文化祭 02
メロディアスなR&Bの曲が流れるフロア内を、チャイニーズスタイルの我がクラスの女生徒達が、飲み物を片手に歩き回っている。場内には人が溢れ帰り、けっこうな盛況のようだ。先輩はキョロキョロと誰かを探すような仕種をした。そして、私の袖を引っ張りこそこそと聞いて来た。
「春日さんは、居る?」
「居るんじゃないかな?」
七瀬の名前を聞いて、私はまたもやムッと来る。
「多分、あの子もオーダー取りに走り回ってると思いますよ」
「ふ~ん。じゃあ、俺もオーダー頼もうっと」
先輩は、世にも軽薄な言葉を口にする。
「っていうか…」
私は先輩を横目で睨み、後ろの紗知に聞こえないように小さな声で言った。
「もしかして、先輩、まだ七瀬の事あきらめてないの?」
先輩がぎくりとする。どうやら図星だったらしい。
「…そうなんだ。…じゃあ『年上の守って上げたい彼女』は…?」
「…」
会った事の無い彼女の事を聞くと、先輩は世にも悲しげな顔をした。
「うん。…まあ、ふられたって…いうのかな?」
「…」
…そうなんだ。それは気の毒だけど…。と、心の中で前置きをしてから、
「七瀬、今はフリーだけど、ダメだと思いますよ。なにしろ、あの子には死ぬ程恋い焦がれる人が居て…」
「誰だよ? それ? お前のクラスの奴?」
先輩がムキになる。
「う~ん。違うけど…すっごく大人でかっこいい人。さすがの先輩でもかなわないんじゃないかな~?」
「マユ、言い過ぎだよ」
後ろから、紗知の声がする。…聞こえていたらしい。しまったと思いつつ、
「でも、無理なものは、無理だもん」
意地悪な心も手伝い、はっきりと断言してしまう。
「それより、先輩。もっといい子探しなよ。七瀬なんかより、ずっと優しい子が先輩のすぐ傍に居ると思うよ」
暗に紗知の事を言ったつもりだったが、
「へ?」
と先輩が私を振り返る。
「それって、もしかして告白?」
「違います! 自信過剰もいいかげんにして下さい!」
もう、相手にしていられない。私は紗知に「後はよろしく!」と言い残し、さっさとその場を離れることにした。
「待ってよ、マユ」
心細げな紗知の声を聞こえないふりして歩いて行くと、
「よっちゃん!」
何故か葛谷に呼び止められる。
「よっちゃん。アイツと何こそこそ話してたの?」
「…別に…」
血相を変えた葛谷の顔を訝しげに見つめて答えると、葛谷は私の肩を掴み、やけに必死に訴えかけて来た。
「ダメだよ! あんなチャライのに騙されちゃ」
「…あんただって、十分チャライと思うけど…」
私は、髑髏や般若のネックレスをジャラジャラぶら下げた葛谷の姿をマジマジと見つめて言った。
「まあ、タイプは全然違うけど…」
「違うんだよ、よっちゃん。俺が言いたいのはそんな事じゃなくて…」
そう言って、葛谷は口をパクパクさせた。真っ赤な顔をして、目は涙目になっている。普段から変な奴だけど、それに輪をかけて変だ。
「じゃあ、何が言いたいの?」
じっと目を見て聞き返すと、何故か葛谷は目から涙をこぼした。
「あのね、よっちゃん、俺はね…」
と、その時だ。
『業務連絡です。葛谷く~ん。葛谷高志く~ん。至急舞台まで戻って下さい。繰り返します…』
場内に山岡のアナウンスが響く。
「なんだよ、クソ!」
葛谷が腹立たしげに呟く。
『クズ~、早く来いって。ダンスバトルだぞ~』
小金井の声がする。
ダンスバトル?
…なに、それ? 聞いてないけど…。首を傾げる私の事を、なんだか名残惜しそうに見つめながら、葛谷は振り返り行ってしまった。
…バトル? バトルって?…
そんな囁きが、場内のあちこちから聞こえて来る。
『つまり、この舞台の上でダンスを踊って、一番上手い奴を決めようってこった!』
舞台上から山岡がざわめく生徒達に向かってフォローを入れた。そこへ、のそのそと葛谷が上って来る。
『よーし! 来たな!』
山岡はふて腐れた葛谷に向かい、大きく手招きした。
『それじゃあ、皆さん紹介するぜ。彼の名は、葛谷高志。さっきから、この舞台上でMCを勤めてくれてる』
…みんな知っている。
『しかし、「踊る喫茶店」MCとは仮の姿なんだな! その正体は、伝説のダンスバトラー「掃き溜めのクズ」!』
…伝説? そうだったのか? しかし「掃き溜めのクズ」とは結構な名前だ。
『そして、本日の挑戦者エントリーナンバー1! さあ皆さん拍手!』
山岡のあおりで、場内にパラパラとお義理のような拍手が起こる。みな、イマイチこの流れについていけてないようだ。…が、
『それじゃあ、踊ってみせてくれ』
という山岡の言葉に合わせて踊り出した葛谷の姿に、誰もが驚き、釘付けになった。
いつの間にか、変っていた4つ打のリズムに合わせて、葛谷はいきなりムーンウォークを始める。そして、立ち止まりコマ送りのように腕や手足を動かした後、ぽきぽきと音をたてるように床に崩れ落ち、そこから彼の得意とするバックスピンを披露した。そして、床の上で回転しながら、うつ伏せになったり、仰向けになったり目まぐるしく回り続ける。会場に拍手と歓声が上がった。『さあ、他に我と思わん挑戦者はいないか?』
舞台脇から山岡が煽ると、
「オレオレ…!」
と、叫びながら、緑とグレーのシマシマのTシャツを着て、坊主頭を赤く染めた少年が舞台に駆け上がって来た。…どこかで見た顔だ…。
『来たね、来たね! それじゃあ、勇敢なる挑戦者君。自己紹介をよろしく』
山岡がそう言って、彼にマイクを渡すと、
『エントリーナンバー2番! 村上政男!』
と叫び、踊っている葛谷の横で自らもステップを踏み、同じくブレイクダンスを披露し始めた。それを見て思い出す。…ああ、そうだ。あのオーディションで最終審査に残っていた人だ…! 後で知ったのだが、この日の挑戦者の何人かは、葛谷と山岡が場を盛り上げる為に頼み込んだ、クラブの友達だったらしい…。
しかし、さすが最終審査にまで残っただけあって村上政男は上手い。リズムに合わせて、体をふわふわ浮かせるような動きを披露する。まるで、無重力空間に居るかのようだった。その横で、山岡が真似をして踊り出す。かくかくと体を上下させるその姿は、お世辞にも上手いとは言えなかった。
その横で、いつの間にか踊りを終えた葛谷が叫ぶ。
『さー、他に挑戦する奴はいないか?』
山岡の下手な踊りに自信を持ったのか、次々と挑戦者が手を上げる。彼等が舞台に上がる度に、フロアから歓声が上がった。そうして、15人ばかり踊り終えたところで、
『OK、OKここまで!』
山岡がしゃしゃり出て来る。
『それじゃ、今から1番を決めるぞ! みんなこの15人のバトラーの中で、一番上手かったと思った奴に拍手を!』
ワーッという歓声の中、舞台上では15名の挑戦者達が横一列に並んだ。山岡が、
一番端の葛谷に手を差し伸べ叫ぶ。
『それじゃ、1番! クズの踊りを支持する奴!』
ワーっと大きな歓声が上がる。私も拍手した。素直に上手いと思ったからだ。
『それじゃ、2番! 彼の踊りを支持する奴!』
山岡は、次に赤い頭の村上政男を指して叫んだ。こちにらも大きな拍手が上がったが、葛谷よりはちょっと少なかった感じだ。
そうやって、山岡は15人まで拍手させた。そして、なんと、1位に選ばれたのは葛谷だった。
しかし、ダンスバトルはここで終わりにはならなかった。14名の挑戦者を舞台そでに帰すと、次に山岡は舞台中央からこう叫んだのだ。
『めでたく1位に決まった葛谷君には、真のチャンピオンと戦う権利が与えられた』
…真のチャンピオン?
その言葉で、再び場内がざわめく。なんだか、少年マンガみたいなノリだ。いや、…そんな事より真のチャンピオンって?
きっと、誰もが同じ事を思い、舞台上の山岡の次の言葉を固唾を飲み待った。会場がしーんとなる。そして、ぐっと観客を引き付けたところで、山岡が叫んだ。
『それでは、真のチャンピオンを紹介します。1年5組の隠し玉。天上から降りて来た舞姫! その名は…春日七瀬!』
…ああ。
七瀬の名前を聞いて納得する。この中であの葛谷の踊りを凌駕する力を持った人間といえば、なるほど七瀬しかいない。事情を知らない多くの人達があげるどよめきの中、私はキョロキョロと七瀬の姿を探した。すると、案外傍に彼女の姿を発見する。七瀬は、赤色のチャイナ服を身に纏い、私から5メートルと離れていない場所にいるカップルにジュースを出している所だった。向こうも私に気付き、こちらを見ている。
突然、名前を呼ばれて驚いたのか、助けを求めるような顔をしている。
…行きなよ…
私は目で合図を送った。
…でも…
七瀬が首を振る。
『春日さん! そこの赤いチャイナ服の春日七瀬さん。給仕なんか良いから、こっちに来て!』
舞台上の山岡が、めざとく彼女を見つけて手招きをした。みんな一斉に彼女を見る。
「行かなきゃ収まらないよ!」
私は七瀬に向かって叫んだ。
「でも…」
七瀬は嫌そうだ。
「行きなよ、春日さん」
いつの間にか、私の後ろに立ってた紗知が言った。
「うん。俺も、春日さんのダンス見たいな…」
武田先輩の声もする。…結局2人とも、私の後を追いかけて来てたらしい…。
「踊りなよ。ナナチン。みんなに、ナナチンの本気の姿見せてやりなよ」
七瀬の後ろから、綾美が方を叩き言った。七瀬が振り返ると、綾美の後ろに立っていた小林ユキが一歩前に出て、
「行きなよ。春日さん。みんなが見たいって行ってるんだからさ…」
七瀬はマジマジと小林ユキの顔を見た。そして、こくりと大きく頷く。
「そんなに見たいって言うなら、見せてあげる…」
それから、勝ち気な笑顔をふっと浮かべ、手に持っていたお盆を綾美に預けると、人込みをかき分け、真直ぐに舞台へと歩いて行った。
4つ打ちの「チキチキ」というリズムがスピーカーから流れてくる。紫と青色の光に満たされた舞台に七瀬が駆け上がる。山岡がマイクを持ってない方の手を広げ彼女を招き寄せる。そして、
『来てくれたね! 七瀬。さあみんな拍手!』
と、みんなを煽った。一斉に拍手が沸き起る。山岡は七瀬にマイクを向け尋ねた。
『噂では、七瀬、プロ並みに上手いんだって?』
『言い過ぎだよ。でもダンスはやってた』
『いつから?』
『中学の時から』
『ダンスは楽しい?』
『…どうかな?』
『ダンスは好き?』
『…好きかもね』
『じゃあ、踊ってみせてくれる?』
『もちろん!』
七瀬の言葉に再び拍手が起こる。山岡が後ろに下がりながら叫んだ。
『それじゃあ、天女の舞を見せてくれ』
4つ打のリズムのボリュームが上がり、紫の光の中で七瀬が目を閉じて体を揺らしはじめた。ファンタジックなシンセサイザーのメロディーが波紋のように広がる。…それは、いつも七瀬が踊っているあのメロディーだ。七瀬が右足からステップを踏み出した。
まず、軽く右足を前に出す。そして、すぐに戻す。次に左足を軽く前に出す。そして、また、すぐに戻す。その後、ターン…。
あの夏の夜と変らぬ鮮やかなステップだ。場内からわっと歓声が上がる。その後徐々にスピードをアップしながらクロスステップに入る。
右足をクロスさせ、左足をバック。右足を踏み込みターン、膝を伸ばし左足をクロス…そして、ジャンプ…。
どんどんテンポアップするそのリズムに合わせ、七瀬の足の動きも速くなって行く。目まぐるしいばかりのその足裁きに、誰もが息を飲んだ。その内、いつしか曲調は、あの夜クリスタワーでかかっていた、あのエスニックなメロディーに変っていく…。ライトが赤色に変った。
南国の太陽を思わせる情熱的な曲調に合わせ、七瀬の動きはますます速く、そして激しくなって行った。それから、驚いた事に、今まで彼女が一度もやらなかったフロアムーブを展開する。彼女は、床に手をつき逆立ちをして、その姿勢で一回転し、そのまま足を仰向けに倒して立ち上がった。さらに、そこから、すべるようなステップを踏む。歓声がワッと上がる。七瀬は歓声に答えるように手を振った。それで、またみんながワーッと叫ぶ。
そこへ葛谷が乱入して行った。七瀬と向かい合いで同じステップを踏み、それから徐々に動きをずらして行く。そして、無重力みたいな動きで後ろに下がると、彼の得意なバックスピンを披露した。その前で、七瀬がコマ送りみたいな動きをする。
その間、終始彼女は笑っていた。こんなに楽しげに踊る七瀬の顔は始めてだった…。
やがて、メロディがフェイドアウトして4つ打のリズムだけが残されると、山岡が舞台中央に走り出て叫んだ。
『ありがとう。クズに七瀬。もうオレ、こんな2人に勝ち負けなんか決められない。皆さんはどう?』
ワーッという歓声とともに、拍手が上がる。
『よし、それじゃあ、素晴らしいダンスを見せてくれた2人に盛大な拍手を!』
山岡の声で再び大きな拍手が起こった。
こうして、1年5組の『踊る大喫茶店』は、私達の思惑を越えて大成功に終った。