秋風の中で 01
9月1日。
夏の名残りの入道雲が山の向こうに見えている。
白い制服に袖を通し、ばあちゃんのネックレスを鞄の奥底に入れ、久しぶりに学校に向かう。何となく身の引き締まる思い。夕べまではあんなに過ぎて行く夏を惜しんでいたのに…。
学校へ続く坂道を歩いていくと、「おはよう」と綾美が声をかけて来た。いつもと同じ褐色の顔にピンクのヘアピン。鞄にはキャラクターのアクセサリーがちゃらちゃらと揺れている。
「ナナチンは一緒じゃないの?」
「うん。呼びにいったんだけど、先に行っちゃったみたい」
「ふーん。そうなんだ。夕べナナチンにメールしたんだけどさ、返事が全然来ないから、まだ落ち込んでるのかと思って…」
過ぎ去った夏は、奇妙な友情を置き土産に残して行った。七瀬の事がなければ、きっと私は一生綾美を誤解したまま過ごしただろう。もちろん、それならそれで何の問題もないとは思うが、彼女と仲良くなれた事で得られた事はきっと大きかったと思う。…もしかして、これって、人間的成長ってやつ? …心密かにそう思うと、なぜか気合いが入って来るような気がした。
しかし…
「マユ!」
私はふいに鋭く名前を呼ばれて振り返った。すると、メグミと優香が刺すような視線で私を見ている。いつの間に後ろに来ていたんだろう…?
彼女らは、夏休み直前に仲良くなった私の友達だ。2人とも…特に優香は、どちらかと言えばおとなしくて優しい方なのだが…。
「おはよう」
声をかけたが、2人とも返事もせずにずっとこちらを睨んでいる。よくよく注意すると、その視線は私ではなく綾美に向けられているようだ。…気が重くなる。そうだった。メグミも優香も、綾美や七瀬みたいなタイプが嫌いなんだった…。
一方の綾美はと言うと、御丁寧に2人の視線に応えるように睨み返している。それで怖くなったのか…2人ともすぐに眼を逸らした。綾美が余裕の笑みを漏らすと、カッとなったメグミが私の手を掴み、
「マユ、夏休み前に貸すって約束してたCD持って来たよ。遅くなってごめんね」
と、不自然に笑った。そして、そのまま私の腕を掴み、グイグイと引っ張って行く。
「さ、早く行こう」
「あ、ちょっと。メグ!」
「行こう、行こう」
優香が私の背中を押す。顔だけで振り返ると、綾美が呆然と立ちすくんでいた。
「ちょっと、待ってよ」
私は、2人の手を振り払った。
「綾美ちゃんも…」
…綾美も一緒に行かなくちゃ。ここで彼女を置いて行ってしまったら、せっかく積み上げた私達の友情が台無しになってしまう。それは嫌だった。
しかし、振り向いた私を待っていたのは、綾美の冷たい視線だった。彼女はプイッと顔をそむけると、呼び止める私の声も聞かずにさっさと行ってしまう。
「何あれ?」
「怖い」
メグミと優香は、心底嫌悪感を抱いた視線を綾美に向けた。
メグミ達と共に教室に入ると、一足先に教室に来ていた紗知が「おはよー」と声をかけて来た。彼女も夏休み直前にできた友人の一人である。面倒見がよく、明るい紗知は、顔も手足も日に焼けて真っ黒になっていた。
「紗知、焼けたねー」
優香が言うと、
「部活焼け」
と元気に笑う。
彼女達が喋っている間、私はキョロキョロと教室内を見回し、七瀬とその正面にいる綾美の姿とを確認する。七瀬は思いのほか元気そうで、ニコニコして綾美と喋っているようだったが、右足には包帯を巻いていた。…やっぱり、右足が治っていなかったんだ…。
そこへ、葛谷が入って行って、何かを喋りかける。すると、七瀬と綾美が大きな口を開けて笑った。どうせ、また、バカな事を言ってるんだろう。…などと思いつつ、彼等を見ていると、
「マユ!」
いきなり紗知に声をかけられた。
「あ? え? 何?」
「何よ、それ。人の話聞いてないんだから…」
呆れつつ、紗知は怒ってはいないようだ。
「あのね。夏はどこにも一緒に行けなかったから、冬休みはみんなでどっかに行きたいねって、話してたの」
「あ、…うん。いいね!」
その提案自体には賛成だったけど、明らかにおかしな私の態度に3人とも首を傾げていた。
始業式が終り、あっという間に下校時間になった。一緒に帰ろうというメグミと優香の誘いを断り、七瀬の姿を探す。今日はまだ一度も口をきいていない。私は彼女の、包帯を巻いた足が気になっていた。
しかし、教室の隅からすみを探しても七瀬は見つからなかった。…もしかすると、メグミや優香と話しているうちに、帰ってしまったのかもしれない…。
あきらめて教室から出ようとした所で、私は思い直し引き返した。それは、いまだに自分の席で何か考え事をしている綾美の姿を見つけたからだ。 私は、まっすぐに綾美に近付くと、
「綾美ちゃん」
と、声をかけた。綾美が緩慢な動作で顔を上げ、眠そうな目を私に向けた。しかし、口は開かない。
「ねえねえ、七瀬ってもう帰ったの?」
黙って頷く。その仕種はふて腐れているようにも見えた。
「そ…そうなんだ。それで、足はまだ痛むって? それからオーディション落ちた事、まだ気にしてるの?」
「自分で聞けば?」
綾美はそう言って立ち上がると、鞄を持ってさっさと歩き始めた。明らかに怒っている。原因は言うまでもない。朝の事だ。
私は慌てて綾美を追いかけた。
「あ…あのさ。朝はごめん。あんなつもりじゃなかったの。でも、綾美ちゃんも話を聞かずに行っちゃうから…」
そう言うと、綾美は立ち止まってこっちを向いた。反応があった。一先ずホッとする。そして私は言葉を続けた。
「私思うんだけど…綾美ちゃんも、メグ達も、お互い誤解してると思うの。話せば案外分かりあえるんじゃないかな…?」
しかし、最後まで言い終わらないうちに綾美の言葉に遮られた。
「うぜえな。両方にいい顔してんじゃねえよ」
「…!」
もともと綾美は乱暴な物の言い方をする子だったけど、少なくとも仲良くなってからは、私に対してはそんな言い方をした事がなかったので、私はかなりショックを受けた。さらに、綾美はとどめを刺すようにこう言った。
「ナナチンにもあたしにも、二度と話しかけてくんな!」
それは徹底的な拒絶だった。