修復のパズル 01
翌日はうって変わった曇り空。朝見た天気予報では台風の接近を告げていた。
徐々に強くなる風の中、乱れる髪を押さえつつ坂を昇って行くと、校門で紗知に声をかけられた。
「マユ…」
「あれ? 紗知? 朝練は?」
「うん、今日は休み。それより、体調大丈夫?」
「ありがと。大丈夫…」
笑顔で返したが、私の心は今朝の空模様のようにスッキリしない。なぜなら、今日は七瀬のためにやらなければならない大仕事が私を待っているからだ。そのことを考えるだけで、気持ちが重くなる…。
「昨日、春日さんも早退していたよ」
下駄箱で靴を履き替えながら紗知が言った。
「…そうなんだ…」
初めて聞いたみたいな顔で答える。まさか、早退した七瀬と、欠席した私が、昨日会っていたとも言えないし…。
紗知は、私の言葉を素直に信じたようだ。
「うん。だから放課後のダンス教室は葛谷君が一人でやってたよ」
と言ってそのままさっさと教室に向かって歩き始めた。
「でも、残念だったな…」
「何が…?」
「おととい、春日さん踊ったらしいじゃん。男子が噂してたけど、物凄く上手いって…? 私も見たかったな…」
「本気?」
マジマジと紗知を見つめる。
「本気よ。部活のせいで、参加できなくて残念」
笑顔で私を見た紗知の顔からは嘘も偽りも感じられない。その笑顔につられて、私はついつい本音を漏らした。
「紗知は変わってるよ。女子全員ボイコットしたっていうのに…」
「らしいね…」
紗知はさらっと答えた。
「でも、みんなはみんな。私は私…だし」
「…!」
不覚にもその言葉で涙が出そうになった。
教室に入ると、真っ先に藤井と目が合った。メールを入れても返事も返さない私の事を心配しているようだ。けれど、私はその視線を無視した。…彼に対する腹立ちは、まだ消えていないのだ。そして、紗知の後を追い、メグや優香に近付いて行く…。
メグと優香は向かい合って何かを話していたが、私を見ると少し気まずそうに視線を逸らした。一昨日の事を、やっぱり気にしているんだろうか…?
「おはよう、メグ、優香」
紗知が声をかける。
「マユ、元気みたいよ」
「おはよう…」
私は無理矢理笑顔を作ったが、2人とも何も答えない。落ち込む。…しかし、私は挫けそうな気持ちを無理矢理ふるい立たさなければ行けなかった。…それは、この後待ち受けているはずの『大仕事』のためだった。そして、それは全て七瀬との、昨日の『あの約束』のためである。
『お願い、力を貸して。私、これだけは絶対にやり遂げたいの…』
縋るように七瀬は言い、その真剣な目にうたれて私はよせばいいのに『うん』と頷いてしまった。後になって後悔したが、約束した以上は力を貸すよりない。…結局いつもこうなるのだ…。自嘲するよりない。
「メグ、優香…」
私は、こちらを向こうともしない彼女らに向かって、少し強い口調で呼びかけた。怒気を含んだ言葉に優香がおそるおそる顔をあげる。
「昼休みに話がある…!」
好戦的な言うと、メグも反応した。ちらりと私を見る。
「来てくれるよね…」
ニコリともせず念を押すと、
「いいよ」
と、メグもかなりの強気で答えた。
「それじゃ、お昼に…」
そう言い残して自分の席に戻る私を、紗知が追いかけて来る。
「マユ…何? 今の…?」
「別に…話をするだけよ…」
「話って、何の話よ…」
「別に、たいした事じゃないわ…心配しないでよ」
無理矢理強制終了をかけようとすると、紗知が少し悲しそうな顔をした。
昼休み、お弁当を食べ終ると、私はメグと優香に屋上で待つように言い含め、自分は教室の外で七瀬が出て来るのを待った。
しかし随分待たされる。…何をしているのか。放課が終ってしまう…。そして、散々待たされたあげく現れたのは、七瀬ではなくて藤井だった。
「さっきから何やってるんだ?」
ドアにもたれてぼんやり突っ立ってる私に向かい藤井が言う。
「別に…」
冷たく答えてそっぽを向くと、
「お前さあ…」
と、藤井が溜め息をついた。
「まだ、怒ってるの?」
その通りだけど、ノーコメントだ。
「あのさあ、お前誤解してるよ、俺は春日の事なんか、なんとも思って…」
と、藤井が言いかけた時だった。
「待たせてごめ~ん」
と、ようやく七瀬が教室から出て来た。藤井がぎょっとして彼女を見る。噂を
すればなんとやら…だ。
「あれ? 委員長? 何してるの?」
七瀬が屈託なく藤井に尋ねた。
「別に…」
気まずそうな藤井の顔を見て、私は心の中で『バカ!』と呟く。なんなのよ、
その顔は。今のセリフ、七瀬の前で最後まではっきりと言えばいいじゃない。
「遅い!」
藤井に向けるはずの怒りを、私は七瀬に向けて叫んだ。すると、七瀬が手を合わせて謝る。
「ごめんてば。アヤミンにバレないように出て来なくちゃいけなくて、大変だったのよ…」
どうやら七瀬は、私と2人で行動を起こそうとしている事を綾美に話していないらしい。私と綾美の間がこじれているから言いにくいんだろう。…それにしても、七瀬のおかげであっちもこっちも気まずくなっている。一体、私って何? と、またハラが立って来る。
「で、もしかして委員長も参加するとか?」
私の気持ちも知らないで、七瀬が無邪気に聞いて来る。
「何に?」
藤井が訝しげに尋ねたが、
「ああ。藤井君には関係ないから…」
と、私は無理矢理七瀬の腕を引きずって、メグ達の待つ屋上を目指して行った。
目的は、メグと優香を放課後のレクチャーに参加させる事だった。それが、七瀬との約束を守るための第一歩になるはずだから…。
今にも降り出しそうな空だ。台風との距離の近さを告げるように、風が朝よりますます強くなっている。
メグと優香は、髪をなびかせて屋上の隅の銀色の手すりの前に立っていた。2人の後ろに激しく駆けて行く灰色の雲が見える。そして彼女らの横には、銀色の手すりにもたれ、コンクリートに腰を降ろした紗知が、クールな瞳でこちらを見ていた。彼女を呼び出した覚えはなかったのだが…。
「紗知…なんでここにいるの?」
私が尋ねると、
「私にも見届ける権利があると思う…。一応、3人の友達なんだし…」
と、紗知。それ以上は何も言えなくなる。きっと彼女は心配してくれているんだろうから…。
けれど私が紗知を見て驚いた以上に、メグと優香は七瀬を見て驚いていた。い
や、むしろ、怒っていた。その証拠には、
「マユこそ、なんで春日さんなんか連れて来るの?」
と、メグがムッとしたように私を見たから。それは、当然の反応だろう。なにしろ、不意打ちなのだ。しかし、私はその事に罪悪感を感じているわけにはいかなかった。
「春日さんにも関わりある事だから…」
風の音に負けぬよう大声で叫ぶ。
「…分かるんじゃない? この意味」
なびく髪の下から、強気な瞳で2人を見つめると、
「…」
メグが表情を硬くした。『それは分かるけど、絶対に聞き入れたくない』といった表情だ。彼女はそっぽを向き、口を閉じたままでいる。
泣きたくなって来る。こんなんで、話し合いが上手くいくんだろうか?
「メグ、私は喧嘩がしたいわけじゃないの。優香にも聞いて欲しいんだけど…あのね、私が2人をここに呼びだしたのは、放課後のレクチャーに参加してほしいからなの」
「…」
「ねえ、どうすれば参加してくれるかな? それを聞くために、春日さんも交え
て、ここで話し合いをしようと…」
「…」
しかし、2人は黙りこくったまま何も答えようとはしてくれない。その態度にだんだんハラが立って来る。それにこのままでは、放課が終ってしまう…。苛立ちのあまり、私はついつい語気を荒めた。
「2人ともさ、間違ってると思わない? そういう態度。…藤井も言ってたけど、文化祭を成功させるには全員の協力が必要なのは分かるよね。本音を言わせてもらえば、どんな理由があったって、今みんながやってる事は間違ってるよ。だたの我がままだと思わない?」
ちょっと、きついけど正論である。頭ごなしに押さえ付けるのはあまり好きなやり方じゃないけど、こう言えば2人とも納得せざるを得ないだろう…。ところが…。
「マユの言う事は正論だと思うけどさ…」
ようやくメグが口を開いた。
「でも、なんで私と優香だけに言うの? 私達だけが参加したって、何も解決しないんじゃない?」
「それは…」
メグの反撃に、私は言葉を詰まらせた。たいした意味があったわけじゃない。とりあえず、身近な人から説得するのがいいと思っただけだ。それに…
「メグと優香は友達だし…。だから、分かってもらいたいし…」
それが、本当の本音だったかもしれない。…多分そうだ。これ以上メグや優香と気まずいままでいるのに耐えられなかった。私の言葉に2人の表情がいくぶん和らぐ。そのタイミングを見逃さずに、私はさらに続けた。
「ねえ…分かってよ。こう見えても七瀬は結構いい子だし、今回のレクチャーは、どうしても本人がやり遂げたいって言ってるから…」
そう言ってちらりと後ろに視線を送ると、七瀬は後ろに手を組み流れる雲を見つめている。なんだか人事みたいなその顔付きを見て、私はちょっとハラを立てた。…あんた、一体何しにここに来たのよ!?
その時だ。突然、優香が激しく怒った。
「なんで、春日さんは何も言わないのよ?」
メグがあっけにとられて隣の優香を見た。
「前々から思ってたの。春日さんはマユちゃんばかりに嫌な思いさせて、何で平気な顔をしているの? いつも、いつも…」
私も驚いて優香を見る。紗知もだ。いつもおっとりした優香がこんなに怒るなんて…。
「春日さんの問題でしょ? まずは自分でなんとかしたら?」
七瀬を非難し続ける優香の言葉を聞きながら、私は自分の足元を見ていた。泣きそうな顔を見られたくなかったからだ。うつむきっぱなしの私の耳に、紗知の声が聞こえて来る。
「優香の言う通りだと思う。春日さんが本当にこの仕事をやり遂げたいなら、春日さんが自分でなんとかするべきだと思う。大変だと思うけど…マユが手助けできるのはその後の話だと思うよ」
私はゆっくりと顔を上げた。紗知も、優香もまっすぐに七瀬を見つめている。メグだけは、相変わらずくせっ毛を風になぶらせながら、そっぽを向いていた。
振り返り、七瀬を見る。彼女は両手をだらりとさせ、戸惑ったような目で優香と紗知を見つめている。そして、やがて、その白い顔を紅潮させると、小さな声で言った。
「ごめん…」
しかし、一度の謝罪ぐらいでメグ達のわだかまりが解けるはずもなく、彼女らは無言で責めるような視線を送り続ける。七瀬は、もう一度謝った。
「ごめんなさい。気付かなかった…マユにそんな負担かけてたなんて…」
優香と紗知の責めるような表情が、同情へと変わって行く。しかし、
「行こう! 優香!」
メグが叫んだ。…メグは絶対に七瀬を許さないつもりなんだろうか…。
「でも、メグ…」
そういう優香の言葉を無視して、メグがどんどん歩いて行った。こちらを振り返り、振り返り、優香は、メグの後を追っていく。
私は校舎に消えて行くメグと優香の姿を、やるせなく見つめた。