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NANASE  作者: 白桜 ぴぴ
52/63

薄暮 01

「やっぱり、投げ出したよ」

 教室のそこかしこから、そんな声が聞こえていた。

 放課後の教室の右半分では、葛谷を中心に男子生徒が集り、教壇に置かれた灰色のCDプレーヤーから流れる音楽に合わせて、だらだらとステップを踏んでいる。そして左半分では、指導者のいない女生徒が、各々グループに別れて雑談をしていた。

「…ちょっと、みんな。集ってよ!」

 教卓の前に立ち、私は喋ってばかりいるクラスメート達に向かって声をかけた。

「練習するために残ってるんでしょ?」

「だって、春日さんがいなきゃできないじゃん」

 クラスメートの一人が言い返して来る。

「それは、そうだけどさ…」

 私は言葉に詰まる…。

 七瀬が学校に来なくなって、今日で4日目になる。

 今まで、大概ひどい目にあっても気丈に学校に出て来ていた彼女だったが、コーイチの裏切りに、ついに耐えきれなくなったらしい。…それ程、彼女にとってコーイチの存在は大きかったのだ。

 事情を知っている私なんかは、ある程度は仕方がないというか、むしろ同情しているけど、何も知らないクラスメート達からすれば、ただの自分勝手な行動にしか見えないだろう。せっかく頑張って積み上げて来たものが台無しになると思うと、七瀬の不運に同情を禁じえない。が、今は七瀬を哀れんでる場合じゃなかった。副委員長として、この場を収めなければいけない。

「春日さん、一体どうしちゃったの? マユ、何か聞いてないの?」

 鈴木愛香が不満げな顔で聞いて来た。体育館で七瀬の説得を受けてこのレクチャーに参加してという経緯を持つ彼女である。七瀬の行動が訝しく映っても無理はあるまい。いっそ、全て話してしまえばみんなも分かってくれるだろうが、私の勝手でそんな事はできない。どう答えようか途方に暮れていると、

「あたしがかわりにレクチャーするよ」

 教室の後ろの方から声がした。びっくりしてそちらに目をやると、綾美だった。彼女は下げられた机の中の自分の席に座ったままで、千尋と一緒にこちらを見ている。

「綾美ちゃん、できるの?」

 綾美が声を上げてくれた事にも驚いたが、彼女がそこまでダンスに詳しいという事が意外だった。ずっと一緒にいて、そんなそぶり見せた事無かったから…。

「まあね、ナナチンやクズ程じゃないけど…」

 彼女は髪をなぶりながら答える。そして、自分に注目しているクラスメート達を見回した。

「あたしが教えるんじゃ、みんな納得しない?」

「いいんじゃない? こんな所でムダ話してたって仕方ないし」

 メグが答える。私はその事にも驚きメグを見た。しかし、メグはなんの頓着もなく堂々とみんなに問いかける。

「私は賛成だけど? みんなは?」

「いいんじゃない?」

 誰かが答えた。

「教えてよ、アヤミン」

 綾美はこくりと頷いた。そして、教卓の前の私の横まで来た。ずっと、冷戦状態だった彼女が力をかしてくれた事がなんだか嬉しくて、「ありがとう、綾美ちゃん」と小さな声で言う。すると、彼女は、横向いたまま照れくさそうにちょっと笑った。


 次の日は、委員会で放課後のレクチャーはお休み。

 すっかり日が短くなり、既に薄暗くなった道を藤井と一緒に帰って行く。

 コーイチさんの部屋に行ったあの日は、七瀬を守ろうと半狂乱になっていた藤井だったが、一夜あけると嘘みたいに元の藤井に戻っていた。私に対する態度もいつも通りだった。むしろいつも通り過ぎるぐらいだった。もちろん、私の心の奥底に有る不安が全て取り除かれた訳ではない。でも、私はダイヤモンドを信じていた。

 けれど、なんとなく言葉の途切れがちな私達のその日の話題に上ったのは、悲しいかな七瀬の事ばかりだった。

「その後、春日はどう?」

 さり気なく、そんな事を聞いて来る藤井に、

「うーん。相変わらず、連絡取れない。携帯も、メールも、実家も繋がらない。昨日覗きに行ったら、部屋の窓に影が映ってたし、近所の人も昼間買い物に行く所見たっていうから、家には居るみたいだけど…」

 何でもない顔で私も答える。

「そっか…」

 藤井が溜め息混じりに頷いた。

「仕方ないよな、あんな事があった後じゃ」

「うん…でもいつまでもこんな事してるわけにもいかないだろうし…私、もう一度、今日あの子の家に行ってみるよ」

「ああ。頼むよ…」

 唯一の救いは、藤井が自分で七瀬を尋ねて行くと言わない事だった。あくまでも、私を通して七瀬の様子を聞いて来る。

 それから、また会話が途切れ、やがて見えて来たあのレンガの家の前で、私達は手を振って別れた。


 日が暮れるのが本当に早い。

 北白川駅から一歩外に出ると、まだ6時だというのに商店街の街灯が煌々と点っている。遠くの玖珠山は薄暮の中に黒い影を描き、中腹あたりで見晴し台の灯火が星みたいに光っていた。

 とりあえず真直ぐに家に帰るのはやめて、一つ目の角を右に曲がる。そして、カーテンからもれる電気の光とか、夕餉の香りとかに包まれた新興住宅街を歩いて行く。

 3階建ての七瀬の家の2階の彼女の部屋からは、カーテン越しに淡い光が洩れていて、それがなんとか彼女が家にいる事を示しており、私はホッと安心する。だからといって、七瀬を家から外に出て来させる事ができるかといえば、全く自信はなかったが、気持ちを奮い立たせてアーチ型の門をくぐった。

 驚いた事にそこには先客がいた。意表を付かれた私が思わず足を止めると、扉の前にいた彼女がこちらを振り返った。そして軽く手を振り、白い歯を見せる。

「マユちゃん、来たんだ」

「綾美ちゃんこそ、来てたの?」

「うん」

 綾美は頷いた。彼女は、まるで、あの日コーイチの部屋の前で七瀬がそうしていたみたいに、鞄の上に腰掛け、膝を抱えていた。私は3段の階段を駆け上り綾美の傍に行った。

「いつから居るの?」

「4時半かな? 学校終ってすぐ来た」

 ということは、一時間半もここに居たという事か…。

「七瀬は居るよね」

「居るみたいだよ、さっきまで音楽が聴こえてたし…」

 そう言って綾美は二階を見上げる。カーテンの向こう側で七瀬の影が揺れるのが見える。私は昨日の夜もここから同じ光景を眺めてた。でも結局彼女は出て来なかった。

「ナナチン…御飯食べてるのかな?」

 私は首を振った。…分からない。

「呼んでみたの?」

 私は綾美に聞き返した。

「うん。でも、出て来ない…なんか、コーイチさんみたい」

「マネしてるんだよ、きっと」

 冗談ともつかない事を言いながら携帯を取り出す。

「とりあえず、電話してみる」

「無駄だよ。電源切ってる」

「下の電話にかける」

「留守電になってる」

「分かってる」

 綾美に答えつつ、私は七瀬の実家の方の電話番号を呼び出した。携帯のコール音に合わせて1階の電話が鳴るのが聞こえて来る。そして、それは3回鳴った後、留守電に変わった。


『春日です。ただいま留守にしております。御用の方は、ピーッという発信音の後メッセージをお入れ下さい』

 七瀬のお父さんが入れたらしいアナウンスの後、ピーッと音が鳴った。それを待ち、私は声を張り上げ、一気に喋った。

「七瀬。聞こえてる? マユミだよ。隣に綾美ちゃんも居るよ。綾美ちゃん、もう2時間もあんたの事を待っててくれてるんだよ。顔ぐらい見せたらどう?」

 まくしたてるように話す私を、呆気にとられて綾美が見る。

「聞こえるかな?」

 と呟く。しかし、七瀬の部屋は階段を上ってすぐのところに、そして、電話は階段を降りてすぐ…玄関の前にある。おそらく、留守電のメッセージも聞こえてるはずだ…。いや、聞こえていて欲しい。祈るようにして、私は言葉を続けた。

「…七瀬。みんなが心配してるんだよ。葛谷も藤井も、それに…メグや紗知だって…」

 嘘じゃなかった。紗知もメグも本気で心配している。とは言っても、彼女達にはコーイチのマンションに行った事も、そこで私達が見た事も、何も説明していない。紗知にはそれが不満みたいだ。でも、とても自分の口から話す気にはなれなかった。

 私の祈りも空しく、何の反応もないままに電話が切れてしまう。けれど、私は諦めなかった。すぐにリダイヤルをする。…絶対に聞こえているはずだ…!

「…七瀬。あんた、自分がした約束を忘れたの? ダンスのレクチャーだけは何があってもやり遂げるって言ったじゃん。あんたの、その言葉を信じて、みんな待っててくれるんだよ。それを、また裏切る気?」

 そう言ってしばらく七瀬の答を待つ。しかし、なんの返事もないまま、再び電話は切れてしまった。けれど、扉の向こうで、階段を降りて来る音が聞こえたような気がした。そこで、私は自分を励ましてもう一度リダイヤルした。

「七瀬。頑張ろうよ。あんたが辛いのはよく分かるよ。コーイチさんの事、あんなに信じてたもんね。でもさ、…前に言ってたじゃん。『今は上り坂にいる気がする』って。…ねえ、登り切ろうよ。一人じゃ大変かもしれないけど、コーイチさん程の力にはなれないかもしれないけど、私達も力を貸すから…」

 かちゃり…と音がした。それで、また電話が切れたのかと思ったら、

『マユ』

 という声が聞こえて来た。七瀬が受話器をとったらしい。

「七瀬! 七瀬なの?」

 綾美が私を見た。私は、彼女を見て頷く。…作戦成功だ。綾美が携帯に耳を寄せて来た。それで、私達はぴったりとくっつき七瀬と話す事になった。

「出て来てよ、七瀬。顔を見せてよ」

『…もう、いいよ』

「何が、もういいのよ」

『全部よ。全部どうでもいい。何もかも信じれないって事がよく分かった。頑張るのもムダ! 何もかもリセットでかまわない』

「ムダじゃないよ。リセットなんて、ダメだよ」

『マユには分からないよ』

「そんなことないよ」

『もういいから、帰ってよ!』

 かつてない七瀬の捨て鉢な態度に、どうしていいか分からず泣きたくなって来る。言葉につまった私を見兼ねて、綾美が「貸して」と私の手から携帯をもぎ取った。

「ナナチン」

『ああ、アヤミン』

 至近距離にいるおかげで、七瀬の声が小さいが聞こえて来る。

「出てきなよ、ナナチン」

『…』

 七瀬は何も答えない。

「ねえ、私達じゃ絶対にダメなの? 力になるよ」

 綾美は泣きそうな声で言った。

『…もういいよアヤミン』

 七瀬のかすかな声が聞こえて来る。

『小林の所に帰りなよ…』

 …え?

 私と綾美は顔を見合わせた。一瞬、七瀬が何を言っているのかが分からなかったのだ。…小林? 小林って、小林ユキの事?

「ユキが何って?」

 綾美が眉をひそめる。

『だから、小林ユキと仲直りしなって。元々、あんたら親友でしょ? 私は小林がムカツクからあんたを取っただけだし…』

 綾美の表情が険しくなった。

「それ、あたしの事、友達と思ってないって事?」

 そう言った綾美の声は、いつものあの甘ったるい鼻にかかった声じゃない。おそらく、地声だろう。

『…そうじゃないけど、…あんたには、小林の方があってる…』

 最後まで聞かず、綾美は立ち上がった。思いきり眉をしかめ、唇を固く結んでいる。…怒っている…!

「綾美ちゃん?」

 不安になって見上げた私に、彼女は無言で携帯を差し出した。そして

「悪いけど、帰る」

 と、低い声で言うと、階段を降り、あの茶色の長い髪を翻して走り去って行った。

「綾美ちゃん…!」

 その背中を見送りつつ、携帯を耳に当てる。

「なんて事言うのよ、あんた…!」

 私は七瀬に向かって叫んだ。

「せっかく心配して来てくれたのに…! 綾美ちゃん、傷付いたよ…! 情けないよ…あんたは…もう…」

『マユ…』

 か細い声が聞こえて来る。

『私、もう、ダメだよ』

「何言ってるのよ、ダメじゃないよ」

『ううん。ダメ。どうしていいのか、分からないの。コーイチがいなくちゃ、前にも後ろにも進めないの』

「前に進めるよ。頑張ろうよ」 

『無理よ。私はもう、一人だもん』

「だから…一人じゃないって。力を貸すから」

『ダメだよ。一人。一人になっちゃったんだよ…』

 がちゃり…電話が切れた。七瀬が切ったんだろうか?

 けれど、今度はリダイヤルはせず、私は、まだ、階段の下にいるであろう七瀬に向かって叫んだ。

「七瀬。私はここにいるからね…! 気が向いたら、いつでも出て来るのよ!」

 返事はなかったが、かわりに、コトリ…と物音が聞こえた。


 そうして私は、ドアにもたれて群青色の空を見上げた。カーポートと屋根の隙間に、瞬く星が見える。こうしていれば、七瀬が出て来るという保証もなかったけれど、このままここを離れる気にはなれなかった。

 …それにしても長年七瀬と付き合ってるけど、ドアの前で待つのは初めてだ。今まで、何があったって、七瀬は引きこもるようなタイプではなかった。やっぱり、これはコーイチさんの真似をしてるんじゃないだろうか?

 そんな事を考えているとピリリリと携帯が鳴った。藤井からだった。


「もしもし」

 私は携帯を取った。

『ああ、マユ。春日、どうだった?』

 開口一番七瀬の名前を出して来る。私は、色んな意味を込めて溜め息をついた。

「どうもこうも…まだ七瀬の家の前」

『家?』

「そう。正確には、ドアの前」

『ドアの前って…? どういうことだよ?』

 藤井が呆れたように言う。

 …この状況をどう説明しよう? 

 考え込んだ時、

「マユ…」

 背後から突然七瀬の声が聞こえて来た。ぎょっとして振り返る。扉は閉まったままだ。

「委員長からの電話?」

 その閉め切った扉の向こうから、声は聞こえて来る。どうやら、扉の薄い板を挟んだすぐそこに、七瀬も座っているらしい。

 藤井に「ちょっとごめん」と断り、私は扉に向かって「うん。そうだよ」と答えた。

「でも、よく分かったね」

 …なんで、分かるのよ…。七瀬の妙な感のよさにあまり良い気持ちがしない。七瀬は私の言葉には答えず、かわりにしばらくの沈黙の後、

「ねえ、お願いがあるんだけど…」

 と弱々しく言った。

「…お願い? 何?」

「委員長をここによんで欲しいの」

「え?」

 予想もしなかった言葉に、胸がドクンと鳴った。

「委員長なら、助けてくれそうな気がするの…」

 …委員長なら? 

 まるで、特別な存在であるかのような口ぶりに、同情も何も吹き飛びそうになる。 

 …どうして、あんたが藤井に助けを求めるの? 彼女でもないくせに…

 それが、正直な気持ちだ。

 …まさか、あんたも藤井を好きとか言わないよね? そんなに早くコーイチさんの事吹っ切れるわけないよね?

 何も答えられずにいると、また、扉の向こうから声が聞こえた。

「誤解しないで」

 はっとして顔を上げる。

「委員長なら、どうしたら良いのか答を教えてくれそうな気がするだけ。それだけよ。本当にそれだけ…信じて」

 その哀願する声に、嘘は感じられなかった。冷静に考えてみれば、おそらく七瀬は、夏の夜のレッスン以来、藤井の事をコーチのように頼っているんだろう。客観的に見て、藤井には指導力がある。誰だって頼りにすると思う。それだけだ…きっと、それだけなんだろうけど…。信頼…その気持ちがいつか恋愛感情にならないとも限らない。それに、七瀬にその気がなくたって、藤井は…。

 そこまで考え、私は大きく首を振った。

「ねえ? ダメ? 真由美」

 七瀬の弱々しい声が聞こえて来る。こんなに傷付いている七瀬の願いを無下に断る事は、私にはできない。でも、これ以上、七瀬と藤井を近付けたくない。その二つの気持ちに挟まれ、パニックになる。

『おい、マユ。春日、何って?』

 藤井の声で我に返り、私は膝においた携帯に目を落とした。

「え?」

『お前、春日と話してるんだろ?』

「…聞こえてた?」

『うん。少し』

「そう…」

 聞こえていたんならしょうがないよね…と、私は観念してできる限り素っ気無く言った。

「…じゃあ、聞こえたでしょ? 七瀬が今すぐ藤井と話したいって」

『え?』

 電話の向こうで藤井が息を飲んだのが分かる。それが、私の気持ちをまた暗くする。

 藤井は、しばらく考えたあと『分かった。行く』と答えた。

『30分ぐらいでつくようにするから、マユもそこで待っていてくれ…』

「…分かった」

 短く答えて携帯を切る。そして、相変わらず閉じられたきりの扉に向かって

「来てくれるって、藤井」

 と伝える。

「本当?」

 驚き気味の七瀬の声が聞こえる。しかし、私は何も答えなかった。すると、七瀬が済まなさそうに言った。

「ごめんね…」

 謝ってなんか欲しくない…。


 約束通り、30分を待たずに藤井が現れた。門の前からこちらに向かって軽く手を振ったけど、私はニコリともせずに玄関を指差した。

「七瀬、あの向こうにいる」

「分かった…」

 藤井は頷くと、足を立ててこちらまで走って来た。そして、軽くドアをノックする。

「春日、居るのか?」

「委員長?」

 七瀬の声がした。

「…来てくれたの?」

 その言葉に、藤井がふっ…と笑顔を浮かべる。

「お前、何引きこもってるんだよ。らしくねえぞ」

「ごめん」

「謝らなくていいから、そこから出て来いよ」

「無理…立ち上がる気も起きない」

「何言ってんだよ。本当にらしくねーぞ」

 私は、階段の一番下のステップに腰掛け、頬杖をつき、背中で2人のやりとりを聞く事にした。七瀬の声が聞こえて来る。

「委員長、私…これからどうしたらいいのかな?」

「簡単だろ? 今すぐ外に出て、やるべき事をやれよ」

 藤井らしい明解な答だ。

「…そんなこと、分かってるよ。…でも、気持ちがどうしてもついて行かないの…もう、何もかもイヤになっちゃった。どうして、私ばっかりこんな目に合うのかな? パパもママも私の事を愛してくれなかった…でも、その事はもういいの。…あの人達の事は。私はコーイチさえいればよかったの。なのに、私、コーイチにまで裏切られた…どうしてなの? なんで私ばっかりこんな目に合わなくちゃいけないの? こんな目に合ってもやっぱり頑張らなくちゃいけないの? ねえ、教えてよ委員長」

「…」

 私は肩ごしに藤井を見上げた。藤井は俯いて黙り込んでいる。今の彼女の言葉を彼なりに整理しようとしているのか…。

 それにしても、七瀬が私以外の人間にここまで話すなんて…。小さな驚きとともに、複雑な気分が込み上げて来る。やっぱり七瀬は藤井に惹かれているんじゃないだろうか?

「分かったよ」

 唐突に藤井が口を開く。

「春日にとって、コーイチさんがどれぐらい大きな存在だったかって事はよく分かった」

「うん。大きかった。今でも大きいよ」

「でも、それって俺らには寂しいよな…」

 藤井が言った。なんだか胸が締め付けられそうになる。

「春日にとって、俺らはいらない存在?」

「…そんな事、言ってない」

 七瀬が答える。

「いらないとは言ってない。委員長や、クズッちや、アヤミンと仲良くなれて良かったと思ってるよ」

 さっき、あんな風に綾美を怒らせたくせに?

「でもね、それだけじゃダメなの。私、今までコーイチの言葉を信じて頑張って来たんだよ。それが、全部嘘だったんだよ。バカみたい! もう何も信じられない。何を信じて頑張ればいいのか分からない。こんなんじゃ、もう歩けない。前に進めないよ」

「…コーイチさんの裏切りが許せないんだ」

「…うん。そう。私、コーイチの裏切りが許せない…でも、嫌いにもなれない…私、どうしたらいいの?」

 つまり、結局七瀬はコーイチが好きだって事だ。藤井が溜め息をつく。その姿を見て私は意地悪く思う。…いい気味だ。そして、そんな自分がたまらなく嫌になる。

「正直言って、俺には春日がなんであの人にそこまでこだわるのかが分からないな」

 藤井がはっきりと言った。怒ってるようだった。私はびっくりして体ごと後ろを振り返る。何を言い出す気だろう?

「だって、どう考えたって最低じゃないか。ここまで春日を信頼させておいて、いきなり突き放すかよ! 信じらんねえ。マユも言ってたけど、男としても人としても最低! けどさ、こうも思うんだ。春日は本当に、あの人から何ももらわなかったかなって? もし、春日があの人と会わなかったら、俺も、葛谷も、町田も、こんな風にお前と話す事もなかったかもしれない…とにかく、あの人は、お前をここまで頑張らせてくれた。春日は、あの人の言葉を信じて頑張ったおかげで、得たものはなかった?」

「…」

 何も答えない扉に向かって、藤井は言葉を続けた。

「あの人は、確かにお前の信頼をひどく裏切ったけど、何も残らなかったわけじゃない。そう考えて、頑張れないか?」

「…」

「俺、思うよ。みんなそうやって、何度でも転んでは立ち直って生きて行くんだって…」

 がちゃりと扉が開き、七瀬が姿を現した。その目が涙で濡れていた。

 食い入るように彼女を見つめる藤井から、私は目を逸らした。


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