17、新しい日常へ
2017/8/31 タイトル変更
春休みが終わり、新学期を迎え、多くの学生たちは新たな学年へと進んだ。
護もまた進級を迎えることが出来た生徒の一人だが、学年が新しくなったからといって、日常がいきなり変化することはない。
今年の春も、護は一人で通学路を歩き、途中で清に一方的に声を掛けられてから、なんだかんだ、一緒に教室に入っていく。
そのはずだった。
「うわぁ、結構進んでる……ついていけるかな?」
「大丈夫だろ?理数系はともかく、文系は」
「まぁ、慣れてるし……祝詞とか、祝詞とか祝詞とかで」
「なぜに祝詞ばかり……いや、わかってるけど」
その日の通学路は、普段の光景とは少しばかり違う。
普段ならば護が一人で通学路を歩いているが、その隣を楽しそうに話しながら歩く少女がいた。
その光景に、多くの通学生たちが目を見開く。
護と一緒に歩いている少女が、控えめに見ても美人だから、というだけではない。
たとえ学校で一番の美少女が話しかけてきたとしても、無愛想な態度で通すことで有名な護が、その美少女と会話を交わしている。
それだけでも驚きだが、柔らかな笑みを浮かべていたのだから、驚かないわけにはいかなかった。
「おーっす! まも、る……」
それは、唯一護に対して臆することなく話しかけてくる清でさえ同じことだった。
まるで周囲に他の生徒などいないかのように、二人だけで会話に花を咲かせる姿に、清は思わず思考も体の動きも硬直する。
だが、そんな自称親友の存在に全く気づかなかった護は、謎の美少女とともに校門をくぐっていった。
「……一体、誰なんだ? あの子……」
思考がまったく追いつかなかった清は、呆然とつぶやき、あとからやってくる同級生たちにどつかれてようやく正気に戻り、護を追いかけた。
清の存在に気づかなかった護と月美は校門をくぐり、真っ先に職員室へと向かう。
入学の手続きそのものはすべて終わらせているが、担任との顔合わせや始業式の日に渡される学生証などの諸々の品を受け取りに行かなければならないためだ。
「……失礼します」
「失礼します」
口調の調子に違いはあれど、護と月美はほぼ同時に職員室に詰めていた教師たちに向かって声をかける。
二人の声に反応した教師、特に護の担任やクラスの授業を担当している各教科の教師は入り口の方へ視線を向けてきた。
特に担任は他人にまったくといっていいほど興味がなく、干渉も手助けもしない護が自分から転校生の案内をしていることに驚いているようだ。
二人が入ってきた瞬間、入り口まで来てくれた教師も例外ではなく。
「意外だな、お前が誰かを職員室に案内してくるなんて」
「先生、俺が他人を手助けしてることがそんなに珍しいんで?」
「正直に言うとかなり珍しい」
じとっとした視線を向けながら、護は近くに来てくれた教師に問いかける。
その視線を向けられた教師は謝罪することなく、素直な感想を伝えてきた。
その感想に護は半眼になって教師を見ながら。
「普段が普段ですから仕方ないかもですけど、さすがに俺だって求められれば手助けくらいはしますよ?」
と、反論する。
もっとも。
「まぁ、今回は事情が事情ですから、自主的に手助けしてますが」
「事情が事情? あぁ、ということはそこにいるのが」
「あ、はい。風森月美です。よろしくお願いします」
「これから君の担任を務める月御門だ、よろしく頼む。それじゃ土御門、また教室でな」
眼鏡をかけた、あまりぱっとしない線の細い教師がにこやかにそう告げる。
その言葉にひっかかりを覚え、護は一つだけ問いかけた。
「『あとで』ってことは、もしかして、今年もですか?」
「あぁ。お前と勘解由小路の担任になった」
この月御門教諭は、清ほどではないにしても、ことあるごとに護に根気強く声をかけ続けてきた。
それだけでなく、家の事情も知っているし、彼自身、科学では割り切れない存在を信じている。
それら諸々を含めて、護の味方であることを伝えてきた。
だからなのだろう。
普段は他人に対して警戒心が強い護でも、この教師に対してだけはそれほど強い警戒心を抱いていないようだ。
「ははは……よろしくお願いします」
ひきつってはいるものの、護が彼の前では笑顔を浮かべていることがその証拠だ。
もっとも、その笑顔は社交辞令のような笑みではあるが。
だが、護が笑顔を向けているということも事実。
その事実で、少なくともそこまで悪い人間ではないということを確信した月美は、どこか肩の力が抜けたように安どの表情を浮かべていた。
「それじゃ、月美。あとで」
「え? ここでいったんお別れ?」
「月美は転校生だけど、俺は在校生。クラス編成の発表が張り出されてるから、見に行かないといかんのさ」
「あ、それもそっか」
立ち去ろうとする護に月美が問いかける。
だが、在校生である護は張り出されているクラス編成の発表を確認しなければならないため、職員室の前で待っているというわけにはいかない。
それを理解した月美は特に不安そうな表情を浮かべることもなく、笑顔でうなずきを返した。
すると、今度は月御門がにやにやとしながら護をからかってきた。
「お、大丈夫なのか? 一応、おまえが保護者だろ?」
「いやいや。同じクラスになるんですし、ここで別行動になってもすぐに合流できるでしょう?」
「え? そうなの?」
護が返した言葉に、月美が驚いたように目を丸くする。
月御門を含めた学年担当教諭たちが転校生に気を利かせてのことらしい。
当然、月御門もそのことは知っており。
「それもそうだな。だったらさっさと行け」
と、淡白な反応を示していた。
「そうします。では、失礼しました」
一方の護は、その反応をまったく気にしていない様子で返し、職員室を出た。
その背中を見送った月美が、再び月御門の方へ顔を向けると月御門はすぐに。
「それじゃ、あっちの方で少し待ってもらえないか? 色々、必要な書類を取ってくるから」
「はい」
職員室の奥の方を指さし、そちらへ行くように指示した。
それからすぐに、月美に渡さなければならないものをいくつか取りに、資料室へと向かって行く。
月美は示された場所に向かって歩いていき、月御門が来るまで座って待つことになった。
月美が月御門から必要なものを手渡され、説明を受けていた頃。
護は掲示板の前に立ち、自分の教室とクラスを確認していた。
――えぇっと俺の名前はっと……あぁ、あった
そこに書かれている自分の名前を見つけるまで、五分とかからなかった。
それは先ほど、職員室で月御門が担任である事を本人から伝えられたからだろう。
――教室の場所もわかったし、さっさと向かうかな
護はその場から立ち去ろうと踵を返したが、その首に何者かの腕が回される。
決して、護の首を締めようとしているわけではないためか、そこまで強い力は込められてはいない。
だが、下手に動かすこともできず、護は意外にもあっさりと拘束されてしまった。
「よぉ、護……ちょぉっと聞きたいことがあるんだが?」
「珍しいな。お前が声もかけずに強硬手段に出るとは」
「まぁな。お前のことだから、声をかけてもそのままとんずら決め込むだろ」
「否定はせん」
耳元で聞こえてくる清のおどろおどろしい声に護は半眼になり、顔を出来る限り離しながら、からかい半分に言葉を返した。
「俺にそっち系の趣味はないんだがな?」
「奇遇だな、それは俺もだ……ってそうじゃない! 重要なのはそれじゃない!」
清は慌てた様子で否定し、腕を離して護を解放する。
解放された護は清の方を振り返り、けだるそうな顔で問いかけた。
「重要なことってなんだよ?」
「お前、あの女子は一体誰なんだよ!」
「……うん?」
あまりに唐突に投げられた疑問に、護はなおもけだるそうな顔で首を傾けた。
そんな様子はお構いなしに、清はなおも早口で問いかけ続けた。
「今朝、お前が話してた女子は誰だ? なんであの子と話してるとき笑ってたんだ? どこで知り合った? 俺にも紹介しろ! てか、お前笑えたのか?」
「あいつが誰なのかはどうせすぐにわかる、紹介する必要は皆無だ。笑ってたのはまぁ、察しろ。というか、お前かなり失礼じゃないか?主に俺に対して」
護のドスの効いた声とじとっとした視線に、さすがの清も少しばかりたじろぐ。
だが、それでも引くわけにはいかず、清はなおも詰め寄ってくる。
「仕方ないだろ! 親友の俺にすら笑顔を見せたことがないってのに、俺が知らないところで出会った女子には笑顔を見せるって、どういう神経してるんだ!」
「お前と親友になった覚えはない。それにあいつは幼馴染でお前より付き合いが長いんだ、無意識で素直になっちまうのは当然だろうが」
「……俺、めちゃくちゃショックかも」
親友になった覚えがない、という発言に対してなのか。
それとも幼馴染に負けたことに対してなのか。
いずれにせよ、清は護の反論にがっくりと肩を落とした。
その様子を見た護が心の中で。
――勝った
と呟いたことは言うまでもない。
その証拠に、普段は無駄に元気な清の周囲に暗い空気が立ち込めている幻覚すら見えていた。
そうとうショックを受けているようだ。
「ほれ、さっさと行かねぇと新学期早々遅刻っていう不名誉なレッテルを張られるぞ」
そんな様子を見かねた護は呆れたようなため息をついて、清に教室へ行くよう促す。
もっとも、ショックがあまりに大きかったらしく、清の動きは緩慢になってしまい、護に背中を押されてようやく教室に到着したのだが。
なお、しばらくの間、小さいながらもニュースとしてその様子は語られるようになったのだが、当の本人たちはそのことを知る由もなかった。
護と清を含め、二年生に進級した生徒は全員、各々の教室に入り担任教師を待つ。
護のクラスに月御門教諭が入ってきた瞬間、教室が少しばかりににぎやかになったことはいうまでもない。
なお、ざわめき立っているのは男子の方で、その主たる原因が教諭の背後にいた見慣れない少女だった。
「おい、誰だ、あの子?」
「すっげぇ美人……」
大和撫子という単語が似合うその可憐さに反応しているようだ。
もっともその中で唯一、護だけは騒ぐことなく、静かに彼女を見守っていた。
護を見かけた瞬間、少女は微笑みを浮かべ、軽く手を振る。
手を振られた護も、軽く手を上げてそれに答えた。
だが、誰にむかって手を振ったのかわからなかった男子たちが余計に騒ぎだすけっかとなる。
そのざわめきの中、教諭がぽんぽんと手を二回たたく。
その瞬間、教室は徐々に静まっていった。
「さて、久しぶりだな、みんな。またも君たちの担任となることになった月御門だ。自己紹介は面倒くさいし、もう知ってるだろうから省くぞ」
教師にあるまじきその言葉に、生徒たちは思わず苦笑いを浮かべた。
だが、すでに知っているから自己紹介を省く、というのは確かに理に適っている。
なにより。
「というわけで、俺のことよりも、今日からみんなの新しい仲間としてこのクラスに入ることになった人を紹介しよう!」
教諭は自分のことよりももっと知りたい人物がこの場にいることをわかっていた。
そのため、さっさと傍らについてきていた少女にバトンを渡す。
「はい」
教諭が教壇を降りると、入れ替わるように少女が教壇に立ち、黒板に自分の名前を書き始めた。
名前を書き終えると、再びこちらの方へ振り向く。
「出雲から来ました、風森月美です。まだ不慣れなところはあると思いますが、みなさんと一緒に、新しい日常を過ごしていきたいと思います。これからよろしくお願いします」
月美が頭を下げると、教室中から拍手の嵐が巻き起こる。
その中で、さっそく、とばかりに質問の嵐が飛び交い始めた。
だが、事態が収拾しなくなることを予測し、教諭はすぐに場を静める。
「それじゃ、風森は……あぁ、ちょうど土御門の隣が空いてたな。土御門、いいか?」
「大丈夫ですよ」
「そうか。それじゃ、風森」
「はい」
にこやかにうなずくと、月美はまっすぐに護の隣の席に向かっていった。
だが、互いに言葉をかけることはなく、ただ笑顔を交わすだけで、二人ともすぐに黒板の方へ顔を向ける。
「さて。それじゃこれからの予定だが……」
その後、教諭からいくつかの注意事項とこれからの予定を知らされ、その場は一時解散となった。
解散となるとすぐに、月美は護以外の主に男子生徒から様々な質問が飛び交う。
だが、月美はそのどれもにこやかに返していた。
もっとも。
「なぁ、もしかして風森さんって付き合ってる人いるの?」
「いないなら、俺と付き合わない? つか、付き合ってください、お願いします!」
というぶしつけな質問も含まれていた。
いや、後半はもはや質問というよりも告白であったのだが。
しかし、そんな愛の告白に対して月美は顔を赤らめることなく、微笑みを浮かべたまま。
「ごめんなさい。そういうお誘いをする人は好みじゃないし、もう心に決めた人がいるの。これ以上はいわなくてもわかるわよね?」
と、それとなく恋人、少なくとも意中の人がいることを告げる。
むろん、あきらめの悪い男子は、それでも月美に迫ってきた。
だが、その笑顔が威圧的なものに変わると、さすがの男子も黙らざるを得なくなった。
やがて始業式が終わり、そのあとに行われたホームルームも終わり、放課後になると、護と月美は特に示し合わせてはいないが、一緒に帰り路を歩いている。
その道中の会話は、教室で起こったことや聞かれたこと、そしてどのような教師や生徒がいるのか、というものだった。
もっとも、会話というよりも一方的に月美が護に質問しているといった様子ではあったが。
「それにしても、『新しい日常』か」
ふと、護が教室での自己紹介で月美が言っていた言葉をつぶやくと。
「うん。だって、私にとっては本当のことだもん」
言った本人は恥ずかしげに微笑んでいた。
時期が時期、というだけではない。
彼女は対価を支払い、親兄弟からは『風森家とはまったく関係のない人間』として認識されている。
それに、多くの時間を過ごす中でつないだ友人たちとの絆も断ち切られた。
――出雲にいる人たちの記憶から、月美の存在は消えている。それは実質、死んだことと同じ……だから、新しい、ということなのかな?
話を聞き、そう思っていると、月美は首を左右に振る。
「そうじゃないよ」
「え?」
「絆を断ち切られたから、じゃないよ? 母様たちから離れて暮らすことも、東京の学校も、私にとっては初めての体験だもの」
まるで考えていたことを見透かしていたかのように、護に説明した。
その説明を終えると。
「それに……」
と少しばかり顔を赤くして、うつむく。
護は黙ってその先を待っていると、ぼそぼそと、かすかに月美の口から言葉が紡がれてきた。
「……護の恋人として、家族としての日常も、わたしにとっては新しいものだから」
「そ、そうか……」
さすがに気恥ずかしくなって、護も顔を赤くして月美から目をそらした。
だが、そういう意味であれば、護にとっても新しい日常が始まるのだ。
ふと、護の手に温かなものが触れる。
見ると、月美が護の手を優しく、しかししっかりと握っていた。
護は何も言わず、握ってきた月美の手を握り返す。
「さ、帰ろうか」
「……うん!」
にっこりと、花のような笑顔を浮かべ、月美はうなずく。
その笑顔を見ていると、どうしても、護は願わずにはいられなかった。
――これから月美と歩む新しい日々が、永遠に続いてほしい。そして、終わりを迎えるその時まで、ずっと隣にいたい……
これから先、何があるかはわからない。
人の身には過ぎた炎が、いつその猛威をふるうのではないか。
大切な人の命をつなぐため、今まで築いた絆を立ち切ったことで、ひずみが生まれるのではないかという不安は確かにある。
けれども、温かく、優しいぬくもりをくれる、大切な人との歩みを止めたくはない。
それが、いかなる対価を払おうとも、これは譲ることが出来ない最も強い二人の願いだった。