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NANASE  作者: 白桜 ぴぴ
30/63

胡蝶の夢 01

 私は、綾美をその場に残し、一人で藤井を迎えに行った。

 藤井は、一階の受付前で黒いリュックを背負って立っていて、私を見ると軽く手を上げた。私は藤井に駆け寄った。

「遅かったね。場所、分かりにくかった?」

 すると、藤井は首を振り「一番早い電車に乗り遅れただけだ」と答えた。そして、

「春日、今、どうなってる?」

 まるで、それだけが最大の関心事みたいに聞いて来る。『あのー…葛谷も結果待ちなんですけど…』七瀬の事ばかり気にする藤井に、私は少々腹を立てつつも、

「今は3次審査の結果待ちだよ」

 と、答えた。

「そっか…」

「とりあえず、会場に行こうよ」

 突っ立っている藤井を促し、私は会場向かって歩き出した。昼間行ったみたいに女子ロッカーを抜けるわけには行かないので、ロッカールームの前を左に進み、突き当たりを右に曲がる。そして、男子用のロッカールームの脇の短い廊下を真直ぐに歩いてさらに右に曲がると、幾つもの窓が並ぶ長い廊下が続いていて、遠くに、先程コーイチさんと出会ったレッスン場が見えてくる。

「七瀬、凄かったよ」

 歩きながら、私は審査中に起きた事を藤井に話した。レイナの妨害を見事に乗り切ったシーンでは、話ながらついつい興奮気味になる。藤井はそんな私の言葉にいちいち頷いてくれる。

 話ながら、ふ…と前を見ると突き当たりの階段から降りて来る人達の姿が見えた。…涙を流しながらロッカールームに消えていく人。背中をたたきながら笑い合ってる人。…それらの顔には見覚えがある。あれはさっき七瀬や葛谷とともに審査を受けていた人達だ。どうやら、三次審査の結果が出たらしい。

「藤井、急ごう」

 私は藤井の手を取り駆け出した。…と、その時、

「おい、よっちゃん! よしこちゃん!」

 聞き覚えのある声に、いきなり呼び止められ、驚いて振り返ると、コーイチが私に向かい手招きしていた。

 コーイチは、昼休みに彼が居たあのレッスン室の扉から顔だけ出して、にこやかに私を見ている。目の前を通り過ぎたのに全然気付かなかった。…それにしても…

…よしこちゃんて、誰よ? まさか私の事?

 きょとんとしていると、コーイチはもう一度大きく手招きした。

「君だよ、よしこちゃん。…よっちゃんだろ? ナナの親友の…」

 どうやら、私を呼んでいるらしい。私は、目をぱちくりさせて藤井を見た。…あの人、私の名前、間違って覚えてるわ!…

「なんですか?」

 藤井が私に代わって聞き返した。凛とした声が廊下に響き渡る。

「ああ? 君は藤木君だっけ?」

「藤井です」

 藤井が、ムッとしたように答えた。不愉快らしい。無理もない、名前を間違えられて気分のいい人間はあまり居ないだろう。特に、藤井のように真面目な人にとっては…。

「ああ、そう。藤井君。ちょっと、こっちに来てくれない?」

 コーイチは悪びれもせずに言う。一体何の用なのか? 私達は顔を見合わせると、渋々コーイチの所まで歩いて行った。…早く七瀬達の所に行って、審査結果を聞きたいのに…。

 コーイチの正面に立つと、私は少々きつい口調でこう言った。

「私は、真由美です。吉岡真由美。人の名前はちゃんと覚えた方が、失礼がなくていいですよ!」

「あ?」

 コーイチは面喰らったように私を見た。…が、すぐに顔をほころばせ、

「そうなんだ。悪い、悪い。タカの奴がいつも『よっちゃんは、よっちゃんは』って言うもんだからさ。『よしこ』って名前じゃねえんだ。あいつアダナつけるセンスねえなー」

 と、頭を掻いた。

「…」

 絶句する。

 …タカって、葛谷高志の事? あいつ、コーイチさんに私の話しなんかしてるんだ。いやだ… と、思いつつなぜか悪い気はしない。

「それで、何の用ですか?」

 隣から藤井が怒ったように口を挟んだ。

「僕達、急いでるんですけど…」

「ああ、悪い悪い。じゃあ、手っ取り早く言うけど、よっちゃん、君はナナの親友なんだろ?」

「ええ…まあ」

 なぜか素直に『ハイ』と答えられない。

「だったら、なんでこのオーディションへの出場、止めてくれなかったの?」

 一体何を言い出すんだろう、この人は。意図が良く分からない上に、不真面目にも思えるその態度に、なんだか腹が立って来る。同時に、私の頭に例の、あの最悪な記憶が甦って来た。それで、ついつい言葉が刺々しくなる。

「どうして七瀬がこのオーディションに出ちゃダメなんですか? 七瀬がいちゃまずい理由でもあるんですか? それとも誰かに気兼ねしてるとか?」

 誰か…とは、レイナの事である。『レイナがいるから七瀬が邪魔なんでしょ?』と、暗に含ませてやったのだ。すると、コーイチは、私が何を言いたいのかが分かったとみえ、苦笑した。けれど、レイナの事には触れず、

「そりゃあ、まずいに決まってるだろ」

 と、極めて軽い口調で答える。

「何でですか?」

 私がもう一度聞き返すと、コーイチはこう答えた。

「だって、ナナ…アイツまだ、右足治り切ってないじゃないか」

「え?」

 驚いてコーイチを見る。…七瀬の足が治ってないですって? また悪い冗談でしょ?

 しかし、軽めな口調とは裏腹に、彼のその薄茶色の瞳は真剣そのものだった。嘘や冗談を言っているようには見えない。

「真面目に言ってるんですか?」

 コーイチが頷く。

「ああ、踊ってるの見て、気付かなかった?」

 私は首を振った。…が。

 突然、私の脳裏に奥に苦しげに顔をゆがめていた七瀬の顔が浮かんで来る。…いつの見た表情だったのか? 私は自分の記憶を手繰り寄せてみた。そして、案外早くそこに辿り着く事ができた。そうだ…さっきの審査中だ。あの時、確かに一瞬七瀬はつらそうな表情を見せた…あれは気のせいなんかじゃなかったんだ…。

それだけじゃない…

「でも、あいつ治ったって…医者の診断でも…」

 突然の藤井の声に、私は一瞬思考を遮られる。藤井はコーイチの言葉を信じていないようだ。疑わしげな表情を隠そうともしない。

「医者がどう言ったか知らないが、治り切っていないよ。医者の言葉を信用するのなら、無理のしすぎで治りかかってたのがまた悪くなったのかもしれない」

 コーイチは藤井に向かって答えた。その言葉を最後まで待たず、

「どうしよう、藤井…」

 と、私は情けなく藤井を見上げた。頭の中が混乱しかけている。

「どうしようって…。だって、あいつあんなに完璧に踊ってたじゃないか…!」

「ううん。私、今、思い出した。そういえば、七瀬、踊ってる最中に、時々すごく痛そうな顔してた事がある」

「本当に?」

 藤井は驚いた。

「何で、その場で教えてくれなかったんだ?」

「ごめん。私、本人の『治ってる』って言葉を信じてたから…。本当にごめん。七瀬はやると決めたら、自分の体がぼろぼろになったって、弱音をはいたり、あきらめたりしないって、そういう性格だって知っていたのに…見過ごしちゃった。どうしよう。二度と七瀬がまともに歩けなくなったりしたら、どうしよう…?」

「歩けなくなるなんていうのは、ちょっと大袈裟じゃないか?」

 私の言葉に、藤井は首をかしげる。しかし、私の頭の中には嫌な想像ばかりが次々に浮かんできて、既にパニックになっていた。

「とにかくさ、…」

 コーイチが私の肩を叩いた。その手の意外な程の温かさに、思わずコーイチを見る。

「あんまり、無理をさせないでやってくれよ。くれぐれも自分を大事にするようにって…」

 そして、彼は、先程切り捨てるような言葉を当の七瀬に浴びせたのと同一人物とは思えぬ程の、優しい眼差しを私に向けた。不覚にもドキンとする。おかげで、パニックはおさまったが、私にはコーイチという人物が分からなくなった。これは、フェイクなのか、それとも七瀬に冷たくしている彼がフェイクなのか? その正体を見極めたくてじっとコーイチを見ていると、

「そこまで春日の事を思ってるんだったら、あなたが直接アイツに今の言葉を伝えてやったらどうですか?」

 と、藤井が言った。彼は、非難するような瞳でまっすぐにコーイチを見つめている。彼も、レイナとコーイチのキスシーンを目撃した一人である。

 コーイチはふっと笑顔を浮かべると、藤井の肩をポンと叩き、そして、

「さ、もう行けよ。休憩時間終っちまうぞ」

 と言いながら、レッスン場の中に消えて行った。 


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