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NANASE  作者: 白桜 ぴぴ
41/63

向かい風 03

 机の上に赤色のカセットを老いて、葛谷が上機嫌で鼻歌を歌っていた。右手と左手の人さし指の間にカセットテープを挟み、クルクルと回している。

「…それ。七瀬のラジカセ?」

 通りすがりに声をかけると、

「そうそう」

 葛谷は私を見てニコニコ笑った。

「俺んちカセット専用のデッキってないから、持って来てもらったの。ついでにこのテープはナナさんの例の曲」

「ああ、いつも踊っていたあの曲?」

「そうそう」

 葛谷はそう答えてまたニコニコ笑う。

「みんな、驚くぞ…ナナさんの踊りを見たら…」

「だろうね」

 頷く。

「そしたらみんなナナさんを見る目も変わるさ」

「…!」

 私は、驚いて葛谷の顔を見た。…そんな風に考えていたなんて…。いつもお茶らけてばかりの葛谷の意外な一面を見たような気がする。葛谷は相変わらずテープを弄んでいたけれど、私の視線に気付くと顔を上げて、

「そんなに見つめないでよ。恥ずかしい…」

 と、しなを作った。それで、せっかく出来上がりかけた葛谷の真面目なイメージが音を立てて崩れていく。

「もう、あんたと話してると、馬鹿馬鹿しくなって来るわ…」

 肩をすくめてそう言うと、私はさっさと自分の席に向かった。すると背中から葛谷の声が追いかけて来る。

「楽しみだね、放課後!」

 私は振り返り答えた。

「だといいけどね…」

 悪いけど私は葛谷程楽観的にはなれない。…七瀬の踊りは確かに魅力的だけれど、果たして、それくらいでクラスメート達の彼女を見る目が変わるのだろうか…?


 席に戻ると隣の紗知の席にメグが来ていて、2人でALIVEの写真を見て何か話していた。 私は、メグの肩に両手を置き「あ、ALIVEだ」と言った。いつものようにその輪の中に入ろうとしただけだ。こうして話し掛けると、メグがニヤニヤしながらいかにALIVEが魅力的かを話しはじめるのがいつものパターンなのだが…。

「…あ、私、優香に話があるんだった…」

 メグは、私の手を払うと立ち上がり、私の顔も見ようとしないで行ってしまった。あのメールを送った日以来、彼女の態度はずっとこんな風だ。メグの後ろ姿を見て紗知が溜め息をついた。そして、きっと、暗い顔をしていたんだろう…私の背中を叩いて「座りなよ」と言った。

 やっぱり私は葛谷程楽観的にはなれない…。


 そうこうしている内に、ついに放課後になった…。


 葛谷がうきうきとした表情でラジカセのスイッチを入れた。すると、例の、あのファンタジックなメロディーが、チキチキというリズムに合わせて流れ出す。それで、クラス中が教壇に向かい注目した。

「みんな、机を下げて前に集合」

 帰り支度をしているクラスメート達に向かい葛谷が声をかける。

「今から、ダンス教室を始めますよー! ナナさん、こっち来て!!」

 葛谷の声で七瀬が教壇の前にやって来る。やや、緊張した面持ちだが、堂々としたものだ。かえって、それを見ていた私の方がハラハラしていたぐらいで情けなくなる…。

「さあ、みんな。早く早く机下げて…」

 葛谷の上機嫌な声が響く。男子生徒達はブツブツいいながらもがたがたと机を引きずり始めた。ところが…。

「おい、小林!」

 藤井が鋭く叫んだ。

「お前、どこに行く気だよ」

 藤井の視線の先を追うと、前方入り口付近で小林ユキの姿が目に入る。小林は片手に薄っぺらい鞄を持ち、だらしなく扉にもたれ、醒めた目で藤井を見ている。そして、こう言った。

「今日は、用事があるので参加できませーん」

「なんだって? 部活動やってる奴以外は放課後は明けておくようにって、前から言っておいただろ?」

「でも、用事が出来ちゃったから、仕方ないじゃないですかー」

 小林はぬけぬけと言ってのける。

「委員長にクラスメートの放課後の行動まで縛り付ける権利はないと思うんですけどぉ?」

「嘘言ってんじゃねえよ!」

 葛谷が藤井の援護に入った。

「用事なんて、無いんだろ?」

「勝手に決めつけないでくれませんか?」

 小林のわざとらしい敬語に、葛谷が本気で切れてしまった。

「あー?」

 いまにも飛びかからんばかりの形相である。どうなるかとハラハラして見ていた、その時、

「私も、用事があるから帰らせてもらいます」

 別な女生徒が、小林のマネをして葛谷の前を通り過ぎて行った。それを合図に、「私も」「私も」と、次々に女子が立ち上がる。そして、ついにはメグと優香と私と綾美と千尋を残して、みんな出て行ってしまった。ちなみに、紗知は部活に行っているので始めからこの場にはいない。

 最後の一人が出て行ってしまうと、小林が葛谷を見てニヤッと笑った。そしてカッとなった葛谷が駆け寄るより早く、自らも教室から出て行ってしまう。

「おい! お前ら! 戻って来い!」

 葛谷はドアにかじり付き、廊下に向かって叫んだ。しかし、当然ながら誰も戻って来ない。

「くそ!」

 怒りに任せてドアを蹴る。そして、あまりにも勢い良く蹴ったためか、葛谷は右足の先を押さえ、顔をしかめてその場にうずくまった。


 葛谷はそれきりいつまでたっても立ち上がろうとしなかった。藤井は教壇の前、男子生徒達に囲まれ、氷のように冷ややかな目でドアの入り口を見ている。平然として見えたけれど、その両手は…押さえられない怒りのためにか、ぎゅっと強く握りしめられていた。藤井の言葉に従い残っていた大半の男子生徒達は、この女生徒達の反乱を目の当たりにして水を打ったようにシーンと静まり返っている。

 しかし、私にとっては予想の範囲内の事だった。こうなる事が分かっていたから七瀬にレクチャー役などを受けて欲しくなかったのだ。つけ加えれば、ある程度覚悟はしていたから藤井や葛谷に比べればショックは少ない方だったとも言える。どうせ、七瀬だって対してショックなど受けてないに決まっているのだ。私は、そう思いながら七瀬の方を見た。が…。

 七瀬は藤井の斜後ろのちょうど床の上にできた日なたの上で、陽光を背負って立っていた。逆光を避けその顔を覗き込むと、意外な事に…彼女はひどく傷ついた目をしてクラスメート達が出て行った方を見つめていた。そこにはいつもの超越しているかのような(或いは絶望しきっているかのような)シニカルさのかけらもない、ただ純粋に傷付いている一人の少女がいた。…七瀬、ショックだったんだ…!

 そう思った途端、私の胸に予想もしていなかった痛みが走る。…それは、素直に単なる『同情』だったのだけど、あまりの痛みのために涙が出そうになって来る。

「メグ…」

 私は七瀬から目をそむけ、教室の中央の自分の席についたままこの有り様を見ているメグに歩み寄った。

「優香」

 そして、メグの横に立っていた優香にも声をかけた。それきり、なにも言わなかったけど、あらん限りの感謝を込めて2人を見つめたつもりだった。…ありがとう、あなた達だけでも七瀬のために残ってくれて助かった…。そう思う事で、胸の痛みがいくぶんか和らいだ。

 ところが…

「…悪いけど、私も用事あるから…」

 思いもかけない冷たい言葉がメグから返って来る。

「え?」

 一瞬何を言ったのかが分からず、私は彼女の顔を見た。

「帰るって言ってるの…」

 メグは正面から私の目を見て答えると、他の女生徒達がやったのと同じように、鞄を抱えてさっさと教室から出て行ってしまった。その後に続いて優香も「私も用事があるから…」と、慌ててメグを追って出て行く。

「…」

 ショックだった。誰に言われるよりショックだった。立っているのがやっとなくらい…。

「女怖え…」

 誰かが茶化したように言う。その声が私にとっては追い討ちになったが、藤井にとっては我に返るきっかけになったようで、つかつかと葛谷に歩み寄ると

「おい、仕方ないからこれだけの人数でやるぞ」

 と、その肩を叩いた。

「おう…」

 葛谷は憮然とした表情でそう答え、のろのろと立ち上がり、うなだれたまま男子生徒達の集まっている教壇前に戻って行く。そして、先程から微動だにしない七瀬に目をやり、いたわるように尋ねた。

「ナナさん。…どうする? 踊れる?」

 七瀬がぴくりと顔をあげる。ショックからは抜け切れていないようだ。…葛谷の問いかけにどう答えるんだろう? この様子じゃ踊れないんじゃないだろうか?

 どちらにせよ、もう見ていられない。耐え切れずに私は教室を飛び出していった。


 どこを目指すでもなく早足で廊下を歩いて行く。どこでもいい。一人になれる場所だ。そこで、心を落ち着けたい…。

「マユ! おい、マユ待てよ!」

 藤井の声が聞こえる。しかし、私は気付かぬふりをして人気の無い廊下をどんどん歩いて行った。

「待てってば!」

 力強い手で肩を掴まれる。

「どこに行くんだよ?」

 その力の強さにこれ以上進めなくなり、私は仕方なく足を止めた。止めたはいいけど、何を言っていいのか分からない。

「一体どうしたんだよ?」

「どうもしないよ。何で追いかけて来るのよ」

「それが、どうもしないって顔かよ」

 藤井がそう言って私の顔を覗き込む。

「教室に戻れよ」

「いや…」

 私は首を振った。

「もう、見ていられないよ」

 声が掠れているのが分かる。

「私があんな事頼んだせいで、七瀬がまた傷ついた…」

「…」

「ねえ。もう、レクチャー役なんてやめてもらおうよ。七瀬が可哀相だよ」

 ひやりと冷たい温度のせいか、それとも日陰の薄暗さのせいか、藤井の顔がやけに青白く見える。けれど、彼は先程までとはうってかわって冷淡なぐらい平然としていた。そして、黙ったきり何も言おうとしない。

「ねえ、藤井は七瀬が可哀相だとは思わないの?」

 私は藤井の態度を責めた。すると、藤井はこう答えた。

「大丈夫だろ。あれくらいの事」

 耳を疑う。『あれくらい』の事ですって? 女子全員にボイコットされるのが『あれぐらい』なんですか? 私は藤井の顔をマジマジと見た。青白い顔はしているが、相変わらず平然としている。まさか、本気でそんなこと思っているのか? 女子全員が教室を出て行った時に怒っているように見えたのは、気のせいだったんだろうか?

「私、藤井が何を考えてるのか分からない…。もしかして、七瀬が苦しむのを見て喜んでるの?」

「まさか…」

 藤井が笑った。

「そんなわけないだろ。でも、『アイツなら』これぐらいの事大丈夫だろうって言ってるんだよ」 

 彼は共感を求めたつもりだったのかもしれない。しかし、これは私にとってはかえって逆効果だった。と、いうか、むしろ全く関係の無いところで頭に血が昇ってしまった。

「何で『七瀬なら』大丈夫なの? 七瀬は特別だっていうこと?」

 後から振り返れば、ガキみたいな事を言ってたなと思う。でも、この時、漠然とだけど、藤井の七瀬に対する本心が透けて見えたみたいな気がしたんだ…。

「悪いけど、今日は帰る。止めても無駄だから…」

 私は拗ねた子供みたいに言うと、びっくりしている藤井の脇をすり抜けてさっさと教室に戻って行った。藤井は追いかけて来なかった。諦めたのか、それとも呆れたのか…?


 教室の入り口で私は驚きのあまり立ち止まった。

 なぜなら、七瀬が踊っていたからだ。彼女は、男子生徒の輪の真ん中で、いつもの、あの踊りを披露していた。男子達は一様に憑かれたように彼女のダンスに見入っており、誰も私が入って来た事に気付かない。

 …この状況下でも、踊るんだ…

 その事には感動もしたし、賞賛の言葉をいくら送っても足りないぐらいだと思ったけど…。

 …もう、こんな所にいるのも嫌だ…

 私は自分の席に置いておいた分厚い鞄を手に取りメグや優香がそうしたように、さっさと教室から出て行こうとした。…が、

「よっちゃん?」

 葛谷の声が聞こえて来る。振り返ると、葛谷が悲しそうな目つきで私を見ていた。その隣で綾美もじっと私を見ている。

「ごめん…体調が悪くって…」

 私は彼等に向かって苦しい言い訳を残すと、多少の罪悪感とともに教室を後にした。


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