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NANASE  作者: 白桜 ぴぴ
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天使とすみれ 2

 教室に戻ると、既に9時40分を過ぎていて、偶然(一限目が政経だったので)そこに居た松岡先生が、「春日さんはみつかしましぇんでしたか?」と、事務的に聞いて来た。

私は、小さな声で答えた。

「春日さんは、帰りました…怪我をしていて…」

「怪我? 一体どうして?」

 松岡先生が、私を見た。眼鏡の奥でいつも眠っているような目が、大きく見開かれている。言葉につまった。さっきの七瀬の姿を思い出せば、小林達の卑劣な行為に怒りが込み上げて来るが『イジメだなんて信じてもらえないよ』という、投げやりな七瀬の言葉が、ありのままを伝えようとする私の気持ちを萎えさせる。

 迷いながらクラスメート達の方に視線を泳がせると、カチリと小林の視線に出会った。小林は、物凄い目で私を睨んでいる。その目は、何も言うなと告げていたが、しかし、それが、かえって私の怒りに火をつけた。

「先生、春日さんは…」

 本当の事を言おうとした時…

「先生、背広に洗濯札がついてまーす」

 ふざけたような言い方とともに、七瀬を目の敵にしているもう一人の女生徒、町田が手を挙げた。それは明らかに私への妨害だったのだが、あわれな中年教師は女子高生の他愛のない一言にひどくうろたえってしまったようで、慌てて背広を脱ぐと、あたふたと襟の部分を確認し始めた。しかし、そこには何もついていない。松岡先生はますますパニックに陥り、背広を裏返したり、表向けたりして、洗濯札を見つけようとしている。きっと初めから洗濯札などついていないのだ…私はあわてふためく先生の姿を見て失望した。『この人に言ってもムダだ…』

 くすくすと、一部の女生徒の笑い声が響く。それは、うろたえている松岡に向けられているもの…と、いうよりはむしろ、教壇の上に間抜けに突っ立っている自分に向けられているように思え、私はたまらなくこの場から逃げ出したくなった。さらに、真っ赤になってうつむいている私に向かって、追いうちをかけるように葛谷高志の声が響いた。

「みんな、静かにしろよー! 吉岡さんが発言中だろ!? はい、御静聴!」

 途端に、クラス中がシーンとなって私に注目した。私は葛谷を恨んだ。葛谷は私を見てニヤニヤしている。明らかにこの状況をおもしろがっているようだ。

「吉岡さん、なんで、春日さんは怪我をしたんたんですか? 本当の事を教えてください」

 葛谷がわざとらしい敬語を使って聞いて来る。小林が、葛谷を睨んだ、しかし、葛谷はそ知らぬふりだ。

「もう、やめろよ!」

 藤井が、立ち上がった。

「吉岡、困ってるじゃないか? これこそ、イジメだよ!」

「イジメ?」

 葛谷があぜんとして藤井を見る。

「いいの、藤井君!」

 私は、震える声で言った。

「春日さんは、階段から落ちて怪我をしたの。それだけなんだから…」

 葛谷が、ぱしっと、自分の顔を片手で覆った。小林と町田は顔を見合わせて笑っている。藤井が憮然とした表情で、椅子に座る。そこで、チャイムがなった。


 …私は、このクラスで一番のヘタレだ…。


 放課後、私は七瀬が置きっぱなしにしていった教科書類を、鞄に入れていた。昼間、携帯にメールが入っていたのだ。「ごめん。荷物だけ持って来てくれない?」

 私は、淡々と荷物を詰めていく…といっても、七瀬の荷物と言ったら、お弁当箱と紺色のポーチ、それに筆箱ぐらいの物だったけど…。

 パチン…と、鞄の留め金を止めた時、「吉岡さん」とよびかけられたので上を向くと、葛谷高志が立っていた。葛谷は、だらしなく前ボタンを外し、ズボンに手を突っ込んで私を見ている。浅黒くて掘りの深い顔。茶色く染めたウルフカットで、片耳にシルバーのピアスをしている。背はぬぼーっと高く、顔つきも(つくった表情なのか)なんとなくぬぼーっとしている。しかし、大柄な葛谷に見おろされると、妙な威圧感を感じて、私はやや緊張ぎみに「なぁに?」と、答えた。本当は、朝の事もあり、口もききたくなかったのだけど…

「春日さんて、本当に階段から落ちたの?」

「ええ。そうよ」

 私は、作り笑顔を浮かべて、きっぱりと頷いた。早々にこの会話を終わらせたかったのだ。

「本当かなあ?」

 葛谷が、私の顔を覗き込んだ。

「それにしては、朝迷ってなかった?」

「あれは、緊張してたからよ。私って、へたれだから…」

「ふ~ん」

 葛谷は、口をすぼめて何度も頷いた。信じられないと言った様子だ。

「なんで、葛谷君がそんな事気にするの?」

 しまった…話題をふってしまった! 私は心の中で後悔をしたが、もう遅い。

「なんでって…春日さんて、可愛いだろ? 一部の女に目をつけられてるみたいだし。俺はイジメじゃねーかって…」


 ガタン!


 私は、わざと七瀬の鞄を落として、「あ、ごねんね」と謝った。それから

「本当はどうだか知らないけど、七瀬は階段から落ちたって言ってたよ。気になるなら直接本人に聞いたら? 携帯の番号教えてあげるよ」

と、作り笑顔で言うと「じゃあ急ぐから…」と、立ち上がった。

「ちょっと待ってよ、よっちゃん」

 誰がよっちゃんよ! と、思いつつ笑顔で振り向く。

「七瀬に、携帯教えていいか聞いとくわ。勝手に教えるとやっぱやばいもんね!じゃあね! 葛谷君!」

 これいじょう、しつこくすると怒るわよ! 笑ってない目で、そう告げる。

「…分かったよ。さよなら…」

 葛谷は諦めたようだ。私は、両手に二つの鞄を持ち、廊下に出てホッと一息ついた。


学園前駅から3駅、15分程電車に乗ると、私達の住む白川駅に着く。学園前駅とはうって変わった雰囲気で、昔ながらの商店街が山に向かってずっと続いている。

 七瀬の家は、駅前の通りをまっすぐ歩き、2つめの角を右に曲がって、更にまっすぐ100mくらい歩いた先に広がる閑静な住宅街の一角にある。

 クリームホワイトの外壁を持つ3階建ての大きな家は、この鄙びた町には不似合いな程スマートで都会的だが、玄関を飾る花一つなく、また、全ての窓のカーテンが閉じられており、いつ来てもどこかよそよそしい。

 私は、玄関の横に設置されたインターホンを鳴らした。誰も出て来ない…。もう一度押してみたが、やはり誰も出て来なかった。

 4年前に、七瀬の母親が出て行ってから、一度として、この扉が開かれた事はない。昔は、この玄関脇に大きな紫陽花の木が植えられていたのに…。

 仕方なく、私は玄関の扉の前に七瀬の鞄を置いた。そして、携帯を取り出すと七瀬に向けてメールを打った。

『ケガの具合はどう? 先生には階段から落ちたって言っておいたよ。今、どこにいるの? 鞄、玄関の前に置いておくからね   まゆみ』


 疲れた足を引きずり、やっと家に辿り着いた時には、もう、日が暮れかかっていた。(私の家は、駅から見ると七瀬の家とは正反対である)オレンジ色に染まった空の下で、おばあちゃんの自慢の銀杏の木が揺れている。

 白い壁と屋根瓦に囲まれた、厳めしい門構えを持つ私の家は、昔からこの辺りに根付いている旧家だ。私が小学生のころ、母屋の一部を改装したが、広い庭にはいまだに古いお蔵があるし、物置きになってしまってはいるが、隠居もある。おばあちゃんの話によれば、お蔵の中にはたいそう高価な物も入っているらしい…もっとも、本当だかどうか、分からないけれど…。


 うちの家族構成は、父さん、母さん、私、小6の弟、敦、それから、今年90才になるおばあちゃんと、三毛猫のトラ。(この名前は、おばあちゃんがつけたものである)おばあちゃんとはいうが、本当は、母の母の母…つまり、私にとってはひいおばあちゃんにあたる。しかし、母の母…つまり、私の本当の祖母に当たる人は、母が子供の頃に、祖父と共に自動車事故で昇天してしまったため、面識がない。そんなわけで、私にとっては、ひいおばあちゃんが実質のおばあちゃんのようなものなのだ。

 50代半ばで、愛する娘を失ったおばあちゃんは、それから、しゃかりきで、2 度目の子育てを始めた。周りの人は、気の毒ね、せっかく子供が手を離れてこれから好きな時間が持てるという時に…などと同情をしてくれたそうだが、このおばあちゃん、もともとエネルギッシュな人だったらしく、全く疲れ知らずに、厳しく、かつ優しく、母を育て上げた。私の記憶の中ででも、既に70を越えていたはずのおばあちゃんは、いつでもシャキシャキと元気で、かつ、冗談好きの明るい年寄りだった。

 そんなばあちゃんも、90を目の前にしてついに寝たきりになってしまった。去年の12月、雪の日にはしゃいで外に出たところ、転んで足の骨を折ってしまったのだ。年を取ると、思わぬ事で怪我をするものね…と、母がしみじみ言っていた。それ以来、母は、パートの仕事をやめ、ばあちゃんの介護にかかりきりになっている。私も学校から帰ると、まずばあちゃんの部屋に行って様子を見るのが日課になっていた。

 …だから、今日も…、私はふすまを開けて、ばあちゃんの部屋を覗き込んだ。ばあちゃんの部屋は真っ暗で、古い柱時計の音だけがカチカチと聞こえてくる。私は、ばあちゃんを起さないように、足音をひそめて部屋に入り、ばあちゃんの枕元にそおっと正座した。畳の青い匂いが心地よい。ばあちゃんは、眠っているようだ。そういえば、足を骨折する前から、うとうとと眠っている事が多かった気がする。

 猫のトラが寄って来て、にゃんと鳴いた。私は、トラを膝に乗せ、頭をなでてやった。トラがガラス玉みたいな目で私を見上げる。…ばあちゃん、起きないかな? 起きて話を聞いて欲しいな…私は、トラに話しかけた。 子供の頃から、学校で何かある度、この部屋にかけ込んでいた。ばあちゃんは、どんな話でも、ひとつひとつ丁寧に聞いてくれた。特に、私が思春期にさしかかり、何かと七瀬と自分を比較しては落ち込むようになった頃には、『女の最高の化粧は笑顔だよ』と、いつも私を励ましてくれた。


 いつまでも、目を開けないばあちゃんに向かって、私は心の中で話しかけた。

『ばあちゃん、今日はね、七瀬がまたイジメに合ったんだよ。でも、私はイジメがあった事も、誰がやったかも、知っていたくせに、隠したんだ。イジメの張本人…小林達に仕返しをされるのが恐くて…サイテ-だよね』

 学校では、気が張っていたのと、ある程度仕方ないと割り切っていた事で、1滴もこぼれなかった涙が、今頃になってあふれて来た。

『私は卑怯者だ、ヘタレの根性なしだ!』

 ボロボロ涙を流している私をみて、トラが不思議そうに、にゃんと鳴いた。私は、トラを抱き締めてそのフカフカの体に濡れた顔を押し付けた。トラはいやがりもせずに、私の涙を受け止めてくれた。


「おばあちゃん、朝から具合が悪いんだって。ずっと寝てたらしいよ」

 いつの間にやって来ていたのか、弟の敦が背後から声をかけて来た。私は慌てて涙を拭い、弟を見た。

「具合が悪いって…風邪?」

 敦は首を振った。

「分かんないけど、今日は寝かせておいてあげようって、お母さんが」

「そう…」

「それより、夕御飯だよ」

「うん」

 私は、トラを膝から降ろして立ち上がると、部屋を出てふすまをそっと閉めた。


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