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NANASE  作者: 白桜 ぴぴ
33/63

胡蝶の夢 04

 コーイチは七瀬のエントリーシートに目をやりながら、ゆっくりと口を開いた。

「ダンスを初めて何年?」

「ストリートダンスは1年半です。…それと、子供の頃バレーを習っていました」

「どんな踊りが得意なの?」

「ハウスです」

「なんで、このチームに入りたいって思ったの?」

「『Invisible Hunter』の頃から、コーイチさんが好きだったからです」

 それは、聞きようによっては告白とも思える言葉だった。しかし、コーイチは眉一つ動かさない。かわりに、コーイチの横からずっとに座っているレイナが口を開いた。

「あなた、将来的にはプロになろうとか考えてるの?」

 レイナはそう言うと、七瀬に向かって笑顔を向けた。何故、笑顔なんだろう?

 既にプロであることから来る優越感からなのだろうか? …私には、彼女が勝ち誇っているように思えてしかたがなかった。その一方で、七瀬がどんな表情をしているのかをこちらから伺い知る事はできない。首の中程まで伸ばした黒髪が揺れるのを、見つめるばかりである。

 やがて、七瀬の澄んだ声がフロア内に響いた。

「なります」

 『なりたい』でも『なれればいいと思います』でもなく、『なります』だ。レイナの顔から笑顔が消える。自信過剰ともとれる彼女の言葉に、審査員席から失笑が洩れる。シノブも苦笑していた。コーイチだけが、一切表情を変えずに七瀬の顔を見つめている。

 シノブの横に座っている、小太りの中年紳士がニコニコと笑いながら七瀬に質問した。

「そういえば、君、随分かわいいよね。ルックスには自信あるでしょ?」

「はい」

 七瀬があっさりと頷いた。

「けどさ、ダンサーってそれだけじゃないのは分かるよね?」 

「…私、自分の事『顔だけ』とは思っていませんけど…」

 心外そうな七瀬の言葉に、審査員席から、また、笑いが起こった。藤井が片手を額に当てて首を振る。どうやら、呆れているらしい…。

 けど、私は七瀬がうらやましくて仕方なかった。あんな風に言い切れる何一つとして、私の中には無い。


 ポン…!


 コーイチがボールペンの端で軽く机を叩く。そして、彼は再び七瀬に尋ねた。

「さっきの質問とかぶるけどさ、君は、何でこのオーディションに来たの?」

 七瀬がコーイチに向き直って答える。

「どうしても、このチームに入りたかったからです」

「なんで? 踊るだけなら…プロになりたいにしたって、他にいくらでも方法は

あるだろう?」

 そう言って、コーイチは七瀬の右足に視線を移す…。

「…」

 七瀬は黙り込んだ。コーイチが何を言いたいのかを察したようだ。俯き、こぶしを握りしめ、言葉を探している。そしてやがて顔を上げると、ほとばしる感情を押さえるように、静かに、噛み締めるように言った。

「私、どうしてもこのチームに入りたいんです…!」

 『…どうしてかは、分かるでしょう?』そんな、声無き声が聞こえて来たような気がした。

 しかし、コーイチに七瀬の気持ちは届かない。彼は「ふぅ…ん」と言って、上目遣いに七瀬を見ると、ボールペンを揺らしながら、

「じゃあ、君にとって踊るっていうのは、このチームに入る事なんだ」

 とても意地の悪い質問をした。

「違う…違います!」

 七瀬が大声で否定する。

「違う? そうかな? 俺にはそう聞こえたけど…? それじゃあ、君にとって踊るってどういう事なの?」

「…」

 コーイチの言葉に、七瀬は再び声をつまらせた。


「君にとって踊るってどういう事なの?」


 それは、あまりにも漠然とした質問に思えた。他の受験者にはそんな質問しなかったのに…。私は七瀬の肩ごしにコーイチの顔を見た。彼は相変わらずまっすぐに七瀬の顔を見つめている。…一体どういうつもりなのか?

 相変わらず七瀬の表情を見る事は出来なかったが、コーイチの目つきから2人の間に流れる緊迫感は伝わって来る。それは、決して私だけが感じていたわけでは無く、その証拠に、他の審査員達が訝しげな眼をコーイチに向けていた。そして、ただならぬ雰囲気の中、七瀬が口を開いた。

「私にとって踊る事は…」

 そこまで言って言葉を区切る。私は固唾を飲んで七瀬の次の言葉を待った。

「私にとって踊る事は…」

 しかし、彼女はもう一度同じ言葉を繰り返したきり黙ってしまう。そして、それきり、いくら待っても何の答を聞く事も出来なかった。

 しばらくすると、コーイチがふいに七瀬から視線を逸らし「分かった。もういい」と言った。…一体、何が分かったと言うんだろう?

「それじゃあ、そろそろ踊ってもらおうか?」

 コーイチの言葉を合図に、進行係の青年が七瀬のカセットをデッキにセットする。そして、

「準備が整ったら、合図をして下さい」

 と、七瀬に告げた。「はい」と七瀬は頷くと、集中力を高めるように俯いた。そして、数秒ばかり数える程の間をおいて顔を上げ「お願いします」と言った。

 カチリとスイッチを押す音がして、聞きなれたシンセサイザーのメロディが流れはじめた。そして、七瀬が小刻みに体を揺らして踊り始める。

 それは、あの、夜の公園で何度も見なれた踊りだったけれど、いつもは感じられなかった凄みを感じる。本番ともなるとこうも違うものか? 苦手だったステップも難無くこなし、その、鮮やかな足の動きを見る限り、右足を痛めているようにはとても思えない。

 もしかして七瀬の言う通り、彼女は足なんか痛めておらず、全てはコーイチと、私の勘違いなのかもしれない。…或いは、コーイチは七瀬を自分から遠ざける為に、わざとあんなデタラメを私に吹き込んだのかもしれない。そして、なぜ、七瀬を遠ざけなければいけないのかといえば…決まっている。レイナの為だ。


 邪推に等しい推論を頭の中で導き出すと、私はコーイチとレイナのツーショットを眺めた。2人ともまじろぎもせずに、七瀬の踊りを見つめている。その真剣な眼差しを見たにもかかわらず、私の疑念は晴れない。

 彼等の目の前では、七瀬が一心不乱に踊っている。そして今は、揺れる黒髪の向こうに時おり彼女の白い横顔が覗くのがこちら側からも見えた。眉をしかめ、眼を閉じ、なぜか彼女の踊りはいつでも苦しそうに見える。ついさっき見た、あの、ボーイッシュな少女のダンスと七瀬の踊りとを比較して、私は初めて奇妙に思った。何故、いつも七瀬はあんな顔で踊るんだろう? 考えてみれば、それは、クリスタルパークで初めて彼女の踊りを見た時から、漠然と感じていた事だった。


「あ…!」

 突然、藤井が小さな叫び声を上げた。

 それは、ちょうど七瀬の体が大きく右に傾いた時だった。

 そして私の視界の隅でコーイチが立ち上がった瞬間…目の前で七瀬が苦痛に顔を歪めて床に崩れ落ちた時、「春日!」と叫びながら、藤井が飛び出して行った。 コーイチは、立ち上がったまま机に手をついて、七瀬を見ている。そして、七瀬は、

「大丈夫…大丈夫よ! 足が縺れただけだから」

 と、差し伸べられた藤井の手を振り払って立ち上がった。そして、まるで何事もなかったかのように、再び踊り始める。


 残り、後、1分弱。


 コーイチは、七瀬が再び踊り出すのを見届けると、すぐに腰を降ろしたが、藤井は呆然とその場に立ち尽くしたまま動こうとしない。


 その後ろ姿から、私は視線を逸らした…。

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