白い夜 02
夕方に降り始めた雪は、もう、やんでしまったようだ。
凍れる星くずの貼り付いた群青の夜空の下を、自転車を引いて歩いて行く。私の前に綾美。すぐ後ろに葛谷と藤井。PM11:30。シン…とした商店街に4つの足音だけが響く。
言葉少なに白川駅に辿り着く。先程の七瀬の告白で、みんなショックを受けたようだ。しかし、私には藤井の事が何よりも気になる。藤井はあれきり一言も何も喋っていない。
私はこんな時藤井が言いそうなセリフを、心の中で呟いてみた。
『そりゃあ、春日と別れるのは寂しいけど、仕方ないだろ? あいつが決めた事だし、お父さんの気持ちを尊重するってのは、間違って無いと思うよ…』
普段の藤井なら、こんな風に言うはずなのに…。
そうこうしているうちに、白川駅に辿り着く。
「それじゃ」
階段の前で、私は3人に向かって手を振った。綾美が手を振り返し答える。
「せめて、送別会、盛大のやってあげようね」
「うん」
私は頷いて、自転車をターンさせた。
…結局、藤井は最後まで何も言わないままだった。
「あれ?」
その異変に気付いたのは、シャワーを浴びるためにセーターを脱いだ時だった。
「…ない…!」
私は胸元に手を当てて呟いた。
無い…! 無いのだ。いつもここに輝いているはずの、あのピンクダイヤモンドが…。私はセーターを着直し、自分の部屋に駆け込んだ。そして、部屋の中をくまなく探してみた。けれど、やはり無い。目の前が真っ暗になる。
…どこ…? どこにやったの?
頭に手を当て、自分の記憶を辿ってみる。
今日、待ち合わせの1時間前、シャワーを浴びて、…それから確かに首にかけた。そして、あの駅前で、みんなを待っていた時も、七瀬の家に向かった時にもあった。…そう。肩口にソースをつけてしまって洗面所に行った時に、着たままじゃ洗いにくいからって、1回セーターを脱いだもん。その時は確かにあった。はっきりと覚えてる。…ていう事は、その後落としたってこと?
私は、携帯を手に取り七瀬の家に電話した。すぐに七瀬が出る。
『もしもし、真由美?』
七瀬の驚いた声が聞こえる
「あ。七瀬。ちょっと、聞きたいんだけど、私のダイヤモンド見かけなかった?」
『ああ。あるよ。おばあちゃんのピンクダイヤでしょ?』
拍子抜するほどの、七瀬のあっさりした答に、ほっと胸をなでおろす。
『洗面所で見つけたから、拾っておいた。鎖切れてるみたい。だから落ちたんじゃない? 月曜日に学校に持って行くよ』
今日は土曜日だ。と、いうことは、明日一日は無いって事になる。
「ううん…ううん」
私は慌てて首を振った。
「今、取りに行く」
『え? 今? もうすぐ12時だよ』
時計を見る。11時50分だ。
「大丈夫。余裕、余裕。それに、それ…大事なネックレスだから」
私の言葉に七瀬が溜め息を着いて答えた。
『分かった…待ってる』
七瀬が呆れるのは分かる。私だって心のどこかで思っているのだ。…いい加減に良しなよ。あんなちっぽけな石に、頼りっきりになるなんてさ…。
けれど、私は一瞬たりともあのネックレスを離す事ができなくなっていた。すっかり、ダイヤモンドの魔力に捕われていたのだ。その魔力とは、つまり『持ち主を幸福にする』などという、有るのかどうか定かで無いものではあったけれど。
私だって、初めから100%信じていたわけではない。でも、藤井に告白されて以来、じわじわとその魔力はリアリティを持ちはじめ、やがて、私の心を支配し切ってしまった。さらに、先程駅前で見せた藤井の青い顔が私を不安にさせ、バランスを失った心が、まるで救いを求めるようにあの石を求める。まるでダイヤに縋る事で、『私』という形を保っているような自分が情けなくもあったけれど…。
…それにしても、こんなタイミングで無くすなんて…。
携帯を置くや否や、私は部屋を飛び出した。そして、玄関の前に停めておいた自転車にまたがり、猛スピードで走り出す。
…バカみたい…!
冷静にこの場を見つめる、もう一人の自分が呟く。
…魔法なんてこの世に無いのよ。あんたは今、思い込みで突っ走っているの。藤井は魔法の力なんじゃ無くて、本当にあんたが好きだから告白してくれたのよ。
私は首を振った。
…そんなわけない。私なんか、私なんか…。
冷たい風を頬に受けつつ、人通りの無い道を走る。七瀬の家が、直に見えて来る。しかし私は自転車を降りてすぐに妙な違和感を感じた。…門が開いている。確か、さっき、帰り際に藤井が閉めたはずだった。…誰か、来てるの?
私はカーポートの下に自転車を停めた。2階の電気はついておらず、1階の、先程まで私達がパーティーをしていた部屋の明かりだけが煌々とついている。七瀬は、まだ、1階にいるようだ。後片付けをしているんだろうか?
それから玄関脇のインターホンを押そうとして、私はふと手を止めた。何故なら、すぐ横のベランダ越し…ガラスの窓の向こうから、聞き覚えの有る声が二つ、はっきりと聞こえて来たからだった。
一つは言うまでもない。七瀬のものだ。そして、もう一つは…聞き間違えでなければ、それは藤井のものだった。…何かを言い争っているようだ。
それにしても、何で藤井が…?
絶望的な不安を感じる。
私は足音を忍ばせ、ガラスの窓に近付いて行った。