幼年期のバグと最適化 ~天才児は空気を読まない~
芹沢「おい司。お前、昔からそんなだったのか?」
司「はい。仕様です。私は設計段階から、情緒というパーツが未搭載でしたので」
芹沢「……欠陥品じゃねぇか」
司「でも性能は保証しますよ、先生。バグを愛せる人間こそ、本物のエンジニアです」
芹沢「エンジニアって何だ」
弘化二年、春
場所は江戸、白河藩屋敷近くの長屋
正確なGPS座標は不明だが、ここが私の新しい拠点だ。窓から差し込む日差しが、畳の上に幾何学的な光の模様を描いている。
暖房器具が火鉢しかないこの時代において、太陽光エネルギーは貴重な熱源だ。
ソーラーシステムが未実装なのが悔やまれる。私の視線の先には、庭の草木がある。植物の名称は興味がない。重要なのは、それらが光合成を行い、酸素を供給しているという事実だけだ。
自分の手を見る。
小さい。圧倒的に小さい。指の長さ、関節の太さ、皮膚の弾力。すべてが「幼児」の仕様だ。
スペックを確認する。
氏名:沖田司
年齢:数えで五歳
性別:女性(重要)
前世の記憶:あり(フルインストール済み)
現在のステータス:転生成功
ハードウェア(肉体)の初期不良はない。四肢の可動域は広く、神経伝達速度も良好。 呼吸器系に若干の脆弱性(将来的な結核リスク)が懸念されるが、現時点では正常値を叩き出している。問題はソフトウェア(精神)だ。
この肉体に搭載されているOSが、どうやらこの時代の推奨環境と適合していない。 「情緒」という名のプラグインが欠落している。
代わりに「合理的思考」というビジネスアプリケーションが常駐している。これはバグではない。仕様だ。私が生き残るための、最強のツールだ。
目の前には書見台がある。その上には、分厚い和綴じの本が鎮座している。 『孫子』。 中国の古典であり、軍事戦略のバイブルだ。五歳の女児が読むには、いささかハードルが高いとされる書物だ。漢字のフォントサイズが小さい。行間が狭い。UIのデザインが最悪だ。
可読性を考慮していない。だが、内容は素晴らしい。ここには、組織運営とリスクマネジメントの真髄が書かれている。
「兵は拙速を聞くも、未だ巧の久しきを睹ざるなり」(戦争は多少拙くても短期決戦が良い。長期化して良いことなどない)
正論だ。コスト意識の塊だ。戦争というプロジェクトにおいて、人件費と兵站の維持費は莫大だ。
ダラダラと残業をするような戦い方は、企業の利益を圧迫する。孫子は優秀な経営コンサルタントだ。
ページをめくる。紙の摩擦係数が低い。めくりにくい。 指先に唾をつけるのは衛生的観点からNGだ。
「司、また難しい本を読んでいるの?『孫子』……?」
部屋の空気が振動する。音声入力だ。顔を上げる。視界のフレーム内に、一人の女性が入ってくる。沖田みつ。私の姉だ。年齢は十二歳(数え)
彼女は窓辺で針仕事をしている。手元の布に糸を通す動作が、一定のリズム(BPM)を刻んでいる。生産ライン作業だ。彼女の表情筋は緩んでいる。口元には微笑みという名のデフォルト設定が適用されている。
「はい、姉上。生存戦略の参考書として優秀です。敵を効率的に排除するメソッドが体系化されています」
事実を報告する。嘘をつく必要はない。五歳児が「敵の排除」と口にする違和感については、あえて無視する。私の発声器官はまだ未発達で、舌足らずな音声が出力される。「ほうほうとちてゆうしゅう」みたいに聞こえているかもしれない。滑舌のトレーニングが必要だ。
みつ姉上は、針を止める。そして、私を見る。その視線には、恐怖や困惑といったネガティブな感情データが含まれていない。あるのは、純度100%の「慈愛」だ。
理解不能だ。データ解析エラーを起こす。
「まあ、司は勉強熱心ねえ。偉い偉い」
彼女はニコニコしている。肯定だ。全肯定だ。私の異常性を「勉強熱心」というポジティブなカテゴリに分類した。フィルタリング機能が強力すぎる。彼女の脳内ブラウザには、有害サイトブロック機能がついていないのか。あるいは、すべてを「かわいい」に変換する翻訳ソフトが常時稼働しているのか。
書見台から離れる。膝立ちになる。彼女との距離を詰める。この現象について、論理的な説明を求める必要がある。
「……姉上。質問があります」
「なあに?」
彼女は首を傾げる。角度は約15度。心理学的に「親愛」を示す角度だ。
「姉上は、なぜ私に『嫉妬』という非合理的感情を向けないのですか?スペック差は歴然、周囲の評価も私に偏っています。統計的には、姉妹間で確執が生まれる確率は87%です」
客観的事実の列挙。私は天才児と呼ばれている。近所の寺子屋では既に教師の知識レベルを超え、道場では大人相手に木刀でマウントを取っている。親戚縁者からの注目は私に集中している。本来なら、姉であるみつは、私に対して劣等感や嫉妬を抱くはずだ。カインコンプレックス。兄弟姉妹間の競争原理。リソース(親の愛情、遺産、世間の評判)の奪い合い。それが生物としての正常な反応だ。なのに、彼女は平然としている。私の存在を脅威として認識していない。
みつ姉上は、針山に針を刺す。仕事を中断する。そして、私の頭に手を置く。掌の温度が伝わってくる。温かい。体温36.5度前後。心地よい圧力が頭蓋骨にかかる。
「うーん……難しいことは分からないけど。だって司は、私の可愛い妹だもの」
彼女は答える。論理ではない。感情論だ。しかも、極めて単純化された感情論だ。「妹だから可愛い」。そのトートロジー(同語反復)は、議論として成立していない。根拠がない。だが、彼女の瞳孔、呼吸、脈拍、すべてが「真実」を語っている。 彼女は本気でそう思っている。嘘発見器にかけても、針は微動だにしないだろう。
無表情を維持する。内心では、激しい計算処理が行われている。
この「優しさ」は、偽装ではない。天然資源だ。枯渇する心配のない、無尽蔵のエネルギー源だ。
「……回答がロジカルではありません。ですが、『敵対行動なし』と判断します。現状維持がコストパフォーマンス的に最適解です」
結論を下す。彼女と敵対するのは損だ。彼女の庇護下にあることで、私は衣食住の安全を保障されている。彼女は私のスポンサーであり、セーフティーネットだ。この関係性を維持管理することが、私の生存率を最大化する。
「ふふ、また難しい言葉遊び?司は本当に特別ね」
彼女は笑う。「言葉遊び」私の高度な社会分析を、ただの子供の戯言として処理した。 寛容だ。あまりにも寛容すぎる。バグだ。
この時代の人間の精神構造に、重大なセキュリティホールがある。いや、彼女個人の資質か。「特別」という言葉を、差別化ではなく、個性として受け入れている。ダイバーシティ&インクルージョン(多様性と包摂)の先駆者だ。
部屋の隅にある鏡台へ向かう。鏡は貴重品だ。磨き抜かれた銅鏡。映りは悪いが、自分の顔を確認するには十分だ。そこに映っているのは、無愛想な童女だ。目が死んでいる。 完全に魚の目だ。市場に並んだ鮮度の落ちたマグロの目だ。これではいけない。
対人コミュニケーションにおいて、第一印象は7秒で決まる。この無表情は、相手に警戒心を与える。無用な摩擦係数を生む。営業ツールとしての「笑顔」を実装する必要がある。
周囲を確認する。みつ姉上は再び針仕事に没頭している。今がチャンスだ。私は鏡に向かって、顔面筋肉の調整を開始する。
「(小声で)笑顔の練習。口角挙筋を30度引き上げ、眼輪筋を収縮……」
解剖学を脳内で参照する。笑顔を構成する筋肉は、大頬骨筋と眼輪筋だ。 これを意識的に収縮させる。頬の肉を持ち上げる。重力に逆らう。口角を横に引く。歯茎が見えすぎないように調整する。ガミースマイルは品がないとされる。
目は笑っているように見せるため、少し細める。三日月形を作る。
鏡の中の顔が歪む。ひきつっている。不自然だ。「不気味の谷」現象が発生している。 アンドロイドが人間に近づこうとして失敗した時の、あの生理的嫌悪感を催す表情だ。 怖い。自分で見ても怖い。夜道で会ったら悲鳴を上げて逃げるレベルだ。修正が必要だ。
力を抜きすぎてもいけない。入れすぎてもいけない。自然な(ナチュラルな)営業スマイル。顧客に安心感を与え、契約書にサインさせるための、あの一千万ドルの笑顔。
数回の試行錯誤。筋肉の痙攣を抑える。微調整を行う。よし。これだ。完璧な黄金比率。アイドル並みのキラキラ感。
嘘くささは多少あるが、五歳児という外見補正がそれを中和してくれるはずだ。
深呼吸をする。横隔膜を下げる。腹から声を出す準備。トーンを上げる。周波数を「愛らしい子供」の帯域に合わせる。
振り返る。ターゲット、みつ姉上。距離、3メートル。射程圏内。私は駆け寄る。足音をパタパタと鳴らす。演出だ。
「姉上、大好きです(棒読み)」
感情を込めすぎるとボロが出る。あえて棒読みにすることで、照れ隠しをしているように見せかける高度なテクニックだ。そして、先ほど完成させた「営業スマイルVer.1.0」を展開する。
みつ姉上が顔を上げる。その目に、私の笑顔が映る。彼女の反応速度は速い。即座に針仕事を放り出す。両手を広げる。
「私もよ、司!」
彼女は私を抱きしめる。ハグだ。欧米式のスキンシップだ。窒息しそうなほどの圧力。柔軟剤(この時代にはないが、日向の匂い)の香りが鼻腔を満たす。成功だ。 彼女は私の笑顔を「本物」として認証した。セキュリティクリアランスを通過した。
「チョロい。……いや、この姉の抱擁力、活用しない手はない」
彼女の胸の中で、再び無表情に戻る。バッテリーの節約だ。笑顔の維持にはカロリーを消費する。必要な時だけ起動すればいい。
分析する。みつ姉上は、私の最大の理解者であり、最強の盾だ。彼女がいる限り、私は「普通の子供」としての社会的地位を擬態できる。
私の奇行は、彼女のフィルターを通すことで「天才児の個性」として社会に受容される。 マネーロンダリングならぬ、キャラクターロンダリングだ。彼女を拠点にして、私はこの時代を攻略する。
それにしても、この抱擁は悪くない。オキシトシンの分泌を感じる。ストレス値が低下していく。これもまた、効率的な休息だ。私は彼女の着物の布地を掴む。素材は綿。吸水性が良い。私の顔の脂を拭き取るのに丁度いい。
その時、庭先から声がする。
「おーい、司!遊ぼうぜ!」
ノイズだ。招かれざる客の登場だ。声の主はジロー。近所のガキ大将。 IQはおそらく二桁。筋肉量だけは無駄に多い、将来の肉体労働者候補だ。彼との接触は、生産性が著しく低い。泥遊びやチャンバラごっこに付き合わされるだけだ。泥の成分分析や、チャンバラの物理演算をするのは面倒だ。
「あら、ジローちゃん。司、お友達が来たわよ」
みつ姉上が私を放す。笑顔で送り出そうとする。待ってほしい。私は今、急速充電モードに入っていたところだ。電源ケーブルを抜かないでほしい。
「姉上、私は今、兵法書の解読という重要業務に従事しています。彼との遊戯はスケジュールに入っていません」
私は拒否する。アポイントメントのない訪問は受け付けない。門前払いが基本だ。
「まあ、そんなこと言わないの。子供は風の子よ。行ってらっしゃい」
みつ姉上の「常識」攻撃。抗えない。彼女の笑顔は、時として命令以上の強制力を持つ。逆らうと、夕食のメニューに影響が出る可能性がある。兵站を握られている以上、従うしかない。
「……了解。外交業務を行ってきます」
表情筋を再起動。「子供らしい笑顔」をセット。モード切替。対外折衝モードへ。
縁側に出る。ジローが鼻水を垂らして立っている。鼻水。粘液の分泌過多。アレルギー性鼻炎か、あるいは単なる風邪か。感染リスクがある。濃厚接触は避けるべきだ。
「よう、司!今日は川でカニ捕りしようぜ!」
カニ。甲殻類。食用としての価値はあるが、捕獲にかかる労力と、得られる可食部のバランスが悪い。ROI(投資対効果)が低い案件だ。
「ジロー君。カニの捕獲における期待値を計算したことはありますか?川の水温、カニの生息密度、君の捕獲スキルを変数として入力すると、成功率は15%未満です。時間の無駄です」
提案を却下する。代替案を出すべきか。いや、彼に関わること自体がサンクコスト(埋没費用)だ。
「はあ?何言ってんだお前。難しい言葉使うなよ!行くぞ!」
彼は私の手首を掴む。強引な勧誘。コンプライアンス違反だ。力づくで連行しようとする。物理的接触が発生した。私の手首の皮膚に、彼の皮脂と泥が付着する。 汚染。
「離してください。君のその行動は、刑法における暴行罪、および強要罪に該当する可能性があります。……まあ、今の時代に刑法はありませんが」
「うるせー!行くったら行くんだよ!」
話が通じない。言語プロトコルが異なる。彼は感情と衝動だけで動いている。野生動物だ。調教が必要かもしれない。
その時、もう一つの影が現れる。正道。私の信奉者。近所の武家の子で、私を崇拝している奇特な少年だ。
「ジロー君!司様の手を放したまえ!司様が嫌がっておられるだろう!」
正道が割って入る。「司様」彼は私を教祖か何かだと思っている。以前、私がそろばんを使って帳簿の計算ミスを指摘して以来、彼は私を神童と崇め、付き従うようになった。 便利なイエスマンだ。だが、その「純粋さ」は時として狂気を帯びる。
「なんだよ正道、邪魔すんな!」
「司様は選ばれしお方だ!カニごときと戯れるような御方ではない!司様、私が代わりにカニを捕ってまいります!100匹捕ります!」
100匹。生態系を破壊するつもりか。乱獲だ。持続可能な開発目標(SDGs)に反している。
「正道、結構です。カニは不要です。それより、ジロー君を論理的に排除してください。物理的排除でも可とします」
指示を出す。アウトソーシングだ。面倒な業務は部下に丸投げする。 上司の特権だ。
「承知いたしました!おいジロー、決闘だ!」
正道が構える。ジローも受けて立つ。子供同士の喧嘩が始まる。取っ組み合い。砂埃が舞う。私はそれを縁側から見下ろす。高みの見物。安全圏からの観察。
「ふう……」
懐から手ぬぐいを取り出し、手首を拭く。除菌アルコールが欲しい。次亜塩素酸水でもいい。この時代の衛生観念の低さは、私にとって最大のストレス要因だ。
部屋の中を見る。みつ姉上が、まだニコニコしながらこちらを見ている。喧嘩をしている男子たちを見ても、「元気でいいわね」くらいの感想しか抱いていないようだ。平和ボケだ。だが、その平和ボケこそが、私が守るべき聖域なのかもしれない。
「司、おやつにお団子があるわよ」
姉上の声。お団子。糖分。脳のエネルギー源。優先順位変更。喧嘩の仲裁よりも、糖分補給が最優先だ。
「はい、姉上。ただいま戻ります」
男子たちを放置して、部屋に戻る。後ろで「うわあ!」「参ったか!」という声が聞こえるが、BGMとして処理する。勝った方が戻ってくればいい。それが生存競争だ。
お団子が皿に乗っている。三色団子。着色料の使用基準が気になるが、今は目をつぶろう。 一口食べる。 甘い。 血糖値が上昇するのを感じる。インスリンが分泌される。 幸せホルモン(セロトニン)が出る。
「おいしい?」
「はい。糖度、粘度ともに最適です。素晴らしいプロダクトです」
「よかったわねえ」
みつ姉上がお茶を淹れてくれる。湯気が立つ。カテキン。抗酸化作用。健康維持に役立つ。
私は思う。この「子供」というモラトリアム期間。それを最大限に利用して、私は準備を進めなければならない。この時代の業務は過酷だ。残業、休日出勤、パワハラ、そして殺し合い。生き残るためには、今のうちにスキルツリーを解放し、ステータスを上げておく必要がある。 剣術、学問、そして処世術。すべてを最適化する。
今はまだ、みつ姉上というゆりかごの中で、爪を研ぐ時期だ。バグだらけのこの世界で、私が唯一の「仕様」となるために。
「司、口の端にあんこがついてるわよ」
姉上が指で私の口元を拭う。子供扱い。今の私には、この「介護」が必要だ。私はされるがままになる。
「……姉上。私、大きくなったら、この家を株式会社化して上場させます」
「え?かぶしき……なに?」
「いえ、独り言です。将来のビジョンです」
お茶をすする。ズズズ。渋い。江戸は、意外と快適だ。空調設備はないが、このぬるま湯のような環境は、私の荒んだ社畜精神を癒やしてくれる。しばらくは、この「幼年期」という名のバケーションを楽しむとしよう。もちろん、裏では着々と「業務改善」の準備を進めながら。
みつ「司、あんたほんと変わってるけど……優しいとこもあるのよ」
司「優しい、ですか。評価項目にない感情ですね」
みつ「ううん、ちゃんとあるわ。お団子を半分くれたもの」
司「それはリソースの再配分です。効率の問題です」
みつ「はいはい、効率の問題ね。……でもね、そういうところが可愛いのよ」
司「……了解。評価基準、再検討します」




