転生幼女の生存戦略 ~地下トンネルと強制イベント『試衛館』~
人生は選択の連続だ。
私は最初の選択で、玉の輿を選んだ。
それが正解だと、今でも思っている。
問題は、世界がそれを許さなかったことだ。
沖田家・居間
鏡の中に、一人の少女が映っている。年齢は七歳。肌の質感はきめ細かく、コラーゲンとヒアルロン酸の含有量がピークに達している。瞳は大きく、色素が薄い。全体的な造形バランスは黄金比に近い。市場価値は極めて高い。アイドル、あるいは子役としてデビューすれば、初年度で年商数億を叩き出すポテンシャルがある。これが私、沖田司の現在のハードウェアだ。
しかし。今、この完璧なハードウェアの内部、CPU(脳)の処理領域で、重大なシステムエラーが発生している。致命的なバグだ。ブルースクリーンが表示されている。
「……確定しました」
音声認識機能の確認ではない。事実の再確認だ。私の名前は、沖田司。姉の名前は、みつ。父の名前は、勝次郎。そして、この時代は幕末。これらのキーワードをデータベースに入力し、検索を実行する。検索結果は一件のみヒットする。
『新選組一番隊組長・沖田総司』
背筋に悪寒が走る。室温は適正だが、自律神経が悲鳴を上げている。私が、あの沖田総司?天才剣士?人斬り?そして……「労咳(肺結核)」で若くして死ぬ、あの薄幸の美少年?いや、今回は美少女だが、性差はこの際どうでもいい。問題は「死ぬ」ことだ。バッドエンドが確定しているシナリオに転生してしまった。
「バグだ。どう考えてもバグだ。よりによって『労咳で若死にする薄幸の美少年(美少女)』なんて」
結核。マイコバクテリウム・ツベルクローシス。この時代、ストレプトマイシン(抗生物質)は存在しない。発症すれば致死率は極めて高い。治療法は「栄養のあるものを食べて安静にする」という、対症療法にもならない民間療法のみ。死刑宣告と同義だ。私の人生設計が音を立てて崩れ去っていく。
私は長生きがしたい。年金を受給し、ゲートボールを楽しみ、老衰で穏やかにシステムダウンしたい。それが私のKPI(重要業績評価指標)だ。なのに、このままでは二十代半ばで強制終了だ。しかも、その短い人生の大半を「新選組」というブラック企業での過酷な労働(殺し合い)に費やすことになる。福利厚生なし。残業代なし。あるのは「切腹」という名の懲戒処分のみ。最悪だ。どんな罰ゲームだ。
「生存戦略を再計算」
脳内シミュレータを起動する。パラメータを変更する。もし、私が剣を持たなかったら?もし、私が「試衛館」の門を叩かなかったら?もし、近藤勇という名の「運命のCEO」に出会わなかったら?歴史の修正力がどう働くかは不明だが、少なくとも死亡フラグを回避できる確率は上がるはずだ。新選組に入らなければ、池田屋で喀血することもない。過労で免疫力が低下することもない。
結論が出た。ルート変更だ。私は「剣士」というキャリアパスを破棄する。代わりに選択するのは「玉の輿」ルートだ。金持ちの配偶者を見つけ、その扶養下に入り、高栄養・低ストレスの生活を送る。これこそが、結核菌という脅威に対する最強のセキュリティ対策だ。
「よし。私は剣を持たず、玉の輿に乗って長生きする『勝ち組ルート』を選択します」
宣言する。決意表明だ。ターゲットは誰か。現在の手持ちのコネクションを確認する。ジロー。七歳。近所の悪ガキ。だが、彼の住む屋敷は「高須藩邸」だ。その敷地面積、建物の建材のグレード、出入りする使用人の数から推定するに、彼の家は相当な資産家だ。
陪臣(家来)だとしても、上級管理職クラスの家柄だろう。彼なら、私一人を養うくらいの経済的余力はあるはずだ。
鏡の中の自分に微笑みかける。営業スマイルのテスト。口角を上げる。目を細める。完璧だ。このルックスという無形資産を最大限に活用し、ジローという投資家から資金を調達する。M&A(合併・買収)だ。いや、私自身を彼に売り込むのだから、株式公開(IPO)に近いか。
「待っていなさい、ジロー。君は私の『生命維持装置』になるのです」
部屋を出る。向かう先は庭だ。通常の玄関から訪問するのは非効率だ。アポイントメントを取る手間がかかるし、門番というファイアウォールに阻まれる可能性がある。直接接続が必要だ。物理的なバックドアを設置する。
◆
土の匂いがする。湿った、有機物の匂いだ。私は暗闇の中を進んでいる。ここは地下1.5メートル。私が3日間かけて掘削した、沖田家と高須藩邸を結ぶ地下トンネルだ。全長約50メートル。シールド工法など使えないので、手掘りだ。スコップ一本で地盤と格闘した。地層は関東ローム層。粘土質で崩れにくいのが幸いした。支持杭として、近所の廃材をリユースして天井を補強してある。労働安全衛生法スレスレの現場だが、換気用の穴も等間隔で空けてあるので、酸素欠乏症のリスクは回避している。
前方に光が見える。出口だ。GPSによる測量ができないため、方向感覚と歩数計算だけを頼りに掘り進めたが、計算通りなら、ここはジローの部屋の真下だ。誤差は許容範囲内(±50センチ)のはずだ。
頭上の板を押し上げる。抵抗がある。畳だ。イグサの香りがする。私は全身の筋肉を連動させ、リフトアップする。
高須藩邸、一室。豪華な部屋だ。壁には掛け軸、棚には高価そうな壺。固定資産税評価額が高そうな物件だ。部屋の中央には、ジローがいる。彼は優雅にお茶を飲んでいる。ティータイムだ。平和な日常を享受している。その平和を、今から私が破壊的イノベーションする。
バコッ!!
畳が跳ね上がる。床板が外れる。私は穴から顔を出す。モグラ叩きのモグラのように。
「ぶっ!?」
ジローがお茶を噴き出す。液体が霧状に散布される。汚い。飛沫感染のリスクがある。彼は目を見開き、私を凝視している。理解が追いついていない。当然だ。自宅の床から幼馴染の美少女が生えてくる現象は、彼の人生経験にはないはずだ。
「つ、司!?なんで床から生えてくるんだ!?」
彼は叫ぶ。正解だ。私は床から生えた。植物的な成長ではなく、土木工学的な侵入だが。
「……こんにちは、ジロー。家の床下から君の部屋まで、直通のバイパス(地下道)を開通させました。工期は3日です」
挨拶をする。顔には泥がついているだろう。服も汚れている。だが、そんなことは些細な問題だ。重要なのは、私がここに「到達した」という実績だ。
「3日!?ここ、高須藩の屋敷だぞ!?警備はどうなってるんだ!」
彼はパニックになっている。セキュリティホールの存在を指摘している。もっともな懸念だ。この屋敷の警備体制は脆弱だらけだ。地上の門番は立っているだけで、地下への警戒意識が欠如している。二次元的な防衛ラインしか敷いていない。私は三次元的なアプローチで攻略した。
「警備の巡回ルートは解析済みです。15分間隔で交代が行われますが、その隙間に振動を検知されないよう掘削作業を行いました。……さあ、遊びましょう。正道(信奉者)がいなくて暇なのです」
畳の上に這い上がる。泥だらけの足で、高級な畳を踏む。ジローが「ああっ、畳が!」と悲鳴を上げるが、減価償却費で処理してほしい。正道は今日、寺子屋の補習で拘束されている。私の信奉者が不在のため、承認欲求を満たすリソースが不足している。ジローで代用する。
「お、おう!待ってたぞ!今日こそお前に勝ってやる!」
ジローは単純だ。私の不法侵入を、「遊びに来た」という事実に上書きして受け入れた。彼は立ち上がる。構える。戦闘意欲が高い。前回、石合戦で敗北したリベンジを果たすつもりだ。学習能力がない。私とのスペック差をまだ理解していないのか。
【戦闘開始3秒後】
視界が回転する。いや、回転したのはジローだ。私は彼の右腕を取り、関節の可動域限界まで捻り上げている。合気道の原理だ。力ではなく、テコの原理を利用する。彼はうつ伏せに床に倒れている。私の膝が、彼の背中(脊柱起立筋)を圧迫している。完全な制圧。
「い、痛い!ギブ!ギブ!」
彼がタップする。降参宣言。賢明な判断だ。これ以上抵抗すれば、肩関節が脱臼する。私は力を緩めるが、拘束は解かない。マウントポジションを維持する。交渉において、物理的優位性は強力なカードになる。
「無駄な努力です。第二次性徴を迎えるまで、筋力と発育において女子の方が有利です。生物学的な敗北を噛み締めなさい」
成長曲線に関する基礎知識だ。七歳児の段階では、男女の筋力差はほとんどない。むしろ、発育の早い女子の方が体格で勝るケースも多い。彼が「男だから強い」と勘違いしているなら、それはジェンダーバイアスだ。事実に基づいた認識が必要だ。毎日、科学的なトレーニングと栄養管理を行っている。彼はただ遊んでいるだけだ。その差が、この3秒というタイムに現れている。
「だいにじ……せいちょう?なんだそれ?」
彼は涙目で問う。理解していない。保健体育の授業が必要だ。だが、今は時間がない。
「無知は幸せですね。……さて、ジロー。君の家の家紋と屋敷の広さから推定するに、君は『中流以上の陪臣(家来)』の子息ですね?」
本題に入る。デューデリジェンス(資産査定)だ。部屋を見渡す。調度品の質が良い。お茶請けの菓子も、砂糖(貴重品)をふんだんに使った高級品だ。間違いなく、金を持っている。私のパトロンとして合格ラインだ。
「え?いや、俺は……」
彼は何か言いかける。否定か?謙遜か?あるいは、もっと身分が低いと言いたいのか?いや、この部屋のグレードでそれはあり得ない。おそらく「陪臣どころか、もっと上だ」と言いたいのかもしれないが、七歳児の虚勢と判断する。過大評価はリスクの元だ。「そこそこの金持ち」と見積もっておくのが安全だ。
「まあ、そこそこの金持ちなら構いません。……ジロー、私を養う気はありますか?」
直球を投げる。プロポーズではない。事業提携の提案だ。私の「生存」というプロジェクトに対し、彼に「資金」というリソースを提供させる。その対価として、私は彼に……何を提供する?私の存在そのものか?あるいは、たまにこうして遊んでやる(関節技をかける)ことか?まあ、条件面は後で詰めればいい。まずは基本合意(MOU)だ。
「えっ!?や、養うって……そ、それって……」
ジローの顔が急速に赤くなる。血流量が増大している。耳まで赤い。茹でダコ状態だ。彼は私の言葉を、別の文脈で解釈したようだ。「養う」=「嫁にもらう」=「結婚」。この時代の価値観なら、そう変換されるのも無理はない。
「私は将来、働かずに生きたいのです。君の家の財力が私の生存率を上げます」
ニート宣言だ。労働は尊いが、過労死は御免だ。私は高配当株のような生活を送りたい。君という株主優待を受け取りたい。非常に利己的な提案だが、包み隠さず伝える。誠実さ(インテグリティ)のアピールだ。
「つ、司……!俺、頑張るよ!お前のためなら、お菓子もお小遣いも全部やる!」
ジローが感動している。瞳が潤んでいる。なぜだ。私は今、「お前の金目当てだ」と公言したのだぞ。それを「愛の告白」として受け取るとは、彼のフィルタリング機能はどうなっているんだ。ポジティブすぎる。あるいは、私に踏まれている現状に興奮しているのか?マゾヒズムの開花か?だとしたら、需要と供給は一致している。
「契約成立です。……チョロいですね」
彼の手を放し、立ち上がる。彼もおずおずと起き上がる。その顔は、幸せそうで、少しふやけている。
だが、今はいい。契約は結ばれた。彼が私を養う。私が彼を利用する。完璧なビジネスパートナーシップだ。これで「試衛館」に行かなくて済む。近藤勇という熱血漢に勧誘されることもない。私はこのまま、この裕福なボンボンの背中に隠れて、ぬくぬくと長生きするのだ。
「さあ、ジロー。お菓子を出しなさい。糖分が必要です」
「はい!直ちに!」
彼は嬉々として菓子鉢を差し出す。羊羹だ。最高だ。私の生存戦略は、順調に滑り出した。地下トンネルという物理的な近道だけでなく、人生のショートカットも成功させた気分だ。
その時、ふと天井を見る。屋敷の梁が太い。耐震構造もしっかりしている。ここなら、大地震が来ても安心だ。私の「シェルター」として、この高須藩邸は申し分ない。
「……ふふ、勝ったな」
羊羹を口に放り込む。甘さが口いっぱいに広がる。これが「勝利」の味だ。さようなら、新選組。さようなら、池田屋。私はここで、優雅なマダム(予定)として生きていく。歴史の修正力なんて、私の合理主義の前では無力なのだ。
◆
穏やかな午後だ。気圧配置は安定している。高気圧に覆われた関東平野は、絶好の洗濯日和であり、そして絶好のサボり日和でもある。私は縁側で、湯呑みを両手で包んでいる。中身は粗茶だが、今の私には最高級の玉露以上に美味しく感じられる。なぜなら、このお茶には「勝利」というフレーバーが含まれているからだ。
「平和だ。……剣術?やりませんよ。私はジローのヒモになって余生を過ごすのです」
先日、高須藩邸のボンボン、ジローとの間に締結した「生活保障条約」
あれは完璧な一手だった。太いパイプを手に入れた私は、もはや「新選組」という泥舟に乗る必要がない。あの血生臭い、ブラック企業とは無縁の人生。近藤勇の暑苦しい説教も、土方歳三のスパルタ指導も、すべて他人事だ。
私はただ、ジローの屋敷でゴロゴロしながら、たまに彼に「すごいねー」とお世辞を言って承認欲求を満たしてやればいい。簡単なお仕事だ。RPGで言えば、ラスボス直前で「隠居して農場を経営する」という選択肢を選んだようなものだ。エンディング確定。ハッピーエンドだ。
お茶を一口すする。カテキンが体内の活性酸素を除去していく。老化防止。健康寿命の延伸。私の生存戦略は、盤石のものとなった。
「たっだいまー!」
玄関の方から、突き抜けるような明るい声が響く。みつ姉上だ。彼女の声には、人を強制的にポジティブにさせる特殊な周波数が含まれている。あるいは、単に声が大きいだけか。
湯呑みを置く。彼女を出迎える準備をする。今は彼女の機嫌を損ねるわけにはいかない。彼女は私の保護者であり、ジローの家へ嫁ぐまでの待機期間を支えるスポンサーでもあるからだ。
居間の襖が開く。みつ姉上が入ってくる。その背後には、後光が見える錯覚を覚えるほどの満面の笑み。いや、笑顔の輝度が物理的に高い気がする。何かいいことがあったようだ。商店街の福引で一等を当てたか、あるいは道端で大判小判を拾ったか。
「司~!朗報よ!来週から私たち、住み込みでお手伝いに行けることになったわ!」
彼女は爆弾発言を投下する。朗報?定義を確認したい。「住み込みでお手伝い」。このキーワードから連想される事象は、労働契約の締結、および居住環境の移転だ。しかも「私たち」という主語が使われている。
私もセットだ。抱き合わせ商法だ。待ってほしい。私のニート計画に、労働というタスクは含まれていない。
「(ガタッ)……お手伝い?まさか姉さん、生活費のために私を売るつもりですか?遊郭ですか?吉原ですか?」
膝が震える。最悪のケースを想定する。江戸時代における貧困家庭のセーフティネット、それが「口減らし」だ。子供を奉公に出す。美形の子供は高く売れる。私の市場価値が高いことは自覚しているが、商品として流通させられるのは御免だ。人身売買は国際法違反だ。いや、この時代に国際法はないが、私の人権意識が拒絶反応を示している。
みつ姉上は、きょとんとした顔をする。私の深刻な懸念が伝わっていない。
「違うわよ!もう、司ったら変な知識ばっかり!……剣術道場よ。家事全般と、道場の掃除をするの」
彼女は笑い飛ばす。遊郭説は否定された。よかった。私の貞操の危機は回避された。行先は剣術道場。業務内容は家事と掃除。いわゆる「賄い婦」や「下女」のようなポジションか。それなら許容範囲だ。掃除は得意だ。5S(整理・整頓・清掃・清潔・躾)を徹底し、業務効率を改善してやる自信がある。それに、道場なら男ばかりでむさ苦しいかもしれないが、私の戦闘力ならセクハラ野郎を物理的に排除することも可能だ。
「(安堵)……なるほど、道場ならセーフです。市ヶ谷あたりには『賢人道場』とか色々ありますからね」
座り直す。心拍数が正常値に戻る。市ヶ谷周辺には大小様々な道場がある。無名の道場なら、歴史の表舞台に関わることもないだろう。適当に掃除をして、ご飯を作って、数年後にはジローの元へ嫁ぐ。その計画に支障はない。むしろ、花嫁修業としての家事スキル向上に役立つかもしれない。ポジティブに捉えよう。リスキリングの機会だ。
「ええ、とっても活気があるところよ。……確か名前は、『試衛館』って言ったかしら」
みつ姉上が、その単語を口にする。四文字。たった四つの音節。し・え・い・か・ん。その音声データが、私の聴覚神経を通り、脳の中枢へと到達する。
ピシッ。
私の手の中で、乾いた音がする。湯呑みだ。陶器の表面に、蜘蛛の巣状の亀裂が入る。私の握力が、無意識のうちに限界値を突破したのだ。熱いお茶が指に漏れ出すが、熱さを感じない。それ以上の衝撃が、私の思考回路を焼き切ろうとしている。
試衛館。天然理心流。近藤周助。そして、その養子となる近藤勇。土方歳三、沖田総司、井上源三郎、山南敬助……。新選組のコアメンバーが集結する、伝説の(そして呪われた)道場。すべての始まりの場所。
「……姉さん。今、なんと?」
問い返す。聞き間違いであってほしい。幻聴であってほしい。私の耳が、ストレスで誤作動を起こしているだけだと言ってくれ。「市営館」とか「支援館」とか、そういう別の施設だと言ってくれ。
「試衛館よ!館主の近藤周助先生が、とってもいい人なの!」
みつ姉上は、無邪気に繰り返す。確定。逃れようのない事実。「いい人」という評価が、逆に絶望を深める。近藤周助は確かに人物としては立派かもしれないが、彼に関わることは、すなわち歴史の奔流に飛び込むことと同義だ。ブラックホールの事象の地平線に足を突っ込むようなものだ。一度入れば、二度と戻れない。
(システムエラー発生。……歴史の修正力が強すぎる……!!)
脳内で警告音が鳴り響く。アラート。クリティカル・エラー。回避行動不能。私がどれだけジローという別ルートを開拓しようとも、世界そのものが私を新選組ルートへ引き戻そうとしている。
これは運命なのか。それとも、何らかの悪意あるプログラムによる強制イベントなのか。フラグ管理がおかしい。私は正規の手順で死亡フラグを折ったはずだ。なのに、なぜ強制的に再構築されるんだ。
震えが止まらない。お茶がこぼれて畳を濡らす。だが、そんなことはどうでもいい。ここで「はい、そうですか」と従うわけにはいかない。試衛館に行けば、私は近藤勇に見出され、剣の才能を開花させられ、そして京へ上り、人を斬りまくり、最後は咳き込んで死ぬ。そのレールが見える。鮮明に見える。拒否する。断固拒否する。私はストライキ権を行使する。
「……姉さん。提案があります。その話、なかったことにできませんか?具体的には、私が今すぐジローに嫁いで、その結納金で暮らすというのは」
代替案(プランB)を提示する。なりふり構っていられない。七歳での結婚は早すぎるかもしれないが、事実婚でもいい。人質でもいい。ジローの家に転がり込めば、試衛館行きは回避できる。高須藩邸という治外法権に逃げ込むのだ。政治亡命だ。
「まーた変な冗談言って!ほら、荷造りするわよ!」
みつ姉上は、私の必死の提案を「冗談」として処理した。彼女の笑顔は崩れない。聞く耳を持たない。彼女にとって、試衛館行きは決定事項であり、覆せない確定未来なのだ。彼女の手が伸びてくる。私の襟首を掴む。その握力。圧倒的だ。優しそうな見た目に反して、彼女の筋肉繊維は鋼鉄並みの強度を持っているのではないか。抗えない。
彼女は私を雑巾のように引きずる。摩擦係数が仕事をする。畳との摩擦熱でお尻が熱い。
「離してください!いやだ!私は死にたくない!近藤勇というゴリラと関わりたくないんです!助けてジロー!!」
絶叫する。なりふり構わず叫ぶ。「ゴリラ」まだ会ったこともない近藤勇を霊長類最強の生物に例えて罵倒する。偏見だ。だが、私の脳内イメージでは、彼は胸を叩いて威嚇する野獣そのものだ。あんな暑苦しい男の下で働いたら、ストレスで胃に穴が開く。
結核の前に胃潰瘍で死ぬ。ジローの名を呼ぶ。私のパトロン。私のATM。助けてくれ。地下トンネルから援軍を送ってくれ。だが、応答はない。彼は今頃、屋敷で呑気に羊羹でも食べているに違いない。役立たずめ。
「はいはい、行くわよ~!新しい生活、楽しみね!」
みつ姉上は、私の抵抗を意に介さない。彼女にとって、私の絶叫は「喜びのあまり興奮している声」に変換されているのかもしれない。ポジティブ変換機能がバグっている。彼女は鼻歌交じりに私を引きずる。「新しい生活」。それは私にとって「死へのカウントダウン」の始まりだ。
畳に爪を立てる。物理的抵抗。最後のあがきだ。イグサが爪の間に食い込む。痛い。だが、離さない。この家から出たくない。この平和なニート生活予定地から離れたくない。
「姉さん、これは拉致監禁です!人権侵害です!奉行所に訴えますよ!」
法的手段をちらつかせる。脅迫だ。だが、姉上には通じない。彼女は法を超越した存在だ。家庭内独裁者だ。
「さあ、荷物はこれだけでいいわね。あとは現地調達!」
彼女は片手で私を引きずりながら、もう片方の手で手際よく風呂敷包みを作る。マルチタスク能力が高すぎる。その有能さを別の方向に向けてほしい。なぜその手腕を、私の生存戦略の破壊に使うのか。
ズリズリズリ……。私は引きずられていく。玄関の敷居を跨ぐ。さようなら、私の安息の地。こんにちは、修羅の道。
外の光が眩しい。春の日差しが、私の絶望を照らし出す。近所の犬が吠えている。私を嘲笑っているのか。それとも、ドナドナされる子牛への憐れみか。
空を見上げる。青い。無駄に青い。歴史という巨大なシステムが、私というバグを修正しようとしているのを感じる。試衛館。そこに行けば、私は「沖田総司」にならざるを得ない。剣を握らざるを得ない。近藤勇や土方歳三と絆を深めざるを得ない。そして……。
「……覚えておけ、世界の意思よ」
引きずられながら、虚空に向かって中指を立てる(心の中で)。
「私は屈しない。試衛館に行っても、絶対に働かない。剣も握らない。掃除だけして、隙を見て脱走してやる。私の生存本能を舐めるなよ……!」
これは宣戦布告だ。運命に対する、ささやかな、しかし断固たる抵抗宣言。みつ姉上の怪力に運ばれながら、私は次なる作戦(プランC)の構築を開始する。道場でのサボタージュ計画。近藤勇への嫌がらせ計画。土方歳三への精神攻撃計画。やれることは全部やる。業務改善だ。新選組(予定)の業務を、内部から破壊してやる。
「司、早く歩きなさい。引きずると着物が汚れるわよ」
「引きずってるのは姉さんです!歩行の自由を奪われているんです!」
「あら、そうだったかしら?ウフフ」
「ウフフじゃありません!笑い事ではありません!」
抗議は空回りする。最強の姉という名の重機によって、私は強制連行されていく。目的地、試衛館。地獄の一丁目。私の「業務改善日誌」は、ここから本格的に始まることになる。まずは、入所初日に道場の看板をへし折って、出禁になるところから始めようか。いや、それはさすがに物理的リスクが高いか。食中毒を起こさせるか?いや、自分が食べる分も汚染されるのは困る。
思考は巡る。止まらない。私の合理主義マインドは、この絶望的状況下でも最適解を探し続けている。生きてやる。絶対に生きてやる。たとえ、歴史のすべてを敵に回しても。
試衛館に行ったからといって、
剣を振るとは限らない。
斬るとは限らない。
だが、面倒は起こす。
それだけは保証する。




