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番外編1「異世界の食事はマズい」

本編に絡まなかったお話を、番外編としてまとめました。

 これは転生から7年経った頃のお話。

 その日、毎朝の特訓を終えたボクは、ラモーナさんと共に畑へ向かった。


「グリムちゃん、鍬は重たくない? 無理しなくてもだいじょうぶよ?」

「平気です。まだ子どもだけど、できることがあれば役に立ちたいんです」


 鍬を力いっぱい畑の土へ振り下ろす。

 土が跳ねてボクの鼻っ柱に付着し、ラモーナさんがぷっと笑った。


 広大な畑で働くのはボクだけじゃない。

 大人も子どもも一緒になって、泥まみれになりながら農具を振るっている。


「グリムー、もうそろそろお昼よー、もどってきてよー」


 村の方からパタパタとアシュリンが駆けてきた。

 ルビーのような赤髪と、仕立てたばかりのブリオーが遠目からでもまばゆい。


「アシュリン、もうちょっとだけ待ってね。あと少しで一息つけそうだから」

「じゃあアシュリンもやってあげる!」

「え、ちょ、ちょっと! 服がよごれちゃうって!」


 木陰で休んでいたお爺さんから鍬を借り、アシュリンが畑に飛び込む。

 それから見よう見まねで鍬を振ろうとした。


 だが足を滑らせて、顔から畑へずっこけてしまった。


「はぶぅ!」

「ア、アシュリン、だから言ったのに!」


 アシュリンは農作業など未経験だ。

 村長であるアーティスさんの娘なので、そもそも必要がない。


 いつも家で勉強や家事の手伝いをしている。


「むぅ……くやしい」


 アシュリンを土から起こしてあげると、顔が半泣きとなっていた。

 その真っ赤な頭を撫でて、優しく微笑みかける。


「アシュリンはまだ小さいんだから、あっちで見ていなよ」


 ボクの言葉に、アシュリンは何故か不服そうだった。

 ぷいっと顔をそらし、おもちみたいに頬を膨らませ、何やらぼやいた。



「……わたし、ちいさく、ないもん」


 この日以来、アシュリンは勉強の合間を見つけ、よく畑に顔を出すようになる。

 最初こそ鍬を振ることさえ覚束なかったが、日増しに身体能力が向上し、その働きぶりは大人顔負けとなっていった。


 小柄な体躯に反した腕力の持ち主として、アシュリンが国中に名を馳せることになるのは、それから10年近く後の話である。



 正午の鐘が鳴ったので家に戻ることとなった。

 農民の暮らしは時間を知らせる鐘の音に合わせて、決まった行動をとるのが基本であり、いつも代わり映えしない。


 働いて、食事を摂り、眠るの繰り返しだ。

 そんな変化に乏しい暮らしにおいて、支えとなるものは限られる


 一つは日常の仕事のことを忘れることのできる祭り。

 そして何より、仕事の合間に挿入される食事の時間だった。


「きょうは、とりにくだって!」

「おおっ、やった。久しぶりだね」


 泥だらけの姿で、アシュリン、ラモーナさんと並んであぜ道を進む。

 ボクの仕えるマクラッケン家では、普段ラモーナさんが料理を担当していて、朝に一日分の食事を用意することが多い。


 しかし今日のように時折、主人であるアーティスさんが普段口にできない食材を振る舞ってくれることもあった。肉類はこうした日にしか食べられず、とても貴重である。アーティスさんのご厚意に感謝しなければならない。


 川の水で汚れた身体を洗い終えると、ボクたちはマクラッケン家に戻り、食卓へ向かった。


「ピルグリムくん、ラモーナさん、それにアシュリンもお疲れ様」


 既にアーティスさんは席に着いていて、テーブル上にはスープの大鍋と、人数分の食事が用意されている。


 料理はライ麦のパンとスライスチーズ、季節の野菜と大豆を煮込んだスープ、そしてフライドオニオンを添えた鶏肉のステーキ。玉ねぎとニンニクをふんだんに使ったステーキソースの香りが鼻腔をくすぐり、重労働で空っぽの胃袋がぐぐっと鳴った。


「今日絞めたばかりの新鮮な肉だ。よく味わって食べてくれ」

「アーティス様、私たちの分までいつも申し訳ありません」

「ありがとうございます」


 深々とお辞儀するボクとラモーナさんに、アーティスさんは微苦笑を返した。


「君たちはもう家族同然なんだ、そんなに恐縮されても困ってしまうよ」

「いいからはやくたべよ! たべよ!」


 アシュリンがボクを引っ張って席に座らせた。


 ラモーナさんも笑顔でそれに続く。

 食卓に全員集い、みなで十字を切り、両手を合わせて祈る。


「聖樹よ、あなたのお恵みに感謝し、我らはこの食事を頂きます」


 そしてようやく昼食が始まった。


 まずはライ麦パンを少しちぎって、スープへと浸す。

 元の世界で食べていたパンとは異なり、そのまま食べるには少し硬めなので、こうしてスープに浸して食べることが多い。


 良い具合にふやけたパンを、スプーンでスープごとすくいあげ、一口で頬張る。

 冷えた身体に、スープの温かさが沁み渡った。


「スープの味はどうかな? 今日は採れたてのキャベツを煮込んでみたのだけど」

「……美味しいです。よく煮えていて、柔らかいです」


 それからナイフとフォークに持ち替え、チキンを小さく切り分け、口まで運んだ。


 一噛みすると口内で肉汁が溢れ、ソースの香りが広がる。

 滅多に食べられない肉の味を噛みしめる。


「…………」


 しかし――味は普通だ。

 不味くはないし、やはり肉なので、普段の料理と比べたら数段美味しい。

 それでも、転生前に食べていた肉料理と比べたら、やはり薄味だった。


「おいしい! おとさまのりょうりはやっぱりサイコーだわ!」

「これほど美味しい料理を口にできて、私は幸せです」


「ありがとう、アシュリン、ラモーナさん」


 気にしているのがボクだけな辺り、この世界では十分美味なのだろう。

 元の世界がどれだけ資源に溢れ、料理が濃く味付けされていたか、しみじみと実感する。


 味付けの薄い理由は恐らく、香辛料(スパイス)の不足だ。

 ディナンス村のような田舎で、塩や胡椒を手に入れる機会など、滅多なことでは訪れない。庶民が気軽に手を出せる値段のはずもない。生まれてこの方、食事で「辛い」と感じたことなどなかった。


 この世界では、濃い口を嗜好する余裕などないのである。


「でも……ボクは転生者だ」


 ちらちらと他の人たちの様子を窺い、そっとテーブルの下へ左手を隠す。


 不審に思われないよう、右手で食事を続けつつ、


胡椒(ペッパー)――創造(ディコード)


 こっそり左手でスパイスを創造した。


 ボクは最近、銃器の創造に必要な物質だけでなく、食材関連の創造にも挑戦していた。そこで気付いたのは、肉や野菜を始めとする生ものの創造は不可能だが、加工後の状態(黒胡椒や炭など)ならば創造も可能であるという事実。


 今なら何とか、食べられるレベルの香辛料を創造することも難しくない。


「……ごめんなさい、アーティスさん」

 内心申し訳なく思いつつ、左手の胡椒をこっそりチキンに振りかける。

 誰かに見られて不審がられる前に、胡椒のかかったチキンを一切れ口に運ぶ。


 はむ、はむ、はむ。


 音を立てないようしっかり咀嚼する。

 胡椒の風味が肉の旨味を引き立て、舌にぴりっとした辛みが残る。


 先ほどよりも断然味が濃くておいしい。


 しかし、しかし――


「…………」

 反応に困ってしまう味だった。


 確かに胡椒の味がするのだけど、何か違う。

 まるでゼロカロリーの飲料を初めて飲んだ時みたいな印象だ。


 口当たりこそ胡椒に近いが、化学甘味料のように味気ない。

 しかもすぐに消滅してしまうため、味も長続きしない。


 美味しさ以上にむなしさが込み上げてくる味わいだった。


「……かけないよりマシか」


 空虚感を我慢して食事を続けた。


 この異世界『アルバスニゲル』に来て以来、ボクの暮らしは順風満帆だ。

 不満などほとんどなく、毎日を明るく楽しく生きている。

 でもまさか、こんな落とし穴があるなんて、思ってもみなかった。


 元の世界に生きる人々にボクはぜひ伝えたい。


 ――キミたちは満たされている。

 異世界の食事はあんまり美味しくないぞ! と。



 悪魔から土地を取り戻せば、資源が豊かになって美味しい料理が食べられるようになるかもしれない。


 そう思うだけで、悪魔に立ち向かう勇気が湧いてくる気がした。

 ボクの中で、銃器の創造以外にも、食事の改善という目的が生まれた瞬間だった。


「グリム、さっきからなにをりょうりにかけてるの?」


 不意に隣の席のアシュリンが、ボクの皿を覗き込む。


 ――しまった。考え事をしていて、注意が散漫になっていた。


 ボクのチキンステーキには明らかに胡椒がかかっている。

 いくらアシュリンが子どもと言えど、気付かないわけがない。


「あーっ! グリムってばコショウつかってる!」

「な、何だって? そんな高価な物、ピルグリムくんが持ってるわけないだろ?」

「そ、そうだよアシュリン。ほら見てみなよ、何もかかってないじゃないか」


 アシュリンが注意を逸らした間に、チキンの上の胡椒はマナが尽きて、跡形もなく消滅していった。


 これでもう証拠はない。何とでも言い張れる。


「ぜ、ぜったいみたもん! グリムのうそつき!」

「かかってないじゃないか。それに胡椒のビンだって、ほら、どこにもない」

「ひだりて!」


 握りっぱなしにしていた左手をアシュリンに指差される。


「そのてに、なにかもってるでしょ?」


「ぎくっ」鋭い指摘だった。


 実際、ボクの手のうちにはまだ胡椒が握られている。

 手を離さない限りマナの供給は続くので、消滅させることはできない。


 でも今手を離したら、確実にバレてしまう。まさしく八方ふさがりだ。


「じゃあみせてよ! じゃないとウソつきだからね! ゆるしたげないから!」


「い、いやぁ……そのぉ……」

 しどろもどろに応えながら、左手を背中の後ろへ。


 アシュリンは眼光をギラリと光らせ、野獣のごとくボクに飛びかかった。


「みーせーーろぉーーーーっ!」

「うわぁぁあああっ!」


 衝撃で椅子が傾き、アシュリンと共に背中から床へ倒れ込む。

 たまらず左手を開いてしまい、胡椒が飛散して、ボクたちの顔にふりかかる。


「くしゅーん!」

「くちゅっ! くちゅん!」


 そして二人でくしゃみを連発。

 次から次へとくしゃみが出て、なかなか止まらない。


「ぐ、グリムちゃん、アシュリンお嬢さま、――」


 ラモーナさんが大慌てで何か語りかけているが、くしゃみがうるさくて何も聞こえなかった。


 ボクらに何を伝えようとしているのだろう。

 その答えは間もなくわかった。


「アシュリン! ピルグリムくん!」


 テーブルがガタンと大きく揺れた。

 アシュリンと一緒に立ち上がると、怒髪が天を衝かんばかりの様相のアーティスさんが、射殺さんばかりに鋭利な視線をボクらに向けていた。


 これほど怒りを剥き出しにしたアーティスさんは初めてだ。

 目が合っただけで全身が総毛立ってしまう。

 ゴブリンなんかより余程恐ろしい。


「私は常々言いつけてきたはずだ……食事中の礼儀には心を尽くせ、と」

「で、でもおとさま! グリムが!」

「言い訳は無用! 食事中に人へ飛びかかるなど、どのような理由があったとて許されない! 大樹への冒涜に等しい行いだぞ!」

「ご、ごめん、なさい……」


 生まれて初めて(アシュリン)をアーティスさんが怒鳴る場面を見た。

 料理好きで、礼儀を重んずる性格は知っていたが、よもやこれほどとは。


「ピルグリムくんも! 真偽はともかく、食事中に不審がられる行動は慎め! 食事とは全てを包み隠さず、みんなで笑顔で楽しむものだ!」


「す、すみません、ボクが間違っていました」


 ボクとアシュリンが二人揃って頭を下げるのを見て、アーティスさんは溜め息を一つ。

 そしてあまりに残酷な命令を下した。


「罰として二人とも、今日はこれ以降食事抜きだ」



 その日の晩、他の村人たちが夕食を楽しんでいる頃、ボクとアシュリンは家の外で立ち尽くしていた。


 お互いに先ほどから、ぐぅぐぅとお腹が鳴り止まない。

 昼の食事も十分に食べられなかった上、昼からも普段通りの重労働をこなしたせいで、空腹は限界をとうに越えている。


 何か食べなきゃこのまま死んでしまいそうだ。


「グリムのせいだからね」

「キミが飛びかかってきたのが悪いんじゃないか」

「なによ!」

「何だよ、やる気か!」


 大人げなくアシュリンに喧嘩腰な言葉を返してしまった。


 ボクもアシュリンも、空腹で怒りっぽくなっているらしい。

 どの世界においても、空腹というのは百害あって一利なしだ。


「ハァ……ボクがバカだったよ」

 今更ながら、食事に不満を抱いたことを後悔する。

 食事を食べられない立場になってようやく、何故この世界における最大の娯楽が食事なのか、ボクは理解できた気がした。


 自給自足が基本のこの世界では、毎日食事にありつくことさえ難しい。

 料理の味以上に、食事にありつけること自体に、人は幸せを感じられる。

 だからアーティスさんの言うように、食事の時間は余計なことを考えず、無理に味を変えたりせず、笑顔で楽しむべきだったのだ。


「アシュリン、さっきは言い過ぎたよ……ごめんね」

「ううん、こっちこそごめん。ぜんぶぜんぶ、はらペコなのがいけないの」


 二人でお互いに謝罪し合い、仲直りする。

 それからアシュリンは、夜空に向かって真っ直ぐ拳を突き上げた。


「アシュリンはぜったい、つよいエクソシストになって、あくまからとちをとりもどすよ! それでおにくとか、ミルクとか、チーズとか、おなかいっぱいたべるんだ!」


「はは、それは良い夢だね、ボクも協力するよ」


 ――ガチャッ。

 その時、玄関の扉からラモーナさんが現れた。

 その手には昼間の料理が乗せられたトレイが握られている。


「アーティスさまは野良犬たちにあげなさいと言っていたけれど、玄関の近くに置いておけば良いかしら。冷めないうちに食べてくれることを祈りましょう」


 ラモーナさんはボクたちにウインクして、トレイを玄関脇に残すと、家の中へ戻っていった。


 温め直されたばかりなのか、トレイ上の料理は湯気を立てている。

 律儀にフォークとナイフ、スプーンも用意されている。


 当然、野良犬のためにここまでお膳立てする人なんて、いるわけない。


「アシュリン……」

「グリム……」


 ボクとアシュリンは頷き合うと、まさしく犬みたいに料理へ喰らいついた。


 その日ボクは、転生してから初めて料理を美味しく思えた。

 料理の味など結局、気分の持ちようでいくらでも変わるということだろう。

 わざわざ人工のスパイスなど創造する必要はなかったのだ。


 だってこの世界には――空腹という最高のスパイスが満ちているのだから。


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