表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
NANASE  作者: 白桜 ぴぴ
57/63

白い夜 01

 頬に冷たい物が触れ、思わず見上げた薄桃色の雲の間から、綿毛のような雪がふわりふわりと舞い降りて来る。

「…初雪…?」

 思わず声を出して、手を開きそれを受け止める。真っ白な雪は、指先に触れるや否や溶けて消えてしまったけれど、私は軽く手を握り、クスリと笑って、それから、なんというわけもなく、目の前に広がる夕暮れの商店街を眺めた。すっかり葉を落とした街路樹の枝々にイルミネーションが飾られ、すずなりの光を零している。電柱に備え付けられたスピーカーからは、クリスマスソングが流れて来る。


 ピリピリピリ…

 携帯が鳴った。

 斜がけにしたグレーのボアのバッグから、ピンク色の携帯を出す。七瀬からメールが来ていた。

『今晩大丈夫そう? NANA』

『うん。大丈夫。今、白川駅前でみんなを待ってる マユ』

 返信する。


 12月12日。

 文化祭が終り、後期生徒会選挙に体育祭と慌ただしく時は流れ、気が付けば冬になっていた。ちなみに、後期クラス委員は田中という男子生徒と紗知に決まった。私は重荷から解放されてホッとしている。

 そして、今日は、あの夏、七瀬を助けたメンバーだけで一足早いクリスマス会をやる事になっていた。提案者は珍しくも七瀬。このメンバーに来て欲しいといったのも七瀬だった。

 あれ以来七瀬は、憑き物が落ちたように明るくなった。クラスメートもうまくやっている。

 けれど正直なところ、この招待に対して、私はかなり複雑な思いを抱いていた。何故なら、このメンバーの中に藤井が含まれていたからだ。別に、藤井と七瀬の距離が目に見えて近付いているというわけではない。むしろ、学校では2人ともまったく接点を持っていなかった。けれど、時おり藤井がふ…と七瀬に向ける眼差しを私は見逃していなかった。それでも、頑に藤井は七瀬との距離を縮めようとはしなかった。…不自然なぐらい距離をおいている。その態度がかえってますます私を不安にさせる。そして不安になるたびに、私はダイヤモンドを握りしめ「大丈夫」だと自分に言い聞かせるのだ。それが、滑稽だとは分かっていたけれど…。

 

「よっちゃん」

 名前を呼ばれ、振り返ると、オレンジのダウンジャケットを着た葛谷が、両手にロフトの大きな紙袋を持って走って来るところだった。

「早いじゃん、クズっち!」

 大袈裟に驚く。

「ひでぇな、その言い方。まるで、遅刻常習犯みたいじゃん」

 私を真似て、葛谷が大袈裟に拗ねてみせた。

「その通りじゃん」

 笑って言い返すが、その後の葛谷の答は無かった。何故なら、彼が暗くなった空を見上げ、ガラにもなく感傷的に、

「雪…降ってるんだ」

 と呟いたからだ。

「うん。どうりで、ここしばらく寒かったわけだよね」

 白い息を吐きながら答える。

「ていうか、これ、初雪よね…」

 なんか変な感じ。この冬一番の雪を、葛谷と一緒にこうして眺めるなんてさ…。

「まゆちゃん、クズー!」

 いきなり大きな声がして、バンと背中を叩かれる。振り返ると、茶色のファーコートを着て、綾美が冷やかすように私達を見ている。

「あれー。アヤミンも今の列車に乗ってたの?」

 葛谷が素頓狂な声を上げた。

「乗ってたよお。気付かなかった?」

「気付かないって。そっちもだろ?」

「そっか。で、委員長は?」

 綾美はキョロキョロと藤井の姿を探した。既に委員長をやめた今でも、藤井のアダナは委員長のままだ。

「さーなー。アイツ、反対側の列車で来るだろ? 5分でも遅れたら、置いて行ってやろうか」

「意地悪言わないのー」

 綾美が笑う。

「だってオレ、時間にルーズな奴嫌いだし」

「よく言うわ」

 葛谷の言葉に私達は思わず突っ込みを入れる。

 と、警報機が鳴り、遮断機が降りた。そして、私達の目の前に、藤井が乗って

いるはずの銀色の列車がすべるように走って来た。


pm:6:00

 『White Christmas』を聴きながら、半月型のテーブルに頬杖をつき、居間の真ん中に置いてあるクリスマスツリーを眺める。金や銀のモールで飾り付けられた小さなツリーは、電気を落とした薄暗い居間の真ん中で、赤や黄色や緑色の電飾をチカチカと瞬かせていた。隣の綾美もうっとりとそれを見つめている。テーブルの上には七瀬が用意してくれたチキンやパスタ、そして、私達が買って来たケーキやお寿司なんかが置かれ、私の正面に藤井、斜前に葛谷が座り、七瀬だけが一人立って、テーブルに置かれたグラスにシャンパンを注いでくれた。

 全員に注ぎ終ると彼女は、私と綾美の間に無理矢理割り込み、琥珀色のグラスを片手に、「乾杯」と言う。

「何の乾杯よ」

 私は七瀬に尋ねた。

「…色々な事に」

 七瀬が答える。

「色々な事って?」

 もう一度尋ねると、

「クリスマスだろ?」

 藤井が言った。

「なんか、ヘンな感じ。まだ、クリスマスまで10日以上あるのに」

 綾美が笑う。

「まあ、気にしないって事で」

 葛谷がグラスを差し出した。それで、私達はチンとお互いのグラスを鳴らした。

 それから、私達は用意した食べ物を各々のお皿に取り、シャンペンを飲みながら他愛の無い話に興じた。七瀬のお気に入りのCDを聴きながら、葛谷が持って来たゲームなんかをして、あっという間に夜は更けて行く。

 私達は気付いていなかった。なぜ、七瀬が今日私達をこんな風に呼んだのかを。そして私達は、ただ、純粋に少し早いクリスマスを楽しんでいただけだった。だから、夜の11時を過ぎ「そろそろ帰らなきゃ」と藤井立ち上がった時に、七瀬が「待って」とやけに真面目な顔をして引き留めても、何の疑いも無く彼女の顔を見ただけだった。

 私達は、その時の彼女の決意を察する事はできなかった。もちろんそれは決して私達の罪ではないのだけれど…。


「何?」

 藤井は、上げかけた腰を降ろしてソファの上の七瀬を見た。片付けを済ませ、帰り支度を始めていた私達も七瀬を見る。

「うん。ちょっと、みんなに聞いて欲しい事が有るの…」

 …聞いて欲しい事? なんだろう?

 訝しげな私達の視線を浴びながら、彼女はCDを止めた。そして、一言ひとこと選ぶようにゆっくりと話しはじめた。

「実は、今日みんなに集ってもらたのは、この話をするためだったの」

 そう言って目を伏せる。

 わざわざ、このメンバーを呼んで話したい事? 何だろう? ダンスの事? まさか、コーイチの事とか?

 七瀬はなかなか話し出そうとしなかった。

「大事な話って、何?」

 焦れて、私が口を開くと、

「うん…」

 小さな声で頷き、やっと七瀬は言葉を続けた。

「あのね、私、実は、アメリカに行くの」

「え…?」

 誰からともなく声が上がる。予想もしなかった言葉に私も耳を疑った。なんですって…? アメリカ?

「…パパがね、仕事の都合で向こうで暮らす事になって、私にも来いっていうの…。だから、みんなとはもうすぐお別れなの…」

「いつ…?」

 藤井の乾いた声が聞こえて来る。

「年が明けたら、すぐ…」

 …つまり、1ヵ月後だ。

「そんな…急な…」

 葛谷が唖然として呟く。彼の言う通りだ。急すぎる。

「…うん。実はね。急でもないの。夏には、ほぼ決まっていた話なの。今まで黙っててごめん。でも、どうしても、誰よりも先にこのメンバーに言わなきゃって思ってた…」

「夏って…」

 私は、七瀬の足の包帯が取れた日の事を思い出す。

「もしかして…おじさんが帰って来たあの日?」

 あの日、七瀬は、まだ治り切らない足で必死に踊っていた…。

「うん」

 七瀬が頷く。

「パパ、しばらく向こうで暮らさなくちゃいけない事になったんだって。何年になるか分からないから、私にも来いって…」

「そんな。今更…」

 思わず叫んだ。

「今まで一人きりでほったらかしておいて、今更一緒にも何もないんじゃないの?」

 そんな言葉が口を付く。だって、余りにも身勝手な感じがしたから…。すると、七瀬が泣きそうな顔で私を見て言った。

「私だって、同じ事を思った。絶対行きたく無いって反抗したの。一人でだってやっていけるって。今までだってそうだったんだから。そうしたらパパが言ったの。『向こうに行ったら、今のように年中家を開ける事はなくなるから、きっとナナの傍にいられる。それで、今までバラバラだった分を取り戻したいんだ』って…でも今更そんな事言われたって納得が行かなくて、私パパに言い返してやった。私には、どうしても日本を離れたく無い理由が有るから離れないって。そのうちの一つはダンスよ。将来はダンサーになりたいの…」

 七瀬はそこで言葉を切り、それきり黙ってしまった。

「…もしかして、…だからあんな無理してオーディションを受けたの?」

 私は七瀬に聞いた。

「うん」

 七瀬が頷く。

「パパは、ダンサーなんかになれないって言った。でも、オーディションに受かれば、ダンサーとしてやっていける。日本を離れられない理由にもなる。私、あのオーディションにかけてたの。でも、落ちちゃった」

「それで、アメリカ行きを決心したって事?」

 私の質問に七瀬が頷く。これで納得した。あの日の直前、『私、オーディションあきらめるよ』と言っていた七瀬が、あっさりとその言葉を翻した理由をだ…。それにしても、そんな決意を胸に秘めつつ、ずっと沈黙を守り続けていたなんて…。軽いショックを受ける。

「水臭いよ。七瀬…」

 私の言葉に、

「ごめん。マユ。言い出せなかった…」

 七瀬がすまなそうな顔をする。

「でも…」

 葛谷が叫んだ。

「ナナさん、あん時は確かにダメだったけど…でも絶対にプロになれるよ。あきらめちゃダメだよ。ずっとここで踊り続けようよ」

「ありがとう。クズっち。でも、あのオーディションは私にとって賭けだったの。潔く負けは負けと認めないと…」

「負け? 負けてねーよ。まだ、17才じゃん。これからだろ?」

 七瀬は首を振った。

「オーディションの時、コーイチに聞かれたでしょ? 『君にとって踊るってどういう事なの?』って。あの時、私は答えられなかった。でも、本当は答は分かってた。私にとってダンスはコーイチと自分を繋ぐ糸だった。でも、肝心のコーイチが居なくなっちゃった…踊る理由がなくなっちゃった」

「それじゃあ、もう、ダンスはやめるって事?」

 私は七瀬に聞いた。七瀬は答えた。

「そう、なるかも…」

「信じらんねえ!」

 葛谷が立ち上がった。

「ナナさんにとって、ダンスってその程度のもの?」

「分からない…」

 七瀬が首を振る。

「どれだけ考えても分からないの。ダンスの事を考えると、どうしてもコーイチの事を思い出して、冷静になれなくなるの。…踊り続けたいのかどうかさえ、分からなくなっちゃう」

「何だよそれ…」

 葛谷が溜め息をついた。

「せっかく色んな事がいい方向に向い出したのに…」

「そうだよ。ナナチン」

 綾美が泣きそうな顔で葛谷に同意した。

「せっかく仲良くなれたのに…。ユキともさ…」

「そうだよ。オレらじゃ…オレらじゃ日本に残る理由にならないの?」

 葛谷の言葉に七瀬が首を振った。

「誤解しないで。みんなの事も大事に決まってる。何よりも大事よ。みんなのおかげで私は……でもね、同じぐらいパパも大事だってことに気付いたの。…それは、みんなと付き合って行くうちに気付いた事で…どう言っていいのか分からないけど…。みんなと過ごしてるうちに、私の中のイヤな考え方がどんどん小さくなってきたみたいなの。なんだか、昔みたいに、パパの事を冷たい目だけで見る事ができなくなったの。パパが言った『今までバラバラだった分を取り戻したいんだ』って言葉が痛い程胸に突き刺さって来たの…。それで…ごめん。自分で何言ってるのか分からなくなって来た」

「…」

 葛谷は黙ってしまった。綾美も私も何も言う事ができなかった。

 そして藤井は、このやりとりの間中、青ざめた顔を七瀬に向けたまま終始無言だった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
このランキングタグは表示できません。
ランキングタグに使用できない文字列が含まれるため、非表示にしています。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ