表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
NANASE  作者: 白桜 ぴぴ
14/63

その夜に 2

 チキチキと響く4つ打ちのリズムに合わせて、低音のシンセサイザーの和音が波紋のように広がるのを感じる。高く低く打ち寄せる電子音の波のまん中で、苦痛に顔をゆがめながら踊る七瀬を、私はただ見つめることしかできなくなっていた。「あんたは私を切り捨てたんでしょ」という一言に打ちのめされ、あらゆる言葉と動きを封じ込められてしまったのだ。

 まるで苦行に耐えるかのように踊る七瀬の頬には今だ乾かない涙の跡が残り、瞼は赤く腫れている。嗚咽を堪えるように歯を食いしばるその横顔を見ているうちに、私の脳裏に突然遠い記憶が蘇って来た。

 それは12才の夏、七瀬の母親がひっそりと姿を消した2年後の夜、私は七瀬と手を繋いで星空の下を歩いていた。繋いだ手の向こう側で七瀬は声も立てず泣きじゃくり、私はといえば慰める言葉も見つからず、ひたすら星ばかり見ていた。

 その昼間、私達はなけなしのお小遣いを持ち、電車を乗り継いで1時間以上先の町に住む七瀬の母親に会いに行った。なぜ、七瀬がその居所を知っていたのかは分からない。それは七瀬の父親にはもちろん、うちの家族にすら秘密の小旅行だった。

 けれどビルの立ち並ぶ大きな街の裏手の洒落たマンションの一室で、七瀬に似たあの人は、私達にジュースを出してくれた後「もう、来ないでちょうだいね」と言った。それが大人の事情だったのか、彼女なりの苦渋の選択だったのかは、今でも良く分からない。

 泣きじゃくる七瀬の声を聞きながら「これからは私がナナちゃんの家族になってあげなくちゃ」と幼心に思ったあの夜以来、私が彼女の泣き顔を見る事はなかった。そして、妙に冷めた笑いと皮肉な言葉で自分の周りを囲い込む春日七瀬が誕生した。

 忘れかけていた遠い記憶を手繰り寄せ、顧みる自分の今の姿に愕然とする。

「私はあの女性ひとと同じ事をしようとしていた…!」


「違うだろ」

 ふいに響いた藤井の言葉に私は振り返った。藤井の目は私の横をすり抜け、まっすぐに七瀬に向けられている。

「偽善者ってなんだよ。撤回しろよ」

 しかし、七瀬は藤井の声など聞こえないかのように踊り続ける。

「おい、なんとか言えよ。マユは偽善者じゃねえだろ?」

 藤井は再び声を上げたが、それでも七瀬はまるで耳がないのかのようにひたすら踊り続ける。奇妙な事にそうする事で、まるで痛みから解放されて行くかのように、七瀬のステップが軽やかに鮮やかに変わって行く。私は奇妙な魔法でも見るような感覚で七瀬の舞う姿を見つめた。

「おい!」

 何も答えない七瀬に苛立ってか、藤井はベンチから立ち上がった。そして七瀬に近付きラジカセのスイッチを切る。すると七瀬は踊るのをやめ、私に対した時とはまるで違う冷たい瞳でじっと藤井を見つめた。直に藤井は耐え切れないように視線を逸らし、小さな声で、しかし咎めるように言った。

「お前って、なんでそういう風なんだよ? マユはずっと本気でお前の事心配してたんだぞ。偽善であそこまでできるかよ。たまには人の事も考えろよ。一体何様なんだ?」

 すると七瀬が冷たく答えた。

「藤井君には関係ないじゃない」

「関係あるよ。見てられないだろ」

「もう、いいよ。よく分かったから。『友達、友達』って言ったってどうせそんなそんなもんなんだよ」

「分かったような事言うなよ」

「分かったような事言ってるのはそっちじゃない」

 そう言うと七瀬は、そっぽを向いてステップを踏み始めた。音楽も流さず、必死でそこへ没頭しようとする七瀬の姿を見ながら、藤井が怒ったように叫ぶ。

「確かにさ、口先だけのトモダチやってるやつもいると思うよ。でも、マユと春日は違うだろ?」

 七瀬が踊りながら答えた。

「思い込みよ。第一先に私を避けたのは真由美の方じゃない。原因はいまだに不明よ」

「思い込みじゃないって。だって、俺マユの事ずっと見てるし、春日の事だって…。なんだかんだ言ってマユはずっとお前の事気にかけて、それで随分悩んだりしてたんだ。こうなるまでのいきさつも考えてみろよ。それまで、春日は随分マユに助けられて来てるだろ? だから、一度ぐらいはマユの事分かろうって努力もしたっていいんじゃないのか…? お前がマユのトモダチだっていうんならの話だけどな」

 真っ赤な顔で、つっかえながら話し続ける藤井を私は「もう、いいよ」と遮った。庇ってくれるのは嬉しかったが、どう考えてもこちらに分がない。

「七瀬の言う通り、私が悪かったのよ。私がガキだったの。本当のこと言うと、私町田さんに嫉妬してたんだ…その、あんまり七瀬と仲いいから…」

 思わぬ言葉がスラスラ出て来る。それは、一面では真実を語っていたが、全てを語ってはいなかった。語れぬ部分を言葉にするには、今の私にはあまりにもその輪郭があやふやすぎた。しかし、この言葉は意外な程七瀬に対して効果があった。彼女は踊りをやめるとキョトンとしてこちらを見て、そして尋ねた。 

「アヤミンが?」

「うん」

 私は頷いた。

「信じられない。真由美でもそんなこと思うの?」

「そりゃ、私だって人間だもん…」

 すると、七瀬はみるみる顔をほころばせて笑った。そして、ひょこひょことこちらに歩いて来ると私の手を取り、

「ごめん。気付かなかったの」

 と、頭を下げた。私は少々戸惑いながら、

「い…いいの。私も悪かったし。それに、町田さんて私が思ってたよりいい子みたい。全部私の思い違いだったのかな?」

「そんな事ないよ。でも、良かった。嫌われたのかと思ってた」

 私は「違うよ」と言いながら何度も首を振った。私の手を握ったまま七瀬は俯いて鼻をすすった。その姿に私はまた驚いた。…泣いている? それきり七瀬はは一度も顔を上げず、ひょこひょこと時計台まで戻りラジカセを手に取ると「帰る」と、公園の外へ向かって歩き始めた。『やはりこの子は見捨てられない』と、その小さな後ろ姿を見て私は思う。そして、隣で何かに憑かれたような顔をして立っている藤井を促し、七瀬の後を追って歩き始めた。


 見上げる空に、あの夜見たのと同じ星が瞬いている。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
このランキングタグは表示できません。
ランキングタグに使用できない文字列が含まれるため、非表示にしています。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ