序、その青年、現代を生きる陰陽師なり
2/23 本文改訂
2016/3/12 本文改訂
2017/7/9 本文改訂
2017/8/30 タイトル変更
2020/7/2 本文改訂
都内にある月華学園。
そこは少子化に悩む教育界には珍しく、一学年四クラスで構成され、一クラスあたりの生徒数が四十人弱と比較的生徒数が多い高校だ。
――ちっ……学校だから仕方ないけど、なんでこんな人混みの中を歩かにゃならん
この青年、土御門護もまたこの学校に通う生徒だ。
だが、彼は同級生たちと異なり、あまり賑やかな状態が好きではないらしい。
その証拠に、途中まで家路を共にしようとするクラスメイトや友人の姿が、彼の周囲にはまったく見られなかった。
――最低限の付き合いさえありゃいいんだ、どうせ人間に碌な奴なんていやしないんだから
護には、原因は自分にあるかもしれないが、相手の取った行動にこそ非があるというのに自分が悪人であるかのように扱われ迫害された経験がある。
その経験から、人間という種族は実にくだらない種族だとすら思うようになり、人間を嫌うようになった。
人間が作り出したもの、編み出した技術はともかく、人間という種族そのものに価値を見出していない。
そのためか、人間が台頭しているこの世の中を見る彼の瞳はどこか厭世的で、何事にも無関心な様子だ。
「おーい、護~」
ただの人間には興味がないと自己紹介で堂々と宣言する女子高生ではないが、人間に対する興味が薄いためか、普通に呼ばれた程度では絶対に振り返らない。
例え幾度同じように呼ばれようと普通の人間が相手である以上、決して振り返るつもりはなかった。
なかったのだが。
「……るっさいっ!」
呼ばれ続ける事、数十回。ついに振り返ってしまった。
「お、やっと振り返ったな? 耳鼻科を紹介しなくてすんでよかったぜ」
しつこく何度も話しかけてきていたこの青年、勘解由小路清は、ニヤニヤと笑いながら、そう話す。
その様子に、護は眉をひそめ、不機嫌そうな顔をする。
「るっせぇな、まじで……つか、避けられてるってことくらい察しろよ馬鹿」
「え? 俺、避けられてたの」
「……そういや、そういうやつだったな。お前は」
清の口から出てきた疑問に、護はため息をつく。
清は唯一、護を振り返らせることのできる、いや、護が振り返るまで呼び続けることができる、辛抱強い人間だ。
もっとも、護がそれだけ根気が足りない人間、というふうに捉えることもできなくはない。
だが二度、三度と繰り返し同じような態度を取られれば、ある程度の察しがつくというもの。
だというのに、清はどれだけ頑なになかなか返答しないという態度を貫いても、声をかけ続けてきた。
決して、護の根気が足りないというわけではない。きっと、おそらく。
「で、用は何だよ?」
ため息をついた護は、清にジトっとした視線を向けながら問いかける。
用がなければ声をかけない、かけられない、かけてはいけない。
それが、周囲の護に対する見方であり、護自身が他者に接する態度だ。
必要な時に必要とされ、必要ない時は触れられることは無い。
ある意味で非常に合理的な人間関係といえるだろう。
だが。
「ないよ。あたりまえじゃないかよ」
と、清はあっけらかんと答える。
その態度に、護は再びため息をつく。
いつからそのような接し方になったのかは分からない。
その態度が護は面白くないため、苛立ちを覚えている。
だが、そうさせている本人がそのことに気づいていたのか、いないのか。
それは誰にもわからなかった。
とにかく清は用事があろうが無かろうが関係なく、護に声をかけてくる、おそらく唯一の存在だ。
「まったく……」
護はただただため息をついた。
あからさまに迷惑そうではあるのだが、なんやかんや、このやりとりが嫌いではないらしい。
嫌いではないのだが、疎ましく思うか思わないかというのは、まったく別の話である。
どちらかといえば、そのしつこさに疎ましさを感じているようだが、そんな護の心情とは関係なく、清は続けた。
「まぁ半分は、な。もう半分は少し頼みたいことがあってな」
「……なんだ?」
その言葉に反応し、それまで柔らかくなっていた護の顔が、真剣なものへと変わった。
清はその変わり方の速さに呆れたような笑みを浮かべていたが、これはもう半ば癖になってしまったようなもので、護本人も、今さら直しようがない。
清もそのことはわかっているため、その内容を話した。
曰く。
「知り合いの家で最近、うめき声がしたり、髪の長い女性が見えたり、とにかく心霊現象が多発しているらしいんだよ」
とのことだ。
科学技術の台頭と魔術の衰退により、神に感謝の意を示す祭りや鬼を祓う儀式は、本来の機能をまったく果たせていない状態となった。
科学万能の現代でその本来の機能は無用の長物であるのだが、人々が生きるその背後で、闇に住む者は息をひそめ、今なおこの世に存在している。
それらの存在が出す声に耳を傾け、時には彼らの助力をし、時には彼らの行為から人々を守る役割を担う存在、それが今も活動を続けている陰陽師だ。
護はその陰陽師の家に生まれ、家業を継ぐために修業をしている。
いわば、見習いだ。
「その手のことで信頼できる人間がいるって話したら、頼んでみてほしいって言われてな」
「それはまた面倒なことだな……」
清の話を聞いた護は、半ば無意識にそんな感想を呟いていた。
面倒くさいと言ってはいるが、頼られることを悪く思っていないのか、それとも依頼されたことは引き受けることにしているのか。
護は清と別れて、護は依頼にあった場所へとむかうことにした。
その場所に到着した途端、護は半眼になり、疲労感を募らせた表情を浮かべる。
「……本当に面倒だな」
話に出ていた一軒家に到着するなり、清から話を聞いたときに抱いた感想と同じ言葉をつぶやく。
――この土地は元々神社で、神職などの管理する人間がいなくなったから、自治体の決定で取り壊し、土地として販売していたらしいってあいつは言ってたな……
立つ鳥跡を濁さず、というわけではないが、神社や寺は悪いものを寄せ付けないよう、結界で守られている。
取り壊しを行う際は、その結界を解除し、正しい手順を踏んで土地を返す必要があるのだが、それら必要な処置が正確に執り行わなかったようだ。
その結果、本来ならば存在しているはずの気の流れが止まってしまっているらしい。
――霊は気に流されやすいものだけど、この結界が残ってるせいでたまり場になっちまったんだな
流れて行きたくとも、自分たちの進む先がせき止められていては、進むことなどできるはずもない。
ここにいる霊は、そのような形でこの場に縛られた浮遊霊たちということになる。
特に悪さをしたいわけでもなく、むしろこの場を清めて、さっさと自分たちを解放してほしいがために、霊現象を引き起こしていたようだ。
そこら辺にいた浮遊霊に話を聞いたため、それに間違いはない。
「下手に神社やら寺やら祠やらを解体して販売用の土地にするから、こんなことになるんだよ」
そう言って、持ってきていた割り箸を土地の境の目立たない場所に突き刺していった。
そして、割り箸を突き刺した各所で刀印を結び、小声で何かをぶつぶつと呟く。
その言葉が途切れたが、目に見える範囲では特に何の変化もない。
だが。
――パキリ
何かがはじける音が聞こえると、護は反対方向に足を向け、先ほどと同じことを行った。
その作業を終えた瞬間、勘の鋭くない人間でも空気が軽くなったような、わずかな変化したように感じるだろう。
何かを確かめるように周囲を見回すと。
「これで、大丈夫だろう……お前さんらも、さっさと帰るべきところに帰りな」
虚空を見つめながら護がそういうと、風が駆け抜けていった。
結界に閉じ込められ、外に出たくても出ることのできなかった浮遊霊がそれぞれ、思い思いの場所に向かったのだろう。
それを確認すると、護はその場を立ち去る。
その耳には、かすかではあったが「ありがとう」という言葉が聞こえていた。
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護が清から寄せられた依頼を解決したその日の夜。
東京から遠く、西方にある地。
『神が集う地』として知られる出雲に住む青年がいた。
彼は心に陰りを持つ、ごく普通の人間であるが、自分が置かれた現状を打破し、よりよい結果を得るために自分で考え、行動することを心掛ける程度には、精神的に正常であった。
だが、目の前にある課題について、いくら自分で考えても答えを導き出すことができず、眉唾物と思いながらも、第三者に相談する程度のつもりで占い師に頼ることにしたのだ。
――結局、テンプレというか、ありきたりなことしか答えてくれなかったけど、ほかの人に話聞いてもらってちょっとはすっきりしたかな
残念ながら、答えを見出すことはできなかったが、それなりに有意義な時間となった。
少し心が軽くなり、明日も頑張ろうと思い、帰宅し、自室に入ったその瞬間。
「な、なんだよ、これっ⁈ くっそ……離せ、離せぇぇぇぇぇぇぇ!!」
青年の声が、彼の住む部屋に響く。
しかし、同居人、あるいは近隣にいる住民の誰にも気づかれず、青年は、闇の中へと姿を消した。
あとに残されていたものは、墨で塗りつぶされたかのように黒い、一枚の紙のみ。
当然、青年が行方不明となったことは、小さな事件となり、捜査が行われることとなったが、警察の懸命な捜査にも関わらず、青年が発見されることもなかった。
その事件が発生してから数日。
出雲のとある神社の付近にある屋敷の一室で、窓を開けて月を眺める少女がいた。
どこかはかなげな表情と、腰まで伸びた黒髪、透き通るような白い肌。
そして、元々の整った顔立ちは、大和撫子と呼ぶには十分すぎるものだ。
「……」
そっと、少女はため息をついた。
原因はわかっている。
数日前、何気なく見ていた地方ニュースで取り上げられた青年の行方不明事件を聞いてから胸中に生まれた、もやもやとしたもの。
それが何かの予兆である事を、それも、吉兆ではなく、凶兆であることを彼女は知っている。
――この胸のもやもやは、何か事件が起きているってこと。それも、警察や探偵じゃ絶対に解決できない。そんな存在が引き起こしている事件が、この地で起きているんだ
今をさかのぼること、およそ千年。
時の帝であった村上天皇が現在の京都に都を移した時代。
のちに平安時代と呼ばれるその時代は、人と闇のものとが共に生活していた時代であり、人々は闇に住むものを認識し、害悪となるものを『鬼』『もののけ』『妖』と称し、怖れていた。
だが時は流れ、世界も人も混沌の渦に飲まれ、様々に変化し、数十年、数百年と時間を経るごとに、それまで無意識に認識し畏れてきた闇に住まうものを認識しなくなっていく。
だが、自分たちが捨て去った闇に住まう存在が、科学万能のこの時代でも牙をむき、襲いかかってくる。
そのことを知っている人間は少なく、対抗できる人間もまた少ない。
「呼ぶしかない、のかな」
ぽつりと、少女はそうつぶやく。
これから起きるであろう事態に対応できる人間は、非常に少ない。
二十一世紀という新たな時代を迎えるまで、あと半世紀という時に、二度にわたって勃発した、のちに『世界大戦』と呼ばれることとなる巨大な戦乱の渦の中で、科学技術は目覚ましい進化を遂げたと同時に、培ってきた闇の存在に対抗するための手段が失われることとなった。
だが、細々とその技術は受け継がれてきたため、対抗する手段を持つ人間はわずかながらも存続している。
その数少ない技術の継承者である知り合いに、声をかけるつもりであるようだ。
――きっと、あの人ならわたしを信じて力を貸してくれる
心のうちで最も頼りにしているだけでなく、何よりも大切に想っている青年の姿を浮かべながら、少女は祈るように両手を組み、目を閉じた。