そして彼女は扉を開く 02
私と綾美は、連れ立って一階に降りて行った。一階の受付前は、お昼に行く人達で賑わっている。私達は人込みをかき分けて女子更衣室に入り、背の高いロッカーの間を歩き回ってそこにいるはずの七瀬の姿を探した。七瀬は、部屋のちょうど真ん中あたりでロッカーにもたれてペットボトルの水を飲んでいた。顔が汗だくになっている。
コンコン…とロッカーを叩くと、七瀬がこちらに気付き軽く手を上げた。葛谷に聞いて知っているのか、綾美の姿を見ても驚かない。
「どうだった? 審査は?」
私の言葉にVサインで答える。
「やったね! ナナチン!」
綾美がきゃあきゃあ騒いだ。「さすがだね」と、私もパチパチ拍手する。そして、「そうそう…」と言って、さっきから一番気になっている事を七瀬に聞いてみた。
「で、葛谷君は?」
葛谷も二次審査に通ったのだろうか? 綾美も隣から身を乗り出して来る。正直、七瀬の合否よりも、そちらの方が今の私達には気になるところだった。(それは、七瀬をないがしろにしている訳ではなく、むしろ七瀬が二次審査に合格するのは分かりきっていたせいである)ところが、七瀬は、
「クズッちなら、正面玄関で待ってるはずだよ」
まったく関係の無い事を答える。
「へ?」
一瞬何の事か分からない。
「正面玄関で待ち合わせてコンビニに行こうって約束しておいたけど…」
どうやら昼御飯の待ち合わせの事を言っているらしい。そんな事を聞きたいわけじゃ無いのに…。しかし、七瀬は分かっていてわざと関係の無い事を答えているらしく、口元にニヤニヤと意地の悪い笑みを浮かべている。
…まったく…こいつは…
ちょっと腹が立つが、天の邪鬼は七瀬の愛情表現の一つ…らしいので我慢する。
「そうじゃなくて。葛谷君は、ニ次審査まで通ったの? 二階の会議室には来なかったみたいだけど…」
「ああ、そのことね」
七瀬は大袈裟に頷いた。そして、猫みたいなクルクルした目で私達を覗き込むように見て、
「うふふふ~、それはねぇ」
と、やけに勿体ぶる。そして、固唾を飲んで聞き入る私と綾美に向かい、
「秘密」
と、気の抜けるような事を言った。そして、ロッカーの鍵をかけると、
「それより、早くお昼買いに行こう」
と、財布を片手にさっさと行ってしまう。私と綾美は顔を見合わせ、呆れ返りつつも七瀬の後を追った。
何で答えてくれないんだろう? 答えたくないって事…って事は、もしかして葛谷は落ちたのだろうか? 期待していただけに、少しがっかりする。どんな顔で葛谷と会えばいいのだろう?
しかし、余計な心配は無用だった。正面玄関の受付の机に、だらしなくもたれて立っていた葛谷は、私達を見つけるや否や、頼みもせぬのにフロア中に響き渡るような声でこう叫んだのだ。
「よっちゃん、アヤミン聞いてくれ! 俺、受かったよ! ニ次審査まで受かったよ!」
行き交う人々が、一斉に葛谷に注目する。
それから、私達は近所のコンビニで昼食を買って、2階の会議室で食べた。
「けどびっくりしたよー。後ろ見たらクズっちも来てるんだもん。受けるなら受けるって言ってくれれば良かったのに」
サンドイッチを食べながら、七瀬が言った。
「呼ばれて、飛び出てって感じでしょ?」
葛谷が得意げに答える。
「なにそれ」
七瀬が吹き出しそうな顔をする。
「っていうか、冷やかし受験だったんだよねー。どうしてもナナチンの応援に来たくてさ」
綾美がネタ晴しをする。
「そうなの?」
綾美の言葉に、七瀬は一瞬呆れたような顔を見せたが、
「それで、二次まで受かっちゃうんだから凄いじゃん」
呆れつつも感心したみたいだ。ま、確かに…冷やかし受験で受かっちゃうなんて凄いって、私だって思う…。けど、
「いやいや、俺もどうせ一次で落ちると思ってたからさ、びっくりしてるんだ。…もしかして、俺ってマジ天才?」
なんて図々しい言葉を聞くと、釘をさしたくなるのだ。
「バカ。調子に乗るんじゃないの。真面目に受験に来た人に失礼よ!」
私の言葉に、葛谷は、大きな体を小さく丸めて、
「はい、すいません…」
と、頭を下げた。その様子がおかしくて、思わず笑ってしまう。
「ひでぇよ、よっちゃんは俺のやる事何でも笑うんだから」
「だって、葛谷っておかしいんだもん」
「傷付くなあ、前も言っただろ? 俺ってけっこう繊細なんだから…」
「絶対、嘘…」
ふざけて言い合ってると、七瀬がぽつりと呟いた。
「こんなことなら、委員長にも来てもらえばよかったな…」
途端に笑顔が凍り付いた。
葛谷と綾美が、おそるおそる私を見る。
…何よ、その目は…?
少し頭に来る。
…腫れ物にさわるみたいな扱いしないでよ。そりゃ、今の七瀬のセリフ、少しは(いや、実際はかなり)頭に来たけどさ…『なんで、あんたが藤井の心配するのよ』って。でも、だからって、そんな事ぐらいで本気で怒ったりしないわよ。
八つ当たりに近い思いを葛谷と綾美に対して抱きながら、私は携帯を出し、顔色一つ変えずに七瀬に尋ねた。
「なんなら、藤井に電話して呼ぼうか?」
「頼める?」
七瀬もしれっと答える。表情一つ変えないその横顔が、とても憎たらしい。…冷静になるのよ、冷静になるのよ…心の中で唱えつつ藤井に電話をかけると、ワンコールで繋がった。
「あ、もしもし藤井?」
すると、藤井は『あ、マユ?』とも『あ、俺だけど』とも言わずに、いきなり噛み付くように聞いて来た。
『春日はどうなった?』
その言葉で、再びカーッと血が昇って来るのを感じる。
…何よ、あなたの『彼女』が電話してるのに第一声が『春日はどうなった?』ですか? 考えてみれば、この状況下で藤井が七瀬の心配をするのはごく自然な話なのだが、頭に血が昇った私にそんな理屈はわからない。それでも、とりあえずは一呼吸置き、気持ちを落ち着け、つとめて明るく、感じよく答えた。
「七瀬なら、大丈夫。今の所順調よ」
ほーっ…電話の向こうから安堵の吐息が漏れるのが聞こえる。
…よかったわね、七瀬の調子が良くって!
理不尽な怒りを抱きながら、
「ねえ、それより藤井もここに来ない? 綾美ちゃんや葛谷も来てるのよ。藤井にも来て欲しいな」
私は役者になれるかもしれない。
『町田と葛谷が? 何で?』
驚く藤井に、私は事の経過を説明した。
「…そういう訳でみんなここに居るから藤井もおいでよ。七瀬も来てほしいって
言ってるよ」
特に、最後の一言に力を込める。すると、藤井はあっさり答えた。
『分かった。すぐ行く』
…何よ。そんなに七瀬が心配なの?
「じゃあ、一時半までに来て。七瀬のために!」
最後にちょっと皮肉っぽく言って、私はブチッと携帯を切った。