そして彼女は扉を開く 01
AM8:00
裏羽根の駅裏にある『リバースィング・ダンススタジオ』の前には、既に長蛇の列ができており、私と七瀬はその最後尾についた。男女入り乱れて70人程の列は、スタジオのビルの隣の、さらにその隣のビルにまで達しており、その後ろに、さらにまた人がどんどん並んで行く。『男女合わせて4名』の枠に、一体どれだけの人が集まって来るのか…『カリスマコーイチ』の名は、あながち大袈裟でもないなと思う。
列は長かったが進み具合は早く、あっという間にスタジオに辿り着いた。横長、
3階建て、ベージュの外壁を持つビルの、正面玄関から中に入るとすぐに受付があった。七瀬はそこでエントリーシートをもらい、そのまま正面つきあたりの更衣室に向かったが、私は入り口の横の階段で2階に上がり、受付で教えられた『付き添いの方用の待ち合い室』に入って行った。
おそらく普段は会議に使われているのだろう、部屋の中には細長い机と、パイプ椅子が整然と並べられている。私は、ドアから入ってすぐ、一番前の席に腰掛け、携帯で時間を見た。まだ、8時20分。オーディションは9時からなので、後40 分あるが、部屋の中にはけっこうな人数の人がいた。受付での『原則として付き添いのオーディション見学は許されていない』との説明に納得する。確かに、すでに20人は越えている、これだけの人数に見学されては、主催者側もたまらないだろう。
とはいえ、ヒマだった。…なにしろ、一人だから…。
そう、今日、七瀬について来たのは私一人だけだった。と、いうのも「あまり大人数でぞろぞろついて行っては、他の受験者に迷惑がかかるだろう」と、藤井が言ったからだ。確かに、オーディションを受ける人達はみんな真剣なのだ。藤井の言う事にも一理ある。「それじゃ、一人だけ付き添って行く事にしようか」ということで話がまとまった。それで、なんで私がその一人に選ばれたかと言えば、「やっぱり付き合いの長いマユが行くべきだろう?」と、藤井が言ったからだ。本当は、藤井と七瀬の事で私の中にいまだにスッキリしないものが残っていたから気が進まなかったんだけど、もし私が断ったら、藤井が「ついて行く」と言いそうで、…それが怖くて、私は「いいよ」と答えてしまった。
ふぅ…それにしても退屈だ。やっぱりもう一人ぐらい、誰かについて来てもらえばよかった。
そんな事を思いつつ、携帯をいじっていると、
「マユちゃーん!」
聞き覚えのある甘ったるい声が聞こえる。空耳かと思いつつ、部屋の入り口を見ると、なんと、綾美が顔だけニュっと出してこちらに向かって手を振っている。
「綾美ちゃん、なんで?」
驚いて口をぱくぱくさせると、綾美は私の真ん前に立ち、ニターと笑った。
「つ・き・そ・い」
「付き添いって、誰の?」
「えへへ。クズ」
「葛谷…クンも受けるの?」
あまりびっくりしたので、咳き込みそうになる。確かに、このオーディションは、当日エントリーシートさえ書けば、誰でも受けられる決まりになってはいるが…。すると、綾美は口に手を当て、ヒソヒソ言った。
「ここだけの話、ヒヤカシ受験。本当はナナチンの応援に来たの」
「…」
絶句する。
…結局、3人集合か。こんな事なら、藤井も来ればよかったのに…。
その時、
「皆さん、おはようございまーす!」
やけに明るい声がして、見覚えのある顔が入って来た。…シノブだ。オレンジのプリントTシャツに、カーキのパンツ、紺色のキャップのその姿は、少年…というより、ボーイッシュな少女のように見える。彼は、ニコニコしながらホワイトボードの前に立ち、
「すいません、皆さん。座ってくれますかー?」
と、大声で呼びかけた。それで、みんな一斉にがたがたと席につく。全員着席したところで、シノブはペコリと頭を下げた。
「付き添いの皆さん、朝早くからゴクロー様です。僕は、今度結成するダンスチーム『Revers』のサブリーダーを勤めるシノブです」
悪びれない、人好きのする笑顔だ。シノブは、頭を上げると一歩横にずれ、ホワイトボードを指差した。
「それでは、今から今日のスケジュールを簡単に説明させていただきますので、ホワイトボードに御注目ください」
シノブの言葉に従いホワイトボードを見る。それで、始めて、そこに書かれている、黒い文字に気付く。
9:00 第一次審査開始
10:30 終了
~ 30分休憩
11:30 第二次審査開始
12:30 終了
~ 昼食
13:30 第三次審査開始
14:30 終了
~ 30分休憩
17:00 最終審査開始
18:00 終了
19:00 結果発表
シノブは、ホワイトボードを指差しながら、真面目な顔で今日の予定を話し始めた。要約すれば、『今日、オーディションを受けに来たのは、何と150名もの人達だ』と言う事。『しかし、一次審査で三分の一、一次審査さらにその二分の一までに絞られる』と言う事。三次審査からは、『付き添いの人の見学が可になるので、応援してあげて下さい』とのこと。『最後に、落ちた人の事は、くれぐれも温かく慰めてあげてくださいとの事』だった。
一通り話し終えると、シノブはペコリと頭を下げて部屋から出て行った。去り際に、ドアの前に座っている私達に気付き、にこりと笑ってくれた。話した事はないが、良い人だなと思う…。
午前中は、綾美のおかげで退屈せずにすんだ。私達の主な興味は「葛谷が何次審査まで残るか」ということで、(七瀬が少なくとも3次審査まで残る事は、私も綾美も微塵も疑っていなかった)まあ、どう好意的に見積もっても、一次が通ればもうけもの、というのが私達2人の共通の意見だった。
ところが、案に相違して、一次審査が終った10時30分を過ぎても葛谷は、ここにやって来ない。付き添いと来た受験者は、失格した時点でみんなここに戻って来るのも関わらず…である。
「もしかして、一次審査通ったのかな?」
「みたいね、やるじゃんクズ」
口々に感心しあう。それにしても、二次は通るまい。冷やかし半分で来た人間が通っちゃまずいでしょ! と、思っていたのだが、2次審査で失格した人達がどんどんやって来る中、依然として葛谷の姿を見る事はなかった。
「ちょっと、綾美ちゃん…これってもしかして」
「うん、もしかして、もしかするよ…」
興奮気味に顔を見合わせる。けど、まだ二次が通ったと決めつけるのは早い。受験者の話によれば、審査はグループ分けしてやったということらしいから、葛谷は最終グループで審査されているのかも知れないし、または落ちたのにも関わらず、強引に見学させてくれと粘っているのかも知れない。あの葛谷の性格なら、十分あり得る話だ。
そうこうしているうちに、昼休みを知らせるチャイムが鳴った。葛谷の姿は、やはり見えない。私と綾美は、鞄を持って待ち合い室から飛び出した。