鏡の中の舞姫 01
私達は、コーイチとレイナの後を追ってひんやりした薄い灰色の階段を昇った。2階の廊下は日ざしを受けやけに明るく、目指すオーデション会場は、階段を昇りきった場所から10メートル程先に見えていた。入り口に『オーディション会場』と書かれた案内板が立ててある。
そして、案内版の向こう側…つまり、会場横の廊下にパイプ椅子がいくか並べられていて、まばらに人が座っていた。何だろう? と思って近付いて行くと、会場の入り口に『付き添いの方は、廊下で御見学下さい』という案内が貼ってあった。奇妙に思いながらも椅子に座ると、正面の、人の背の1.5倍はある窓越しに、部屋の中の様子がはっきり見えた。
ガラスの向こうは、学校の教室の2.5倍ぐらいの広さを持つ大きな鏡張りのレッスン場で、前方には黒い機材と大きなスピーカーが置いてあり、その前には『審査員席』と書かれた紙が貼ってある白い机が並べられていた。後方では、20人程のダンサーの卵達が、磨かれた床の上で熱心にストレッチや柔軟をしている。その中に、黒いバンダナを巻き赤色のTシャツとモスグリーンのパンツをはいた葛谷の姿を見つける。彼は、壁の鏡に自分の姿を映し、熱心に色んな動きを試していた。そこに七瀬がやって来て、葛谷のに何か話かける。そして、二言、三言、言葉を交わした後、彼女もストレッチを始めた。
私は、廊下にいる人々の中に藤井を探した。が、まだ到着していないのか、その姿を見つける事はできなかった。
しばらくすると部屋の前方の黒い扉が開いて、コーイチを先頭に、レイナ、シノブ、それから外人男性とでっぷりした中年紳士、30代ぐらいの青年などの計10 名の人々が現れ、審査員席についた。そして、一番最後に入って来た白いシャツを着た青年だけが、並べられた机の前に立ち何かを叫んだ。(窓が締まっているせいか、こちらには声は聞こえて来ない)すると、ダンサー達がストレッチをやめて、一斉に彼に注目した。おそらく彼がオーディションの進行係なのだろう。
その彼が、また何か言ってコーイチに手を向ける。すると、コーイチが立ち上がり頭を下げた。紹介でもしているのだろうか? 進行係の青年は、レイナにも同様に手を向けた。するとレイナも立ち上がって頭を下げる。やはり、紹介しているのだろう。
その後、彼は紙を手に、ダンサー達に向かって何かを説明しているように見えた。3分程話した後、レイナとシノブが立ち上がり、ダンサー達に頭を下げる。それから2人は、部屋の中央まで歩いて行った。そして、お互いに5メートル程の間隔を開け足を開いて立つと、リズムを取り踊り始めた。しかしこちらには音楽が聞こえて来ないので、純粋に2人の動きを見る事しかできない。
2人はアップでリズムを取りながら、同時にステップを踏み始めた。右足を前に出し、踵で床を打ち、後ろに下げる。腰を引きながらすべるように後ろに下がる。ターンしてジャンプ。そして、ターンして斜に体重を乗せ…。 シノブは、持ち前の小柄な体を生かして軽快に踊る。一方レイナのダンスは、ダイナミックで激しく野性的だ。いずれも踊り手の気性を窺わせる。
そして、そのまったく違う二つの個性が、不思議にしっくりとしており、聞こえないはずのメロディーが頭の中に響いて来るような気がする。それは、ジャングルの中に響くドラムの音であり、獣の咆哮であり、小鳥のさえずりであり…。 初めのうち、彼等はまったく同じ振りで踊っていたが、途中から微妙に動きが違って来た。レイナがあくまで、立って踊るのに対し、シノブは手をつきフロアムーブと呼ばれる動きを入れて踊り始める。そんな風に2人は5分程踊り続けた。
踊り終ると彼等は部屋の右と左に別れて、ダンサー達を手招きした。すると、こちら側のレイナの元に女性ダンサーが、向こうのシノブの側に男性ダンサーが集まった。そして2人は、集まって来たダンサー達に、振りつきで何かを話し始めた。見ていると、どうやら今踊ったダンスの振りを教えているらしい。
「きっと、今のを踊るんだね…」
綾美が小さな声で話しかけて来る。
「うん」
私は頷いた。レイナの回りに集まった女性ダンサーの中に、七瀬の姿が見える。
「悔しいね、ナナチンがあの女に指導されるなんてさ」
「うん。そうだね。でもチームに入ったら、悔しくてもあの人に教わらなくちゃいけない事が多くなるんだろうね」
気の毒だな…と、思いながら七瀬とレイナの姿を見比べる。…が、2人とも真剣そのものの表情をしていた。そこからは、まったく険悪さは見てとられず、この時私は(綾美には悪いが)『さすがにプロだな』と少しレイナを見直しかけていた。
それから、しばらく練習の時間が与えられたようだ。ダンサー達は今教わった振り付けを、各自で繰り返し始めた。見ていると覚えの早い者、遅い者がやはりあるらしく、七瀬なんかは初めに覚えてしまったようで、真っ先にレイナから離れて一人で練習をしていたけれど、葛谷は最後の最後までシノブにくっついていた。
20分程たった頃、シノブがフロアの中心に立って男性陣を手招きした。いよいよ審査が始まるようだ。女性陣はレイナを覗き後ろの鏡の前に並んで座る。レイナはスピーカーの横まで歩いて行くと、腕組みをして振り返った。
一方シノブは、集って来たダンサー達をVの字に並ばせ、自分はVの字の頂点の位置に立った。機材の前の進行係の青年が口を開くのと同時に、一同が体を揺らせ始める。どうやら全員で踊るらしい。
「シノブさんも一緒に踊るんだね」
「だね」
私の言葉に綾美が頷く。…何でだろ? シノブさんはメンバーの一人なのに…?
部屋の中では、ダンサー達が足並みを揃えて踊っていた。なにしろ、3次審査まで残る力を持ったメンバーである。音楽が聞こえないとは言え、それはかなり壮観だった。10名のダンサー達のほとんどが背の高い者で占められていた。ボーズ頭を赤く染めた者。ドレッドの大男。腕にタトゥーを入れた者など、個性豊かな面々が揃っている。が、その中で一番目立つのは、やはりシノブだった。
そうそう、葛谷はVの字の一番右の端っこで、なんだか窮屈そうに足を動かしていた。(ちなみに、この並び方を決めたのはシノブである)彼なりになかなか頑張っていたようが、3回めのターンで他の人と反対に回ってしまう。そこで、ペースを崩したのか、次のステップでまた、逆の足をだしてしまった。
「あーあ…」
綾美が大きな溜め息をつく。…これはダメだわ…私も思った。…が、しかし、フロアムーブに入ったとたん彼は別人のように生き生きして来る。私達は目を見張った。審査員も彼の動きに注目しているようだ。「やるじゃん」と思って見ていたが、ほかのダンサーが立ち上がったところでも一人でフロアムーブを続けている。どうやら、下を向いていて気付かないらしい。
「だめだ、こりゃ…」
私と綾美はほぼ同時に呟いた…。