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NANASE  作者: 白桜 ぴぴ
36/63

秋風の中で 02

 綾美が教室から出て行ってしまっても、そして、クラスメート達の姿がすっかり見えなくなっても、私はずっとその場から動けないでいた。 

 悲しかった。涙が出そうだった。それは、単純な理由だった。…私は綾美が好きだったから…。


 ポン… 


 ふいに背中を叩かれる。…見回りしている教師だろうか? 

 冴えない顔で振り返ると、驚いた事にそれは藤井だった。

「おい、どうした? 副委員長?」

「藤井…どうしてここに?」

「部活中。忘れもんして取りに来た」

 なるほど、髪が濡れている。藤井は水着の上に、体操服とジャージを着ていた。

「で、お前こそ何やってるの?」

 その言葉を聞いた途端に涙が溢れて来る。藤井があっけにとられた。

「おい、マジでどうしたんだよ?」

「綾美ちゃんが、綾美ちゃんが…!」

 私は泣きながら、今の出来事を説明しようとしたが上手く言葉にならず『綾美ちゃんが…』ばかりを繰り返した。我ながらまるで子供みたいだと思う。けれど、藤井は泣きじゃくる私の肩を片手で抱いて、優しくこう慰めてくれた。

「分かった、分かった。帰ってからちゃんと話聞いてやるから。だから、一先ず家に帰れよ。しっかりしろよ! 明日は早速委員会があるんだから」


 次の日の放課後。3階の生徒会室で、今学期最初の委員会が行われた。

 議題の中心は「文化祭」について。随分気が早い気がしないでもないが、よく考えれば文化祭が行われるのは10月11、12日…つまり後1ヵ月半もないことに気付く。ちなみに、文化祭が終るとすぐに後期生徒会選挙が行われる。つまり、この文化祭が『前期生徒会』の最後の活動となる。

 壇上では『文化祭』と大きく書かれた黒板の前で、例のごとく武田先輩が冗談を交えながら議題について話している。心もち髪が伸びたようだ。切れ長の目に茶色い前髪が斜にかかり、時々それを払う姿が嫌味なぐらいに格好いい。それにしても、いつ見ても武田先輩は楽しそうだ。七瀬に振られたショックからは、もう立ち直ったんだろうか?

 七瀬の名を思い出すと、連想ゲームのように綾美の顔が浮かんで来る。結局、今日一日は、綾美とも七瀬とも一言も口をきかなかった。そりゃあ、私には紗知やメグミがいるけれど、なんだかこんなのすごく寂しい…。

…でも、これでいいんだよね。

 私は藤井の横顔を見た。

 夕べ藤井と2人で、この事について随分長く話し合ったのだ。そして、結局辿り着いた結論は、「しばらく綾美とは、距離を置いてみる」というものだった。

 私には人の気持ちを理解しきれる自信なんてない。もし、理解できるとするなら、綾美の言葉から受けた傷がそのまま彼女の痛みなのだろうという事ぐらいだ。

『けど、あいつだって、本当はマユが悪くない事ぐらい分かってると思うよ。分かってるけど、どうしようもないんだよ。きっと』

 携帯の向こうで藤井がそう言った。

…うん。きっと、そうなんだろう。でも、やっぱりとても寂しい…。


「そういうわけで、来週の水曜日。定例議会の日までに、各クラスそれから各クラブの出し物を決めて報告をするように。それと、生徒会役員の文化祭実行委員での人員編成は、また来週発表する。いいですか? 吉岡真由美さん」

「え?」

 ぼんやりしていた所にいきなり名前を呼ばれたので、私は驚いて顔を上げた。先輩が笑ってこちらを見ている。

「目を開けて寝てんじゃねえぞ」

「ね…寝てなんか…」

 まあ、半分寝ていたようなものだが、それでも話は聞いていたつもりだ。悔しいので言い返す。

「つまり、来週までにクラスの出し物を決めてこれば良いって事ですよね…!」

「お? 夢の中でも会議してたか?」

 武田先輩は余計な一言を付け加えると、

「それじゃ、本日は撤収。道草せずに帰れよ!」

 と言って会議は終了した。


 午後6:00

 バックネット越しの坂道を藤井と2人で下りて行く。グラウンドからは、いまだに特訓を続けている、野球部のかけ声が聞こえて来た。

「頑張ってるね、野球部」

「今年は結構いいとこまで行ったからじゃねえ?」

「らしいね。メグがそう言って騒いでた」

 そんな事話して歩いていると、後ろから武田先輩が猛スピードで走って来て私達を追い越して行った。

「先輩!」

 呼び止めると、

「なんだ?」

 足踏みしながら振り返る。

「何を急いでるんですか?」

「今から、デート、デート」

「道草するなって言った癖に?」

 意地悪を言ってやる。さっきの仕返しだ。すると武田先輩は、

「そんな事言ってない、言ってない。それじゃ、オレ急ぐから…」

 と言って、くるりと前を向き猛ダッシュで坂を下りて行った。その後ろ姿を見送りながら「嘘つき」と呟く。隣で藤井がくすっと笑う。

「っていうか、あの人、七瀬にふられたのこたえてないんだ」

 私はそう言って藤井の顔をさぐるように見た。しかし、藤井は顔色一つ変えず、

「…みたいだな。タフだよな、あの人」

 と笑うばかりだ。

 後で、本人から聞いた話によれば、七瀬にふられてすぐ、先輩は運命の人に出会ったらしい。それは、バイト先の3つ年上の大学生で、憂いを秘めた大人の美人なのだそうだ。そして先輩は、その『壊れそうな笑顔』(先輩談)を見て気付いた。「こいつの寂しさを分かってやれるのは自分だけだ」って。

 それを聞いて私は思った。…もしもし? 七瀬にも同じ事言ってませんでした? しかし、口には出さなかった。


 話は戻るが、笑顔を浮かべた藤井の顔を見て、私はホッとしていた。七瀬の名前を聞いて、彼が動揺しなかったのが嬉しかったのだ。

 もしかすると、元々藤井と七瀬の関係は『オーディションに受かる』という共通の目的の上に成り立っていただけのもので、私がヤキモキする必要など無かったのかもしれない。秋風の中で思い返してみれば、夏の間の錯乱ぶりが、我ながらおかしくなって来る。

 とはいえ胸の中にはまだ一抹の不安が残っている。…このまま藤井の心の中から七瀬の存在なんか、後も残さず消えてしまえばいい。


「それより、お前会議中、何をボーっとしていたんだ?」

 藤井が話題を変えた。

「ああ、…うん。別にたいした事じゃないよ」

 言葉を濁すが、

「町田の事だろ」

 と言い当てられる。

「お前も、思い悩むタイプだよな。俺もそうだけど…」

「そっかな…」

 私は藤井を見上げた。藤井はこっちを見て笑っている。

「大丈夫だって言っただろ? 俺を信じろって」

「…うん」

 その言葉を聞いた途端に、なんだか元気が湧いて来るような気がした。

 それから、私達は文化祭の事なんかを話しながら歩いた。

 …どんな出し物がいいかな? 無難に合唱とか。それとも喫茶店? お化け屋敷とかどう? 広い部屋を借りて段ボールで迷路作ってさ…


 坂道の途中、あのレンガの家の庭先は、まだ、夏の名残りを残している。サルビアの花が揺れる門の前で、私は手を振り藤井と別れた。


「よっちゃん、よっちゃん」

 階段の途中でふいに呼び止められ、生物で使うスライドの入った箱を抱えたまま上を見上げると、一番上の踊り場から葛谷が顔を覗かせて、私に向かい手招きをしていた。

「何?」

 聞き返す。

「ちょっと、来て来て、ビッグニュース! すごい話」

 やれやれ…と思いながら3階から4階…つまり屋上に続く階段を昇る。葛谷はドア…つまり屋上の入り口…にもたれ、片手にチラシを持って「早く、早く」と私をせかす。

「一人?」

 私は、狭い踊り場を見回して言った。すると、葛谷は焦ったように首を振り、片手をノブにかけギーっと扉を開けた。鉛色の空が見える。今日は午前中雨、午後は曇りの予報だった。雨はもうやんでいたが、コンクリートは濡れている。その、開けた隙間から、

「おーい。何で出てっちゃうんだよ?」

 と、葛谷は誰かに向かって呼びかけた。それが誰なのか、私にはすぐ察しがついた。

 しばらくすると、予想通り、七瀬がひょこっと子猫みたいな顔を覗かせた。そして、緊張のあまり一瞬顔をこわばらせた私に向かって、何のこだわりもなくニコッと笑い「よっ」と片手を上げる。てっきり、七瀬も綾美と一緒になって怒っていると思い込んでいた私は、その態度にかなり戸惑ったが、気付くとつられて手を上げ返していた。七瀬が嬉しそうに笑う。

「アヤミンは?」

 葛谷が七瀬に聞いた。七瀬は黙って首を振る。

「ったく。なんなんだよアイツ。最近ちょっと変だぞ」

 葛谷は何も事情を知らないらしい。ドアの向こうを見たまま、しきりにブツブツと文句を言っている。けど、原因ははっきりしていた。綾美は私と顔を合わせたく無いんだろう…。

「ねえ…」

 私は葛谷に呼びかけた。

「これ、急いで持って行かなくちゃいけないんだけど…話、後にしてくれないかな?」

 そう言って手にした箱を目で示す。

「でも、5時間目まで、まだまだあるよ」

 葛谷が不満げに言う。

「実は、もう一箱頼まれてるんだ」

「そうなんだ…」

 葛谷が残念そうな顔をした。

「うん。ごめんね。また後で聞くよ」

 そう言って階段を降りようとすると、

「ちょっと待って」

 葛谷に呼び止められる。振り返ると、葛谷は持っていたビラを一枚差し出した。

「これ、見といてよ。詳しくは、また…」

「分かった」

 私はそれを片手で受け取り、二つに畳んでブラウスのポケットに入れた。そして今度こそ階段を降りようとすると…。

「真由美!」

 今度は七瀬に呼び止められる。振り返ると七瀬は、拝むように片手を上げて『ごめん』という仕種をした。私が綾美に気を遣っているのを察したのだろうか…? 私は笑顔で『いいよ』と頷いた。


 …あのコ、元気そうじゃん。

 綾美の事は引っ掛かっていたが、七瀬の笑顔を見て少し心が軽くなってくる。オーディションに落ちたショックからは立ち直ったらしい。…


 教室に戻って資料を教卓の上に乗せると、自分の席でさっきもらったチラシを広げた。そして、そこに書かれた文字を追ってぎょっとする。

『ALIVEツァー200×』

 …これって、最近人気が出て来たアイドルグループのライブのチラシじゃん。なんで葛谷がこんな物を?

 チラシの中に写っている5人の美少年達の姿を見ながら、私は首を傾げた。

「あー! ALIVEだー!」

 ハイテンションなメグミの声がした。顔を上げると、前の席からメグミが興奮気味にチラシを覗いている。

「マユもFANなんだ…!」

 マユ『も』ということは、もちろんメグもFANだという事だ。そういえば、こないだALIVE、ALIVEって騒いでたのを思い出す。でも私は違う。けれど「違うよ」と言おうとしたらチャイムが鳴って、話が中断してしまった。そして、長くて眠い生物の授業を受けているうちに、そんなやりとりがあった事もすっかり忘れてしまう。

 5時間目が終ると、私はスライドを返す為に再び箱を抱えて教室を出て行った。出て行きしな、柱にもたれて立っていた葛谷に声をかけられる。

「やっぱり、1箱じゃん」

 葛谷は怒っていた。

「え?」

 聞き返すと、

「『もう一箱頼まれてるんだ』って言ったよね」

 どうやら、先程の踊り場でのやりとりの事を言っているらしい。

「え? ああ、あれ私の勘違いだった」

 苦しまぎれの嘘をつくと

「本当かな?」

 葛谷は、疑り深い目をこちらに向けたが「まあいいや」とすぐに引き下がった。

「それより、チラシ見てくれた?」

 そのまま、なぜか立ち話モードに入る。

「ああ、見たよ。葛谷『ALIVE』のFANなの?」

「違う、違う。そうじゃなくて、そのライブにね、コーイチさんとシノブさんがバックダンサーで参加するんだ」

「え?」

 驚いて箱を落としそうになる。

「マジ?」

 ALIVEといえば、有名な某タレント事務所に所属する全国区のアイドルだ。そのライブのバックダンサーをやるなんて…。

「マジマジ」

 葛谷も興奮気味に頷く。

「それでさ、みんなで一緒に見に行かない? 内緒だけど、シノブさんが特別にチケットとってくれたんだ。俺と、よっちゃんと、ナナさんと、アヤミンと…それから、何て名前だっけ? あのムカツク奴。ああ、そうそう。藤井とかいう人の分」

「みんな、行くの?」

「ああ、藤井って人にはまだ聞いてないけど…」

「そう…」

 私は俯いた。すごく行きたい。生でコーイチさんのダンスみたい。でも…私が行くって言ったら、綾美は来ないかもしれない…。

「どうしたの?」

 黙り込んだ私に葛谷が聞いて来る。

「もしかして、行きたくないとか?」

「ううん。そうじゃない、そうじゃないけどさ…」

 私は、断る理由を探した。

「確か、あれって今月の23日だったよね」

「うん。祭日」

「その日、用事があるんだ。すごく行きたいけど残念」

 私の言葉で、葛谷の笑顔がみるみるしぼんで行く。

「本当に?」

 葛谷は、また、疑わしげな表情を浮かべた。

「なんか、怪しいな。もしかして、よっちゃん、アヤミンと何かあった?」

「何にもないよー」

 彼の疑念を払うように、明るく笑うと、

「本当よ。…それより大変! 休み時間、後5分しかない。急いでこれ持って行かなくちゃ!」

 と、私は慌てて走り出した。


 とりあえず、この話はこれで終ったと思っていたのだが…。


 その日の帰り道、メグミが私に向かって頭を下げて来た。

「実は、23日の『ALIVE』のライブのチケットが一枚余って困ってたんだけど、マユも一緒に来てくれない?」

 私は思いきり頷いた。

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