8話 お母さんの思い出 前編
いきなりで申し訳ありません。
今回から何話か茜の過去編です。
「んんっ…
ここどこ?」
遠くの方からぼやぁっと声が聞こえる。
「ひゆちゃん…
ひゆちゃん…行かないでよ…
ねぇ、お父さん。なんで僕は連れてってもらえないの?」
小さい頃のわたしがひーちゃんの前でお父さんにしがみついて泣いていた。
そういえば前はよく父さんの仕事について行って各地にひーちゃんと一緒に連れてってもらったっけ…
でも、いつからか俺は連れて行ってもらえなくなった。
ひーちゃんだけが連れて行ってもらえるって状況が寂しくっていつも泣きながらひーちゃんや父さんに泣きついていたっけ…
そんな様子をじっと見ていると段々と泣きじゃくる俺から見える景色が見えるようになってきた。
この時の俺の感情もダイレクトに流れ込んでくる。
夢でも見ているのだろうか…
きっと俺ら家族に大きな溝を作ったあの日の前後の記憶を見ているのだろう…
「ごめんな、今回は橙哉を連れていけないんだ。
今度みんなで東京に遊びに行こう…
それで許してくれよ…」
父さんは頭を撫でながらそう言ってきた。
「おにぃちゃん…
あたしは変わってあげたいけど…
でも、行かないとだから…
その分お母さんに寂しい思いをさせないであげて…」
ひーちゃんも寂しそうな顔で父さんに続く。
「うん…ひゆちゃんがそういうならしっかりお母さんのそばに居る…」
そういえばこのころはひーちゃんのことをひゆちゃんって呼んでたんだ。
そのうち恥ずかしくなって緋雪って呼ぶようになったんだっけ…
「じゃあ、行ってくるから。
雪菜、よろしく頼んだ。」
父さんはそう言って玄関を出て行った。
この頃にはもうお母さんの体調はだいぶ悪くなっており、近くの病院に入院していた。
そのため、当時小学4年生だった俺も雪ねぇや緋雪と一緒に家事をこなしていた。
父さんの家事スキルはほぼゼロだったし家で仕事することが多いといっても家にいる時間のほとんどを仕事に当てていたのでまだ小学生だった俺らが家事をする羽目になっていた。
といっても、お母さんが入院していたり家族が大変な状況なのはみんなわかっていたし家事を分担して行うくらいなんてことなかった。
「橙くん。今晩のご飯はどっちが作る?
ジャンケンしよっか。」
当時小学5年生だった雪ねぇも年相応だったので家事は当番制ではあったがジャンケンなどで当番を決めることも多々あった。
「うん、いいよ。
負けないから!」
俺もなぜだか自信満々にそう答えていた。
「「ジャンケン、ポン!」」
「ぃやったぁぁ!
じゃあ、お願いね橙くんっ」
ジャンケンに勝った雪ねぇはルンルン言いながらスキップしている。
ちなみに金曜日は学校が終わったあとに父さんと緋雪を送り出してその後に二人でお母さんのお見舞いに行くのがいつものパターンだ。
ガラガラ
「お母さん。お見舞いに来たよー。」
雪ねぇがそう言って病室に入る。
俺も雪ねぇに続いて病室に入った。
「あらあら、ありがとう。
二人はもう行ったの?」
珍しく起きていたお母さんはとても優しい声でそう言った。
「うん、橙くんまたボロ泣きして大変だったんだから…」
雪ねぇがちょっとバカにしたような口調でそう言ってきた。
「ううっ…そんなに泣いてないもん…」
いじけた口調でボソッと言い放った。
「こらこら、あんまり橙くんをいじめないであげて…
あと、橙くんもなるべく泣かないように頑張ろうね。」
お母さんの優しい声が心にしみる。
「「はぁい。」」
「あははははっ…」
俺と雪ねぇがハモって答えたのが面白かったのかお母さんは笑いこけている。
「楽しいね。
早くお母さんの身体よくなってみんなでお家とかでこうやって笑い合いたいね。」
雪ねぇがちょっと悲し目の笑顔でそういった。
「そうねぇ…
それじゃあお母さん頑張らないとねっ!」
お母さんは空元気でそう言うが顔が少し曇っていたのは誰も目で見ても明らかだった。
「お母さん、体調悪いの?
あんまり無理しちゃダメだよ?」
俺は声が震えていて明らかに不安がっているのが丸わかりだった。
「うん…少しだけね…
でも大丈夫よ?きっと良くなるからね」
お母さんの声も少しだけ震えていた。
「ちょっとトイレ行ってくるね。」
しばらく三人で談笑しているとトイレに行きたくなってきた。
「病院のトイレ怖いとか行って一人で行けなかったのに大丈夫なのぉ?
私ついていこうか?」
雪ねぇがちょっとバカにしながらも心配してくれたけど俺はもうそんなに子供ではない。
「 大丈夫だよっ!
もうそんな子供じゃないもんっ!」
そういって病室から出て行く。
すると後ろから笑い声がした。
なんだかとても悔しい…
「お母さんっ!お母さんっ!
しっかりしてよっ!」
お母さんの病室に戻ろうとすると病室の中から雪ねぇの声が聞こえた。
「どうしたのっ!雪ねぇっ!」
俺は急いで病室に入る。
そこにはとても苦しそうにしているお母さんの姿とオロオロと立ち尽くしている雪ねぇの姿があった。
「さっきお母さんがいきなり苦しみ出して…ナースコールしたんだけど何したらいいのかわかんなくって… うっううっ…」
雪ねぇは俺を見つけるといきなり抱きついてきて状況を説明しながら泣き始めてしまった。
「宮代さんっ!
大丈夫ですか?
先生を呼んできてください。」
「はいっ!」
すぐに看護師さんが何人か来て対処をしてくれている。
「どうしたっ、まずいな…
緊急手術の準備をしてくれ。」
「はいっ!」
「ストレッチャー来ました!」
「よし、いち、にっ、さんっ」
慌ただしく看護師さんたちが何かしている。
俺たちはボケーっとそれを見ているとお母さんはどこかに運ばれてしまった。
「大丈夫よ、これから緊急手術すればきっとお母さんは良くなるわよ…」
一人の看護師さんが俺たちの姿をみてそういってくれた。
「緊急手術…
お母さん大丈夫かなぁ…」
俺はポロっと本音を漏らしてしまった。
「きっと大丈夫よ。
信じて待つしかないわ…」
雪ねぇは震える声でまるで自分に言い聞かせるように言った。
「お父さんに連絡しなきゃ…」
そういって雪ねぇはフラフラと立ち上がり病室から出て行った。
「待って、俺もいく…」
俺も雪ねぇについていくことにした。
病院から一回出て、エントランスホールのところで雪ねぇはケータイを取り出してお父さんに電話をかけ始めた。
外来診察時間も終わった病院のエントランスには俺と雪ねぇしかいなかった。
プルルルル…
プルルルル…
『おっすー。
どうした?なんかあったか?』
雪ねぇは俺にも聞こえるようにスピーカーホンにしてくれていた。
「お父さんっ!
お母さんがっ…お母さんがっ…」
雪ねぇはちょっとパニックに陥っている。
「お姉ちゃん。落ち着いて。」
俺は雪ねぇを抱きしめた。
ちょっとずつ雪ねぇの呼吸が落ち着いてゆく。
「ありがと、橙くん。
お父さんっ。お母さんが危篤だよ…
さっきいきなり苦しみ始めて緊急手術になった。
早く帰ってきてよ!
お父さんの顔で安心させてあげて!」
雪ねぇはまくし立てるようにそう言った。
『ガタンっ…
…茜菜が…そうか…遂に…でも…でも…
やっぱりダメだ…帰れない。
俺はお前らを食わせなきゃいけないんだ』
電話の向こうから大きな音が聞こえた。
きっと電話を落としたりでもしたのだろう。
電話口から聞こえてきたお父さんの応えはノーだった。
「なんでっ…
なんでなのよっ!
お母さんが危篤なんだよ!
死んじゃうかもしれないんだよ!」
雪ねぇが声を荒げた。
雪ねぇのほうをみてみると雪ねぇの瞳からは輝くものが流れていた。
「雪ねぇ…」
俺はそれ以上何も言わずに雪ねぇを抱きしめる手に力を込めた。
『ダメだ…
俺は茜菜との大切な宝物を守らなきゃいけない。
頑張って持ちこたえてくれ…
日曜の夜には戻る。
ガチャ…ツー…ツー』
父さんは祈るように言い残して電話を切ってしまった。
「なんで、なんでなの…
こんなのお母さんが可哀想だよ…」
泣きながら雪ねぇはボソッとつぶやいた。
俺は雪ねぇに何も声をかけられずただただ抱きしめることしかできなかった。
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結局雪ねぇは1時間くらい泣いていただろうか…
俺たちがお母さんの病室に戻った頃にはお母さんは安らかな顔で眠っていた。
ただ、その姿は先ほどまでとはうって変わっていろんなところから管みたいなのが繋がれて人工呼吸器までつけられてさらにはベッドサイドには心電図装置みたいなのまで置いてあった。
「お母さん…」
雪ねぇはそんな状態のお母さんをみて絶句している。
かく言う俺も雪ねぇと似たようなものだけど…
「おや、戻ってこられましたか。
宮代さんの息子さんと娘さんですね。
ちょっとよろしいですか?」
優しそうな白衣を着た壮年のおじさんに声を掛けられた。
いきなり声をかけられて俺は戸惑っていたけど雪ねぇには心当たりがあるようで何も言わずについて行くので俺も雪ねぇに着いていくことにした。
おじさんについていくと第6診察室と書かれたプレートのついた部屋にたどり着いた。
「どゔぞ、入ってください。」
壮年のおじさんに声を掛けられて二人で部屋の中に入る。
部屋の中は診察室の形を取ってはいたけど結構私物の多い空間であった。
「こんな汚い部屋ですまないねぇ…
この診察室は私しか使わないものでいつの間にか私物ばかりの部屋になってしまったよ。」
おじさんは笑いながらこの診察室を皮肉った。
「そういえば自己紹介がまだだったね。
私はこの病院の外科医の柊です。
宮代さん…君達のお母さんの主治医です。」
おじさん…柊先生は胸ポケットから名札みたいなものを取り出して自己紹介してくれた。
「柊先生。母は大丈夫なのでしょうか?
こんなことになるなんて…
さっきまで元気だったのに…」
雪ねぇは涙を流しながらそう言った。
「旦那さん…君達のお父さんには説明したんだけど週末は彼は近くにいないそうだから君達に宣告させてもらいます。
君達のお母さんは簡単に言うと心臓がだんだん動かなくなり、その影響で発作的に心臓がとまることがあります。
この病気は発症するとやがて死に至ります。
そして、君達のお母さんの命はもう長くありません。
はっきり言わせてもらえばもう一週間も持たないでしょう…
今日の緊急手術で心臓の働きを補助する装置をつけさせていただきました。
これをつけても1週間持つことはないと思われます。」
柊先生は落ち着いた声で淡々と事実を並べていく。
「そんな…お父さんはそれを知ってるんですか?」
雪ねぇは憔悴しきった表情で柊先生に詰め寄る。
「ええ、知っています。
といっても旦那さんにも一昨日お伝えしたばかりですが…
ちなみに、次に発作が起きたらもう先はないとも…」
柊先生はとても暗い表情でそう告げた。
「え、お父さんはもしかしたら間に合わないってわかっててあんなこと言ってたの?」
雪ねぇは真っ青な顔をして自問自答をし始めた。
「雪ねぇっ…落ち着いて。
最後まで先生の話聞こうよ。」
俺もきっと青い顔をしているだろうけど必死に雪ねぇの自問自答を止めた。
きっとこのままじゃ答えのないドロ沼の思考にはまってしまう。
「これは特例措置ですがこの病院の隣にある患者家族用の簡易宿泊所を無料で使っていただいて結構ですのでできる限り側にいた方がいいと思われます。
最期の時まで側にいてあげてください。
こちらが宿泊所の部屋の鍵になります。
それでは、私はこれで…
そうそう、この部屋の鍵は掛けなくて大丈夫ですので…」
そう言って柊先生はタグの付いた鍵を俺に渡して部屋から出て行ってしまった。
最期の時までって…
もう手遅れってこと?
この何日間かでお母さんとのお別れをしなきゃいけないってこと?…
「行きましょう。橙くん。
なるべく長い時間お母さんと一緒にいましょう。
あと、お母さんには絶対悟られないようにしましょう…」
雪ねぇの顔からはお父さんの代わりにお母さんを看取ろうという強い決意がみえた。
「うん。わかった。
ひゆちゃんとも約束したからね。」
俺もお母さんには最期まで悲しい思いはさせないという決意を固めた。
「うん。じゃあ行きましょうか。」
雪ねぇはあまり俺の前では見せない満面の笑顔を見せてお母さんの病室に向かう。
なんだか今までなんだか遠く感じていた雪ねぇをとても近くに感じるような気がした。
(因みにこの頃はまだブラコンではない。
二人の関係は仲良くもなく仲悪くもないと言った微妙な関係であった。)
ガラガラ…
「お母さん寝てるかな…」
雪ねぇがボソッとそう言いながらベッドサイドまでいくとお母さんが弱々しくまぶたを開いた。
「あら、…帰っちゃったんじゃなかったのね…
二人とも…帰っちゃったのかと思って…お母さん寂しかったわ…」
お母さんは人工呼吸器のマスク越しのせいかこもってしまって聞き取りづらい声で途切れ途切れにそう言った。
「もうっ、私たちがお母さんに何も言わずに帰るわけないじゃん…
ねえ?橙くん。」
雪ねぇはコロコロと笑いながら俺に振ってきた。
「えっ?ああ、もちろん!
お母さん心配だったから病院の人に相談したらここに泊まっていいってさ。」
いきなり振られてびっくりしたけど努めて普通に振る舞った。
「あらあら…病院の人に…迷惑かけてない?…
橙くんそういうの…突っ走っちゃうから…」
お母さんは途切れ途切れながらも困ったわと言った感じで答えてくれた。
「大丈夫だよ!
なるべくお母さんの近くに居たいだろうって言って笑顔で許してくれたもん。」
そう言って俺は頬っぺたを膨らませた。
この頃の俺はこんな子供っぽい仕草してたんだ…
それにしてもいくら9才でもこれは子供っぽすぎないだろうか…
「大丈夫だよ。
お父さんが仕事に行って家に誰もいないってどっかから聞きつけて簡易宿泊所の部屋も貸してくれたくらいだから…」
雪ねぇも援護をしてくれる。
「そうねぇ…
その方が…私も安心できるわ…
柊先生は…優しいのね…」
お母さんはとても暖かく、そして弱々しい笑顔でそう言った。
「うん、だから心配しないで?」
雪ねぇは優しい笑顔でそう返した。
「うふふっ…
なんだか…今日は…仲良しじゃない…」
お母さんがそう言って笑った。
「そ、そんなの姉弟なんだから当たり前でしょっ!」
雪ねぇは顔を真っ赤にしてそう言った。
雪ねぇの態度は誰の目から見ても照れ隠しにしか見えなかった。
「うふふ…
なんか二人の間であったのね…
二人が仲良くしてくれて…
お母さん嬉しいわっ!」
そう言ってお母さんは死の迫っている病人とは思えないチャーミングな笑顔でそう答えた。
本当お母さんは年の割に可愛らしい人だったよな…
この時だって36歳とかだったはずなのに精々20代前半にしか見えない。
「ううっ…」
雪ねぇは顔を真っ赤にして俯いている。
「橙くんは…しっかり学校行ってる?
最近はピアノ…やってないって…言ってたけど…もうやめちゃったの?」
お母さんはさっきまでと打って変わって弱々しい顔でそう聞いてきた。
「ちゃんと行ってるよ!
ピアノはね、飽きちゃった…
その代わりね、最近はお父さんにギター教えてもらってるんだ!
カッコいいんだよっ!」
俺はまくしたてるように喋った。
最近はお母さん寝てることが多かったから喋りたいことがいっぱいあった。
今考えてみるとこの時のお母さんはもう俺たちと過ごせる時間がほとんど無いとわかっていたのだろう。
だからある程度辛くても俺たちとおしゃべりをしてくれたのだろう。
「そうね…よかったわね…
あの人はもうっ…橙くんをバンドマンに…仕立て上げるつもりかしら…」
お母さんはちょっと拗ねたようにそう言った。
「あははっ…
それに関しては橙くんがお父さんに強引に教えさせてるだけだからお父さんは悪く無いんだよ?」
雪ねぇがそう付け加える。
「強引にって…
お父さんだってノリノリで教えてるから強引にとかじゃないもん」
俺が拗ねたように返すとお母さんがクスクス笑い出した。
「あはは…
ごめんね…面白かったものだから…
こうやって…考えると…
我が家って…音楽一家なのね…
お父さんとお母さんは…昔音楽でぶいぶい言わせてた…頃があるくらいだし…
雪ちゃんはピアノだし…
橙くんは…ピアノとギターでしょ?…
ひゆちゃんなんて…アイドルになるらしいわよ?…」
お母さんは弱々しい口調で爆弾を落とした。
ちなみに雪ちゃんとは雪ねぇのことで、この呼び名はお母さんしかつかわない。
ひゆちゃんがアイドル?
聞いてないよ…
「えっ!
ひゆちゃんがアイドルってどういうこと?
そんなの聞いてないよっ…」
俺は混乱のピークに達していた。
「橙くん。…落ち着いて。
ひゆちゃんもね…悩んでたみたい。
大好きな橙くんと…離れ離れになるかも…しれないことへの不安とか…いろんな感情が…渦巻いてなかなか…言い出せなかったみたいだから…ひゆちゃんを…責めないであげて。…」
お母さんは悲痛な表情をしている。
確かにひゆちゃんはびっくりするほど俺に懐いていた。
そういえばこの頃からひーちゃんは変わらないなぁ…
この頃はひゆちゃんとずっと一緒にいたっけ…
「そっか…
まあ仕方ないか…」
俺はお母さんに心配させたくなかったしあんまり無理もさせた気なかったので言葉ではこういった。
ただ、顔では納得いかないと言っていたのか。雪ねぇとお母さんには苦笑いされてしまった。
「ひゆちゃんもいっぱい悩んでいたよ?
お兄ちゃんと離れ離れになりたくないけどアイドルもやってみたいって…」
雪ねぇはひゆちゃんの真似をしてそう言った。
「ふふふっ…
みんな仲よさそうで…よかった…
ゴホッ…ゴホッ…」
優しそうに笑ってたお母さんがいきなり苦しそうに咳き込み出した。
「ナースコールしないと!
どこにあったっけ…」
雪ねぇは慌ててナースコールのリモコンを探す。
「雪…ちゃん…
よくある…ことだから…心配しないで…」
ナースコールを探す雪ねぇの手を掴んで細々とした声でそう言った。
「お、お母さん…
無理しないで…
辛い時は辛いって言わないと…」
雪ねぇは今にも泣きそうになっている。
「大丈夫…
お母さんの…病気は…先生とかを…呼んでも…苦しさが…なくなったりは…しないから
だから…ちょっとでも…あなた達のそばに…いたいの…」
お母さんはかなり途切れ途切れながらも強く意志のこもった声でそう言った。
「うん、わかったよ…
そばにいるから…」
俺はそう言ってお母さんの手を握った。
「ありがと…
橙くんは…優しいのね…」
お母さんは暖かい笑顔をしてそう言ってくれた。
この時握ったお母さんの手はとても細くってちょっとのことで折れてしまいそうで涙があふれそうになる。
「私もーっ!」
雪ねぇが反対側に座って反対側の手を握った。
雪ねぇも今にも涙があふれそうな顔をしている。
「ありがと…眠くなってきたわ…
お母さん…もう寝ちゃうから…
あなた達も…ちょっと…休んで来なさい。
あなた達が…倒れたら…意味ないわよ?」
そう言ってお母さんは笑った。
「わかった。
明日の朝には絶対来るからねっ。」
雪ねぇはそう言ってお母さんの手を離した。
「お母さんもゆっくり休んでね…」
俺も雪ねぇにならってお母さんの手を離した。
「ええ、ゆっくり休むわ…」
そう言ってお母さんは瞳を閉じた。
お母さんが寝息を立て始めたのを見届けて雪ねぇと病室をでた。
☆★☆★☆★☆★☆★☆★
「お母さんだいぶ辛そうだったね…」
雪ねぇがパックの紅茶を飲みながらそう言った。
病院の外からも中からも入れるコンビニに寄って晩御飯を買い、病院に借りた簡易宿泊所でご飯をたべている時にいきなりその話題になった。
「お母さん結構無理する人だからね…
相当辛いんだろうね…」
俺も思ったことをそのまま返した。
夜も遅くなっているので俺はもう眠たくなってきている。
「だいぶ眠たそうね…
今日はもう休もっか…
明日は朝に荷物取りに行ってからお母さんのお見舞いに行くことにしようか…」
「わかったよ…
先お風呂入っていいよ…」
俺は寝ぼけ眼でそう答えた。
そのあと俺は備え付けてあったコーヒーメーカーでコーヒーを淹れて飲んでいるとひゆちゃんからメールが来た。
宮代家は家族全員がケータイを持っている。
親が家を空けたりすることが多いためだ。
『お兄ちゃんっ!
お母さんの容態は大丈夫?』
絵文字や顔文字で彩られたひゆちゃんのメールを解読したおおよその内容をみて俺はため息をつく。
「もうひゆちゃんまで話が回ってるのか…
あんまり心配させたくなかったのに…」
一人でそうつぶやいてひゆちゃんへの返信を打つ。
『なんとか大丈夫そう…
アイドルのレッスン終わったら急いで帰ってきなよ。
ただ、レッスンは手を抜いちゃだめだよ?』
俺は絵文字とかが苦手なので文字だけのそっけないメールを返す。
ただ、お母さんがもう長くないってことはこっちに帰ってきてから伝えようと思う。
ひゆちゃんには無駄な心配せずにアイドル活動に専念してほしいから。
『ええええっ!
なんでお兄ちゃんそれ知ってるのぉ?
絶対お母さんでしょ!
言わないでって言ってたんだけどなぁ…』
困り顔の顔文字などでひゆちゃんが今どんな表情をしているのかが想像できてなんだか面白い。
『いつまでも悩んでるひゆちゃんにお母さんナイスアシストねっていってたよ?』
お母さんのこぼしたくだらない一言を思い出しそのままメールにしてひゆちゃんに送った。
『まあ、結果お兄ちゃんが応援してくれてるみたいで良かった…
じゃあいっぱい頑張ってからそっち帰るね。』
ひゆちゃんのメールは文面からひゆちゃんが伝わってきてなんだか楽しい。
『頑張ってね!
俺は応援してるから!』
いつもの口調でメールを返す。
メールだけで顔を合わせた気になるのは俺たちが双子だからだろうか。
「お風呂上がったよ〜」
お風呂場の方から雪ねぇの声がしたのでケータイを充電器につないで備え付けのタオルを持ってお風呂場へ向かった。
「じゃあ私もう寝ちゃうから。
あんまり長湯しちゃだめだよ?」
お風呂場の前ですれ違い様に雪ねぇはそう言ってそのまま布団のある部屋へと向かっていった。
「俺もさっさとお風呂入って寝よう。」
そう一人つぶやいてお風呂に入った。
お風呂から上がった俺はリビングにある病院からの内線電話の呼び出し音をマックスに設定し直して万が一に備えて寝室に向かった。
「雪ねぇ、おやすみ。」
幸せそうな顔で寝息を立てている雪ねぇを起こさないようボソッとそう言って俺も布団に入った。
今日は眠れないような気がしたけどいざ布団の中に入ると驚くほどすぐに眠気がやってきた。
俺はそれに逆らうことなく身を委ねたのであった。
お母さんの病気は後天性心筋硬化症という病気で心臓がだんだんと石のように固くなってしまう病気です。
ですが、実際にそんな病気はありません。
病気の描写はすべてフィクションとなっております。