高潔な聖女ですが、聖騎士さまが怖い夢を見たので一緒に帰省しました
薄暗い聖堂の中、私は歩みを進める。向かう先にいらっしゃるのはカトレア様だ。彼女の脇に置かれているのはこの国の王冠。聖女が新たに王となった者に冠を被せる戴冠の儀の光景だろう。
……なぜ私が、この場所に立っている? 私の立ち位置は、本来彼女の近くであるはずだ。私は何気なく自分の手を見た。そして気づく。自分の手が赤黒いもので濡れていることに。その瞬間、私は思い出した。
日の光が一切差していない、暗い玉座の間。近くには辺境伯閣下が血を流して倒れている。いや違う。私が斬り捨てたのだ。兄上の味方をしたから。
私は手に持った剣で兄上の腹を刺す。血が噴き出す。甘温かい血が手を汚した。彼の顔は驚きで見開かれ、苦悶にゆがんでいる。
「……エリ……アス……。なにを……」
「兄上は邪魔です」
私はそう言って剣を抜く。次に見たときには、兄上は息絶えていた。
『これで、玉座は私のものだ』
……私は今、何を考えた? 吐き気がこみ上げてくる。そのはずなのに、私は笑みを浮かべていた。
視点は再度聖堂に戻る。どうやらカトレア様の前にたどり着いたようだ。私は彼女の顔を見る。
そこには、いつもの信頼は何一つ浮かんでいなかった。ただ静かに私を見つめている。いや、違う。ヘーゼルの奥に軽蔑が浮かんでいた。
「これが欲しかったんでしょう?」
彼女はそう言って王冠を私に被せた。血にまみれた愚王が誕生した瞬間だった。
◇
「エリアスさま……?」
見慣れた天井と、こちらを心配そうに覗き込むカトレア様の顔が見えた。
荒い呼吸を繰り返す。びっしょりと汗をかいている。自分の両手を確認すれば、白い手と薬指にはまった指輪があるだけだった。
「……カトレア……様……」
「はい、ここにいますよ」
未だに震える私の手を、彼女はそっと包み込んでくれる。
「怖い夢でも見ちゃいました?」
「……夢……」
辺りを見回す。ここはいつもの寝室のようだった。あの薄暗い聖堂はどこにもない。
カトレア様は私をそっと抱きしめてくれる。あの軽蔑はどこにもない。体が震える。
「大丈夫です。怖いのは全部夢ですよ」
背中を優しくぽんぽんと撫でられる。おそるおそる背中に手を回しても拒まれない。
「……カトレア……様……」
「はい。あなたのカトレアですよ」
少しずつ呼吸が整ってくる。こわばっていた体から力が抜けた。
「落ち着きました?」
「……はい。情けないところをお見せして……」
「お互いさまです。私が『怖い夢見ちゃった』とあなたを呼んだの、何回あったと思っているんですか」
聖女様が泣き止まない、と夜中に叩き起こされたことを思い出す。正確な回数など、もう覚えていない。
「……そう……でしたね……」
笑いを零す。「……失礼します」とことわってから、彼女の肩に頭を寄せる。カトレア様は「くすぐったいです」と笑いながら、頭をそっと撫でてくれた。
カトレア様はしばらく頭を撫でてくださったが、不意に「どんな夢を見ちゃったか、聞いてもいいですか?」と微笑まれた。
「……あなたのお耳に……入れたい話では……」
「私は聞きたいです。あなたを一人にしたくなくて。……エリアスさまが嫌なら、いいんですけど……」
思わず息をのみ込む。言葉が出ない。私は一度、静かに目を閉じた。
「……あなたに、軽蔑される夢でした」
「私に?」
「……はい。……兄上を、殺めた私を……」
肩が震える。カトレア様は微笑んで、もう一度抱きしめてくださった。
「あなたが? ありえません」
言葉に一切の迷いがない。彼女は私をまっすぐ見つめる。……温かい。
「……体、冷えちゃってますね」
言われてみれば、空気がひやりとしている。
「風邪ひいちゃいます。着替えませんか?」
「……そうですね」
「じゃあ、お手伝いしますね」
彼女はそう笑って寝巻きのボタンを外し始める。
「……自分で……できます……」
私はそう言いながらも、されるがままだった。
着替えを済ませて布団をかぶる。休息を取らなくては、と目を閉じるも、眠気が一切やってこない。窓の外は少しずつ明るくなっていく。何度目かの寝返りの後、カトレア様は「眠れませんか?」と聞いた。
「……起こしてしまいましたか……」
「大丈夫ですよ」
彼女は笑いながら背中を撫でてくれる。
「……申し訳ございません……」
「謝らないでください」
深く息を吐いてみるが、眠気はやってこない。そうしているうちに朝が来てしまった。……カトレア様のお祈りの時間だ。
「……起きましょうか」
そう言って体を起こした私を、彼女は心配そうな目で見る。
「……王太子さまと、お話ししたほうがいいのでは?」
「……いえ……。さすがにご迷惑です……」
「そんなことで怒るような方ではないと思いますよ」
カトレア様は私の手をそっと包み込む。私は少し目を伏せ、ゆっくりと口を開いた。
「……手紙を……」
「はい。それがいいと思います」
彼女は引き出しを開け、「確か、まだ便箋が残っていたはず……あった」と教会でよく使われる便箋を取り出した。
「どうぞ」
ペンとともに差し出される。震える手で受け取った。
「……書きますので……少々お待ちいただけると……」
「じゃあ、お祈りをしながら待ってますね」
カトレア様は立ち上がると、寝巻きを整えて指を絡める。柔らかい祈りの声を聞きながら、私は便箋にペンを滑らせた。
『拝啓
突然のお便りにて失礼いたします。兄上におかれましてもご清祥のことと存じます。
至急ではございませんが、少々お話したいことがございます。ご多忙とは存じますが、お時間のある折に、少しお時間をいただけましたら幸いです。
末筆ながら、兄上のご健勝とご多幸を心よりお祈り申し上げます。
敬具 エリアス』
何度もペンを止めながらも、何とか手紙を書く。ペンを置いたタイミングで、ちょうどカトレア様のお祈りが終わったようだ。
「書けましたか?」
「……はい。ちょうど」
「よかったです。じゃあ、このまま出しちゃいましょうか」
彼女は便箋を受け取ると、封筒に入れて封をした。
「じゃあ、速達魔法、お願いします」
「いえ、その、さすがに……」
「今日は休息日ですから、郵便屋さんも閉まってますよ」
カトレア様は私をまっすぐ見つめる。その視線から逃げられない。
「……分かり……ました……」
手紙を持ち、震える声で伝書鳩と唱える。封筒は白い鳥へと姿を変えた。窓を開けると、王城へ向かって飛んでいく。
白い鳥が小さくなるまで見送りながら、私は無意識に指先を握りしめていた。
◇
朝食を取っても気分が落ち着かず、私はしきりに手を握りしめては離すことを繰り返していた。何かしていないと、夢が頭をよぎる。ならば。
「……カトレア様」
「はい、どうかされましたか?」
「……その、髪をといても?」
ゆっくりとそう告げると、彼女は「いいですよ」と笑った。そのまま椅子に腰掛けてくれる。私は彼女の後ろに立ち、髪に櫛を通し始めた。
「痛くはございませんか?」
「はい。大丈夫です」
髪の柔らかさを堪能しながら髪をとく。時々頭を撫でれば、カトレア様は笑い声を零す。指先の震えが少しずつ落ち着いていく。
「髪に触れられていると、眠くなってきません?」
「……確かに。小さい頃は母がよく髪をとかしてくれたのですが、たまに途中で寝てしまったことが……」
「エリアスさまもなんですね。きっと、可愛かったんだろうなぁ」
彼女の声は柔らかく、いつまでも聞いていたいような心地になる。そうやってしばらく時間を過ごしていると、部屋の扉がノックされた。
「エリアスさん、いらっしゃいますか?」
彼女は……確か見習いのシスターだったはずだ。「何かご用ですか?」と問いかけると、「エリアスさんに手紙が届いています」と返事が返ってきた。
手紙、と聞いた瞬間に手が止まった。兄上からにしては早い。……早い、はずだ。
一度深く深呼吸をしてから、扉を開けて手紙を受け取る。差出人を確認すれば兄上だった。魔力の気配がする。速達魔法で届けられたものだろう。
震える手で封を開く。恐る恐る便箋を開いた。
『遠慮せずに帰って来い。休息日だろ? 聖女様も一緒でいいから』
便箋に温度はない。なのにどこか温かい気がした。手紙から目が離せない。
「見ても大丈夫です?」
カトレア様が下から覗き込んでくる。私は彼女が見えやすいように位置を調整した。
「呼ばれちゃいましたね」
「……そうですね」
「どうしますか?」
彼女は少し上目遣いになる。私は軽く息をこぼして口を開いた。
「……一度帰ります。……その、……着いてきてくださいますか?」
「はい! ……服装、これで大丈夫ですかね?」
カトレア様が着ているのは近頃街で流行っていると聞くワンピースだ。お可愛らしいことには変わりがないが……。
「……もう少しきちんとしたものがよろしいかと」
「……じゃあ、これとか?」
カトレア様はそう言って、プロポーズの際に着ていたブラウスとスカートを取り出す。
「そちらでしたら大丈夫です。私も制服に着替えます」
◇
王城の門をくぐる。軽い身体検査の後、騎士に案内されたのは私的な応接間だった。ノックをして入室すると、兄上と母上が待っていた。
「おかえり」
「エリアス、お帰りなさい」
二人はこちらを見て微笑む。
「……ただいま、戻りました」
いつも通りの挨拶。そのはずなのに声が震える。
「聖女様もよくいらっしゃいました。いや、お帰りなさいと挨拶したほうがよろしいですね」
「……はい! ただいまです」
兄上は笑いながらソファを勧めてくれる。母上が紅茶を淹れてくれた。
「最近どうだ?」
「……特に変わりはなく。いつも通り元気ですよ」
「聖女様はいかがですか?」
「元気ですよ。王太子さまや側妃さまもお元気そうでよかったです」
兄上は「変わりがないなら良かったよ」と笑顔を浮かべる。そして、私に視線を向けた。
「で、話って何だ?」
口を開こうとして……、そして、止まった。……怖い。思わず視線を伏せる。手を固く握りしめた。
その瞬間、手に柔らかさがのる。……カトレア様の手だった。彼女は私に視線を向け、「大丈夫です」と唇を動かした。
「……実は、夢を見て」
「へえ、どんな夢だ?」
「……戴冠の儀、です」
「……誰のだ?」
息を呑む。喉が詰まる。心臓が暴れる。
「……私の、でした……」
俯く。顔が上げられない。兄上の顔が見られない。彼が立ち上がったことだけはわかった。次の瞬間。
「そっかそっか〜。兄ちゃんがいなくなった夢見て寂しかったか〜」
頭をわしゃわしゃと撫でられる。
「……あ、兄……上……」
「大丈夫だからな。兄ちゃん、ここにいるぞ〜。元気だぞ〜」
彼は私の髪をぐしゃぐしゃにする。兄上と目を合わせられる。兄上は笑顔だった。
「……っ、そう……ではなくっ、私、は……あなたを……」
「お前が? 夢を見ただけで真っ青になって震えてるお前が? ないない」
兄上は笑いながら手を全く止めない。
「大丈夫だからな? 怖い夢は兄ちゃんが追い払ってやるからな〜」
「……あの……その……」
そう呟きながらも私はされるがままだった。
しばらく髪の毛を乱されていれば、幾分か落ち着いてきた。おずおずと「……兄上……その、そろそろ……やめていただけると……」と口にする。
「そうよ。エリアスはただでさえ跳ねやすい髪質なんですから。そうやってると絡んでしまうわ」
「母上、そうではなく……」
苦笑を漏らす。彼は唇を尖らせながら「仕方がないな」と手を離してくれた。そっと自分の髪に触れてみれば、あまりにも四方八方へ跳ねているのが分かる。
「もう、鳥の巣になってますよ。ほら、こっちにいらっしゃい」
母上は櫛を手にこちらへ手招きする。
「その……もう子供では……」
「親にとったらいつまでも可愛い子供よ。たまにはいいではないですか」
……少々恥ずかしいが、仕方がない。言われるまま椅子に座れば、母上は櫛を滑らせ始める。頭を撫でられる。おそらく、あまりにも跳ねている毛束を押さえているのだろう。
……髪を触られていると……眠くなって……。
頭が傾きそうになる。慌てて起こす。だが……また……。瞼が重くなってきた……。……開けているつもり……なのに、いつの間にか……。
「眠いなら寝ろ」
「寝ても構いませんよ」
笑い声が聞こえる。……何と答えたのか……分からない……。
感覚が緩む。そこから先の記憶は、なかった。
◇
エリアスさまの頭がこくん、と下がる。すぅ、という寝息が聞こえてきた。
「寝ちゃいましたね」
「昔からそうなんです」
「側妃が髪をとくと眠くなりやすいんですよ。私たち兄弟は皆、寝落ち経験者です」
王太子さまは目を細めながら呟く。
「なんなら父も経験者ですよ」
「国王さままで、ですか?」
思わず目を丸くすると、側妃さまは「むしろ、近頃は陛下を寝かしつけることが多いような……?」と微笑む。
その時、ぱたぱたという足音が聞こえてきた。がちゃりとドアが開けられる。
「お兄さまが帰ってきてるって……聖女さまだ!」
顔を出したのは末の王女さまだった。彼女はとたとたと私に近づく。
「お家に来た人には何ていうのですか?」
側妃さまがそう言うと、彼女はスカートを摘んだ。
「あ! こんにちは。お目にかかれて嬉しいです」
「こちらこそ、会えて嬉しいです」
お辞儀を返す。王女さまは私の手を取って「ねえ、聖女さま。遊びましょう?」と誘ってくれた。私はちらりとエリアスさまへ視線を向ける。彼は気持ちよさそうに船を漕いでいた。
「聖女様がよろしければ、付き合ってあげてくれませんか?」
「エリアスは私たちが寝かせておきますから」
側妃さまと王太子さまが微笑む。……お二人がそう言うのなら。
「構いませんよ」
笑顔で返事をすると、王女さまは「いいの? じゃあ、こっちです」と私の手を引いた。
末の王女さま、もう一人の王女さま、王太子妃さまと一緒にごっこ遊びをした。王太子妃さまの勇者、少しかっこよかったなと思いながら応接室へと戻る。
側妃さまの膝の上で、エリアスさまが丸くなっていた。
彼女は静かに子守歌を歌っている。その手はゆっくりと彼の髪を撫でていた。エリアスさまは安心しきったあどけない顔で気持ちよさそうに眠っている。
……お母さんだ。紛れもなく、絵本で見たお母さんそのものだった。
「……いいなぁ」
はっとして、すぐに口を押さえる。お二人はこちらを見た。誤魔化すように「えへへ」と笑う。側妃さまは空いている手でソファをぽんぽんと叩いた。
「聖女様もこちらにいらっしゃい」
「……いいんですか?」
「はい。どうぞ」
誘われるまま隣に腰掛ける。彼女は「触れますね」とどこかで聞いたような言い方をして、私の肩にそっと触れた。そのまま優しく引き寄せられる。柔らかい手がそっと髪を撫でてくれた。
子守歌が響く。思わず目を閉じる。ふわりと毛布がかけられる感覚がした。
◇
意識が浮上する。どうやら眠ってしまったらしい。……母上の膝の上で。
慌てて体を起こす。
「……失礼いたしました」
「いいんですよ。どうしてそう遠慮するんですか」
「……性分ですので……」
恥ずかしくて頭をかく。兄上は「さっきは寝ぼけて、『カトレア様……どこですか……?』って探してたのにな」と笑った。
「……っ、寝ぼけて、しまいましたか……」
思わず手を顔の前に持ってくる。頬が熱い。
「大丈夫だって。可愛かったし、聖女様には見られてないぞ」
「……彼女に見られる分には……、問題ないのですが……」
そう零せば、兄上は「へえ?」と面白そうに笑う。
「問題ないのか?」
「……寝ぼけているエリアスさまは可愛らしい、とお喜びになりますので……」
「愛されてんだな。羨ましい限りだ」
にやにやという擬音が似合う顔で兄上は笑う。恥ずかしさで俯いてしまった。誤魔化すようにカトレア様の毛布を直した。
「……エリアスさま……」
「ここにおりますよ」
寝言にそう答えながら頭を撫でる。彼女はその手にすり寄り、再び穏やかな寝息を立てた。
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