成就 01
いつもそうだった…。
中学の時、初めて好きになった人が居た。ちょっと、武田先輩に似ていて、クラスでもかなり人気のある人だった。
ある日、声をかけられた。忘れもしない、放課後の教室で。一人で掃除やってる私を見て『バッカじゃねーの』って笑って、でも手伝ってくれた。それをきっかけに、私達仲良くなった。とても、嬉しかった。夢みたいだった。なのに、ある日こんな事言われたの。
『春日さんて、好きなやついるの? お前、仲いいから知ってるだろ?』
…あの後しばらく立ち直れなかった。鏡を見る度に落ち込むようになったのも、ちょうどあの頃だった。
『私って、なんて醜いんだろう?』
…もっと、七瀬みたいに目が大きかったら。色が白かったら。さわりたくなるようなサラサラの髪をしていたら…。
「よっちゃん!」
屋上でボンヤリしていると、背中から声が聞こえた。葛谷だ。
「何してるの? こんな寒い所で」
葛谷の言う通りだった。北風は強く、空はどんよりと曇り、午後からは雪が降ると天気予報で言っていた。でも、不思議に寒さを感じない。
「別に…」
そう答え、柵にもたれて地上を行く人々を見つめる。私の素っ気無い態度にもめげずに、葛谷は言葉を続けた。
「あのさ。ナナさんの送別会の事なんだけど…」
「行かない」
背を向けたまま答える。そうして、北風に髪をなぶらせながら地上を見つめていると、足音が近付いて来て、耳元で声が聞こえる。
「よっちゃん!」
その声のあまりの大きさに、振り返り葛谷を見た。思った以上に近くにいる葛谷にちょっと驚く。
「どうしたんだよ? ここ2、3日なんか変すぎ。大体、何考えてるの? この寒い日にわざわざ屋上に来るなんて…。風邪でもひきたいっていうの?」
「風邪ひいて死ねたらいいのに…」
投げやりに答える。葛谷が眉をしかめた。そして、私の顔を覗き込み、とても言いにくそうに口を開いた。
「もしかしてさ…藤井と何かあった?」
「…」
私はムッとして葛谷を見上げると、彼の脇をすり抜け、さっさとその場を立ち去ろうとした。葛谷の足音が追いかけて来る。
「…やっぱり…そうなんだ」
…その通りよ! と、私は心の中で答えた。
…だからって、なんであんたに報告しなきゃいけないの?
「なあ、俺でよかったら話聞くけど…」
葛谷は必死で追いかけて来る。が、今の私にはそんな優しささえも疎ましくて、逃げるように走り出した。
「真由美」
白川駅の改札口を抜けた所で、私は七瀬に呼び止められた。無視して行き過ぎようとしたが、腕を掴まれる。仕方なく立ち止まり、私は七瀬に冷たい視線を向けた。
「何…?」
冷ややかに言うと、七瀬はひどく悲しげな顔をした。それから私に向かって右手を差し出した。差し出された手の平で、ばあちゃんのダイヤモンドがキラキラ光っている。
…ああ。
そういえば、あれきり忘れていた。
…でも、今さら、こんなもの…
そう思いつつ、私はそれをひったくるように受け取った。そして、ぷいっと横を向き、黙って行こうとすると、
「真由美! 私、委員長と付き合う気ないよ」
七瀬が言う。
「だから?」
私は冷たく答えた。
…あんたがどういうつもりだろうが、藤井があんたを好きな事には変りないじゃない。
「待ってよ真由美!」
うつむき加減で歩いていく私の前に、七瀬が回り込んで来た。
「真由美、こんなの嫌だよ。私達、喧嘩したまま別れるの?」
「…」
何も答えずに、私は七瀬を押しのけて階段を降りて行った。
「真由美、真由美…」
七瀬が泣きそうな声で私を呼ぶ。
しかし、哀れなはずのその姿にすら憐憫の情は湧かず、振り返り、私は残酷な言葉を叫んだ。
「もう、二度と近寄って来ないで! あんたなんかと友達やっててよかった事なんて、一つもなかった!」
凍り付いたように、七瀬が私を見る。その、美しい琥珀色の瞳から、涙がこぼれて来る。しかし、私は視線を逸らし、車道を走って行った。どれだけ、彼女の心を踏みにじっても、私の中の怒りは収まらず…。
…少しぐらい傷付いて、当然よ! あんたは私の一番大事なものを奪ったんだから…
心の中で、そんな言葉を呟く。そして、ダイヤモンドを握りしめた右手を空しく見つめた。
…今さら、こんなものが有ったって…!
藤井に戻って来て欲しいとは思えなかった。あんなにはっきりと『春日が好きだ』と言われて、なんで今さら…? 例えば、このネックレスで彼を取り戻せたとしても、心を失った人形を手に入れるのと何の変りもない。それではあまりにも自分がみじめすぎる…。
…それより、七瀬さえ居なければ、こんな事にはならなかったのに…。
七瀬への怒りに身を任す事で、私は自分の心を絶望の淵からすくいあげようとしていた。そして、怒りは、私にある言葉を思い起こさせた。
『このダイヤにはもう一つ別な力があって、持ち主の願いを、何でも一つだけ叶えてくれるんだよ』
それは、ばあちゃんがあの夏の日に言った言葉だ。
…もし、あの言葉が本当なら…
走りながら思う。
…七瀬なんか、死んでしまえばいい!
私は、ダイヤを汚すがごとくに、呪詛の言葉を呟いた。
もちろん、本気で信じていたわけじゃない。…が…。
私の片足が、車道を渡り切ったその時だった。
キキーッ…
背後で激しくタイヤの軋む音がして…
ドン…!
何かがぶつかった…。
私は、ダイヤモンドを握りしめたままゆっくりと振り返った。その瞬間、血の気が引くのが自分でもはっきりと分かった。
…その時、私の目に映ったのは、路側帯に乗り上げたグレーの車と、道路の真ん中で倒れている七瀬の姿だった…。
…ピーポーピーポー
遠くから、救急車のサイレンの音が聞こえて来る。
手術中のランプがついたドアの前のベンチに座り、私は呆然と目の前の白い壁を見ていた。もう、どれぐらいこうしているだろう? 1時間? 1日? いいや、もっともっとだ。もう、何年もここにこうしているような気がする。
組んだ手に額をもたせかけ、祈るように目を閉じ、数え切れない程繰り返した言葉を、もう一度呟く。
…こんなの夢に決まってる…!
けれど、今だにこの腕に残るあの時の感触が、それが夢でない事をはっきりと告げていた。
…あの時、道路に倒れた七瀬を抱き上げた時、彼女にはまだ意識が残ってた。目の端に涙を浮かべ、血の気を失った唇が『ごめんね』という言葉を形作った。そして、がくりと気を失った。
のしかかって来るような七瀬の重さを自分の腕に感じながら、絶望的な程強く、私は思った。
…私が殺した…!
かくしてダイヤモンドは哀れな少女の願いを叶えたのだ。永遠に償えぬ、罪をその背に負わせて。
…嘘よ。…嘘よ…。
私は目を閉じたまま繰り返した。
…こんな事、夢に決まっている。現実であるはずがない…!