第2話『四国同舟』~前篇~
ハイジャック犯の男はボクに杖を向けた時点で勝ち誇っていた。
それも無理はない。
男の装備する魔道具はかなり高出力の杖だ。
大き過ぎて悪魔との戦いでは使えたものではないが、人間相手かつ狭い室内でなら、凶悪な効力を発揮する。
事実、魔法陣を描くことなく「開放」という一言の詠唱で、ジョニーを無力化してみせた。たとえ目の前の男が魔術師として遥かに格下だとしても、並みの魔術師では魔術を発動させる前に返り討ちに遭ってしまうことだろう。
だがボクの場合は事情が違った。
男が杖を構えたままこちらへ歩み寄り、ボクの両手への注意が削がれた刹那、ぼそりと呟くように詠唱する。
「――創造」
右手のうちに一瞬で銃器を創造した。
モデルは自動拳銃SIGザウエルP230。
角張った部分を削ぎ落した滑らかなフォルムと、手のひら大のコンパクトなサイズが特徴の銃だ。
「なっ――貴様ァァァァ!」
ボクが何をしたのかは理解できなかっただろう。
だが、ボクの右手にいつの間にか武器が握られていたことにはすぐ気付き、仮面の男は自分の獲物を構えた。
詠唱されればボクは吹き飛ばされる。
そんな暇など与えてやらない。
「開ほ――」
「遅い!」
右手の拳銃を男の眉間に向ける。
片手では正確な狙いなどつけられないが、この距離なら平気だ。
迷わず引き金を引いた。
――炸裂音が室内に反響。
右腕に感電したみたいな衝撃が走り、視界に仮面の破片が散って、男が背中から床へ卒倒した。
銃器の創造を解除して見てみると、男は白目を剥いて気絶していた。
実弾でなくゴムの弾丸を使った上、仮面の上から撃ったので死んではいない。
額に豆粒のような痣が残ってはいるものの、目立った怪我もない。
人間相手に発砲したことを心苦しく思いつつも、窮地から脱出できたことに安堵し、ボクはゆっくり深呼吸をした。
「たった一言の詠唱で人を無力化できるだなんて……恐ろしい杖だ」
男の傍らに転がった杖を手に取り、力づくでへし折る。
「でもアンタの唇より、ボクの人差し指の方が早かったみたいだね」
当然ながら銃器の発砲に詠唱など必要ない。
人差し指を僅かに動かすだけで、相手に攻撃を加えられる。
ボクの方がハイジャック犯よりも、一枚上手だったというわけだ。
「……さて、問題はここからどうするべきか、だな」
仮面の男を縄で縛りあげ、部屋の中で一人考える。
恐らく、寝室の制圧をまかされたのはこの男一人ではない。
複数の魔術師が分かれて制圧に当たっていたと、考えるべきだろう。
だとすると、無計画に外へ飛び出すのは危険だ。廊下で他のハイジャック犯と対面し、誰かを人質に取られでもしたら、流石に降参せざるを得ない。
そうなれば本当に、この飛行船の奪還は不可能となる。
「どうして人間同士で戦わなきゃならないんだよ……」
不愉快な状況にどうしようもなく苛立ち、苦々しく独りごちた。
「グ、グリム……お前、仮面の男を倒したん、だな」
その時、壁にもたれていたジョニーがよろめきつつ立ち上がった。
「無理しちゃダメだ、ジョニー。君は酷い怪我をしてるんだぞ?」
「平気だ、問題ない。オレは打たれ強さに定評があるのさ」
その言葉通り、やけどしていたはずの胸が、いつの間にか治りかけている。
アシュリンの拳をまともに受けて無傷だったのは、偶然ではなかったらしい。
「ホールで可愛い女の子たちが人質にされているんだろ? じっとなんかしてられないぜ」
「はは、大した女好きっぷりだね」
まだ足取りが覚束ないジョニーに肩を貸してやった。
ボクとは全く異なれど、この青年もまた、譲れない信念を胸に宿しているのだ。
欲求の方向性がハッキリしている分、信用も置きやすい。
「一旦、部屋の外の様子を見てみよう」
そう言って部屋の扉を開けようとしたその時、
「ぎゃああァァァ!」
すぐ近くから悲鳴と共に爆発の音が聞こえてきた。
警戒しつつ、部屋からこっそり顔を出す。
長さ三〇メートルほどの廊下の両壁に、扉が等間隔で並び連なっていて、まるでホテルの通路みたいだ。
「グリム、あそこに誰か倒れてるぞ」
ジョニーの言う通り、通路の一番奥で誰かが倒れている。
良く見れば、それは一つ目の仮面をかぶった男。
男の服が焦げついていることと、すぐ脇の部屋の扉が木端微塵なことから、強烈な火の魔術で室内から弾き出されたことが窺い知れた。
「なーにが『跪け』よ。アンタが這いつくばれ、っての」
部屋の中から姿を現す小柄な赤髪の少女。
魔術の使用者は案の定アシュリンだった。
同じ部屋に割り当てられていたのか、後ろにはムラサキの姿も見える。
「アシュリン、ムラサキ、二人とも無事で良かった」
「あらグリム。アンタも狙われたの?」
「ひっ……さっきのリーゼントさん」
「おう、また会ったねえ、これは運命だよカラミーア」
ジョニーの姿を見た途端、ムラサキはアシュリンの影に隠れた。
イジメにも怯まないムラサキをたじろかせるとは、ある意味恐ろしい。
「何か飛行船を乗っ取ったとか言ってたけど、コイツらの目的は何なの?
話の途中で面倒臭くなって殴っちゃったからわからないわ」
「奴らの狙いは、ボクら新入りの魔導士を全員無力化することさ。寝室の方へ来た魔導士以外は全員捕まって、残りはもうボクらだけらしい」
「キャロル様は? さっきから魔力探知しているのに、あの人の強力なマナが全然感じられないわよ?」
「地上へ降りた隙に置き去りにされたらしい……もう、ボクたちだけで何とかするしかないんだ。とりあえず、寝室を制圧に来た犯人の残りがいないか、念のため探してみよう」
「寝室担当は三人だそうだ」
近くの扉が開き、中から軍服の少女が歩み出てきた。
先ほどホールで自分の信念を熱弁していたゲルマニア人だ。
少女の右腕は鋼鉄の義手で、まるでカバンでも運ぶように軽々と、大人の男一人を持ち上げている。意識のないその男は、ボクやアシュリンを襲った奴らと同様、一つ目の仮面をかぶっていた。
「魔術一発で仲間の情報を漏らすとは、とんだ軟弱者だよ。まぁ、これで三人目。寝室を警戒する必要はないだろう」
「君は?」
「ビスティエンヌ・ブロックンベルク。誇り高きゲルマン民族の血を引く者だ」
ビスティエンヌは仮面の男を床へ放り、軍帽を目深にかぶり直した。
服装から話し方まで厳格な雰囲気があってプライドの高さを感じさせるが、仮面の男を難なく撃退したことから、実力者であるのは明らかだ。
見た目も中身も、本当に軍人気質なのだろう。
「この通路はホールまで一直線で、万が一扉を開かれたら丸見えだ。取り敢えず、アシュリンたちの部屋の中で話し合おう」
ボク、アシュリン、ムラサキ、ジョニー、ビスティエンヌの五人は、壊れた扉をくぐって一つの部屋に集まる。
非常に狭苦しいものの、アシュリンとムラサキにベッドの上に並んで座ってもらうことで、何とか五人で向かい合うことができた。
「一通り他の部屋の確認をしてみたけど、全員縛られたり気を失っていたり、動けるのはボクたち五人だけみたいだね。これからどうする?」
「まずは全ての部屋を巡って、縛られた皆さんを解放しませんか? 仲間が増えれば、それだけ有利になるはずです」
「バカ者、そんなことをしても時間の無駄だ」
ムラサキの提案をビスティエンヌが一蹴する。
「モタモタしてホールの連中に不審がられるくらいなら、このまま少数精鋭で行くべきだろう。奴らが油断している今こそ、裏をかく絶好の機会だ」
「ムラサキには悪いけど、私もビスなんとかさんに賛成かな。現状は圧倒的に不利……この機会を逃したら逆転の目はないわ。無駄に数がいても足手まといだしね」
「ビスティエンヌだ、エンブリテン人」
ビスティエンヌは不服そうに言って、拳をぱきぱき鳴らした。
「まぁこの私がホールに飛び込み、この鉄腕で殲滅すれば早い話だがな」
「マンマミーア、落ち着きなって! そんなことして、人質になっている女の子が殺されたらどうするんだい? きっちり作戦を立てようぜベイビー」
慌てて反論したジョニーにボクも同意する。
「ボクもジョニーに賛成だ。ホールの魔術師たちと機長さえ無事に助け出せれば、事態は好転する。何としても全員無事に救い出したい」
「彼らだって、下の動力室では下手に暴れることなどできませんからね。ホールの人質さえ解放できれば、降伏せざるを得ないと思います」
「問題はどう人質を助け出すか、ね。ホールへの入り口はたった一つ、それも真正面からだけ……どう足掻いたって、誰にも見つからずに潜入することは不可能だわ」
「……そうでもありませんよ」
聞き覚えのない声によって、会話が途切れた。
「ねえ、今のは誰の声かな?」
「わたくしです」
ボクの問いかけに入り口の方から返答があった。
みんなで一斉に入り口を見るが、そこには誰の姿もない。
「透過を以て我が力と為す……」
先ほどと同じ声がして、誰もいないはずの空間が、蜃気楼のように歪む。
歪みの中から現れたのは、白い髪と真紅の瞳を持つ少女。
「貴様は……」
ビスティエンヌが眉をひそめた。
「あっ、君はさっきの」
「エレアノール・ド・フジュロルと言います。今の魔術は風と水の力を組み合わせた幻術の一つです、驚かせて申し訳ありません」
エルフの少女、エレアノールは優雅な所作でお辞儀をする。
絹のような白髪がさらさらと零れ、ふわっと柑橘系の匂いが鼻腔をくすぐった。
「わたくしは仮面の男たちがホールを占拠した場に居合わせ、咄嗟に幻術で身を隠しました。先ほどまでは事態を静観し、寝室の制圧に動き出す者たちに合わせて、一緒にホールを抜け出してきたのです」
「マンマミーア! それじゃあ君はホールの現状を知ってるんだね? やったぜ、願ってもない朗報だ!」
みんなでエレアノールの勇気を称えた。
敵と人質の数、その位置さえわかれば、いくらでも作戦は立てられる。
一気に事態は好転するはずだ。
「待て、本当にその女を信用しても良いのか?」
明るいムードを崩したのはビスティエンヌだった。
その目はまるで仇敵に出会ったかのように、血走っている。
「失われた腕の傷口が囁いているぞ、貴様を信用するなとな」
「あなたは、一体……」
うろたえた様子のレアノールに詰め寄り、ビスティエンヌが告げる。
「全て奪われた者さ、貴様らエルフ族の裏切りでな」
そして、この世界についてまだ何も知らないことを、ボクは思い知る――。
※ネタバレ;次回、ビスティエンヌがデレます




