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前編

 闇に紛れ音も無く歩く者がいる。

 板張りの床を抜き足差し足と慎重な足運びで部屋の隅に配置されたベッドへと近づく。

 もはや一足、という距離まで近づいたところで足を止め、下半身のバネの力を最大限に活かして跳躍した。


「お兄ちゃぁああああん! 朝だよおぉおおおお!!」


 強烈なボディプレスをベッドに向かって放った少女は、そのままベッドのスプリングの反動で数度バヨンバヨンと揺れてから静かに床へと降り立った。激しく揺れた割には潰れる音も、苦しむ声も聞こえない。なぜならベッドの中には誰もいないからだ。布団の入っているように見えたふくらみは、身代わり用の丸太柄の抱き枕が被せてあるだけだった。


「やっぱり、そんじょそこらのお兄ちゃんとは違うということだね……お姉ちゃん!」

「ふふふ……まだまだ修行が足りないよ、ヤヨイ!」


 そんじょそこらのお兄ちゃんという言葉の意味は分からないし、そもそも兄ではなくて姉だった。

 ふふふと笑う声の主はベッドの下からもそもそと這い出てくる。台詞の割りに非常に格好悪い登場だった。

 妹のヤヨイに引っ張って貰ってベッドの下から出てきた姉のマチは狭い空間から解放された体をグンと伸ばす。その間にヤヨイはカーテンを開ける。

 部屋の中に取り込まれた朝日に目を細めて、爽やかに挨拶をした。


「おはよう、ヤヨイ」


 陽に照らされた二人の顔は瓜二つに見える、それも当然で二人は一卵性の双生児だ。御堂家の双子と言えば見目麗しく鏡映しのようにそっくりな容姿と意味不明な言動で近所ではそこそこ有名である。ただし、マチはベッドの下に入っていて埃で真っ白になっているので、今だけは見分けがつきやすい。


「おはようお姉ちゃん、ご飯にする? お風呂にする? それともピッツァ?」

「ご飯とピッツァは別なの?」


 考え込んだヤヨイを置いて「先にお風呂入るねー」と言って風呂場へと向かう。トイレから出てきた母親が「うわっ、白いっ!?」と驚く声が部屋に残ったヤヨイにも聞こえてきた。

 シャアワーを浴びてピッツァではない朝食を食べた二人は学校へと向かう。

 二人が通う私立猪鳴館学園は、今にも館物の密室殺人事件が起こりそうな名前だが中身は至って普通の高校だ。二人揃って並んで歩いて30分ほどで学校に着く距離だ。

 歩くには少し遠いのだが、先週自転車に5人乗りしたまま学校の噴水に突っ込み自転車が大破して、校長にしこたま怒られたので自転車通学はしばらくの間は謹慎を言い渡されている。

 昨日見たテレビの話や今日の授業の話、次は7人乗りに挑戦しようという話をしながら学校に到着すると、校門ではマチのクラスの担任教師が門番をしていた。門番とは校門に立って生徒に挨拶するだけという謎の当番だ。


「「お早うございます、ミツナリ先生」」


 二人が声をハモらせて声をかけると、眠たげな目でミツナリ先生と呼ばれた教師が顔を向けた。日本史の教師で名字が石田なだけでミツナリ先生と呼ばれるようになってしまった30歳半ばの男性教員は、いつも眠そうな顔でやる気を全く感じられないが、校長の名前が織田なのでいつか下剋上を起こすのではないかと少なくない生徒に期待されている。


「おう、お前らか。おはよう」


 適当に手を振って挨拶をすると、双子が同時に首をかしげた。


「「今日は一人ですよ? 二人に見えるんですか?」」


 見事に同時に発声するので、そう言われると自分がおかしいかのような錯覚に陥るが、二人の出鱈目な行動は今日に始まったことではないので、疑問の浮かんだ頭を振って二人に向き直る。


「そう、何でもかんでも意味のないことをするなよ」

「モスラーヤ」

「モスラー」

「「ドンガ カッサーグヤ インドゥームー」」

「話を聞け、モスラを呼ぶな!」


 大怪獣世代にジャストミートだったので、懐かしい歌に少しだけ嬉しくなってしまったが、それを隠しながら校舎の中へと追いやった。ただでさえ慌ただしい朝の空気が、二人がひっかきまわすせいで3倍くらいに増したように感じる。

 マチとヤヨイは同学年だがクラスは別に配置されている。それは別に一緒にすると手に負えないからというわけではなくて、兄弟姉妹は別のクラスにするように指導要綱で決まっているからだ。問題は一人でも大抵手に負えないことであるが、そこについてはもう諦めムードである。

 なんやかんやで3限目になり、マチのクラスに担任であるミツナリがやってきた。この時間が日本史の授業だからであって、べ、別にあんたと一緒にいたいからじゃないんだからねっ!


「んじゃー、教科書を読んでくれ、御堂」


 何の変哲もない授業を行っていたのだが、マチを指して教科書を読むように言うと、立ち上がって急に薄気味悪く笑い始めた。


「くくくく……!」

「どうした?」


 クラスメイトの大半は「またか」と思っているが、ミツナリは教師として急に笑い始めた生徒を心配して席へと近寄る。


「ふふふふ……まだ気付かないのかね? ミツナリ先生」

「あ? 何言って……」


 そこでミツナリも気が付いた。


「お、お前まさか……妹の方か!?」


 教壇で教科書を片手に持ったまま固まっているミツナリを尻目に、先ほどまで笑っていた口の下、顎先から皮膚をつまんで一気に引きはがす。ベリベリと音を立てて顔の皮をめくったと思うと、その下からは同じ顔が現れた。


「そう、始業のチャイムの時間から入れ替わっていたのさ!」


 双子なので入れ替わっても同じ顔である。変装しても何の変化もない。あまりの意味の無さとバカらしさに口をパクパクと動かすことしか出来ないでいると、ヤヨイは教科書を手に持ったまま教壇へと移動した。


「群馬県の八幡製鉄所が世界遺産に登録されたから試験でも出やすいよ」

「勝手に授業をするな!」


 通常運転に戻ったミツナリに背中を押されて教室から追い出されそうになっているヤヨイを見送りながら、黙々と教科書の1901年八幡製鉄所の操業開始にマーカーを引くあたりクラスメイトは慣れたものだった。


「あ、私の顔面ピッツァ食べます?」

「いらんわ! 自分のクラスに戻れ! あと、姉を呼んで来い!」


 御堂姉妹は顔の作りだけは良いので何人かの男子生徒が欲しそうな顔をしていたがミツナリは見ていないことにした。

 少子化が進み教師が余っているご時勢に、自分のような若造がクラス担任になるというのは何の因果かと思っていたが、どうやら配属に際して下克上を恐れた校長が問題児のクラスの担当を指示したという噂は本当かもしれないと内心思うミツナリだった。


 授業が終わり怒涛の昼休みを迎えて、あっという間に下校の時間となる。

 部活に所属していない二人は揃って校門を出て、家とは違う方向へ足を運ぶ。町を外れて家が少なくなり、林や畑が目立つようになると長い階段の前で足を止めた。赤い鳥居を通り階段を上って、その先の神社へと向かう。


「お兄ちゃん、今日も来たよ」

「今日も学校、楽しかったよ」


 境内に奉られている大銀杏の根元に並んで声をかける。二人の兄が1年前にこの場所で命を絶ってから頻繁に訪れている。兄に懐いていた二人は語りかけるように、その日あったことを報告する。


「こんなに楽しいのに、何でお兄ちゃんは自殺なんかしちゃったのか分からないよ」

「お兄ちゃんが死んじゃったなんて、1年経ってもまだ信じられないよ」


 兄はいつでも全力で楽しんでいた。いつも楽しそうで面白そうで、大人にはよく怒られていたけれどそれでも周囲から人が離れていくことはなかった。二人ともそんな兄を尊敬していた、誇りだった。

 それが、突然の自殺。そんなはずがないと二人は錯乱し、御堂家は阿鼻叫喚の地獄絵図と化した。ヤヨイは部屋に引きこもり、マチは夜の街を俳諧して誰彼構わず暴力沙汰を起こした。病院に連れて行かれ、

 何度も警察の世話になり、やがて耐え切れなくなって兄と同じ場所で命を絶とうと二人で決意した。

 二人で包丁とロープを持って、大銀杏の根元までやってきた。

 死亡推定時刻と同じ時間帯、夕日に照らされて輝く町を見て気持ちが揺らいだ。死の間際、兄は同じ光景を見たのだろうか。眼前に広がる茜色に染まる町の思い出が駆け巡る。どれも楽しい記憶ばかり、一つも悲しい思い出などない。

 ここで死を選んだ兄の気持ちが分からない。まだ死ねない。まだ死にたくない。そう思った。

 だから、兄と同じように楽しんで、面白がって、それからもう一度考えよう。兄と同じ気持ちになれたら、兄と同じ場所にもいけるだろう。だから―――


「まだ楽しいから、また今度来るね」

「お兄ちゃんの分も、楽しんでくるからね」


 微笑んでから大銀杏に背を向けて階段を降りた。二人の顔は同じだが、そのときは表情も同じ、楽しさと悲しさが入り混じった複雑な微笑みだった。


 ◆


 翌日、藤堂家にマチの絶叫が響き渡る。


「な、なんじゃこりゃあああああ」


 家の前の電線に止まっていた雀が飛び立つほどの大声だったが、藤堂家では3日に1回は絶叫が響き渡るので近所の人は誰も気にしなかった。しかしそこは血の繋がった姉妹、姉のいつもと違う絶叫に違和感を感じてヤヨイが部屋へと駆けつけた。


「お姉ちゃん、どうしたの!?」

「うお、ヤヨイだ。大きくなったなぁ」


 部屋に入ったヤヨイの目に入ったのは、ベッドの上で胸をさらけ出して胡坐を書いているマチの姿だった。


「お姉ちゃ……お兄ちゃん?」

「おう」


 昨日までの姉の表情とは違う。爽やかな印象を与える姉の笑顔ではなく、暖かな陽の光のような笑みだ。記憶の中にある兄の面影を感じる。


「どうして……?」

「いやぁ、それがさ、聞いてくれよ。俺って、突然殺されただろ?

 死んだ後に神様を名乗る爺さんに会って遊んでたら「頼むから帰ってくれって」って言われて、気づいたらここにいた」


 神様相手に何をしたのか、厄介払いされてあの世から戻ってきたらしい。しかし、それにしても何故姉の身体を乗っ取ってしまっているのか。


「あれ、そうしたらお姉ちゃんはどうなったの!?」

「さぁ……?」


 文字通り、神のみぞ知るである。

 その頃、姉の魂は入れ替わりに神の元へと呼び出されたが、突然呼び出された上に神の名乗る爺を問答無用でフルボッコだドン! な目に遭わせていた。


「あれ、今お兄ちゃん殺されたって言った?」

「ああ、そうな。なんか殺されちゃったらしいよ」

「え……自殺ってことになってるけど」

「え、マジで?」


 姉の顔と声で男言葉を話されると違和感を感じるが、それが兄だと分かっていると妙なくすぐったさを感じる。どうでもいいが、おっぱいはパジャマの外に放り出したままだ。


「とりあえず、それ仕舞って朝ごはん食べようか」

「そうだな」


 朝食を摂りながらこれからどうするかを話し合う。ヤヨイが、今日のところは学校を休むことを提案するが「妹の成績が落ちたら兄として申し訳ない」という意見の元、いつもどおり登校することになった。

 話し合っていたせいで少し時間が遅くなってしまい、ヤヨイが急いで着替えて靴を履いていると姉……兄がどこからともなくショッピングカートを持ってきた。


「なにそれ、何処から持ってきたの?」

「前に、閉店するスーパーの店長から貰って、屋根裏に隠してたんだ」


 これで登校しようぜ、と兄は言う。その発想力にヤヨイは戦慄した。兄の真似事で奇想天外な行動をとっていたが、やはり本家は切れ味が違う。歓喜とも恐怖とも分からぬ身体の震えをどう受け取ったのか、兄は「大丈夫だ、ショップングカートで登校してはいけないって校則は無かった」と述べた。校則には引っかからないだろうが道路交通法に引っかかることはガン無視した。

 買い物カゴを乗せるところにヨヤイが体育座りをして二人分のカバンを持つ。兄は後ろからハンドルを握って、全力でカートを押しはじめた。


「お、動いた動いた」


 徐々に加速するカートは意外なほどスピードが出る。少し尻が痛いのを考えなければ自転車とまでは行かないまでも、そこそこの移動速度を確保できそうだ。

 奇異の目で見られながらも、後は坂道を下るだけとなった。坂の下に学校があるので、あとはカートに任せておけば勝手に進む。最後のスパートに向けてカートを押して最大限のスピードを乗せた。


「ちょ、ちょっと早すぎない!? お兄ちゃん、大丈夫なのこれ!?」

「ヤヨイ、どうしよう。これブレーキが無いぞ!?」


 最初からブレーキなんか無い、と言うよりも前に下り坂に差し掛かり、ブレーキの無いカートは自由落下にも似た加速度で急降下し始めた。


「お兄ちゃんのバカああああああああああ!!」

「死ぬぅ! 生き返ったのに死ぬぅぅうう!!」


 絶叫を上げながら坂を下り、そのスピードを保ったまま見事なハンドル捌きで校門を抜け学校へと突入した。

 暴走車の如く突っ込んできたショッピングカートに、生徒達は何故か懐かしいものを感じながら全力で回避する。

 何とかカートを止めようとハンドルを握って右に左に揺らしてみるが、スピードがありすぎて全く言うことを聞かない。

 ガシャガシャと音を立てながら、それでも奇跡的に倒れずに猛スピードで進むカートは、マイナイスイオンを撒き散らす噴水に向かって、二人分の体重を乗せて飛び込んだ。


 この噴水には像が飾られていて、その足元から水が噴出されている。その像とは、フライドチキン屋のマスコット親父よろしく微笑みながら両手を前に突き出している校長の姿を銅像にしたものだ。

 登校と同時に朝一番からそれを見せられる生徒達からは非常に評判が悪かった。


 噴水の水溜りに落ちる直前ヤヨイを抱えてカートから脱出した後、勢いを無くすためにゴロゴロを地面を転がって土まみれになる。

 校舎の壁にぶつかって、どうにか止まった二人が身体を起こすと噴水の前で見慣れたスーツ姿の男が震えていた。よく見れば噴水の中心に立つ銅像と同じ姿の校長だ。

 何を震えているのかと視線の先を追うと、銅像の突き出した手に先ほどまで暴走していたショッピングカートが握られている。

 どのような回転をしたのか、ちょうど手の位置にカーとのハンドルがはまってしまったようで、まるで買い物を楽しむ校長を銅像にしているかのような姿になってしまっていた。


「だ、誰だっ! こんなことをしたのは!? また御堂か!?」


 苗字が織田な割りに似ているのは短気なところだけで、太った狸のような身体に短い手足を振り回しながらわめいていた。


「酷い……お兄ちゃんがもう死んじゃってるの知ってるのに、何でそんなこと言うんですか……」


 よろよろと歩いて校長に近寄り、口に手を当てて目に涙を浮かべながら校長に向かって当の兄本人がそんなことを言う。

 見た目はマチなので、傍から見ている分には兄の悪口を言われて悲しんでいる少女だ。ただ、口に手を当てて涙目なのは、ただ単にカートで揺られてよっているからだとヤヨイは知っている。ヤヨイも同じ状態で今にも吐きそうだからだ。

 だが、それも合わせて兄を侮辱された妹達に見えたようで、登校する生徒達からは「コウチョーサイテー」という声が聞こえてくる。

 校長はカートの先端を掴んで引き剥がそうとしていたが、余程がっちりはまってしまったようで周囲からの声にも耐えられなくなったのか「全くけしからん!」と怒りながら校舎に戻っていってしまった。

 朝の門番だった校長がいなくなると、登校した生徒達はにこやかに買い物をする校長像に噴出しながら校舎へと吸い込まれていった。



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