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エンド・ワールド

【錆びの町(中)】

作者: 冴野一期

 ※


 アップデータは、原則として、個人になりえません。

 個性は〝誤差の範疇〟です。誰もが同じ方角を見て、豊かな世界で、同じように成長します。

 たとえば、第一条項にある、男女間の婚約のように。アップデータの九割以上が二十歳で結婚します。子は男女二人そろって産まれてくるのが常でした。


 ※


「起きるペン! 朝だペン! 起きるんだペンっ!」

「……う、うぅん……?」

 今朝、目覚まし時計で起きる、という初めての体験を得ました。

 ベッドの隣にあるサイドボードの上には、妙に愛らしいペンギンの目覚まし時計が置かれています。繰りかえし「朝だペン! 起きるんだペン!」と飛び跳ねているのを、ぼんやりする頭でにらみます。

「起きるペン! なにをしているんだペン! とっとと目を覚ますのだペン!」

「ペンギンさんの語尾は、ペンではありません」

「起きるんだペぎょーッ!?」

 ずびし。

 三頭身の頭にスイッチが見えたので、チョップで黙らせます。唐突な睡眠の強制中断により、私の精神は不快指数が高めでした。許してください。

「共有通信は……?」

 いつもの癖で、私は手の甲を二度、突きます。

 『ナノアプリケーション』を起動させ、共有機関による、生体認証用のクラウドサーバに繋ぎます。しかし返ってきたメッセージは「圏外」でした。

「そっか。壁の外にきてから、二十四時間が経ったものね」

 都を離れたことによる、共有機能の一時停止処分。超高度AI『MANASマナ』にとって、今の私は異分子に近い存在でした。

 このまま四十九日が経過すると、私の体内を巡る『ナノアプリケーション』は、完全に『MANAS』への認証権を失います。

 共有通信はおろか、壁の内に入ることも叶わなくなります。

「……姉さんは、いつもこんな世界にいたのかしら……」

 あの駅にいた男性のように。

 所属していた世界から取り残され、ノーボディという名の個人として、永久に生きていく。一人きりで。

「姉さん」

 私はベッドから起きあがり、カーテンを開きました。

 ここはいつもの自宅ではありません。見える景色は異なっています。

「今朝は晴れたのね」

 空には、錆びの雨を遮る、見慣れた〝壁〟は見えません。

 直に太陽の日差しと、青を含んだ色を届けてくれます。映像の記録は行わず、原始の空をしばらく見つめました。

「……静かね」

 しん、とした空気。

 なにか足りない。音が不足している。住宅の間を通る電線の上を見つめていると、不意に気付きます。

「鳥がいないんだわ」

 ここは、生き物の気配がひどく希薄です。

 壁の内には、遺伝子組み換えを行った鳥が生息しています。けれどこの場所にいた鳥は、すべてが錆びて朽ちている。

 ――ごぅん、ごぅん、ごぅん。

「あら?」

 聞こえてくるのは、電気系列の機械音。

 内側の部屋にある、洗濯機らしき物の音でした。扉の向こうから、ぱたぱたと小走りで駆けるスリッパの足音も聞こえてきます。

「蒼月さんかしら」

 パジャマの上から一枚、薄絹を羽織って、扉をあける。廊下の先には予想通り、洗濯篭を抱えた蒼月さんの背中が見えた。

「おはようございます」

「あっ、おはようなのです。秋野さんっ」

 声をかけると、昨日と同じ、白いエプロンドレスを着た蒼月さんが振り返りました。

「今日は久しぶりに晴れたので、お洗濯をしようかと思いましてっ。お食事はもうちょっと待ってくださいね。すぐにご用意しますので~」

「あ、お構いなく。私はアップデータですから、水を一杯頂ければ、それで充分ですから」

 私たちはとても燃費の良い種族です。一杯の水を摂取するだけで、一週間は問題なく生きられます。

「む~、坂崎さんからも、アップデータさんは、ごはんを食べなくても生きていけるとは聞いてるのです」

「はい、ですので」

「でもせっかくのお客様なので、ご一緒していただけると嬉しいのです」

「……蒼月さんも、食事をされるのですか?」

「するのですよ。人型の振る舞いを持つ私たちも、同じような消化機構を持っています。ただ、直接エネルギーになることはなくて〝食べる真似〟なのですけどね」

「わかりました。それじゃあ、ごちそうになりますね」

「えへへ。よーし、ちゃちゃーっと片付けて、ごはん作るのですよ~」

「私も手伝います」

 そう告げて、蒼月さんについて、ベランダまで向かいました。


 ※


「今日のお仕事は、お手紙の配達に、ビニールハウスの農作業と、ご近所のお宅で納戸の立てつけが悪いそうなので、直しにいくのです」

 焼いたトースターをさくさく食べながら、蒼月さんが言いました。

「蒼月さんは本当に〝お手伝いさん〟なんですね」

「人手不足ですからね。物資自体は、永久機関炉のおかげであり余っているのですが、物流が上手く機能していないのです」

「なるほど。ところで蒼月さんは、何故こちらの地上に来られたのですか?」

「実は、あまり覚えてないのです」

「覚えてない?」

 蒼月さんは困ったように首を傾ぎました。

「その、ちょびっと記憶が曖昧というか、もやもや~というか。行き倒れかけてたっぽいところを救われて、そのご縁がきっかけでこちらに来たのですよ~」

 彼女もなにかしら、事情がおありの様でした。


 朝食を済ませ、玄関の前に立ちます。

 画材を入れた鞄。藍色の雨合羽を羽織り、長靴を履いて、振り返りました。

「それでは、いってまいります」

「いってらっしゃいです」

 今日は、昨日案内していただいた高校に、もう一度行ってみようと考えていました。

「今日は夜まで晴れなのです。でも、通り雨が来るかもしれませんから、十分に気をつけてくださいね」

「わかりました。陽がくれるまでには帰ってきます。では」

「あっ、そうだ秋野さんっ」

「はい?」

「晩ごはん、何が食べたいです?」

「えっ!」

「なんでも作りますよ~」

「……えっと」

 ついさっき口にした〝不思議スープ〟の独創的な味を思いだし、ちょっと顔が引きつった気がします。

 単純に焼いたトーストは美味しかったのですが、そこへまた、不思議な香りのする、緑色のペースト状のなにかが迫り、真顔で遠慮しました。

「秋野さんは、久しぶりのお客さんですからっ、腕によりをかけて作るのですっ」

「いえ……居候の身ですから。そこまでして頂くわけには……」

 やんわりお断りすると、蒼月さんはより一層、瞳をキラキラさせます。

「いいえ、そんなことっ! 大切なお客様にっ! させるわけにはいかないのですっ! おもてなしこそ、お手伝いさんの、至上最大の任務ですからねっ!」

「いえいえいえ。あ、そうだ。では今日は私が郷土料理も振る舞わせていただくというのはどうでしょうか」

「ほわぁ~。それも素敵です~」

「素敵ですよ~」

 どうか受け入れてください。お願いします。

「じゃあ、私のお仕事が終わったら、学校まで迎えにいっていいですか?」

「いいですよ」

「了解なのですっ、えっと、昨日お渡しした携帯はお持ちですか?」

「はい。鞄に入れています」

「それじゃ、お仕事が終わったら連絡をいれるのです。それから大丈夫だと思うのですが、もし怪しい人が近づいて来たときも、遠慮なく呼んでくださいね。すぐに駆けつけるのですよっ!」

「わかりました。では改めて、いってまいります」

「はいな。いってらっしゃいです~」

 軽くお辞儀をしてから、外へと続く扉を開きました。


 外に出てから、最寄のバス亭に行くまでに、計三人の人間とすれ違いました。

 性別も背格好も違いましたが、誰もが用心を兼ねて雨合羽を羽織り、フードを素早く被れるように、髪も全体的に短く切り揃えています。それと長靴を履いているのも特徴的でした。

 私も蒼月さんの助言をいただき、同じような格好です。

 ただ髪の毛だけはずっと伸ばしていたので、家を出る前、蒼月さんにシニョンで結い上げる形にしていただきました。

「時々自動車が通るけど、どれも無人なのね」

 この町には、無人の除雪自動車ならぬ、除雨自動車なんかも行き来しているようでした。広い交差点には、ごくごく稀に無人の乗り物が前を横切ってゆきます。

「バスは、ここでいいのよね」

 目指す学校は、なだらかな丘の上にありました。

 停留所らしいところでしばらく待っていると、時間通りにバスがやってきます。

 これも運転手はいません。正面の料金表もすべて「0」でした。

 どうやら町の交通ライフラインに関しては、基本的に、すべてが自動操縦オートパイロットで管理されている様です。

「蒼月さんの自動車の方が、珍しいのね」

 扉が閉まります。

 終点の高校前に到着するまで、他に乗り合わせた人はいませんでした。


 ※


「今日は、久しぶりに晴れましたね」

 運転席の扉を開き、ナビに話しかけます。するといつもはすぐに応答をくれるのですが、今日は幾許かのタイムラグがありました。

『……サヤ、秋野栞奈のことですが……』

「綺麗な人ですよね。私も可能なら、あんな風に魅力的なボディになりたかったのです」

『あなたの貧相な胸のことはどうでもいいのですが?』

「ひ、貧相とはっ、どういうことですか! 貧相とはっ!」

 エンジンをかけながら憤慨します。フッと冷笑っぽい返事がきました。

『わざわざ説明する電力も無駄なので割愛します。そんなことよりも、あまり彼女から目を離さない方が良い。と進言しますよ』

「迷子になっちゃうからですか?」

 二度目の、フッ。

『この町に訪れる誰もが、当時、二歳児であったあなたと同じとは限りません。万人は方向音痴ばかりではないと思っておいた方が、後で自分を傷つけずに済みますよ、サヤ』

「嫌味がいつにもまして回りくどいのです!」

『それはどうも』

 ウチのカーナビは、本当に口が悪いのです。

 むんっ、とアクセルを踏みます。白のライトバンは、のんびり欠伸をするように発進しました。ほぼ速度を落とさずに、そのまま表の道路にでます。

「それで、どうして秋野さんから、目を離さない方がいいのです?」

『昨日、彼女が私の助手席に座っていた際に、やや〝悲愴なバイオリズム〟を感じとりました』

「ひ、悲愴なバイオリズム?」

 なにやら詩的な響きが飛び出しましたよ。

『秋野栞奈の発言に、嘘は認められませんでした。絵を描きに訪れた、というのは真実でしょうが、目的はそれだけに留まらないようです』

「……ねぇ、ナビ」

『なんですか?』

「貴女って本当に、エスパーではないのですよね? というか、いつのまにウソ発見器を搭載していたのですか」

『わたしは非科学的なことは嫌いですよ。サヤ』

 生真面目に返されてしまいました。まっすぐに国道の方を目指していると、対向車線の角を曲がって、黒塗りのタクシーがやってきました。

『…………』

 すれ違う際、挨拶をするように、正面のウインカーが、チカ、チカ、光ります。しかし中には誰もいません。無人の、自動操縦オートパイロットで運転されているタクシーです。

『サヤ、秋野栞奈は、無事に私立高校の校舎に入ったそうですよ』

「この時間でしたら、バスに乗って行かれたのですかね」

『でしょうね』

 錆の雨が降る、地上のこの町もまた、銀の都と同じく。

 〝特有の認証装置〟を有する眷属と、その代表である超高度AIによって、情報が共有されています。

『サヤ、わたしの目は、あくまでも屋外と、この車内のみが大部分を占めています。そのことをお忘れなきよう、お願いいたします』

「わかってます。まったくナビは心配性ですね」

『あなたが適当に過ぎるのですよ、サヤ』

 この町の眷属とは、一帯を自動操縦で走行している自動車、あるいは『乗り物』です。

 彼らはこの町を、覆面パトカーよろしく巡回しているのです。そして、そのルートや情報などを統括し、方向性を決定する権限を持っているのが――

NaViSナビ

『なんですか、サヤ』

「いえ、今更なのですが、ナビってすごいんだなぁと」

『また俗物的な感想を述べましたね』

 ふん、と鼻で笑うように言われてしまいました。

『ひとまず、わたしの方からは忠告しておきましたよ。後は〝お手伝いさん〟の裁量でお任せします』

「ありがとう、ナビ。それじゃ今日も、がんばっていきましょー。今日はお手伝いが終わったら、秋野さんを迎えにいって、お店によって、おいしいご馳走を作るのですよ~」

『今日は夕方から、また雨が降りますよ』

「えぇ。というわけで、可及的速やかに、かつていねいに。私はお手伝いをこなさねばならないのですよ」

『了解です。では最短の経路を表示します』

「――エンジンパーツを修理してくれたら、実質の時間短縮になるかなって」

『拒否します』

 いつものやりとりなのです。

 私たちは時速四十キロで、目的地に向かいました。

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