙殺せんばかりの威圧感を放っていた。
  
「やっぱり、苦手なタイプだなぁ……」
エレアノールの三歩後ろを歩きながら嘆息した。
それからしばらく歩くと、住宅街が途切れ、多数の露店で賑う広場に到着。
  
露店を巡ること数十分。
買い出しは滞りなく終わった。
大量の野菜ではち切れんばかりに膨らんだナップサックを背負い、小麦の袋を両腕に抱え、元来た道を戻っていく。
隣では非力なエレアノールが、ボクと同じ重量の荷物に苦戦していた。
「小麦の袋だけでも、ボクが代わりに運ぼうか?」
「い、いえ……大丈夫、ですから」
エレアノールの紅潮した鼻から、むふーっ、と息が吹き出す。
意外に負けず嫌いなのか。
よろめいた時に支えられるよう、頼りない背中のすぐ後ろで身構えておこう。
「おい止まれ! この盗人め!」
十字路へと出た時、近場から怒声が聞こえてきた。
建物の影から小柄な少年が飛び出し、ボクらの前で盛大に転んだ。
目の前に大量のパンが勢い良くバラ撒かれた。
呆気にとられて足を止める。
フード付きのボロ着で容貌を隠したその少年は、レンガの敷き詰められた地面で膝を擦り剥き、苦しそうに呻いていた。
十字路の奥から、エプロンを胸に掛けた大柄な男が現れ、鼻息荒く少年へと迫る。
「ようやく追いついたぞ、赤目野郎!」
男が少年のフードを掴み上げた。
フードの下から真っ白な髪と真紅の瞳が露わになり、周囲の視線が集まる。
少年はエルフ族だった。
「やはり貧民街のエルフだったか。金も払わずにパンを奪おうだなんて、見た目だけでなく心まで薄汚ねえ野郎だ! だからエルフは嫌いなんだよ!」
「い、妹が病気なんだ……」
フードを掴まれた状態で少年が目に涙を浮かばせる。
「頼む、今回だけは見逃してくれ。せ、せめて、パンを一つだけでも」
「うるせえ!」
少年の腹を膝蹴りが打つ。
身体を九の字に折った少年を床へ蹴倒し、男はがなり声をあげた。
「バレバレのウソを吐きやがって。仮に本当なんだとしてもなぁ、他人様の物を盗んで良い理由にはならねえんだよ! 法律も知らない劣等種族のガキめ!」
罵倒しながら、男がエルフの少年を何度も踏みつける。
少年はただ謝罪を繰り返しながら、地面にうずくまることしかできない。
しかし通りを行く人々は、みんな見て見ぬふりを続けるばかりだ。
「……ふざけやがって」
これ以上、平静を保っていられそうにない。
小麦粉の袋を道の脇に置き、男を止めに入ろうとした。
「やめなさい」
だがボクよりも早く、エレアノールが前に飛び出した。
フードが捲れ、純白の髪が露わになる。
エルフでかつ魔導士という特異な存在の登場により、周囲の注目は一気にエレアノールへと集まった。
「そのような年端もいかない子どもに乱暴をして、恥ずかしくはないのですか?」
「エ、魔導士さま……!? いや、これは、そのですね……」
男が後ずさりで少年から距離をとる。
顔面蒼白となり、禿げあがった額からは脂汗が吹き出していた。
「劣等種族を相手に、怯え過ぎではありませんか? 先ほど口にした暴言を、もう一度口にしてみなさい」
「い、いや、それは……魔導士さまと貧民は、違うというか……」
「何も違いませんよ、私は彼と同じ、エルフ族の人間です」
エレアノールは強い口調で言い切り、懐へ手を忍ばせた。
――マズい、魔道具を取り出す気か!
即座にエレアノールを押さえ、杖をしまうよう耳打ちする。
「落ち着いて。魔導士が無闇に街中で魔道具を取り出せば問題になる」
「でも、あのような乱暴者を放っておくわけには……」
「ボクにまかせてくれ」
エレアノールを諭して男へ向き直る。
穏やかに微笑みかけると、男も苦笑いを返してきた。
「も、元はと言えばソイツが盗みを働いたことが悪いんです。エルフでも人間でも関係なく、犯罪には相応の罰を与えるのが当たり前でしょ? 犯罪者には刑罰が必要なはずです!」
「そうですね、ボクもそう思います」
パン屋の男の胸倉を掴み、その巨体を片手で持ち上げた。
自分より一回り大きな巨体を持ち上げたことで、周囲の人々は驚きと畏怖の眼差しを向ける。
「法律に乗っ取り、十二歳以下の少年を暴行したあなたに罰を与えます」
「へ……?」
息巻いていた男の顔が、一気に凍りつく。
「ご、ご冗談でしょ? 意味がわからないんですが」
「皇国法第四一条、少年少女保護の原則」
唖然とする男を無視で法律を暗誦する。
「満十二歳以下の児童の罪は、原則として罰せぬものとする。責任は保護者に対して追及し、対象児童の精神的、肉体的健常化に努めるべし……あの少年がたとえ罪人であったとしても、体罰を与えて良い理由になど、絶対になりえないんですよ」
エレアノールに介抱されていた少年の方へ向き直り、問いかける。
「君にはお母さんかお父さんはいるかい?」
「い、いや……オレは、その……捨て子だから」
「そうか……わかった」
厳しい表情を作り、再び男と顔を合わせ、鋭く睨みつける。
「あなたのやったことはただの私刑……本当に罰されるべきはあなたなんですよ」
「そ、そんな!」
男がボクの手から逃げ出そうと身体を暴れさせる。
だが毎朝アシュリンと修行しているおかげか、びくともしない。
頭を打ってしまわないよう配慮しつつ、男の巨体を地面へと放った。
「さて、どんな刑罰をお望みですか? 法律も知らないパン屋さん」
  
「ひいいいっ! 申し訳ありませんでした、もう二度としません!」
男が大慌てで土下座し涙ながらに叫ぶ。
「刑罰だけは勘弁して下さい! 絶対に先ほどのような真似は繰り返しませんから! どうか、どうかご容赦を!」
「それじゃあ、こうしよう」
エレアノールとエルフの少年の方を振り返り、小さくウインクしてみせた。
「あの子の妹が元気になるまで、焼きたてのパンを毎日用意してあげてください」
 




