14、支払われた対価
2017/8/19 本文改訂
2017/8/31 タイトル変更
伊邪那美との戦闘が終わり、護は力なくその場に座り込む。
全身から力が抜けたのか、手に持っていた独鈷杵がするりと地面に落ちる。
終わったことを悟った月美が護に近づこうと立ち上がり、走りだした。
「来るな!」
しかし、同時に護が叫んだ。
月美はその叫びに思わず身をこわばらせ、動きを止めた。
その瞬間、先ほどまで護がまとっていた炎と同じ色の炎が、突然、護の体のあちこちから吹き出す。
炎は一瞬で護の全身を覆いつつく、激しく燃え上がった。
「あぁぁぁぁぁぁぁぁっ!」
炎に包まれながら、護はうずくまり、苦しそうに叫ぶ。
その叫びに応えるかのように、炎はどんどん巨大に、そしてその勢いは激しくなっていく。
あまりにも常識から離れたその光景に、月美は思わず、護から少し距離を取った。
だが。
――あ、熱い……さっきまでこんなに熱くなかったのに
護から放たれている焔の熱量に、月美は驚愕した。
もともと、護と伊邪那美が戦っている間、ろくに動くことが出来なかった月美を気遣っていたこともあり、護との距離はそれなりに離れている。
護が伊邪那美と戦っている間も、熱を感じ取っていたが、『熱い』と感じ取れる程度のものだった。
だが、焔の勢いは伊邪那美との戦闘中よりも強くなっており、息をするだけで喉が焼き付きそうになる。
――けど、護の服は燃えていない。ということは、あれは本物の炎じゃないってことだよね? だったら!
遠目から見ても、焔に包まれている護の服がまったく燃えていないことがわかった月美は、熱に耐えながら護の方へ近づいていく。
一方、炎の中心にいる護は、自分を包んでいるこの焔が、本物の炎ではないことにすでに気づいていた。
だが、いくら本物の炎ではないとはいっても、離れた場所ですら息ができなくなりそうなほどの熱を感じるのだ。
その中心にいる護が感じる熱は、まさに地獄の業火と言っても差し支えない。
だが。
――この焔が件の予言が示していたこと、か……なるほど、確かにこれは死んでもおかしくねぇし、間違いなく死ぬな
その業火の中でも、護の意識は不思議と落ち着いていた。
件の予言を聞いてから、心のどこかでこうなるとわかっていたからなのだろう。
自分が土御門家の中で、最も強く、葛葉姫命の力を受け継いでいることは、両親と祖父は知っていたし、言い聞かされてきた。
葛葉姫命の力を強く受け継いでいるということは、葛葉姫命に近いということ。
それは、神に近いということであり、人間には過ぎた力を宿していることになる。
ただ眠らせているだけならば、人としての天命を全うできるかもしれない。
だが、一度でもその力が目覚めてしまったらどうなるのかはわかりきっている。
だからこそ、祖父と父から、この力を決して使わないよう厳しく言い含め、使わなくてもいいように自分の力を高める鍛錬を積んできた。
それでも、たとえ自身の死を招くことになるとわかっていても、護は月美を守ることを選び、力を使った。
だから、後悔はしていないし、こうなることは予感していたから、受け入れることもできる。
ただ、唯一、残念に思うことがあるとすれば。
――結局、伝えられなかったな……
この胸に眠り続けていた月美への想いを、この数日でようやく気づいたこの心を、その相手に伝えることができなかった。
そのことだけは、残念でならない。
――それでも、月美が生きていてくれるなら、あいつ自身の幸せを見つけてくれれば、それでいい
護は心のうちでそう呟き、悲しげだが穏やかな顔をしていた。
ふと、護は瞼が重くなってきたように感じる。
徐々に意識もかすんできた。
もう時間はあまり残されていないが、まだ眠るわけにはいかない。
――月美には謝っておかないとな
先に逝ってしまうことを、来年からもう会えなくなってしまうことを謝らなければならない。
「ごめん、な……」
もう、顔を上げる力すら残っておらず、月美に視線を向けることができない。
その言葉を向けなければならない少女と目を合わせることもできないまま、護がぽつりと、力なく謝罪した。
すると。
「ほんとに、ね……しょうがない人だよ、護は」
後ろから、月美の声が聞こえた。
どうやら、うずくまっている護を抱きかかえているようだ。
うっすらと開けた瞳には、月美の手の中に勾玉が見えていた。
何も言わず熱に耐えながら、月美は護の胸元にその勾玉を押しつけてくる。
「お願いだから、勝手に行かないでよ……」
勾玉を護の胸に押し付けながら、精一杯の力で抱きしめ、月美は護に懇願する。
「わたしの気持ちを伝えないまま、あなたの答えを聞かないまま……勝手に、一人で行くな!」
月美が思いの丈をぶつけるように叫んだ瞬間、勾玉から強い力があふれ出てきた。
その力は、体からあふれた白い炎ごと、護と月美を包みこんだ。
護が眼を開けると、満天の星空と桜並木が眼に入った。
満天の星空は自分の、そして桜並木は彼女の夢殿に現れる光景だ。
――あれ? もしかして、俺と月美の夢がつながった? けど、なんで夢殿に?というか、月美はどこに?
護は自分が夢殿にいることを、そして月美の夢とつながっていることを悟った。
同時に、護はここにいるはずの月美を探そうと頭を動かす。
その瞬間、後頭部に違和感を覚えた。
その時になって初めて、誰かの膝に頭を預けていることに気づき、上を見る。
すると、そこには月美の寝顔が見えた。
護はそっと自分の手を、まるで護を抱きしめるように伸ばしている月美の手に重ねる。
その瞬間、自分の胸に違和感を覚えた。
――あれ? なんだ、これ?
何か固いものが置かれている。
いや、埋め込まれているような感覚から、その正体を確かめようと、護はそっと月美の手を動かす。
自分の胸元を見ると、勾玉が自分の胸に埋まっていた。
その勾玉が、現世で月美が自分の胸に押し付けたものと酷似していることを思い出した護は。
――そういえば、この勾玉を押し付けられてから焔が収まっていったような……まさか、この勾玉が炎を抑制してくれたのか?
勾玉に視線を向け、掘り起こされた記憶からそう推察した。
いずれにしても、月美に聞いてみなければわからない。
月美を起こそうと、護が立ち上がろうとした瞬間。
「んぅ……」
頭上から月美の声が聞こえてきた。
目を向けると、目を覚ましたらしい月美が、自分の方へと視線を落として微笑んでいる。
「あ、護。目が覚めたのね?」
「ちょっと前に……なぁ、月美。この勾玉はいったい?」
護は答えを知っているはずの月美に問いかける。
問いかけられた月美は、この勾玉を手に入れるまでの経緯も教えてくれた。
「シロ様、ううん。御使い様から、護が件の予言を受けたことを聞いたの」
月美はさらに、護は死を予言されたことや、それを回避するための方法を教えてくれたことを話した。
それらを聞いたとき、護は。
――ありえない
という感想を抱いていた。
月美の話が本当だというのなら、それは件の予言を覆したということにほかならない。
だが、白狐ができないことを教えるとも思えなかった。
ということは。
「まさか、本当に覆したってのか? 絶対的中する件の予言を」
「たぶんね。でも……」
そこまで言って、月美は目を伏せる。
件の予言は、決して外れることのない絶対のものであり、覆すことなど不可能な決定事項だ。
無理に予言を覆そうとすれば、必ずどこかでひずみが生まれることになり、やがて世界に多大な損害を与えてしまう。
それこそ、鳴海が行おうとした死者蘇生と同じか、それ以上の規模の損害を。
「だから、代償が必要だったの。件の予言を覆しても、その埋め合わせができるほどの代償が」
「何を、何を代償にしたんだ?」
「わたしに関する記憶だよ。わたしと、わたしの家族。それにわたしが今まで出会った護以外の人たちとの思い出を」
護の問いかけに、月美は涙を瞳にためながらも、まっすぐに護を見つめて答える。
自分が関わってきた人々の記憶から自分の記憶を消し去り、「風森月美」という人間に関する大部分の記憶だった。
今頃は、亜妃や友護だけでなく、桃花や麻衣の記憶からも、月美のことは消えているはずだ。
だが、それだけではなかった。
「けど、だったらなんで俺は月美のことを覚えてるんだ?」
「もう一つ、対価を払ったの」
親しい人間や、自分を生んだ親、血を分けた兄弟の記憶から存在が消える。
それは確かに、死と同じだ。
だが、それならば護も月美のことを忘れていなければならない。
風森月美という人間の存在を生きながら完全に消し去るには、土御門家や護との関係性も必要になる。
本来ならばそれらも対価として差し出さなければならないのに、護の記憶から月美の存在は消えていない。
それが、自分が払ったもう一つの代償のおかげだという。
「なんなんだ、もう一つの対価って?」
「あなたから離れず、あなたのそばにいること」
月美に関する記憶を失うということは、護の心からも自分がいなくなってしまってしまうということでもある。
存在を完全に消し去るためとはいえ、それはでは意味がない。
足りない分を補うため、もう一つの対価として護のそばにいて、常に力の暴走を抑えることを、生まれ育った出雲の地から立ち去ることが追加されたのだ。
今まで育ってきた故郷を離れ、その土地にいる大切な人たちとの思い出を消去する。
それは、風森月美という少女の存在を認識する存在が、護と土御門に連なる人間以外にいなくなるということだ。
見方を変えれば護の命の代わりに、月美が自分の命を差し出したことと同じ。
それが、月美が差し出すことの出来る、件の予言した護の死を回避する対価として、護の命の代用品たりえるものだった。
それを聞いた護は、悲しげに顔をゆがめた。
「どうして……どうしてそうまでして」
「わたしが、あなたのそばにいたい、そう願ったからだよ」
護が言葉を言いきる前に、月美は優しく微笑み、そっと、護を抱きしめた。
「わたしの一番好きな人は、いなくなってほしくない人は、あなただから」
月美がそう言うと、桜の花びらが強風に舞う。
護の視界は刹那のうちに桜の花びらで覆い尽くされ、やがて、何も見えなくなった。
次に目を開けた時、護は布団の上に横になっていた。
「……ここは?」
「目が覚めたのね」
どこなのだろうか、とつぶやくと、布団のわきから、亜妃の声が聞こえてきた。
視線を向けると、案の定、そこには亜妃が安堵した顔で護を見ている。
どうやら、事のすべてが終わったあとになってようやく駆け付けた友護と亜妃がここまで運んできてくれたようだ。
護は、体を起こそうと腕に力を込めたが。
「あ、あれ?」
「無理をしちゃだめよ。まだしばらくは横になってなさい」
どうにもうまく起きあがれず、亜妃に軽く叱責されてしまう。
護は亜妃の言葉に従い、横になったまま、気になっていることを問いかけた。
「あの、亜妃さん。月美は?」
「あの子も大丈夫よ。今は隣の客間で眠っているわ」
「そう、ですか」
亜妃の答えを聞くと、護は少し黙り込む。
夢殿で月美が言っていた言葉がどうにも気にかかっていた。
件の予言を覆すため、自分の命をつなぎとめるために、彼女が支払ったという対価。
それが、真実なのかどうかを確かめずには、いられなかったのだ。
「……亜妃さん、変なことを聞きますけど、月美と亜妃さんって親子でしたっけ?」
亜妃はその質問の意図を計りかね、思案するそぶりを見せたが、数秒と間を置かず答えてくれた。
「変なことを聞くのね? わたしとあの子は他人同士、何のかかわりもないはずだけれど?」
困ったように微笑みながら、亜妃は答えを返す。
その答えに、護は月美が言っていたことが真実だったということを察した。
おそらく、白狐を通じて、葛葉姫命が行ったのだろう。
そして、亜妃だけではない。
友護と麻衣、桃花の中からも、月美との関わりについての記憶がなくなっているであろうということもすぐに察しがついた。
護がその答えに気づき、布団の中で拳を握りしめる。
すると、亜妃は何かを悟ったのか、その額に手を当ててきた。
「今は眠りなさい……少しでも回復が早くなるように」
優しい、どこまでも深い部分に染みこんでいくかのような声色が、護の心にしみわたっていく。
そんな感覚を覚えながら、護は目を閉じながら答えた。
「そう、します」
護がその言葉を聞くと、亜妃は安心したかのように、そっと立ち上がり部屋を出る。
亜妃が部屋を出たことを確認すると、護は布団の中で自分の胸元に指を置いた。
――やっぱり、埋まってるよな
明らかに異質なものが、そこに埋まっていた。
どうやら、夢の中で感じたこの異物は、現実のものだったようだ。
続いて、そっと目を閉じ、自分の内面に意識を集中させる。
ちらり、と先ほど自分の体を焼いた白い炎が目に入ってきた。
だが。
――俺を焼き殺そうとしてたって思えないくらい小さいな。勾玉が抑えているってことか
もともと、護自身の霊力と長年にわたる葛葉姫命の加護の二つで、ようやく抑え込んでいた。
だが、先ほどの戦いによって自力で抑え込むことが難しくなるほど、強大なものになってしまったらしい。
どうやらこの勾玉が、自分では制御しきれなくなったこの焔を封じ込めてくれているようだ。
――いや、勾玉だけじゃない。かすかだけど、月美の霊力も感じる
勾玉からは本当にかすかではあるが、月美の霊力を感じ取ることが出来た。
おそらく、この勾玉を通じて、彼女の霊力が炎を抑える手助けをしてくれているのだろう。
そのことを察した護は、もう一つ、やらなければならないことを思い出した。
「……俺も、答えなきゃだな……」
この勾玉を埋め込んだ時、月美が支払った対価。大切な人との関係性と、護のそばにいること。
その対価を支払うことができたのは、ひとえに大切な人を守り、その人と共にありたいという願いから。
だからこそ、あの時、夢で月美は自分の想いを伝えてくれた。
ならば自分も、それに応えなければならない。
そう決意しながら、護の意識は再びまどろみの中へと落ちていった。