深海魚達 02
扉を開けて中に入るとそこは六角形の鏡ばりの小部屋だった。天井にセットされた赤色の照明の光が、市松模様の床をぼーっと照らし、端っこの黒いカウンターの向こう側に20才ぐらいの背の高い男の人が立っていた。彼はボリュームのある縮れたライオンのような髪を金色に染め、しなやかな四肢に黒いチャイナシャツを纏っていた。
「ごめん、遅くなっちゃったよヒロユキ」
綾美が声をかけると、ヒロユキと呼ばれた青年はカウンターから出てきて「おせーよ」と言った。つまり彼が綾美の友人ということらしい。私は、その黒のダボダボのズボンにプリントされた骨の絵を見てぎょっとした。
「お久しぶりです、ヒロユキさん」
葛谷がぺこりと頭を下げた。どうやら葛谷は何度か彼と面識があるらしい。ヒロユキは「おう…お前も来たんか」と訛の入った言葉で返すと、うさん臭そうな目で私と藤井を見た。
「これが、綾美のツレ?」
その意外そうな口ぶりになんだか傷付く。どうせ私は綾美みたいに派手じゃないわよ…。しかし、綾美はまったく意に介する風もなく、
「そ。だから、よろしくね」
と、無邪気に手を合わせた。
「しゃあないなあ。今回だけだぞ」
ヒロユキはそう言うと、六角形の奥まった1辺にあるガラス張りの扉を重そうに開けた。その向こうはロッカールームを兼ねた細長い通路になっていて、天井に吊るされたシャンデリアが、鈍いオレンジ色の光を放っている。遠くからがちゃがちゃと響いているのは、フロア内の音楽だろうか?
「そこのロッカーに貴重品とか入れて、突き当たりのドアからフロアーに入って」
私達は言われたようにロッカーに荷物を入れると、まっすぐに進み突き当たりの扉をゆっくりと開いた。凄まじいばかりの音が、奔流となり流れ出す。
綾美、藤井、そして私、その後に葛谷…の順番で黒いカーテンをくぐり、音の洪水のまっただ中に足を踏み入れると、狂ったように踊る人々の姿が真っ先に目に飛び込んで来た。熱気でムンムンするような濃紺と紫の入り乱れた空間の、その天井には緑色の光線が放射状に幾筋も走っており、中央には六芒星をかたどった、紫色の巨大な風船が吊り下げられていた。一番奥は舞台なのだろうか? 白いTシャツを着た2人の男が、機材に囲まれて立っているのが見える。舞台の両端には、光をかたどった銀色の板が吊り下げられ、正面のライトを受けて桃色に染まっていた。
憑かれたように踊る人々を、かき分け、かき分け私達は歩いて行った。あまりの熱気に息が苦しくなり、私は誤って深海に迷い込んだ魚のように、口を開け、必死で藤井の背中を追いかける。しばらくそうして歩いて行ると、突然、人並みが途切れ、目の前にガラス張りの個室が現れた。
それは、フロアから斜に上がる階段を昇った中二階に位置し、幾つか有るその部屋の中に人の姿が見えた。その一つを指差し、
「あそこに、コーイチさんが居る」
と、綾美が言った。しかし、薄暗いのと顔をよく覚えてなかったせいで、どれがコーイチなのか私には分からなかった。
綾美は、紫のライトで彩られた階段をドンドンと上がり、左側の細長い通路を進んで三つ目の部屋の前で足を止めた。そこには、黒いテーブルを囲んで話している3人の男女が居た。どうやら、そのまん中に居るのがコーイチのようだ。髪をおろしていたし、一度しか会った事なかったが、近くで見るとすぐに彼だと分かった。分厚い胸板がモスグリーンのタンクトップから透けて見える。3人とも、私達に気付かないようだ。
ガラスで間仕切りされているだけの部屋なので、ダンスフロアの反対のこちら側からは誰でも入れるようになっている。私達は綾美に続き、ずかずかとその部屋の中に入って行った。それでこちらに気付いたのか、コーイチが顔を上げて私達を見る。
「なんだ? お前ら…」
コーイチが言うと、彼の両側の男女が驚いたように私達を見た。
男の方は、赤いTシャツの下に黒のズボンをはいた茶髪の美青年で、コーイチの左隣に座って居た。彼は、初めは驚いていたものの、すぐにニコニコと愛想の良い顔を浮かべ、ペコリ頭を下げた。私達よりも年上なのだろうが、笑うと不思議に幼く見える。
女の方は、スタイルのいい黒髪の美人で、白桃のような胸をアニマルプリントの蒼のワンピースで包み、斜に垂らした前髪の下からムッとしたように私達を見ていた。なんなんだろう…この人。まさかコーイチさんの彼女じゃないよね。そんな事を思って見ていると「何?」と、コーイチが素っ気無く尋ねて来た。
「お…お久しぶりです」
綾美がそう言って、ぺこりと頭を下げた。さすがの彼女も緊張気味のようだ。
「あの…実は、お願いがあって来たのです。ナナチンの事で…」
綾美には珍しく、言葉を選び選び話しているようだ。
「ナナ?」
コーイチが、目をぱちくりさせた。
「はい」
綾美がうなずくと、コーイチは「まあ、座れよ」と、開いている席を指差した。それで、私達はコーイチを囲むように2人2人に別れて、グレーのソファに座った。茶髪の青年の横に藤井と葛谷が、反対側の女性の横に、綾美、そして私が…。
「何か飲む?」
私達が座り終ると、コーイチがドリンクのメニューを出して言った。ハガキ大のメニューを4人で覗き込む。そこには、聞いたことも無い不思議な名前が並んでいた。
「いいです。俺達、未成年ですから」
藤井がきっぱりと断ると、綾美が不服そうな顔をした。
「あ、そう」
コーイチはあっさりとメニューカードを引っ込めて、からかうように言った。
「じゃ、未成年がこういう所に来るのはいいわけだ」
藤井が絶句する。変わりに綾美が膨れっ面で答えた。
「だって、大事な話があるし、それに、コーイチさんここでしか捕まらないじゃない」
「分かった、分かった」
コーイチは苦笑した。
「それで、大事な話って何? ナナに何かあったの?」
からかうような口ぶりだったが、その目はかなり真面目だった。どうやらこの人は真剣に七瀬の事を心配しているらしい…、そう考えなんとなくホッとする。ところが、
「ちょっと、何なのよ? この子達、まさかコーイチの友達?」
青色のワンピースの女が、わざとらしくコーイチにしなだれかかりながら話の流れを遮った。甘えたような口ぶりとは裏腹に、その目は明らかに私達を敵視している。
「まさか」
コーイチが笑う。
「ナナ…知ってるだろ? よくここで踊ってる…アイツの友達で、こいつが綾美、あのでかいのが高志…で、君が…?」
「藤井一希です」
藤井がそう言って軽く頭を下げた。
「あ、そう。よろしく、藤井君…で、君は?」
次にコーイチは私を見た。
「あ、吉岡真由美です…」
からからの声で答える。
「よろしく、真由美ちゃん。で、この女はレイカで、こっちのベビーファイスがシノブ」
シノブと呼ばれた青年は愛想よく頭を下げた。
「シノブでーす。5年間共に『Invisible Hunter』をやった、コーイチの心の友でーす!」
「ていうか、こいつは今度作るチームでサブリーダーやってもらう予定」
コーイチが捕足説明した。それを聞いて葛谷が興奮気味に叫んだ。
「へえ、やっぱり…! コーイチさんが新しいチーム作る時、シノブさんどうするんだろって、噂してたんです。やっぱり、シノブさんはコーイチさんの懐刀なんですね」
葛谷は、妙に事情に詳しいようだ。が、私達にはさっぱり話が見えなかった。すると、シノブが愛想よく葛谷の言葉に答える。
「て言うか、仕方なかったのよ。こいつがプロダクションの社長と喧嘩した時に、たまたまそこに居合わせちゃって、それでちょっと味方したら一蓮托生ってやつ? おれまでチーム外されちゃって…。俺も被害者なの、被害者」
シノブはさらりと話したが、その裏では、何か重大なトラブルがあったようだ。それで、新しいチームを作るのか…大人の世界は色々複雑なのだな…と、思う。
「いや。シノブさんとコーイチさんが組めば怖いもの無しですって」
葛谷が、また調子の良い事を言う。将来『たいこ持ち』でもやったらどうだろう? 冷たい私の視線をよそに、葛谷の喋り声は果てしなく続いた。
「実は、俺最近ブレイクダンスはじめたんです。後で見てもらえません? 素質有るかどうか。お二人に見てもらうのが夢だったんです」
「あー、いいよ。後でね」
シノブは機嫌よく答え、あっさりと話題を変えた。
「で、君たちコーイチにお願いって何? それを言うためにここに来たんでしょ?」
「あ!」
葛谷が、しまったとでも言うように自分の顔を叩く。そして、それきり貝のように口を閉じてしまった。
やっと静かになったところで、コーイチが、タバコの火をくゆらせながらじっと私達を見た。
薄茶色の虹彩に紫の光が映っている。その瞳は冷ややかでもあり、ほのかな怒りをたたえているようにも見えた。まぶたの横に立ち昇る細い煙の糸をふっと吹き消すと、コーイチは、まるで子供をあやすような口ぶりで言った。
「どうしたの? 早く話せよ」
どうしよう…? 何から話そう? ていうか誰が話すの?
私達は、相談するように互いの顔を見合わせた。なぜかみんなの視線が藤井に集まる。藤井は仕方ないなって感じで頷くと、コーイチを見て緊張気味に言った。
「オレ達、今度コーイチさんが作るダンスチームのオーディションの日程を変えて欲しくて来たんです」
「はぁ…?」
コーイチが目を丸くした。シノブも飲んだカクテルを吹き出しそうな顔をする。そんな2人のリアクションに怯む事なく、藤井は淡々と言葉を続けた。
「あなたも、御存知ですよね。春日が足にけがをした事…」
「ああ、知ってるけど?」
コーイチは頷いた。
「けど、それとオーディションに日程変更は関係ないでしょ」
それはわざとなのか…とても意地悪な返事に思えた。
「関係あるわよ!」
綾美が立ち上がって叫んだ。
「なんでそんな冷たい言い方できるのよ?」
「座れよ、町田」
藤井にたしなめられ、綾美はしぶしぶ腰を降ろした。それを確認すると、藤井
は再びコーイチに向き合った。
「関係ないって事はないと思いますけど…。アイツだってこのオーディション受 けるつもりだったんですから」
「運も実力のうちよ」
レイナが冷たく言い放った。その言い方にカチンと来て、私は思わずレイナを睨み付けた。綾美が何か言いたげに唇を震わしていた。綾美でなくとも何か言いたくなるだろう。…私だって! しかし、『やめろ』とでも言うような藤井の目線に制され私達はかろうじてその衝動をおさえた。
「運も実力のうち…というのは分かります。でも、春日の気持ちも考えてやって下さい。あいつ、治りきってない足で、オーディションに出るために必死で練習してたんです。オレ達が止めても聞かないんです。どうしてそこまで必死になるのか…。コーイチさん、あなたになら、アイツの気持ち分かりますよね」
あくまで冷静に、藤井はコーイチの目をじっと見つめた。コーイチはその視線をゆっくり受け止めると、
「だってさ。どうする? 日程変える? シノブ」
と、隣の青年に尋ねた。シノブは首を振り立ち上がった。
「俺、ちょっと踊って来るわ」
そう言って、部屋の外へ出て行く。
「じゃあ、私も」
レイナも立ち上がり、シノブの後を追いかけた。
「まあ、ゆっくり学級会を続けて」
最後まで、嫌な言葉を残して…。
「さて…と」
2人の姿が消えてしまうと、改めて仕切り直すかのように、コーイチは両手をテーブルの上につき、ぐるりと私達を見回した。
「君達、このオーディションやるために、どれだけのお金と人が動くか分かってる?」
「それは…」
藤井が口ごもった。それは、私にとっても…彼にとっても、大体予想通りの答だったと言える。しかし悲しいかなその問いかけに答える術を、まだガキの私達は知らなかった。コーイチは畳み掛けるように言った。
「分かる? これは高校生のサークルでも、遊びでもないの。仕事なの。仕事」
「…」
藤井は絶句してしまう。
「じゃあ、ナナチンだけ、別の日にやるっていう事はできませんか?」
黙ってしまった藤井にかわって、綾美が声をはりあげた。(なにしろここはガンガン音が響いており、お互いの声がとても聞き取りにくいのだ)
「つまり、ナナの1人の為に、もう一度会場と人の手配をしろというわけ?」
コーイチが冷めた目で綾美を見る。
「それは…」
藤井に続いて綾美も絶句した。
やっぱりだめか…。私は、溜め息をついた。仕方がない。初めから無理なのは分かっていたのだ。
「分かってくれたかな?」
しばらくの沈黙の後、コーイチが口を開いた。
「はい…」
藤井が憮然とした表情で答える。
「よかった。それじゃあさ、せっかく来たんだから楽しんで行けよ。飲み物もじゃんじゃん頼んでいいよ。おごるから」
「そういうわけには…」
藤井が首を振った。
「そうっすよ。悪いですよ!」
葛谷が初めて口を開く。
「いいから、いいから」
そう言って軽く手を振り、灰皿にタバコを押し付けて立ち上がろうとしたコーイチを、引き止めるように綾美が叫んだ。
「どうしてダメなの? ナナチンはコーイチさんのチームに入ることだけ考えて、死にものぐるいで頑張ってたんだよ…!」
私達は、一斉に綾美に注目した。どうあっても諦めないつもりなのか…? 私はその熱意にあきれつつも感心する。コーイチは上げかけていた腰を降ろそうともせず、まるでわがままな子供をあやすように言った。
「あのね、必死なのはナナだけじゃないの。みんな、一緒なの」
「ナナチンは、特別です!」
綾美は怯まない。
「どう、特別なの?」
コーイチが綾美の顔を覗き込む。からかっているようにも見える。すると綾美は、褐色の顔を真っ赤に染めて、こう叫んだ。
「他の人は別にコーイチさんのチームに入る事だけが目標で踊ってるんじゃないけど、ナナチンはそれだけの為に、ダンスやってたんだから!」
それは、まるで彼女が七瀬自身であるみたいな悲痛な叫びだった。私も、藤井も、葛谷も…そしてコーイチまでもが、綾美の迫力にのまれ言葉を失った。しばらく、フロアから響いて来る音楽ばかりがガンガンと響いていたけど、やがて、コーイチがどさりと腰を降ろした音で、やっと私も我に返った。
コーイチは、グレーのソファに深く腰を降ろすと、目を閉じてフーッと長い溜め息をついた。それから、首を振り何か呟いた。声は聞こえなかったが、口の動きで「ダメだ」と言ったような気がした。…ダメ? 何がダメなんだろう? 七瀬の気持ちを受け入れる事ができないということだろうか?
「何で黙ってるのよ?」
綾美がコーイチに詰め寄った。彼女は『ダメ』という言葉に気付かなかったようだ。コーイチは目を開けて綾美を見た。
「分かった。君達お友達の言いたい事は、分かった。けど、無理なものは無理。それよりナナに伝えておいてくれ、『もっと、力抜け』って。ダンスはスポ根じゃねえ」
コーイチは、そう言うと立ち上がり、まだ食い下がっている綾美を無視してさっさとダンスフロアに消えて行ってしまった。その後ろ姿に向かい、藤井が頭を下げる。
「なんで、あんな奴に頭なんか下げるのよ!」
綾美が藤井に喰ってかかった。
「俺に当たるなよ」
藤井が面喰らって答える。
「当たるわよ! あんた話し合い下手だから失敗したんじゃない」
「よしなよ、綾美ちゃん。藤井はちゃんと話し合ったよ。それに…コーイチさんの言う事にも一理あるよ」
私は、綾美をなだめた。
「そりゃ、マユちゃんは、委員長をかばうだろうけど…彼氏だし」
「別に…そういう事じゃ」
私は顔を赤くする。
「ハイ、ハイ、ハイ、ハイ!」
今までおとなしかった葛谷がパンパンと手を叩いて私と綾美の間に入って来た。
「確かに藤井君の話し合いは、へたくそだった。でも、コーイチさんの言う事は正しい。間違いない! そんなことより、せっかく来たんだから踊って行こうぜ」
…あんたは最初からそれだけが目的だったんじゃないの?
私達は、冷たい視線を葛谷に送った。
しかし、結局私達は葛谷の言葉に従って踊って行く事にした。せっかく来たんだし…私にだって多少なりとも好奇心はあった。とはいえどう踊ればいいのかが分からない。
「音に合わせて、適当に体動かしてればいいのよ」
綾美が教えてくれる。それで、私は言われた通りデタラメに体を動かすばかりだった。音楽は『タイタニック』とか『ラストエンペラー』とか私達のよく知ってる曲なんだけど、同じ旋律を何度も繰り替えしたり、リズムが違ったり、すごくアレンジしてあって、まったく違う曲のようにも思えた。でも、ある程度知ってる曲だからノリやすくて、めちゃくちゃ踊っているうちにだんだん楽しくなって来た。
「楽しいね、綾美ちゃん」
隣の綾美に声をかける。が、陶酔気味の彼女には聞こえていないようだ。がっかりして視線を元に戻すと、前で踊っている女の人の肩ごしに、必死にシノブを追いかけている葛谷の姿が見えた。シノブは明らかに迷惑そうな顔をしている。…まるで、親鳥を追いかけているヒヨコみたいだ。…ヒヨコ? あんなでっかい体のヒヨコ? 想像するとおかしくて仕方がない。私、変だ。…お酒ものんでないのにやけにハイテンションになっている…!
と、その時突然肩を叩かれた。振り向くと藤井だった。「何?」と聞くと「帰ろう」と言う。「え? もう?」と聞き返すと、藤井は「終電、間に合わなくなる…」と腕時計を指差す。時計は既に11時30分を回っていた。終電は55分だ。駅まで10分かかる事を考えると、確かにそろそろここを出た方がいい。ちょっと残念だが仕方がない、葛谷と綾美にも声をかけ帰る事に決めた。
「帰る前に、コーイチさんに挨拶をして行こう」
葛谷が提案する。珍しくまともな提案だと感心すると、綾美がクレームをつけた。
「嫌よ。なんで、あんな奴に?」
「一応、礼儀だろ?」
葛谷が答える。
「それに関しては、俺も葛谷に賛成だ」
藤井も頷いた。そして「じゃあ、行くぞ」と、先頭きって歩き始める。
「なんで、いつもあいつが仕切るんだよ」
ぶつぶついいながら葛谷が後に続いて行く。
「行きたくないー」
ごねる綾美を
「挨拶だけだから、我慢しようよ」
となだめ、私も葛谷の後を追う。振り返ると、しぶしぶ…という顔で綾美がついて来ていた。
私達はダンスフロアを出て、小部屋の並ぶ中二階への階段を昇って行った。その途中、綾美が声をかけて来た。
「ちょっと、あの女がいるよ」
「え?」
私は綾美の視線の先を追った。スリガラスの間仕切りの上に、蒼色のアニマルプリントの上半身が見える。あの辺りは、コーイチのいた小部屋だろうか? 私達の視線に気付いたわけでもないだろうが、一瞬こちらを振り向いたレイナと目が合ったような気がする。しかしそれはほんの一瞬の事で、その姿はすぐにスリガラスの下に消えてしまった。
「ああ、ますます行きたくない! 会わずに帰ろうよ」
綾美が首を振って叫ぶ。
「まあ、まあ」
私は、綾美の後ろに回って背中を押した。本当は私だって行きたくないが、仕方がないと思ったのだ。
しかし、私は後になってひどくこの事を後悔する。綾美の言う通り、この時引き返しておけばよかった。そうすれば、あんなもの見なくて済んだのに!
藤井を先頭にコーイチの部屋に辿り着いた時、私達が目にしたのは、だらしなくソファの背にもたれ、レイナとキスをするコーイチの姿だった。