文化祭 01
いよいよ、文化祭当日。
旧校舎脇のオリエンテーション室の1階の全ての窓には暗幕がかけられ、広いフロア内は真っ暗になっていた。舞台前に置かれた機材と、星野のいるブースだけが、赤や青のフットライトに照らされぼんやりと闇の中に浮かび上がっている。
体育館の3分の1程の広さのフロア内に居るのは、我が1年5組の生徒39名と、朝早くから訪れてくれた他校の生徒、そして、自分のクラスの出し物の準備が終っているらしい他クラスの生徒を含めた80名ばかりプラス我らが担任松岡カネマツ先生だ。 私は他の女生徒達とともに、喫茶準備室とダンスフロアを仕切る暗幕の前に立ち、暗がりの中でガヤガヤとざわめく生徒達の声を聞いていた。
と、突然、スピーカーから葛谷の声が響いて来る。
『長らくお待たせいたしました。ただいまより、白川高校1年5組主催、「踊る大喫茶店」を開店いたします』
葛谷のアナウンスが終ると同時に、天井に備え付けたライトがフロアを照らす。オレンジと紫と緑の丸い光に照らされ、中央のミラーボールがキラキラと光る。おーっという歓声が場内に沸き上がる。そして、そのざわめきを切り裂くような葛谷の声。
『さあ、まずは、校歌斉唱!』
「はぁ~?」
一斉に起こるブーイングをものともせず、ガンガンに流れて来たのは、この雰囲気に全くそぐわない、我が白川高等学校校歌だった。
『緑の山の 頂きにぃ
響く我らの 高き声~ 』
ブーイングがますます激しくなる。
「やっぱり、校歌を最初に持って来たのは失敗だったんじゃ?」
私の隣で、オレンジ色のチャイナ服に身を包み、腕組みをして立っていた紗知が眉をしかめて言った。ちなみに、チャイナ服は本日の接客係の衣装で、つまり我がクラスの女生徒の全員がこの衣装を着ている。ただし、私は実行委員の仕事があるので普通の制服だ。
「仕方ないよ。まっちとの約束だし…」
私は答えた。ちなみにまっちとは、松岡先生のあだ名である。
場内のブーイングの中、いきなり舞台が明るくなり、はっぴ姿の葛谷と、山岡と、小金井がマイクを片手に現れた。そして、校歌に合わせて、盆踊りとも何ともつかない不思議な踊りを踊り始める。
『ああ~ 白川の子ら シャケのごとくぅ
とめどなく走れ 進みゆけ~』
お尻をふりながら、泳ぐような手の動きをする。
ブーイングが収まり、皆が葛谷達の踊りに注目した。しかし、この場合感動したわけではなく、呆れ返って静かになったと言った方が正しいだろう。
しかし、舞台ソデの松岡先生は非常に満足そうだった。ニコニコして隣に立っていた藤井に何か耳打ちすると、舞台脇に設置された階段を降りそのまま外に出ていった。
それを見届け、葛谷達がブースに向かって目配せする。途端に、校歌のリズムが速くなり、徐々に星野アレンジのあの曲に変わって行く。葛谷達が、はっぴを脱ぎ捨てた。
『さ~、オーディエンスの皆さん! いよいよ、ショータイムが始まるぜ!』
ドスのきいた山岡の叫び声とともに、オーッという歓声が場内にあがる。
『どんどん上がって行こうぜ~!』
『Shake it Shake it Shake it Shake it Shake it…
緑の山の頂きに 響く我らの高き声~
流れる大河の 飛沫さえ~ 我らの夢を 語り継ぐ
ああ~ 白川の子ら 波のごとくに
とめどなく走れ 進みゆけ~ 』
それからはもう、みんなむちゃくちゃにはじけて踊り出した。
「始まったね」
私は紗知と目を見合わせ頷く。
「それじゃ、接客開始!」
紗知が女の子達に号令をかけた。すると、A班の子達が一斉に動き出す。半分の5人は暗幕の後ろで飲み物の準備を、そして、残りの5人はフロア内にオーダーを取るために散って行った。B班の10人は自由行動ということで、フロア内に踊りに行く者、他のクラスの出し物を見に行く者等様々だ。ちなみに、喫茶担当はA 班、B班、2つのグループが1時間毎で交代する事に決めていた。私は一応B班の所属になっている。
「真由美、一緒に校内見に行かない?」
七瀬や、綾美に声をかけられたが、午前中は生徒会役員として、体育館で行われるイベントの受付をしなくてはいけないので断る。そして、少しだけ喫茶準備室の手伝いをした後、体育館へ行こうとすると、紗知に呼び止められた。
「ねえねえ。武田先輩が歌うのっていつ?」
そう、今から私が受付する体育館のイベントには軽音楽部のコンサートも含まれていて、なぜかそこで武田先輩がボーカルをつとめるというのだ。武田先輩は、確かテニス部所属の筈なのに、一体どういうつながりでそうなったかは分からない。何にしても目立ちたがりの先輩の好きそうな事ではある。
「うん。多分、10時半頃だと思うよ」
私は時計を見て言った。ちなみに今の時刻は9時23分。B班と交代してすぐ駆け付ければ、余裕で間に合う時間だ。
「整理券とか、いるのかな?」
おずおずと紗知が聞いて来る。
「さあ…。あんまり入場者が多ければそうなるかも」
まあ、まずそんな事はないと思うけど…と、思いつつ答えると、
「私達の分、取っておいてくれない?」
紗知が顔を赤らめて言った。…なんと、紗知も武田先輩のファンだったようだ…! メグなら分かるけど…。私は、意外な思いでうつむき加減のショートカットの彼女を見つめた。
「いいよ」
私は頷いた。
「もし、整理券があったら、紗知と優香とメグの3人分だね。取っておくよ」
「ありがとう!」
紗知が、パッと顔を輝かせる。なんだか笑いがこぼれて来る。
「それじゃ、後で…!」
私は笑いながら手を振り、その場を後にした。
それから、私は校内を見て回りつつ体育館を目指した。『占いの館』『写真で一言展』『超マニアック映画館』など風変わりな出し物もがあって面白い。他校からの生徒も多く来ていて、結構にぎわっている。その数は、体育館に近付く程増えていく。そして、最後に、体育館に辿り着いた時、私は驚きのあまり目を丸くしなければならなかった。何故ならそこには、校門まで届くかと思われるような、長い長い行列が出来ていたからである。
行列の中心は、主に我が白川高校の女子生徒達だが、その他にも他校の女生徒、そして女子中学生、女子大生らしき人の姿まで見える。まるで、この界隈の女学生全てが集って来たような勢いだ。しかも、驚いた事に、彼女達全てが武田先輩目当てだというのだ。私達役員は『まさか』の整理券を配るはめになる…。
10時を少し過ぎた頃、紗知達が受付にやって来たので、取っておいた整理券を渡す。10時15分からの短い休憩の間に、整理番号順に観客を入場させる。体育館内の半数以上が女生徒で埋まった。整理券である程度入場制限したものの、なるべく多くの人に入ってもらったために、立ち見客が出る程だった。暗幕のはり巡らされた場内で、皆一様に舞台を見つめている。私も受付の席から、ドラムやキーボードの置かれた舞台を見つめた。
やがて、体育館内を照らしていたライトが全て落とされ、真っ暗な闇になる。シンとした静寂の中、突然ドラムの音が響き、派手な衣装に身を固めた武田先輩がパッと舞台に現れる。そして、青や黄色のスポットライトの中で、先輩はALIVE の歌を熱唱し始めた。
『ぎゃー!!!!』
悲鳴に近い歓声が沸き上がり、観客全てが立ち上がる。サービス精神旺盛な先輩が手を振ってそれに答える。…確かに先輩の歌はうまいが…。目の前で涙目になっている女生徒達を見て、私は心秘かに引いていた。普段の先輩を知っているだけに…。
3曲ばかり歌うと、武田先輩は舞台そでに消えて行った。その後軽音部の正規のメンバー達が引き続き『ゆず』や『モンパチ』なんかを歌っていた。それはそれでナカナカ良かったのだが、時計を見ると、そろそろ11時。交代の時間だった。ちょうどやって来た、4組のクラス委員の子に後は任せて『踊る喫茶店』に戻ろうとすると、
「マユ!」
どこからか名前を呼ばれる。声の方を見ると紗知だった。
「あれ? メグ達は?」
と聞くと「はぐれた」と答える。
「一緒に帰ろう」
「いいよ、でも、私、武田先輩に挨拶して行かなくちゃいけないけど…紗知も来る?」
何の気無しに尋ねると、紗知はびくっとなり、その後顔を真っ赤にして、
「…う~ん。でもいいの? 部外者だよ? 私」
と、なんだかモジモジする。…あらら。…その態度に、なんだかこっちまで照れそうになるが、
「いいって、いいって」
私は笑いながら紗知の手を引っ張った。
熱気がムンムンしている場内を人をかき分け歩いて行く。そして、舞台横のドアをあけて薄暗い舞台裏に入り、10段ばかりの低い階段を上りきると、パイプ椅子に座ってくつろいでいる武田先輩の姿が見えて来た。
「先輩!」
呼びかけて手を振る。白のキラキラの衣装に身を包んだ先輩がペットボトルを片手にこちらを向け、手を振り替えした。
「何? 吉岡、今、交代?」
「ハイ」
頷く。
「それより、先輩。すっごくかっこ良かったですよ」
お世辞半分、大袈裟に褒める。が、先輩は私の言葉を軽く聞き流し、「誰?」と尋ねるように私の横の紗知に視線を送った。
「あ、彼女は前野紗知。クラスメートです」
そう紹介すると、紗知はペコリと頭を下げた。そして、真っ赤な顔でこう言った。
「あ…あの、歌、素敵だったです」
「…ありがとう」
先輩は紗知に向かって笑いかけた。
「…!」
その笑顔に当てられたかのように紗知がよろめく。しかし、その後が悪い。先輩は、キョロキョロと辺りを見回し、
「ねえ。春日さんは来てないの?」
なんて事を言った。思わずムッとなる。
「いません!」
と答えて隣を見ると、紗知が悲しそうな顔をしてうなだれている。それで、私はますます頭に血が昇ってしまった。
「それじゃ、私クラスの手伝いに戻りますから」
早々に退散しようすると、
「あ、待ってよ、吉岡!」
先輩は呼び止めて来る。
「なんですか?」
「お前のクラスって、確か『踊る喫茶店』だろ? 俺も一緒に行くよ」
「え?」
紗知が小さな声で呟いた。
「その格好でですか?」
私は先輩の白のキラキラした衣装をじっと見た。こんな格好の人と歩いたら、目立って仕方がない。…というか、学校中の女生徒に殺されそうだ。しかし、
「大丈夫。大丈夫」
手を振って先輩は立ち上がった。何が大丈夫なのか…?
「ちょっと、勝手に決めないで下さい…」
言いかけた私を、
「いいじゃん。一緒に行こうよ…」
と紗知が止める。
「…」
驚いて紗知を見ると、彼女は真っ赤な顔をして、おまけに目を潤ませている。完璧に恋する乙女の表情だ…! 私は溜め息をつき首を振った。
仕方がない。ここは友達として協力しよう…。
コンサート用の衣装に身を包んだままの先輩を連れて『踊る大喫茶店』のダンスフロアに戻ると、その場に居た女生徒達が一斉に悲鳴を上げた。入り口に居た藤井が、私と先輩を見て驚く。が、さすがというか、ごく冷静に、
「来て下さってありがとうございます」
と頭を下げた。
それから、私と紗知は、人込みの中武田先輩を追いかけて歩いて行った。先輩のきらきら光る白い衣装は、この暗がりの中でも嫌味な程目立っていて、一歩進む度に女生徒達の悲鳴が上がる。先輩に近付こうとする女生徒の中をもみくちゃになって歩いていると、舞台に居た筈の葛谷がいつも間にか隣にやって来ていて、ブスッとして私に耳打ちした。
「なんで、あんな奴連れて来るんだよ?」
「来たいって言うんだから、仕方ないじゃない」
「そんなん、断っちまえばいいんだよ…!」