思い出から思い出へ
思い出から思い出へ………………………………………………………………00
薄藍色の舞台空間に、ビルの屋上が浮かび上がる。あるいはダウンタウンの工場の跡のようにも見えるが、人の背の1.5倍程もあるその高さからして、ビルを模していると思われる。その4つのビルは、各々階段で繋がっており、その様子は公園のようにも見えた。大きな舞台セットだ。
そこに、軽快なドラムの音が響いて来る。そのリズムに合わせて、ビルの下にパッパッと白い光の窓が現れ、その向こうにいる誰かのシルエットを映し出す。彼等はリズムに合わせて踊りながら、光の窓を破って舞台へと飛び出して来た。客席が湧く。
赤いライトが舞台を染め、飛び出して来た4人と、いつの間にかビルの上に現れた3人、そして舞台袖から現れた2人がリズムに合わせて踊り出す。その、舞台に飛び出した4人の中の1人、中央で踊っているのがInvisible Hunterのリーダー細井浩一…つまりコーイチだった。
彼は長い髪を後ろで一つに縛り、滑るような足取りで踊っていた。その横で、黒の上下と黒の帽子をかぶったシノブが踊っている。全部で9名のダンサーがスリラーを彷佛とさせる振り付けで踊っている。そして、その9人のダンサーの中で一際目をひくのがコーイチだった。
随分楽しそうな顔で踊るんだなあ…
画面に映るコーイチの顔を見ながら、私はペットボトルのお茶をごくりと飲んだ。ベランダから入って来る風は涼しかったけれど、クーラーの壊れた居間は暑い。しきりに喉が乾く。私はソファにもたれて、もう一度ペットボトルを口に当てた。
七瀬から借りた『DANCE TRIP』というDVDは、想像していたよりずっと見ごたえがあった。『一級の出演者、多岐にわたるジャンル、演出の多様さなど、あらゆる面で群を抜くダンス・イベントの魅力をあますところなく収録』と書かれたあおり文句もまんざら嘘ではない。コーイチが出ているから…という興味だけで借りたのだが、これは当たりだった。
気が付くと、舞台上にはコーイチとシノブの2人きりになっていた。2人は背中合わせになったり、向き合ったり、クルクルと位置を変えて踊る。シノブが鉄砲を撃つような格好をし、コーイチが撃たれたように倒れると、会場から「わっ」と笑い声のような歓声が上がる。それから、しばらく2人のダンスが続いた後、暗転してコーイチ達の姿は消えた。かわりにビルの上に、6人のダンサーが現れる。彼等はひとしきりカンフーのような振り付けのダンスを披露した。それが終ると、その中から1人が階段を降りて来て、ブレイクダンスを踊り始める。しばらく彼のソロが続き、それが終るとまたコーイチが現れ1人で踊り始めた。踊りながらコーイチは、音楽に合わせギターを弾く真似をした。すると、また会場が湧く。コーイチは拍手を送る観客に向かい、投げキスをした。なかなかサービス精神旺盛みたいだ。これを見ていると、なんとなく七瀬がコーイチに惹かれた理由が分かる気がする。
でも…
同時にあの夜の、コーイチとレイナのキスシーンを思い出す。もう一週間もたつというのに、いまだにショックから抜け切れない。
あの後、呆然と立ちすくんでいる私達に気付き、コーイチは涼しい顔で言った。
「ごめんごめん。居るの気付かなかった。つーか、謝るのは君らか」
誰も何も答えられなかった。綾美ですら無言だった。キスしていたのがショックだったわけではない。コーイチが七瀬以外の女にキスしていた事がショックだっただけだ。
コーイチの肩にもたれてレイナが笑う。
「ごめんね、もしかして刺激が強すぎた? そうでもないでしょ? 今の高校生は」
あの、レイナの勝ち誇ったような顔を思い出すたび、いまだにムカムカする。
あれ以来、私達はオーディションの話を避けていた。コーイチに失望したからだ。はっきりいって、七瀬がそれ程の情熱を傾ける相手ではない。
一方の七瀬も、あれ以来「オーディションに出たい」と言い出す事はなかった。あの頑固な七瀬の事だから、私達の目を盗んで、痛む足を引きずり練習をするんじゃないかと、私と綾美で見張っていたが、そんなそぶりも見えなかった。もしかして、あきらめたんだろうか?
ピリリリリ…
携帯にセットしておいた、アラームが鳴る。
私は、力を込めてビデオの停止ボタンを押すと、ソファから立ち上がり時計を見た。1:00。そろそろ行かなくっちゃ…。今日は七瀬と2人でばあちゃんの墓参りに行く約束をしていた。
お線香とやかんを篭に乗せ、紺色のポシェットを斜がけにして自転車をこいでいく。セミしぐれを聞きながら、ひまわりの咲く駐車場の前を通り過ぎ、そして商店街を横切り、新興住宅街の小道の一本目の曲り角を右へ曲がると、すぐに七瀬の家が見えて来る。門の前で自転車を止めて中を覗くと、白い花束を持った七瀬が玄関先から手を振った。
白菊とユリの花を自転車の篭に入れ、七瀬を荷台に乗せて、山に向かってペダルを踏む。けど、七瀬の重みでハンドルが取られ、どうしてもふらふらと蛇行してしまう。
「ちょっと、ちょっと。ふらふらじゃない!」
七瀬が笑いながら悲鳴を上げた。
「また、入院させる気?」
「うるさい!」
私は答えた。
「落としてくよ!」
もちろん、冗談である。
きゃあきゃあと叫びながら坂道を登って行くと、いつか道は真っ白な砂利道になっていた。やがて、道はひんやりとした木陰に入り、木漏れ日の向こうに、白川霊園の門が見えてくる。私と七瀬は門の前で自転車を降り、花とやかんを抱えて歩いて行った。慰霊碑の前を通り過ぎ、整然と並ぶ墓石の間を2分程歩くとうちの御先祖様が眠るお墓が見えて来た。昨日うちの家族が御供えしたらしき菊の花が、そのままの瑞々しさで残っている。
私は墓石の上からお水をかけて洗ってあげた。それが終ると、七瀬が花立てに白菊とユリを生け、線香を立ててそっと手を合わせた。その横で私も手を合わせる。そして、まるで、生きているばあちゃんに向かってるみたいに話しかけた。
『ばあちゃん。来たよ。ばあちゃんが居なくなって、もう3ヵ月もたっちゃったんだね。あれから、色んな事があったけど、私はなんとか頑張ってるよ。七瀬とも喧嘩したけど、仲直りしたよ。そうそう、私、藤井と付き合ってるんだ。きっと、あの魔法のダイヤモンドのおかげだね。ありがとう、ばあちゃん。これからも見守ってね』
目を開けると七瀬がニヤニヤと私を見ていた。
「何、お願いごとしてるのよ? 欲張りね」
意地の悪い口調で聞いて来る。私は、言い返した。
「お願いごとなんかしてないわよ。お寺じゃあるまいし。自分こそなんかお願いしたんじゃないの?」
「したわよ。将来女王になれますように…って!」
「バカ…!」
それから私達は、もう一度自転車に乗り山の上を目指して登って行った。うねうねとくねる砂利道は先へ進む程細くなり、それにつれ緑は深く、蝉の声は激しくなる。額から汗を流しながら、一心に自転車をこいで行くと10分程登ったあたりでいきなり木々がなくなり、目の前の視界が広がった。
そこは小さな見晴らし台になっていて、白川町が一望できるようになっている。見晴し台のまん中に、一本だけ生えている古い杉の木の横に自転車をとめ、木陰に腰を降ろして七瀬の持って来たペットボトルを開けた。2人で交代に麦茶を飲みながら、眼下に流れる銀色の白川を眺める。
「久しぶりだね、ここ来るの」
「うん。昔は、しょっちゅうここに来ては真由美のママに叱られたよね」
子供の頃、ここまで来るのは私達にとってちょっとした冒険だった。何しろ、人気はないし、道は狭くて危険だし…。大人達には絶対に行くなと言われていた。しかし、七瀬はそんな言葉を聞くような子供ではなかった。それで、私も仕方なくついて来るはめになっていただけなのだが…今となってはいい思い出だ。私達の子供時代を彩ってくれた山々は、あの頃と何も変わっていない。海岸線の向こうに広がる海も、あの頃のままだ。
「ねえ、真由美」
七瀬が話しかけて来る。
「うん?」
海を見たまま答える。
「私ね、オーディションあきらめるよ」
「え?」
私は驚いて七瀬を見た。七瀬もこちらを見て笑った。
「時にはあきらめも肝心かな、と思って」
「本気?」
「うん。自分でも分からないんだけどさ。意地張ってるのが馬鹿らしくなっちゃって…なんでかな?」
「コーイチさんの事は、いいの?」
「コーイチは好きだけど、チームに入れないからって全部終るわけじゃないし…って、なんでそんな簡単な事が今まで分からなかったのかな…?」
驚いた。どういう心境の変化だろう? けど、よかった。正直コーイチの為に無理をしてまでオーディションにこだわる事が、七瀬ににとってプラスになるとは思えない。
「そうだよ。人生長いんだもん。ゆっくりと進めばいいんだよ」
私が肩を叩くと、七瀬が「あはは」と笑った。それは子供の頃からよく見知っていたはずの、柔らかい笑顔だった。