修復のパズル 02
「ねえ、ちょっと。話があるんだけど、いい?」
バスケットのコートの横で膝を抱えて座っていると、後ろからそんな声が聞こえて来た。ちらりと振り返ると七瀬だ。七瀬がクラスメートの女子に向かって何かをボソボソと喋っている。おそらく、例の話をもちかけているのだろう。
話しかけられたのは鈴木愛香。色白で、ぽっちゃりとして、いつもは元気な彼女が、眉をひそめ困ったような顔をしている。無理もない。いきなり春日七瀬に話しかけられれば誰だって同じ反応をするだろう。
…うまくいくかな?
そんな視線を隣の紗知に送ると、紗知はこちらを見て『大丈夫だよ』とでも言うように笑顔で頷いた。その、紗知の横にはいつになく寡黙なメグがいる。彼女は冴えない顔で膝を抱え、先程からずっと床ばかりを見つめている。
目の前ではクラスメート達がボールを持って走り回っていた。今日の体育は我が5組対4組のバスケの練習試合だ。今、コートの中にいるのはA、B二つに分けたグループのうち、Aグループの女子達で、私達Bグループは後半戦に向けて待機中である。
コートの真ん中を、小林ユキがドリブルしながら突っ切って行く。体操服を着て黒髪を後ろに一つにまとめているその姿は、いつもより数倍生き生きしていた。
「走れ! ユッキー!」
声援が上がる。その声に答えるかのように、小林は走る。
掛け声と、体育館シューズが床をこするキュッキュという音、そしてボールの弾む音にまぎれて、再び七瀬の声が聞こえて来た。
「話っていうのは、放課後のダンス教室の事なんだけど…」
どうやら、本題に入ったようだ。
…うまくいくといいけど…
私は、試合もそっちのけで膝に顔を埋め、祈るように目を閉じた。
…これで、5人目かな…?
一昨日のあの屋上での話し合いの後、七瀬はああやってクラスメート1人1人と地道に話し合いをしている。それは彼女自身の決意であり、その彼女からくれぐれも手出しをしないようにとしつこく念を押されているので、私も…ついでに紗知も、こうしてずっと傍観を決め込んでいる。
「ヤバいよ! 小林!」
誰かの叫び声で、思わず顔を上げる。そして、意識は後ろに向けたままでコートを見ると…。
4組の巧みなディフェンスに持ちこたえられなくなったのか、小林は焦ってボールを高く投げた。それは、選手達の頭上をかなりの長距離飛んで行ったのだが、運悪くその先に居たのは小林と冷戦中の綾美だった。綾美はあきらかに、『わざと』ボールを見送る。ボールは勢いよく白線を越え、弾みながら壁際まで転がって行った。ピピーッとホイッスルが鳴り、一斉に失望の声が上がる。
その喧噪の中、切れ切れに七瀬と愛香の声が聞こえてくる。
「…だから…放課後のレッスンに参加してくれないかな…」
「う…ん。でも…」
「私のためにじゃなくて、クラスのためにさ…」
「でもさ、私達、別にわざと出てないわけじゃないよ…本当に忙しいから出ないだけだよ…」
鈴木愛香の方が一枚上手のようだ。あんな言われ方をしたら、無理に出ろとは誰も言えない。…七瀬、大丈夫かな?
「そう…なんだ…」
案の定だ。七瀬のしゅんとした声が聞こえて来る。しかし、それでも彼女は諦めなかった。
「忙しいなら…しょうがないけど、でも、もし、出られる時は出てくれるかな…?」
4組の女子がコートの外からボールを投げ入れた。あれは、確か矢部とか言ったっけ…背の高いボーイッシュな少女。彼女の投げたボールを、千尋がカットしようとして失敗する。再び失望の声が上がる。その声に紛れ愛香の声が聞こえてきた。
「うん。分かった。暇な時は出るようにするわ…」
耳障りのいい言葉ではあるけれど…『出るようにする』…か。果たして信用できるのだろうか?
矢部の投げたボールを、大沢という名の少女が受け取った、茶色がかったくせっ毛の少女。矢部とともにバスケ部に所属していると聞いている。
大沢はボールを受け取ると、我がクラスのディフェンス陣を軽々と破り、矢部に…彼女は知らぬうちにゴール下まで辿り着いていた…パスを送った。
「やばい!」
隣で叫んだ紗知の声が終るか、終らないかのうち、矢部がジャンプした。
そして、ザッ…! という音と共に鮮やかにシュートを決める。
「あ~ん!」
紗知が悔しそうに膝を叩いた。同時にホイッスルが鳴り、前半が終る。
結局試合は3セットとも4組に取られるというさんざんな結果に終った。
だからといって落ち込むわけでもなく、私はさっさと着替えを終え、紺色の体育館シューズの袋をぶらぶらさせながら七瀬の姿を探した。しかし、着替えているクラスメート達の中に彼女の姿はない。
七重の姿を求め更衣室の外に出る。しかし、広いグラウンドを見渡しても、七瀬の姿はない。もう、教室に返ってしまったんだろうか? その時、私は建物の裏から聞こえて来る水音に気がついた。
もしやと思って、更衣室裏の水飲み場を覗くと、予想通り…体操服姿の七瀬がジャブジャブと顔を洗っていた。
私はすたすたと彼女に近付くと、その背中に体育館シューズの袋をポンとぶつけた。フェイスタオルで顔をふきながら、七瀬がびっくりしたように振り返る。そして、後ろにいるのが私と分かると、
「痛いな、もう…」
と、頬をふくらませた。その言葉には何も返さず、
「交渉はどうよ?」
尋ねてみる。すると七瀬は、ニヤニヤしながら自信たっぷりに答えた。
「まずまずね」
「本当に?」
聞き返す。それが本当ならこれに勝る事はないが…いつもの考え過ぎなのかもしれないけど…私にはそう楽観的にはなれなかった。
その時、七瀬がふ…と視線を動かした。随分遠い目をして私の後ろの何かを見ている。
「?」
私は振り返り、彼女の視線の先を追った。するとそこには低い銀杏の木があり、そして、その向こうに、メグと優香が立っていた。
私は驚いて、マジマジと彼女達を見つめる。
…一体何でメグと優香がここに? 偶然なのか、それとも私の後を追って来たのか?
気まずい沈黙が流れた。
しばらくそんな具合に見つめあっていると、やがて、優香が意を決したかのように、こちらに近付いて来た。一歩、また一歩…。
「優香…」
非難するように叫ぶメグを無視して、優香はまっすぐに七瀬に近付いて来る。七瀬が驚きを込めて優香の顔を見る。…もしかして、これは…私の心に俄に明るい光が点る。
…もしかして、優香は七瀬と和解してくれるつもりなのかもしれない。きっとそうだ。優香はもともと優しい子なんだもの…
久しぶりの明るい展望に、僅かな緊張感と、期待を寄せつつ、私は優香の動きを見守った。ところが…。
優香と七瀬の距離が、のこり腕を伸ばす程にまで近付いたその時、ザッ…と土を踏みしだくような音をたて、優香の遥か向こう側にいたメグが、短かめのスカートをひるがえし、くるりと 回れ右をした。そして、そのまま彼女が勢いよく駆け出したものだから、
「メグ!」
と、私が思わず声に出して叫ぶと、優香は後ろを振り向き、せっかく縮まった七瀬との距離も忘れて、メグの名を呼びながら、彼女の後を追って校舎の方へと駆け出して行った。そして、校舎の入り口に辿り着く辺りでメグの腕を掴み、しきりに何か話している。
…一体、何を話しているんだろう…?
私と七瀬は、互いに顔を見合わせて首を傾げた…。