8、夢殿で見ゆるは
2017/8/1 本文改訂
2017/8/30 タイトル変更
午後の日差しが差し始めている風森家の一室で、護は眠っていた。
その周囲を衝立で四方を囲み、さらに香が焚かれているその様子は、異様としか言えないが、四方を壁で囲むことは、結界を張ることと同じだ。
焚いている香も破邪退魔の力があるとされる伽羅であるため、霊的な防御を二重に重ねているということになる。
そんな状態で夢殿に踏み入った護は、静かに目を開けた。
「ここは……」
視界に飛びこんできた光景は、風森家の一室ではなく、まったく見知らぬ部屋。
見知らぬ部屋の内装は、いかにも現在の若者が好みそうな様子だ。
机に置きっぱなしになっている教科書に、行方不明になっている風間友尋の彼の名前が記されている。
「てことは、うまく入れたみたいだな……さてと、どこから探したものか」
そうつぶやきながら部屋を観察すると、壁に一枚の呪符が貼られていることに気づく。
「なんだ、この呪符?」
明らかに異質な呪符が気にかかり、触れようとした瞬間。
「……っ!」
頭の奥がしびれて、肌が泡立つ感覚が襲ってきた。
その感覚が、敵意や殺気を持った人間や悪意や邪気を持った妖が放つ気配と同じものであることを、護は知っている。
その敵意が、本来は家や土地あるいは人を守るために使われるはずの呪符から放たれているのだ。
「いつもより、重い……」
額に汗を浮かべながら、護はそうつぶやく。
夢の中でも敵意や殺気を向けられたことはあるが、せいぜいが背筋が凍るような感覚が、ほんの少しだけする程度だ。
これを作った存在が人間だったとしても、ここまで強い殺気や邪念を符に込めることができるとは思えない。
――これ以上、ここにいるのはまずい!
直感的にそう思い、護は眼を覚まそうと必死になった。
「……っ! はぁ……はぁ……はぁ……」
眼を覚ますと、護は息を荒くしながら上半身を起こす。
息が落ち着くと、今度は胸に鋭い痛みを覚え、服をめくあげた。
「うわぁ……」
服の下を見て、護は顔をしかめる。
鋭い刃物でつけられたかのような傷があり、血が流れていた。
事前に体に貼り付けていた止痛と治癒の呪符のおかげで、大してひどくはなっていないが、もしこれらがなければと思うと、背筋が凍る。
――まさか、用意していた符としまっていた符がこんな形で役に立つとはな
夢の中で敵意を持った妖に襲われる可能性を考慮していたために用意していたものだったが、まさかこんな結果になったとは思わなかった。
起き上がった護は、衝立の向こうに置いてある自分の手荷物から、包帯を取り出し、止痛と治癒の符を巻き込むようにして体に巻きつけていった。
「護、その傷は?」
作業をしていると抑揚を抑えた声が聞こえてきた。
声がした方へ振り返ってみると、黄蓮と名付けた金色に近い毛並みの子狐が護に視線をむけている。
「……夢殿でやられた」
淡々とした様子で答え、包帯を結び、服を着ると、護は黄蓮に向き合い、夢で見たことを話す。
黄蓮はその話を聞いて、器用に前足を組み、唸り始める。
「妖や魔物の類が符を作ることは無いし、使うこともないだろう。普通は」
「だよなぁ……」
護は黄蓮の意見に同意した。
符は本来、潔斎を終えた人間が神仏の加護を言霊や記号に置き換え、それを和紙に書きうつしたものだ。
ゆえに符からは、往々にして清浄な気が流れてくることが多い。
しかし、護が夢で感じた気配は、敵意や殺気、怨念、憎悪といった、清浄とは言い難い、どろどろとしたものだった。
そうなると、考えられることはただ一つ。
「その符を作った奴が、今回の黒幕ってことになるのか」
「お前もそう思うか。まぁ、そのあたりは、月美が……」
と言いかけたところで、護はうつらうつらと船をこぎ始め、動かなくなった。
「おい、護?」
どうしたのか、と黄蓮は護の顔を覗き込む。
目を開ける気配はないが、呼吸は規則正しく繰り返されている。
どうやら、眠ってしまったようだ。
『夢でできた傷や、妖によってつけられた傷は、眠りに就くことでその回復を早めることができる』
護の言であるが、果たして本当なのか、と式神たちは疑問符を浮かべていた。
だが、護本人が、それを体で体験しているためだろうか、それとも月美にこの傷を悟られたくないのだろうか。
話が途中のまま、護は眠りについてしまった。
「はぁ……おいおい……」
黄蓮は護のその様子を見て、そっとため息をつく。
黄色い体毛をした狐は、毛布はどこにあるのやらと部屋のあちこちを見渡し、眠りこける主が風邪を引かないように気を配るのだった。
一方その頃。
月美は麻衣と別れ、一人で例の占い師のいる場所に足を運んでいた。
しかし、麻衣が書き記してくれた場所には。
――誰もいない……それどころか、人がいた気配すら感じない
本来、一つの場所に人がとどまる時、何かしらの想いがその場所にしみつくことが多い。
しかし、ここには何もなく、まっさらといっても過言ではない状態だ。
まるで、ここだけ切り取られたかのような印象を受けた月美は、この場所が怪しいと感じた。
――ここまでまっさらなのは、逆におかしい……
月美は護が作ってくれた符を一枚取り出して折りたたみ、人の目につかない場所にその符を置く。
さらにその上に符が隠れる程度の大きさの石を置き、風で飛ばされないようにする。
その後、少し離れた位置から符の上に置いた石を見て、符が見えないことと石の位置が不自然ではないことを確認すると、月美はそそくさとその場を離れた。
――これ以上、ここにいるのはまずい。根拠はないけど、これ以上、ここにいたくない
根拠があるというわけではない。
強いて言うならば直感だ。
直感というものは、普通の人間は軽んじてしまうことが多いが、術者はそんなことはしない。
月美も例外ではなかった。
直感で少しでも早くこの場を離れた方がいいと判断し、即座に行動に移したが、その判断は正しかったらしい。
何事もなく、帰宅することができた。
帰宅することはできたのだが。
――まさか……あの子、勘づいたのかしら?
目深にフードをかぶっているその人物が、少し離れた場所から月美の背を見送り、妖艶な笑みを浮かべていた。
――まぁ、いいわ。そろそろ誰か気づいてくれないと、面白くないし。何より……最後の生贄は、強い力を持つものでないと、意味がない
心のうちでそう呟き、女性はなおも妖しい笑みを浮かべながら、月美が置いて行った符を手に取り、破り捨てた。
細かく破り、紙切れと化してしまった符を流れてきた風に流すと、どこからか折り畳み式の机と風呂敷、行燈、羅盤を取りだし、まるで何事もなかったかのように開店準備を整えた。
見られていたことに気づかないまま、風森家に戻った月美は、護が部屋にいるかどうか確かめるため客間へ向かう。
客間の戸を叩き、中にいるかどうかを確認したが返事がしないまま、すっと戸が開く。
だが、この部屋を使っている青年の姿が目の前にはない。
足元を見ると、白桜が前足を器用に使い、戸をあけている様子が見えた。
「護は?」
「眠っている……少し、無理をしたらしい」
月美は白桜が視線を向けている方向へ目を向けると、護が目を閉じて横になっている光景が目に入った。
その枕元には、黄蓮がまるで護の顔を覗き込むようにして佇んでいる。
月美は何も聞くことなく、護の枕元まで近づいていく。
すると、黄蓮が月美の隣に移動してうずくまった。
「黄蓮、何があったのか、聞いたらだめかな?」
「こいつがそれを望まない」
護に視線を向けたまま問いかけてきた月美に、黄蓮はうずくまったまま答えた。
黄蓮と白桜は使鬼の中では最も早い時期に護と契約を結んだため、護の気持ちは一番わかっている。
その気持ちを汲んでの答えなのだろう。
だが、月美も十年以上、護と幼馴染をしてきたのだから、護の気持ちはわかっているつもりだ。
わかっているつもりだが。
「……言ってくれないと、余計に心配になるよ……」
「言いたければ、こいつが自分で話すだろう。その時に聞いてやればいい」
「うん……」
白桜の言葉に、月美はうなずくしかなかったが、顔には悲しみに陰っている。
どうやら、本当に心配しているらしい。
本当ならば事情を話してやるべきなのだろう。
だが、白桜と黄蓮も、月美が本気で護を心配していることがわかっている。
だからこそ、護の口から語らせてやりたい。
そう考えていた。
「……ごめんな、心配させて」
いつの間に起きたのか、うっすらと目を開け、護は唐突に月美に謝罪する。
上半身を起こそうとするが、月美から肩を押さえられ、起き上がるに起き上がれなかった。
「おい……」
「だめ。無理しないで……」
「お、おい……」
抗議しようとする護をよそに、月美はその頭を膝に乗せた。
いくら幼馴染とはいえ、異性に膝枕をするということ自体に苦情を言おうとしたが、月美の真剣なまなざしと声色に遮られる。
「これくらいはさせて? というか、護にしかできないんだよ? こんなこと」
やられた護もそうだが、やっている月美も頬を紅くしている。
しばらくの間、護は月美の膝枕に頭を預け、眼を閉じ、心を落ち着かせた。
再び目を開けて、護は月美を見る。
月美は護が見たことに気づくと、そっと微笑み、首を傾げてきた。
護はまっすぐに月美を見つめ、言葉を紡いだ。
「ずっと、ずっと言おうと思っていたことがあるんだ」
「うん」
「月美。俺は、お前のことが」
好きだ、と言いかけたその瞬間。
「二人とも、飯ができたから、早く降りてきてくれ」
突然、部屋の外から聞こえてきた友護の声に、護は口を噤んだ。
このタイミングで口をはさんできたということは、おそらく、聞かれていたということなのだろう。
その事実を理解した二人は。
「……行こうか」
「……うん」
羞恥心で顔を真っ赤にしながらうなずき、廊下へ出る。
その背中を見守りながら、白桜と黄蓮はそっとため息をついていた。