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無能力主義

作者: さきら天悟
掲載日:2015/01/25

「太田さん、ぜんぜん上がってないですよ」

若林は今年の年棒を提示された契約書を太田に見せた。


「でも、上がってるじゃないか。他の奴はもっと厳しいぞ」

太田は若林より5年先輩で今年30才になる。


「やってられないすっよ」


「お前の場合、ソフトウェアのエンジニアとしては一人前だけど、なあ」


若林は太田の次の言葉を子犬のような目をして待った。


「企画と営業がなあ・・・」


「えっ、そんな」

若林は額にシワを描いた。

入社3年目の彼に、会社はまだそこまで求めていない。


「だから給料上がらないんだ」


「それはそうですけど。

でも、会社は払う気がないんですよ。

評価する人が無能ですから」


太田は大げさに周りを見るふりをした。

ガラス張りの会議室の近くに人はおらず、

若林の張り上げた声に反応する人もいなかった。


「そういう話は俺だけにしろ」

太田は声を抑えて言った。


「でも、本当のことじゃないですか。

今度、太田さんの同期の松島さんが課長になるって噂ですよ」


「ああ、聞いている」


「会社がイメージアップをはかるため、女性を課長したって。

太田さん、悔しくないですか」


「彼女は実力あるし、問題ないと思うけどな」


「そうですけど、今期、会社が黒字になったのは・・・」

若林は言葉を詰まらせた。

彼らが働くIT業界は競争が厳しい。

常に新しいことを提示しなければ、戦いに敗れてしう。

太田が企画したアプリは地方自治体と提携するもので、順調な滑り出しを見せた。

まだ成功というわけではないが、数件のオファーがある。

現在、ビジネスモデル特許を申請中で、取得できれば莫大な利益になり、さらに海外進出も夢ではない。


「あの課の課長は女性の方がいいんだ。

顧客が女性の方が多い。確かにイメージは大切だ」


「太田さんはどう思うんですか。

管理職や役員に女性を登用していく流れを」


「俺は反対だな」


「えっ」と若林は驚きの声を上げた。

太田からそんな言葉がでると思わなかった。

「優秀な女性でも?」


「そもそも管理職なんていらないんだよ。

コンピューターが管理すればいい。

人間よりよほど公平だ。

それに、いい企画を提案した奴がその都度プロジェクトリーダーになって進めれば良い。

例え、女性でもお前みたいな新人でもな」


太田は常に新しい企画をいくつも提案していた。

若林は合点がいった。

「だから、いくつもの企画書を作っているんですね。

太田さんみたいな優秀な人に役員になって欲しいです」


ふん、と太田は鼻で笑った。

「そういう世間の風潮が間違っているんだ。

優秀だけじゃあ、役員になっちゃいけないんだ」


「どういうことですか?」


「役員は工場とか事業部を終わらせることができる人がなるべきなんだ。

ただ優秀な人は採算性が悪くなっても、存続させる方法を考えてしまう。

早期に中止する決断ができなければ、負債が膨れ上がってしまう。

人の首を切る覚悟がなければ、やっちゃいけない。

法務大臣と同じだな」


死刑囚に死刑の執行ができない国会議員は法務大臣になるべきでないと太田が言いたいことを、若林は察した。


「本当に優秀な人は会社にいないんだよ」


「どういうことですか?」


「本当に優秀な人はちゃんと独立して起業している。

会社なんて勇気のない無能の奴の集まりだ。

そういう意味じゃあ、役員に女性枠を決めても問題ないと思うけどな」


「そういうことか。

だから、太田さんは僕に企画や営業しろと言っているんですね。

本当の一人立ち、独立できるように」


「会社なんて無能力主義だからな」


「無能力主義?」


1990年代に会社は終身雇用制から能力主義を唱えるようになった。


「アベノミクスが証明した」


若林は困惑の表情を浮かべた。

「アベノミクス?」

太田の発想についていけなかった。

「大企業は業績が回復して良かったじゃないですか?」


「それで多分の経営者たちは自分の報酬を増やしただろう」


「それが何か問題でも?」


「ああ、大問題だ。

今回は為替レートが下がったお蔭で利益を上げたんだ。

経営者は何の能力も発揮していない。

それで報酬を上げたら、能力主義の崩壊だ。

ましてや、法人税を下げろという。

輸入品が高くなって国民が負担した金が企業に回っただけなのに。

こんなやつらの会社は能力主義じゃなく、無能力主義だ」


太田が珍しく熱くなったので、若林は周囲が気になって見渡した。

「太田さんも独立するんですか」

若林は声を落として訊いた。


「おれは独立しない」


えっ、若林は驚いた。


「俺には勇気がないし、人の人生を背負うのがイヤだ。

今のままで十分だ。

でも、ちょっとはあるな」


若林は太田に乗ろうと思った。

太田を独立させ、自分が支える。

上手くいくに違いない。

「太田さんなら独立すべきですよ」


「じゃあ、3年後を目標にがんばってみるか」


若林はニヤリとした。

これで俺も役員になれるかも。





3年経った。

太田はこじんまりしたラーメン屋を開業していた。


若林は太田について行かなかった。

太田が作るラーメンもそれほど美味しくない。


でも、毎週通っている。

企画を相談するためだった。

若林は太田を超えるような企画を出せないと分かってしまった。

それでも、若林は独立した。



今では太田より少し美味いラーメンを作っている。

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